1 革命史観
革命史観(唯物史観)は物質史観と言ってもよいと思います。物質の発展によって歴史が発展するという考え方だからです。これは精神史観であるヘーゲルに対するアンチテーゼとして立てられたものです。しかしマルクスはヘーゲルに反対しながらも、ヘーゲルの法則(弁証法)をそのまま受け継ぎ、唯物論の立場からそれを歴史に適用して唯物史観を立てたのです。
物質の発展によって歴史が発展したというのが唯物史観の主張ですが具体的には、生産力の発展のことです。生産力が発展すればそれに照応した生産関係が現れ、さらに政治や法律や芸術等の上部構造が生産関係に照応しながら発展するのです。このように歴史発展の原動力は生産力および生産関係、すなわち経済であるという見方が革命史観です。
一見すれば事実のようにみえますが、ここには大きなからくりがあります。生産関係を物質と言いましたが、ほんとうは精神が大きな役割を果たしているのであり、そこに共産主義の策略があるのです。概念を混乱させながら、自分たちの主張に有利なように導くというのが、共産主義の重要な戦略の一つなのです。
マルクス主義はキリスト教に対する告発、あるいはアンチテーゼとして現れたものですから、唯物史観にはキリスト教摂理史観と対応する側面があります。キリスト教摂理史観によれば、最初に人間の創造と堕落があり、その後人類歴史の背後で天使と悪魔の闘いが展開し、そして神の摂理に導かれて終末に至り、再臨主による最後の審判が行われて千年王国が来ることになっています。
唯物史観はこのキリスト教摂理史観を裏返したような内容を持っています。唯物史観によれば最初の原始共同社会は、生産力の発展に伴う階級の発生によって階級社会に転化し支配階級と被支配階級が階級闘争を展開しつつ、生産力の発展に伴って歴史は発展するが、生産力が最高度に発展した資本主義社会に至ると革命が起こり、無階級社会である共産主義社会が実現するといいます。このように摂理史観と唯物史観とは、内容的には全く異なりながらも形式的には似た関係にあるのです。
2 生の哲学史観
生の哲学史観とはディルタイ(1833~1911)ベルグソン(1859~1941)ジンメル[1858~1918]等による史観です。進歩史観(精神史観)は理性を重要視しましたが、それに対して生の哲学者たちは、生の表現として歴史を見ようとしたのです。
ヘーゲルの歴史哲学によれば、歴史の進歩はロゴス、あるいは理性の自己実現によって導かれるものであり、そこにはある決まった型があって、この型にはまったように人間は生きることになっています。しかし生の哲学の史観によれば、人類歴史は理性によって統制されて発展したのではなく、生命そのものの動き(躍動)によって自ら発展してきたというのです。この史観は精神史観に対抗して現れたものですが、同時に唯物史観とも相容れないものでした。
しかし生の哲学の史観にも問題があります。それは歴史上に表われる多くの苦痛や不幸を不可避的なものとして見てしまったということです。したがって人間はいかにして苦痛や不幸から解放されるかという問題は、この哲学によっては解決できません。それで生の哲学に代わって人生の問題を解決しようとして現れたのが実存主義です。
3 文化史観
民族の歴史あるいは国家の歴史は、ある文明圏の断片の歴史と見るのが文化史観です。シュペングラー(1880~1936)と、トインビー(1889~1975)がその代表です。
シュペングラーは文化を有機体ととらえ、すべての有機体が育ち・栄え・滅するように、あるいは季節に春・夏・秋・冬があるように、すべての文化は発生し、発展し、衰退し、滅亡(没落)する。
このようにすべてのものの発展と衰退過程は決定的であるとして、決定論的史観を主張しました。(唯物史観も原始共同社会から奴隷社会、封建制社会、資本主義社会を経て社会主義社会から共産主義社会へと、社会の発展は決定的なコースをたどると見る決定論的史観です)
シュペングラーに影響されながらも独自の文化史観を立てたトインビーは、文明は誕生、成長、挫折、解体、消滅の諸段階を経るが、その過程は決定的ではなく、人間の決意と努力によって文明は形成されることを強調しました。これを自由意志論といいます。
トインビーによれば世界史の中で十分に成長した文明は21ないし23あったが、それらの文明は時間的・空間的に接触しながら多くのものは成長、挫折、解体の三段階を経過して滅びたが、今日ではキリスト教文明(西洋、ギリシャ正教)、回教文明(イラン、アラビア)ヒンズー教文明、極東文明の四つの文明圏が残っているといっています。
トインビーの文化史観の重要な点は、第一に非決定論あるいは自由意志論ということですが、ここで決定論と非決定論の問題点について述べます。
歴史のたどる過程と目標がすでに定まっているという決定論の場合は、唯物史観のように理想世界の実現を約束して人々に希望を与えたり、シュペングラーのように滅亡を予言して不安を与えたりしますが、いずれの場合にも、歴史の方向は決定されているのだから、我々は何も苦労したり努力したりする必要はないのでないか、という疑問が生じてきます。
すなわち自己の責任分担を果たそうとしないで、すべて成り行きに任せようとする傾向が現れるのです。それに対して非決定論は歴史の目標がはっきりしていません。トインビー自身未来は「神の国か闇の国か」「永遠の生命か永続する死か」その答えは誰にも分からない、その選択は人類の自由意志にかかっていると次のように述べています。
神自身の「存在」の法である愛の法の下で、神の自己犠牲は人類の前に霊的な完成という理想を据えることで人類に挑戦している。そして人類は、この挑戦を受けいれるか拒否するかの完全な自由がある。愛の法は人類が罪人になるか聖者になるかを人類の自由に任せている。つまり愛の法は人類の個人的および社会的生活を「神の国」への前進たらしめるか「闇の国」への前進たらしめるかの選択を人類の自由に任せているのである。
A・トインビー、桑原武夫約、図説歴史の研究Ⅲ学習研究社132ページ
これに対して統一史観は、一方的に決定論でもなければ、一方的に自由意志論(非決定論)でもありません。歴史の目標は決定的であるが過程は非決定的であるというのであって、決定論と非決定論の両方の要素をもっているのです。
トインビーの重要な点は、トインビーは歴史観に「神」を導入したということです。これは統一思想からみた場合、非常に大きな功績です。近代に至ってからは、進歩史観の台頭とともに、神の摂理は神学は別としても、歴史学からは排除されるようになっていましたが、トインビーは神の摂理を堂々と歴史観の中に導入したからです。
革命史観(唯物史観)は物質史観と言ってもよいと思います。物質の発展によって歴史が発展するという考え方だからです。これは精神史観であるヘーゲルに対するアンチテーゼとして立てられたものです。しかしマルクスはヘーゲルに反対しながらも、ヘーゲルの法則(弁証法)をそのまま受け継ぎ、唯物論の立場からそれを歴史に適用して唯物史観を立てたのです。
物質の発展によって歴史が発展したというのが唯物史観の主張ですが具体的には、生産力の発展のことです。生産力が発展すればそれに照応した生産関係が現れ、さらに政治や法律や芸術等の上部構造が生産関係に照応しながら発展するのです。このように歴史発展の原動力は生産力および生産関係、すなわち経済であるという見方が革命史観です。
一見すれば事実のようにみえますが、ここには大きなからくりがあります。生産関係を物質と言いましたが、ほんとうは精神が大きな役割を果たしているのであり、そこに共産主義の策略があるのです。概念を混乱させながら、自分たちの主張に有利なように導くというのが、共産主義の重要な戦略の一つなのです。
マルクス主義はキリスト教に対する告発、あるいはアンチテーゼとして現れたものですから、唯物史観にはキリスト教摂理史観と対応する側面があります。キリスト教摂理史観によれば、最初に人間の創造と堕落があり、その後人類歴史の背後で天使と悪魔の闘いが展開し、そして神の摂理に導かれて終末に至り、再臨主による最後の審判が行われて千年王国が来ることになっています。
唯物史観はこのキリスト教摂理史観を裏返したような内容を持っています。唯物史観によれば最初の原始共同社会は、生産力の発展に伴う階級の発生によって階級社会に転化し支配階級と被支配階級が階級闘争を展開しつつ、生産力の発展に伴って歴史は発展するが、生産力が最高度に発展した資本主義社会に至ると革命が起こり、無階級社会である共産主義社会が実現するといいます。このように摂理史観と唯物史観とは、内容的には全く異なりながらも形式的には似た関係にあるのです。
2 生の哲学史観
生の哲学史観とはディルタイ(1833~1911)ベルグソン(1859~1941)ジンメル[1858~1918]等による史観です。進歩史観(精神史観)は理性を重要視しましたが、それに対して生の哲学者たちは、生の表現として歴史を見ようとしたのです。
ヘーゲルの歴史哲学によれば、歴史の進歩はロゴス、あるいは理性の自己実現によって導かれるものであり、そこにはある決まった型があって、この型にはまったように人間は生きることになっています。しかし生の哲学の史観によれば、人類歴史は理性によって統制されて発展したのではなく、生命そのものの動き(躍動)によって自ら発展してきたというのです。この史観は精神史観に対抗して現れたものですが、同時に唯物史観とも相容れないものでした。
しかし生の哲学の史観にも問題があります。それは歴史上に表われる多くの苦痛や不幸を不可避的なものとして見てしまったということです。したがって人間はいかにして苦痛や不幸から解放されるかという問題は、この哲学によっては解決できません。それで生の哲学に代わって人生の問題を解決しようとして現れたのが実存主義です。
3 文化史観
民族の歴史あるいは国家の歴史は、ある文明圏の断片の歴史と見るのが文化史観です。シュペングラー(1880~1936)と、トインビー(1889~1975)がその代表です。
シュペングラーは文化を有機体ととらえ、すべての有機体が育ち・栄え・滅するように、あるいは季節に春・夏・秋・冬があるように、すべての文化は発生し、発展し、衰退し、滅亡(没落)する。
このようにすべてのものの発展と衰退過程は決定的であるとして、決定論的史観を主張しました。(唯物史観も原始共同社会から奴隷社会、封建制社会、資本主義社会を経て社会主義社会から共産主義社会へと、社会の発展は決定的なコースをたどると見る決定論的史観です)
シュペングラーに影響されながらも独自の文化史観を立てたトインビーは、文明は誕生、成長、挫折、解体、消滅の諸段階を経るが、その過程は決定的ではなく、人間の決意と努力によって文明は形成されることを強調しました。これを自由意志論といいます。
トインビーによれば世界史の中で十分に成長した文明は21ないし23あったが、それらの文明は時間的・空間的に接触しながら多くのものは成長、挫折、解体の三段階を経過して滅びたが、今日ではキリスト教文明(西洋、ギリシャ正教)、回教文明(イラン、アラビア)ヒンズー教文明、極東文明の四つの文明圏が残っているといっています。
トインビーの文化史観の重要な点は、第一に非決定論あるいは自由意志論ということですが、ここで決定論と非決定論の問題点について述べます。
歴史のたどる過程と目標がすでに定まっているという決定論の場合は、唯物史観のように理想世界の実現を約束して人々に希望を与えたり、シュペングラーのように滅亡を予言して不安を与えたりしますが、いずれの場合にも、歴史の方向は決定されているのだから、我々は何も苦労したり努力したりする必要はないのでないか、という疑問が生じてきます。
すなわち自己の責任分担を果たそうとしないで、すべて成り行きに任せようとする傾向が現れるのです。それに対して非決定論は歴史の目標がはっきりしていません。トインビー自身未来は「神の国か闇の国か」「永遠の生命か永続する死か」その答えは誰にも分からない、その選択は人類の自由意志にかかっていると次のように述べています。
神自身の「存在」の法である愛の法の下で、神の自己犠牲は人類の前に霊的な完成という理想を据えることで人類に挑戦している。そして人類は、この挑戦を受けいれるか拒否するかの完全な自由がある。愛の法は人類が罪人になるか聖者になるかを人類の自由に任せている。つまり愛の法は人類の個人的および社会的生活を「神の国」への前進たらしめるか「闇の国」への前進たらしめるかの選択を人類の自由に任せているのである。
A・トインビー、桑原武夫約、図説歴史の研究Ⅲ学習研究社132ページ
これに対して統一史観は、一方的に決定論でもなければ、一方的に自由意志論(非決定論)でもありません。歴史の目標は決定的であるが過程は非決定的であるというのであって、決定論と非決定論の両方の要素をもっているのです。
トインビーの重要な点は、トインビーは歴史観に「神」を導入したということです。これは統一思想からみた場合、非常に大きな功績です。近代に至ってからは、進歩史観の台頭とともに、神の摂理は神学は別としても、歴史学からは排除されるようになっていましたが、トインビーは神の摂理を堂々と歴史観の中に導入したからです。