教えることの転回 | M.M.(まっつん)の読書ノオト

M.M.(まっつん)の読書ノオト

日々に起こった事実を通して、色々な想いを「命の証」として思うがままに書き綴ります。

お久しぶりです。

facebook、noteではないなと思い、このブログに書こうと思います。

先月から、とある勉強会に参加して、自分に向き合う機会が増えました。

アウトプットが大切と分かっていながらも、自分の中で対話することが増えたので、

いろいろな文章を思いつくのですが、果たしてそれを公開していいものか迷うようになり、

アップする頻度が減りました。

他人が読んで、心地よいと感じる文章とはどんなものでしょうか。

上司から、今後のビジョンを考えると、他の人が心地よく仕事ができるようにうまく調整

していくことがあなたには必要ですと言われました。難しいです。

でも、目の前に訪れた壁は、神様は超えられると思って出現させたのでしょう。

 

『”それ”は在る』という本は、今年一番ともいえるほどのいい本です。

今読むべくして、読んでいます。

ますます考えさせられます。

 

さて、勉強会には感想文があるのですが、それを考えていたら、ふと思ったことがあります。

折角考えついたことなので、それをここに書きます。

 

私は今まで、「教えること」は先人が受け継いできた智慧などを自分という媒介を通して

「伝えること」だと考えてきました。

たとえば、数学の楽しさを伝えるなどです。

しかし、もうすでに各々の生徒さんが持っている、内なるものに「気づいてもらうこと」が

より大切ではないかと感じています。

私が思っている楽しさを一方的に伝えるのではなく、内なる楽しさに気づいてもらえること

の方がしっくりくるのです。

「自分にしかできないことを、自分がやりたいようにやる」という信念があります。

他者のことを真似て、形だけ整えるのではなく、自分らしくありたいですね。