APOGEEのₙC₅「GIRAFFE」「The Sniper」「遠雷」ほか | A Flood of Music

APOGEEのₙC₅「GIRAFFE」「The Sniper」「遠雷」ほか

 

はじめに

 

 自作のプレイリストからアーティストもしくは作品毎に5曲を選んでレビューする記事です。第7弾は【APOGEE】を取り立てます。普通に読む分に理解の必要はありませんが、独自の用語(nの値やリストに係る序数詞)に関する詳細は前掲リンク先を参照してください。

 

 これまでに当ブログでアポジーをメインとした記事は18本と多くあり、そのうち以下の2本はやや特集的な内容なのでリンクカードを貼っておきます。

 

 

 

 その他関連のある言及をした記事や単に名前を出しただけの記事も読みたいという方は、当ブログのID指定ありの検索結果ページを以下にリンクしておくので辿ってみてください。なお、本記事の選曲に於いては過去にレビュー済の楽曲をなるべく除く形にしました。

 

 

 前置きは以上で、ここからアポジーのₙC₅を書き始めます。現時点でのnの値は60/3[=20*3]、レビューするのは「GIRAFFE」「The Sniper」「Heart of Gold」「Fallin'」「遠雷」の5曲です。アルバムの4th『OUT OF BLUE』(2014)5th『Higher Deeper』(2018)に関しては既にディスク評を書いているため除いて、1st~3rdおよび6thから1曲ずつ+未収録曲から1曲の布陣にしました。厳密には1stのディスク評「Fallin'」の単独記事も当ブログに存在しますが、10年以上前のラフな文章はノーカンのスタンスで再レビューとします。

 

 

「GIRAFFE」(2006)

 

 

 通時的に見ていこうということで、初手は『Fantastic』(2006)収録の「GIRAFFE」です。アルバム曲ながらそのポテンシャルはシングル級で、ライブに於いても僕の体感調べで根強い人気が窺えます。そんなライブ時の発言をソースとするに本曲は「マイケルジャクソンをイメージした」らしく、緊張感の漂うソリッドなギターとそれを下支えするセクシーなベースに雷鳴の如きSEが織り成す怪しげなイントロ部分だけでも、確かにMJのナンバーを彷彿させるには充分です。そこに加わるドラムスが有機的な音像を演出してバンドらしいリズムが顕となり、程なくして煌びやかに流れるシンセがニューウェイヴの趣を強めてくると、何時聴いても「このグルーヴこそがアポジーだ!」と初聴時の新鮮な感動が蘇ります。たっぷり1分近く使ってオケを把握させた後に歌が始まるのもフロア志向で好みです。

 

 しかしその旋律は何処かジメジメとしていて、且つ歌詞内容も皮肉に満ちており手放しで踊らせてはくれません。慣用句「首を長くする(長くして待つ)」が説く様態をキリンに擬え、平歌では"彼"も"彼女"も何かを待ち焦がれていると描写されます。一転して言語が日本語から英語へと切り替わるサビはそれによって視点の変更がマークされ、即ち期待される側としての"I"の苦悩が述べられる立脚地へと移行です。平静を装う口笛のようなシンセを引き連れた物憂げなメロディに乗せて繰り返される"I don't care I don't mind"は果たして本心か、"Giraffes' eyes are watching me"の状況を気に掛けない根拠に距離("Giraffes are so faraway")と頻度("It's happening all the time")が挙げられるも、頭数と期間("They're waiting for a long time")を意識させられたら、"But what am I supposed to do?"と自身の次なるアクションに自信が持てなくなるのが人間と言えます。

 

 だのに相対している"彼ら"の性質は待ち続けるキリンゆえに厄介で、"幸福に水をやる"慈しみが"洗い流されて"の暴力性を帯びても尚期待は已みません。なぜなら"また現れて"と待ち焦がれる対象にも限りがないからで、気付けば誰もが誰かを"Giraffes' eyes"で"見つめている"のが世の常でしょう。このことは2番サビの結び"They think it's everything/They think it's someone else"が、「誰でも良いから期待させてくれ」と意訳出来る点にも繋がります。つまるところ「自分じゃなくてもいい」の虚しさを嘆くギターリフで2番後間奏は切なく進行し、ラスサビに再び顔を覗かせる煌びやかなシンセは宛ら爪弾かれるハープで、前奏および1番後間奏の時より一段と涙っぽい響きです。その終盤に満を持して二人称の"you"が登場し、熱っぽく訴え続けられる"I'm thinking of the Giraffes around you…"の警句は、目下本曲を耳にしている我々へ向けたものでしょう。畳み掛けのコーラスワークに具象化させられた光景は、キリンに取り囲まれて蹲り目を伏せている自分です。

 

 

「The Sniper」(2008)

 

 

 お次は『Touch in Light』(2008)から「The Sniper」に狙いを定めます。リリース時から現在に至るまで個人的フェイバリットの最上位帯に収まり続けている推し曲です。そのくせ今まで当ブログでは同盤収録の「Rain Rain Rain」と共に、「雨の日に無性に聴きたくなる曲」として曲名を出す程度の言及しかしていませんでした。本曲の直接的な雨要素は歌詞の"通り雨の匂いのこと"だけですが、それよりもイントロから続くピアノリフに降り止まない雨を感じての例示です。約8分半と長尺であるのも長雨を想起させる一因ながら、展開の秀逸さで冗長さは一切ありません。

 

 園庭で遊ぶ幼い子供達の声と思しきサンプリングで幕を開ける点と、デジャブめいた情景描写の根源を"夢だから"とする理由付けに鑑みると、その視点は遠い過去ないし曖昧な現実にあると言えます。しかし1番ではその舞台や経路についてある程度正確に把握していることが示され、2番で辿り着く"水色の都市"に関しても"何度ともなく見たストーリー"とループが匂わされており、遠く曖昧なのに近く具体的という矛盾が成立するのは蓋し夢らしいです。最近は殆ど見なくなったものの、従前には僕の夢も似たような振る舞いを見せる場合がありました。今は非表示にしている昔のブログネタ記事に夢がテーマのものがあり、自身の奇妙な夢体験がともすれば歌詞解釈のTipsになるかもしれないと期して、その一部を下書きからサルベージした後に体裁を整えたものを以下に掲載します。

 

 隔月ぐらいで続きモノの夢を見る。知らない場所に知らない人しか出てこず内容には都度バリエーションがあるけれど、常に雑木林沿いの道が起点となるために同じシリーズと認識出来るもの。最も多いのは暫く歩いた後に途上で、或いは自販機のある袋小路に着いて誰とも会わずに終わるパターン。いちばん怖かったのはそも雑木林の四方にコンクリの壁が聳えていて、その檻の中で巨大な枝切り鋏を持った作業着のお爺さんに追い回された挙句、壁面のタラップで上へ逃げられたはいいがその先で駆け込んだ施設も異様な雰囲気で、大量の配膳台が整然と敷き詰められた内部に未稼働の屠殺場を連想して毛骨悚然とする悪夢。珍しく明るかったケースでは雑木林を抜け港町に出られて、洋風の民宿みたいな外観の建物に入るとその実態は個人塾らしく、大学生ぐらいの男女数人と壮年の教師らしき人に迎え入れられて目覚めです。何れも特定のトラウマやコンプレックスに根差していたり、反対に憧憬や理想のビジョンを示していたりに思い当たる節はありません。僕が普段見る夢は知っている場所に知っている人が出てくる;現実をデフラグして再構成したかのようなものが多いのに、この一連の夢だけはデフォで明晰夢な上に妙にリアルなので胡蝶の夢的な考え方に解を求めたくなるほどです

 


 ここで話を「The Sniper」に戻してその世界観を見ていくと、描写の全てが夢での出来事というわけではなく古い記憶との混交が窺えます。先に「降り止まない雨」と形容したピアノリフは、同時にそのシンプルなリピート性で夢裡のデジャブを表現しており、係る旋律も派手に動かず倦んだ印象です。ここに現実性が侵食してくるのが中盤の静的なセクションで、覚醒的なトーンのシンセに導かれて"思い出すのは何のこと?"("誰のこと?")と意識からの問い掛けが起こり、それに答えた"通り雨の匂いのこと"("呼びかけてる彼女のこと")からはそれぞれ嗅覚と聴覚に作用する外部刺激の存在を察せます。前者はプルースト効果を根拠に、類推して声や音にも近しい効能があろうと後者も特別視すれば、五感からこれらを優先したのは正しいアプローチです。丁寧なガイドからの問い掛けは"それから?"と更なる覚醒を促し、オルタナ的なギタープレイで勢い付くオケも目覚めは近いと告げています。

 

 ここまで敢えてふれてこなかった表題の"スナイパー"については、"狙い撃つ"のは"その手綱"と"淡い幻想"、"ただ待っている"のは"夜が来るのを"と"朝が来るのを"、つまり二つの役割を担う者と説明されています。"手綱"は"つながっているのは 微かな記憶だけ"から導かれた語彙と受け取れ、それを狙撃するのは=忘却を加速させるアクションです。僅かな痼りも眠りを妨げる要因になり得ますから、いち早く夢へと誘うために"夜が来る"前に万難を排しているのだと思います。一方で"淡い幻想"への狙撃はそのまま現実への帰還を意味するアクションで、幸福な夢見が目覚めた途端に朧気となるあの現象は"彼ら"の仕業、"朝が来る"のに備えていたのだなと腹落ちです。

 

 上記を踏まえると"スナイパー"に懇願するスタンザは哀しいジレンマに支配されており、大切にしたいはずの"何気なくも確かな感触を/何となく薄れていく記憶を"について、"撃つなスナイパー 思い出させてくれよ/撃てよスナイパー 忘れさせてくれよ"と相反する感情を抱くのは、失った幸せを惜しむ文脈下では別段不自然ではありません。当該部は旋律の荒っぽい変化も聴き所で、"いいだろ?"を合図として堰を切ったようにメロディアスなパートに傾れ込む楽想も素晴らしいです。思い出す"通り雨"は夏の季語ですが"冬の空に 浮かぶ 浮かぶ"で現実は冬と示唆する残酷な時間経過の提示と、"夢の中で 浮かぶ 浮かぶ/遠く闇に 揺れる 揺れる"とただでさえ不確実で不明瞭な記憶の末路を"そしていつか 消えていく/俺のように 君のように ほら"と終わった二人の関係に喩える暗示で、夢にも現にも"スナイパー"が潜んでいることを痛感します。

 

 

「Heart of Gold」(2009)

 

 

 続いて紹介するのは『夢幻タワー』(2009)収録の「Heart of Gold」です。ジャケ写(上掲サムネ画像に同じ)から浮かぶほんのりダークメルヘンなイメージと相俟って、歌い出しの"さあ行こうパーティーへ/最高のパーティーへ"はそのご機嫌な言葉繰りに反して影があります。オケもレコードノイズ様に細切れで英語詞部分のフィルター使いもくぐもり気味、優しい音遣いと表せばその通りだけれど背後に妖しさも拭えないといった塩梅です。"tonight is the night"で今このタイミングが重要だからこそ、"that's why i'm calling you"に"so why don't you come with me?"と、是が非でも"you"と時間を共にせんとする静かな熱意が伝ってきます。それは今時(リリース時でさえ)聞かない殺し文句"you're an angel"にも反映され、神聖なサウンドスケープで紡がれる"あなたに会ってすべて変わったよ/もうあなたのトリコ"に想いの強さと深さを知り、しかし"さあパーティー あなた来ないと今夜は台無し"のif notはそれゆえに不穏です。

 

 決意と覚悟が次第に演奏にも滲み出して"最高のパーティーがさあ始まるよ"と宣言されるも、これは"浮き足立って fly away"の先走りなため直ぐに冷静さを取り戻します。とはいえ胸の高鳴りを抑え切れなかったのかメロディは果てしなく舞い上がり、天上の美しさを誇る"do you believe in magic/of your and my heart of gold?"のラインが僕に見せた光景は錬金術師からの魔術めいた案内です。"heart of gold"はイディオムとして「(人が)寛大である」とか「思いやりの心(を持つ)」を意味しますが、本曲のそれはニールヤングの同名楽曲:邦題「孤独の旅路」(1972)に於けるそれと同じで、下手に全体で訳さず「黄金の心」(ジョジョラーなら「黄金の精神」)と素直な逐語訳にしたほうが据りが良いと思います。これに加えて僕は"magic"と"gold"から錬金術を持ち出し、前述の危ういパーソナリティの補強をしたいと考えました。機は熟し舞台が整った二度目の"you're an angel"はより自己陶酔的で、告白を囃し立てるシンバルも煩いくらいです。

 

 間奏の盛り上がりに晴れて"あなた"が"パーティー"に現れハッピーエンドの未来を夢想するも案の定そうはならないのが哀しい真相で、なればこそここからの泥臭い畳み掛けが本曲の真骨頂と言えます。俄に歌詞の文章量が増しファンタジックな向きは何処へやら、"昨日今頃自転車に乗って/スピード出して坂道下って/あなたとの夜イメージしていた"と、思いのほか少年らしい一節が飛び出し"僕"の精神的な幼さを匂わせるのは手厳しいです。"夢の中でもいつでもあなたは/話しかければ微妙なカンジ/15種類の返事使い分け/いつも最後にはぐらかされて"と夢の中ですら脈ナシを突き付けられ、"辿り着けない あなたの heart of gold"と結ばれると先の"your and my heart of gold"は幻想に過ぎなかったのかと憐れみを禁じ得ません。次の四行は別けてもお気に入りで、"最高のパーティーが開かれる/最高の夜になっておしまい/最悪なんて結末知らない/最低なんてこの目に見えない"は、潰えた計画を前に目を瞑って理想をなぞる涙に濡れた惨めでピュアなフレージングが突き刺さると絶賛します。

 

 

「Fallin'」(2022)

 

 

 ここで一気に10年以上飛んで配信限定シングル曲「Fallin'」にフォーカスです。とはいえ本曲はその実2011年の無料配信が初出でして、「はじめに」にリンクした本曲の単独記事は当該の音源を元に書きました。ライブに於いてもオール都内ながら人生初の全公演制覇を成し遂げた、2010年の「perigeepoint」Vol.1~4・plus(この記事から各レポにアクセス可能)で漏れなくプレイされています。この頃はまさか正式な音源化が12年も先になるとは想像だにしていませんでしたし、4thにも5thにも収録が見送られて以降は寧ろ今更リリースするのかと、「Time to Synchronize」(2022:2010)と併せて不遇な経緯に同情しました。その自虐がジャケットのカセットテープに込められている気がします。

 

 各記事をご覧いただければ解る通り当時から甚く評価している楽曲で、散らばった記述を総括すれば主なツボは以下の三点です。

 

 ① 多彩な楽想が主張するアポジーらしさ

 ② 全編英語詞かと思いきや不意に出てくる日本語詞の意外性

 ③ 終盤のビーチっぽいアレンジの没入感

 

 ①は以前「メロの豊富なAPOGEEらしさ」や「1曲の中に色んなメロディが入ってて」などと表現していた観点で、後年に整理した当ブログ上でのメロディ区分のルールに従ってもEメロまで進むので今も変わらぬ評価ポイントと言えます。2番終わりまでは普通のJ-POP的楽想【AメロBメロサビ】だけれど、Cメロ("I'm"~)以降は新たな旋律の連続でどう着地するのか"fallin'"だけに読み難くなるつくりです。Dメロ("音楽が"~)はCメロと別けない区分もアリだと思いますが、使用言語が変わっているため別のセクションと見做しました。2番A/Bメロでの日本語詞新出も同じく、シラブルとモーラの往来で韻律の性質自体に二面性があるのも多彩さの醸成に繋がっています。このことは②への言及にもなりますね。③はDメロ後間奏とEメロ("Fallin'"~)のオケに関する指摘で、ギターの殊更にドライな鳴り方と最低限のシンプルなドラムスに、穏やかなビーチを幻視したという話です。ライブ時の照明や室温に中てられた感想の面は否めません。

 

 歌詞は"How can I reach you, tonight?"が語るように、超然としている"You"に対して引け目を感じている"I"が、それでも追い付こうとする内容と受け取りました。とりわけ面白いのはCメロで、"the fool on the hill"に"dear prudence"とビートルズの曲名が引用されています。「the fool~」(1967)では"sees the sun going down"とあくまで地上目線だったものが、本曲では"climbing up to the sky"と大それた行動に出ており一層愚かです("head in a cloud"と同じく「空想上」のマーカーなら元ネタの踏襲だけれども)。他方「dear prudence」(1968)で関連しそうなのは"greet the brand new day/The sun is up, the sky is blue"で、沈む陽と昇る陽の対比で"who leaves me behind & breaks me up"のすれ違いを表しているのかなと意図を推測します。または"What's the matter with my fallin' every night & day?"に照らして、太陽と月の関係性に男女を見る往年の比喩でしょうか。

 

 

 
 

「遠雷」(2023)

 

 

 ラストは最新作『Sea Gazer』(2023)から「遠雷」をメインに据えて、内垣さんが去った後のサウンドにもふれておきましょう。ベースの脱退はやはりバンドのグルーヴを変えるため、正直6thは過去作に比べるとノリが弱いと感じます。代わりにシンセないしプログラミングが音の隙間を埋めている印象で、やや無機質でクールなタッチにはなりましたが今風の心地好さとは案外こういう系かもなと、時代に即した音作りが出来ている点を好意的に取りたいです。収録曲は何れもアポジーのエッセンスを欠いておらず、シングル曲を例にすれば「TiDE」と「Saihate」(共に2022)には原点回帰の向きが窺え1st/2ndを、「Sink/Rise」(2021)と「Midori」(2022)に於ける空間浸透力の高い編曲には4th/5thを、それぞれ過らせるものがあります。アルバム曲では歌詞が短い回文のみのほぼインストトラック、「JP」(Japanese Palindromeの略?)の実験的な作風が新機軸で好みでした。

 

 

 MVの存在からおそらくリード曲であろう「遠雷」も良曲で、従来っぽさと新生らしさが共存する懐かしくもフレッシュなナンバーです。イントロに奏でられしは渇いた空気感だけれど、歌い出しの"近づく低気圧"が予告するように湿度の上昇は避けられない空模様で、係るウェットな部分をシンセが担っていると聴き解けます。"遠雷"が"誘雷"となって後のサビでは憂鬱な主旋律が光輝を放つオケで彩られており、悪天候の予感に心が弾むあの少し後ろめたい高揚感には覚えありです。"倍音"の英語じみた発音につられて"遠雷"はenlightenに"誘雷"はyou lightにも通じるなとぼんやり思っていたら、"いま放たれる"~で眩いばかりにメロディが動き出しはっとさせられました。その"radiance"は[3:30]~のシーケンスフレーズにも表れ、力強く"行く先を照らす"ように鳴り渡り美しいです。"遠雷 鳴り響け/to the other side"の結びには、ここまでの歌詞に頻出していた"なくても"("なくとも")の仮定を意に介さない激しい伝播性があります。

 

 

おわりに

 

 以上、アポジーのₙC₅でした。昔から好きで聴き込みが深い楽曲群の良さを遅蒔きながらに言語化出来たのと、2018年を最後に新譜レビューをしていなかったブランクを埋められて満足です。