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M.M.(まっつん)の読書ノオト

日々に起こった事実を通して、色々な想いを「命の証」として思うがままに書き綴ります。

朝、珈琲を淹れる時間は楽しみの一つである。

出勤前のギリギリの時間であるがゆえに、

私は淹れるだけに時間を費やし、ゆっくり嗜むことがほとんどできない。

テイスティング程度である。

でも、淹れた珈琲を美味しくいただいてくれたら、それで満足である。

 

淹れた後に、「珈琲、どうぞ」と声をかける。

ところが、それが遅くても、早くても嫌味を言われる。

着替えをしている最中に言えば、急がせるなと言わんばかり。

何も言わずに、珈琲を手にした刹那に言えば、声くらいかけろと言わんばかり。

「本当に!」(本当にできないやつだな)と嫌々しく吐き捨てる。

タイミングとは難しい。

声をかけなければ、口にしないだろうし、ブツブツ言われる。

どうしたらよいのだ。

こちらにも時間がある。

すべて、その方の時間で動いているわけではない。

無視するわけにもいかない。

タイミングを覚えることを教わった。

ありがたいことだ。

今度から、早かったら、仏壇へのお供えは自分でやろう。

 

まもなく4カ月が過ぎようとしているが、

あの方はなぜ私たち家族が同居しているかすらおそらく理会していない。

義母は大変だけど代わってあげられないとあの方はつぶやくが、

義母の病気のことや辛さを誰よりも理会していない。

気の毒で仕方がない。

 

何はともあれ、義母の臍帯血移植はうまくいき、状態は少し安定し始めている。

まだまだこれからだが、快方に向かうよう、心から祈っている。

今日は節分。年4回あるうちの、もっとも意味がある一日です。

40年以上も生きてきて、知らなかったのですが、『皇の時代』を読んでいろいろと学びました。

豆まきをする際、「鬼は外」という掛け声をしますが、鬼は決して悪いものだけでないというのです。

鬼がフクを連れて帰ってくるということにびっくりしました。

なるほど、だから外に出ていってもらわないとダメなわけですね。

昔の人のスピリチュアルな部分って、本当に凄いなと思います。

今の時代になっても、決して色褪せないし、それどころか寧ろ大切になっている気がします。

前半は小難しい感じでしたが、後半になるにしたがって、なるほどと学ばせてもらいました。

なかなか人に薦めにくい本ですが、個人的には楽しめました。

次は、『心感覚』、そして『よひとやむみな』に挑みます。

いずれもスピリチュアルですね(^^♪

日記というか、備忘録のようにして書き綴ります。

 

娘の話です。

今月、椅子を傾けて座りながら、机の引き出しを無理やり引っ張りました。

その結果、後ろに転んでしまい、その挙句に友だちの足を踏んでしまいます。

その友だちは痛かったので、あろうことか手にしていた鉛筆を投げつけます。

その鉛筆が娘の右目に当たります。

眼球に当たった様子がなかったのが、不幸中の幸いでした。

変な座り方をした娘が悪いのは当然。

でも、鉛筆が当たったことによって、パニックになり、友だちにすぐに謝りませんでした。

小学生の時に興味本位で誰しもやってしまう座り方ですが、

こういう座り方をすると危険だよということを身をもって皆に教えることになりました。

 

1週間前、家の中で柔らかいボールを投げていました。

窓ガラスの上に飾ってある賞状の額に当たり、落としてしまいます。

怪我はなかったのですが、謝りませんでした。

 

そうして、昨日。

先週よりも小さいボールで午前中に私とキャッチボールをして遊んでいました。

それが楽しくて、私を待たずして一人で遊び始めてしまいます。

またまた運が悪く、賞状の額の隣にある故曾祖母の写真の額を落とし、

木で作られた額縁だったので破損してしまいました。

何とか、瞬間接着剤で修復。

あろうことか手についてしまい、皮膚がくっついてしまった。

でも、壊れてしまったのに、すぐに謝りませんでした。

 

さすがに、両親揃って、説教です。

娘はビービー泣きじゃくります。

誰でも過ちは起こします。

だからこそ、「ごめんなさい」と一言謝ることが大切だと思います。

言おうと思っていたなんて言い訳しても、言わなければ通じないのです。

ごめんなさいと言っても修復できないこともあります。

物だからいいとか、そういうわけにいきません。

それがもっと大きなことになって、取り返しのつかないことになったら惨事です。

妻が非常に調子が悪いところで起こしてしまったことなので、

「ボールでもう遊んじゃダメ」と言い放ちます。

ご尤もですが、娘は調子づくことがあるので、〝待つこと〟を覚えてほしいですね。

まあ、何とか2人の間を取り持ちました。

 

新しい生活もまもなく3カ月が過ぎようとしています。

戦々恐々とした生活ではなく、もっと和気藹々な生活でありたいものですが。

なかなかうまくいかないものですね。

 

義母の、臍帯血移植が28日に無事終わりました。

まずは第一歩です。

新たな命を授けてくださった赤ちゃんの名前を「歩夢」くんと名付けました。

 

あ…チャレンジ精神旺盛で、新しい扉を開く人。とても、明るく、積極的

ゆ…ロマンチストな情熱家

む…集中力に優れ、強い精神力を持った人

 

とてもいい名前ですね(^^♪

お母さんには、ぜひ歩夢くんと仲良くなってほしいと願います。

娘は、お母さんに歩夢くんと仲良くなっている絵を描きました。

 

こんにちは、歩夢くん。はじめまして。

これからよろしくね。

50音には一文字一文字、言霊があります。

名前は漢字の人が多いですが、ひらがなにしてもきちんと意味があります。

そこで、妻の名前を調べてみました。

 

頑張り屋で、何でも自分でやりたい「自立心の強い人」です。

責任感が強く人に頼ったり、任せるのが苦手。

自分が興味を持ったことに対して一直線に突き進む力を持っています。
感情表現が豊かで、思ったことが顔に出やすい人です。
やりたいコトはやりたいと主張する積極的なチカラがあり、

いきすぎると押しが強いと思われることがあります。
 

妻は完璧主義みたいなところがあります。

専業主婦だから、全部一人でやらないといけないと思い込んでいます。

働かないから楽でいいよなと思われているのが嫌だと語ります。

私は専業主婦を楽だとは微塵にも思っていません。

周りの人の目なんてどうでもいいんです。

私はそれを望んでいたことだし、私が何よりも助かっています。

だからこそ、休みの日はなるべく負担を軽くしてあげようと、家事はできる限りやります。

お手伝いしているという感覚ではないです。

育児も手伝いではありません。

2人の子ですから、手伝うという認識では不自然だと考えています。

ともにやることが大切です。

やれることがあるのに、ぼっーとしているなんて私にはできません。

妻は家政婦さんではありません。

 

家族のうち誰かが倒れたら、即刻もとの住居に戻ることが条件で同居しています。

義父が生きていけるかどうかよりも、私たち家族の幸せ、健康のほうが大切です。

義父は一人でもやっていけます。なんでも人に頼ってはいけません。頼りすぎです。

人を粗雑に扱い過ぎです。

やらなくてもいいですが、もっと感謝の気持ちを心から伝えてほしいですよね。

だから、反面教師として、私は感謝を伝えられる人でありたいと思っています。

 

何だか、愚痴みたいになってしまい、申し訳ありません。

今月、直観的に、何かが起こると予測していたのですが、

妻が子どもに理不尽に接していたので、私が妻に話をすることになろうとは。

 

 

娘が、国語の教科書にある原田直友さんの詩『はんたいことば』を音読をしていました。

 

 「うれしい」の

 はんたいことば

 

 「いしれう」

 「うれしくない」

 「かなしい」

 

 みんな

 せいかい

 

 

これを聴いていて、昔のことを思い出しました。

国語の宿題で、「かるい」の反対言葉を答えるものでした。

私は、「いるか」と書きました。

 

でも、親にはちがうよとダメ出しされました。

自分で言うのもあれですが、多感であり、純粋な時期だなと思うので、

娘にかけてあげる言葉は慎重に選ばないといけないなと。

お久しぶりです。

先週の21日(金)に、センジュ出版オンライン読書会を初めて主催しました。

テーマは「いのちと本に向き合う」で、重いテーマかと思いましたが、

なんと20名もの方が参加してくださり、それぞれ篤き想いを語ってくれました。

このような貴重な時間を過ごさせていただき、本当に感謝の至りです。

ファシリテーターとして、みなさんの聲を受け止めるだけで精一杯でした。

いのちにかかわることであるゆえに、悲しい出来事もたくさんある中で、

内なるものを真摯に言葉にしてくださったことが、すごく嬉しいです。

心に沁みた言葉ばかりで、かけがえのないものとなりました。

参加していただいたみなさん、誠にありがとうございました。

noteの30日連続投稿を達成しました!(^^)!

高校生の時以来だと思いますが、詩を書き綴ることもありました。楽しかったですね。

国語は苦手でしたが、自由に書ける詩は好きでした。

また、機会があれば、書こうと思います。

 

さて、新しい生活も2か月が経ちます。

色々な思いがあって、妻に内緒で、義母についメールをしてしまいました。

誰かを責めようとか、そういうことではありません。

義母が大変な思いをしているのは分かっていたのですが、

打ち明ける場が欲しかったんです。

情けないですが、頼ってしまいました…。

 

『友よ、水になれ』の第四章「相手」は、今の状況を深く考えさせる内容でした。

すごい「流れ」の中で読んでいるなって感じです。

周りの人間関係は自分の「鏡」。

まだまだ、この本に教えられそうです。

 

さあ、明日は【読書てらこや】です。

どんな対話になるか、楽しみです。

もう2022年も10日を終えようとしています。

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。M.M.です。

今年もこのブログをよろしくお願いいたします。

noteの30日連続投稿に挑戦し終えたら、

もう少しこのブログへの投稿も考えていこうと思っております。

なかなか30日連続って難しいですよね。

一日やり忘れてしまい、おじゃんになったので、再挑戦中です。

 

今週末の読書会【読書てらこや】に向けて、濱田陽さんの『生なる死』を読んでいるところです。

音だけで本の名前を聴いたとき、『聖なる死』だと思いました。

それはさておき、問いが多くて、色々考えて読むため、なかなか進みません。

 

私たちが生きている、この時空は、朝が来て、夜が来て、

そんな単調な繰り返しに誰も考えてしまいますが、

どの一日をとってみても、同じ日などありません。

五感を通して感じたことも、直感で感じたことも、どれも微妙に違っているのです。

 

まだどこにも投稿していませんし、通信にも書いていませんが、

今年の私のテーマは「いのちと向き合う」です。

1月21日(金)センジュ出版オンライン読書会を主催させていただきますが、

テーマは「いのちと本に向き合う」です。

4月からは看護師希望の生徒さん5名と哲学対話を繰り返す予定です。

日々、これについて考えてほしいなというものを、

ゆらぐリズムのある流れの中でキャッチしています。

その中で、

半年前に放送していたドラマ『ナイト・ドクター』の歌が心に染み入り、何度も聴いて、

今、生きている以上、あの子も分まで、家族の笑みに出合うために、

不器用でも、頑張って生きようって思います。

あなたに起きたことには、すべてに何かしら意味があると思っています。

もちろん、それには辛く、切ないこともあるでしょう。

でも、そのメッセージにいつ気づくのか、気づけるのかは、正直、分かりません。

でも、あなたは生きています。

それだけは、紛れもない事実です。

 

 

 

 

お久しぶりです。M.M.です。

12月もあと3日を残すのみとなりましたね。いかがお過ごしでしょうか。

今朝は絶対に雪は積もらないと予想していたのに、ガリガリと何やら音が。

義父が雪かきをしていました。

ええ、積もったんかあい。

妻が車を運転しないと分かっていたので、重い腰があがらず。

でも、お父さんだけにやらせるわけにもいかず。

着替えをして、いざ雪かきへ。

とはいっても、15㎝くらいなんですが。

雪かきを始めたら、お父さんに地肌を出すと凍るから雪を残した方がいいと言われました。

いやいや、残したら、ずっと凍ったままやん。

それに、どうせまた降るんだから、適当にやっておけばいいんだよと。

それなら、どうせ腹が減るんだから、ご飯食べなくても一緒ですよね。なんて言えませんが。

綺麗にしておかないと、少しでも晴れたら雪は融けます。

性格の問題でしょうか。捉え方の問題でしょうか。

むむ、朝からすれ違い。

でも、どんな形であれ、雪かきしてくださったことは有難いことです。

「隣の三尺」という教えがあります。

よかれと思ってやりすぎてもダメなんですよね。

それと似ていて、期待して、やってもらえないと、不満が残る。

これは自分勝手な思考・解釈なんです。

だから、最近、自分と同じようにできるだろうと、過剰に期待することをやめてみました。

気が楽になりますね。

100点のうち50点しかできなくてもいいんです。それでよしとしましょう。

何はともあれ、2021年は残り僅か、良いお年をお過ごしください。

そして、2022年、良いお年をお迎えくださいませ。

それでは、このブログでまたお会いいたしましょう。