マルクス主義は経済学の理論だけではありません。この思想は人間の生き方を問う洞察力があり、国と世代を超えて脈々と継承されているのです。ですから、時代の変化に応じて思想の内容が変わってきているのです。

 

共産主義2.0 フランクフルト学派

「文化共産主義」は冷戦が終焉したことによって急いで作られた思想ではありません。100年の歴史があるフランクフルト学派は形を変え現在に至っているのです。マルクスの資本論を共産主義1.0とするとフランクフルト学派は共産主義2.0(マルクス主義とフロイト心理学を融合し、ユダヤ・キリスト教の性倫理を「本性の抑圧」と断罪し、性の解放を主張した。知識人に広く浸透した)。そしてポスト構造主義は共産主義3.0になるのです。ポスト構造主義は既存の哲学体系を破壊し、価値相対主義を全世界に普及させることに成功した。

 

共産主義3.0 ポスト構造主義

成り立ち

1966年、ストラスブール大学に端を発した学生運動(五月革命)はフランス全土に拡大していった。そして1968年5月、労働人口の3分の2が一斉にストライキを起こしてフランス政府は体制が崩壊する寸前まで追い込まれた。しかし労働者の側であるはずのフランス共産党(PCF)がストライキを押さえ込んだことから民衆による反体制運動は分裂ののち収束した。

その後保守勢力は野党勢力を分断して以前よりも体制を確固たるものとした。この五月革命と呼ばれる熱狂的な政治事件の終結が、フランス知識人の正統派マルクス主義への幻滅を後押しした。ポスト構造主義はマルクス主義が政治的に完全に終わったものとの立場から始まっている

 

共産主義4.0 フェミニズム・クィア理論  家庭における男女の役割を否定。「ジェンダー」の概念を相対化させる。

概要

英語の「クィア queer」という言葉は、本来「変態」に近い意味をもつ侮蔑語だったが、とくにアメリカで1980年代末から性的マイノリティが自らを指す言葉として肯定的に用いはじめた。同性愛が連想されることが多いが、異性装・サディズム・トランスジェンダー・バイセクシュアルなど「正常な規範をはずれた」とみなされやすいすべての性行動・文化を指している。

ジェンダー研究・フェミニズム研究が一般的な異性愛者を思考の前提に据えがちだったことには早くから批判があったため、幅広いセクシュアリティを包括することをめざしたクィア理論の概念が1990年にジェンダー研究者テレサ・デ・ラウレティス(ローレティス Teresa De Lauretis)によって提唱され、以後、広く用いられるようになった。

 

歴史

「クィア理論」の誕生

「クィア理論」を提唱したラウレティスの問題意識は、1960年代から進められてきたレズビアンやゲイによる解放運動ののち、1980年代にいたって反動が起きたことに対する危機感から、性的マイノリティの間での連帯を呼びかけようというものだった。

ラウレティスは、アメリカ合衆国において「ゲイとレズビアン」というひとかたまりの集団として扱われることについて、セクシュアリティについての差異がないかのように捉えられていることを主なテーマとして、1990年のカリフォルニア大学サンタクルーズ校での学会を主催した。

 

反動は、一方では、保守的な男・女の役割への回帰、非異性愛者の排除という形で現れたが、同時に、ゲイ/レズビアンという同性愛者内での男/女の差異を強調するゲイ・アイデンティティやレズビアン・アイデンティティへの疑義も含まれていた。しかし、性的少数者への政治的な攻撃や、レズビアンやゲイへの反動的な世論が形成されたために、男性同性愛者と女性同性愛者との間での軋轢や、性的少数者が分断され細分化されつつあった中で、セクシュアル・マイノリティの連帯を目指したことが、クィア理論が生まれたきっかけである。 ウィキペディアより

 

 

これらの思想を提唱した人物に共通するのが、神や宗教への憎悪、少なくともあからさまな拒絶です。すべてのユートピア思想がそうであるように、提唱者は彼らなりの理想世界を目指しました。神なんて信じるから人間は抑圧されて不幸になるのだ、これからは「神を拒絶した私」にかたどって人を創り、(性の)解放と喜びの世界を生きよう・・・と考えたのかもしれません。