マルクス(1818-83)は、現象世界の本質は物質である。そして事物の中にある対立物(矛盾)の闘争によって歴史は発展すると主張した。こうして社会の変革は宗教や正義によってではなく、階級闘争によって物質的なものである生産関係を変革することによって成されると主張した。

マルクスは、人間は支配階級か被支配階級のどちらかに属する階級的存在であるとした。そして人間は、被支配階級であるプロレタリアートの側に立って革命に参加するときにのみ人格的価値があると主張した。ここには人格を絶対的なものとして尊重する価値観は無い。したがってマルクス主義を信じた指導者は革命をする時、利用価値がない、あるいは革命に反対する人間を良心の呵責なしに虐殺することができたのである。

今日、マルクスの弁証法的唯物論による革命理論は現実問題の解決に失敗し、共産主義体制は東ヨーロッパやソ連では崩壊した。しかし現代の共産主義は形を変え、フランクフルト学派として生き残った。この学派はルカーチ、グラムシの理論を取り入れてマルクス主義を進化させた。そしてヘーゲルの弁証法とフロイトの精神分析理論の融合を試みた。こうした理論によって人間が自然(人間を含む)を支配・搾取することを批判した。

 

フランクフルト学派とは

20世紀前半に主流であったソ連型社会主義とは一定の距離を置いた新しい形のマルクス主義を模索した学派。一部は後に新マルクス主義と呼ばれる潮流の源流となり、1960年代にはニューレフト運動にも影響を与えた。1930年代、ドイツでナチスが政権を獲得するとメンバーの多くが亡命したため、活動の中心がアメリカに移った。第二次世界大戦時には米国政府機関で活動して、ドイツと日本の戦時情報分析、戦後処理と占領政策の策定、憲法策定に関わった。戦後は研究所関係者の多くがドイツに帰国、再びドイツが活動の中心となったが、一部はアメリカに残って著作・研究活動を続けた。社会研究所発足から90年以上経った現在もこの学派は存在しており、ドイツを中心に第3世代〜第4世代の学者たちが活動している。

この学派の影響は日本でも大きい。1960年代から70年代の団塊の世代とか言われた人たちは、この学派の影響下にあったと言ってよい。また今日の差別撤回、フェミニズム、ジェンダーフリーなどもすべてこの学派から出た理論によっている。

日本のフランクフルト派学者は言っている。「これは理性的なものを破壊していくという思想である。あるいは現在私たちが持っている人間性を完全に破壊したところで初めて何か新しいものが始まるというラディカルな思考である」この先にはテロリズムの肯定があることは言うまでもない。この学派でいうマルクス主義とは「資本主義下で作られた人間を破壊した上でないと共産主義には進めない」という考え方である。

 

共産革命の挫折と新たな思想

西欧ではロシア革命に続いて、ミュンヘン、ベルリン、ブタペストでも革命が試みられた。しかしミュンヘンでは共産政権はドイツ軍に瞬く間に鎮圧された。ベルリン・ローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒトでの蜂起も失敗に終わった。ハンガリー革命は数ヶ月で崩壊した。これらは革命側に深刻な影響を与えた。期待していた労働者階級・プロレタリアートは一向に立ち上がらず、蜂起もすべて失敗したからである。彼らにとって必然のはずであった労働者階級の革命は必然ではなかった。

 

ハンガリー革命に参加したルカーチはソ連に亡命したが、彼は革命が起こらない原因について考えた。そしてそれは人民の伝統的な文化の存在のせいであるとした。つまり彼らにキリスト教的思考が染みついていて真の階級利益に気づいていないからだと考えた。

彼は、古い価値観の根絶と革命による新しい価値観の創造なくして、世界共通の価値観の転換は起こり得ないと考え、自らの思想を実践に移した。その一環として彼は過激な性教育制度を実施した。当時のハンガリーの子供たちは学校で自由恋愛思想やセックスの仕方、中産階級の家族倫理や一夫一婦婚の古臭さ、人間の快楽のすべてを奪おうとする宗教理念の浅はかさについて教えた。また女性に対しては当時の性道徳に反抗するよう呼びかけた。こうした女性と子供の放縦路線は西洋文化の核である家族の崩壊を目的としていたのであった。ルカーチが祖国を捨てた50年後、彼の思想は「性革命」で生き続けている。