初めてスピリチュアルカウンセリングを受けた方とのセッションで。
昨日、息子が大学の講義でもらってきたクリスマスプレゼント(?)。ご自宅のものかな?キウイフルーツをもらってきていました。昨日はちょっと肉体的に忙しい日でした。寝たのは夜中2時くらいで、朝5時にはいつものように夫に起こされるので(会社に持っていくお昼用としておにぎりを作らされる…もとい、作らせていただく^^;)、おにぎりを作ってから、いつもだったらそこからまた8時まで寝るのですが、この日は息子の課題を手伝う部分が全然終わってなくて、大阪に出かける直前まで必死にその課題をやって…。本来はやらなくていいしやるべきでもないのですが、私が好きな課題なので、どうしても手伝いたくてやってしまっています。しかもけっこう時間がかかるので(これ他の生徒は多分できないんじゃないかと思う←実際あんまりできてないらしい)、最近ずっとそれのせいで忙しいし睡眠も削られるし…息子のため、というよりは自分のためにやりたいのです。自分がすごく好きなことだし、なんならその講義私が受けたい。そしてしんどいけど楽しいのです。時間がいつも足りなくて、というか時間が確保しききれなくて、仕上がりが自分的に完璧にはいつもできないのが悲しいのですが…。何なら専門の人にアドバイスまでもらいに行って仕上げてますからね…息子とは気合の入り方が違う。その分野を愛している人間でしかできない情熱!!(やってることは駄目なことなんですけどね…課題は生徒が自力でやるものですし)でもその分野で私がじゃあプロになれるかというと…全くなれないです。ちょっと平均よりもマシ?なくらい。なんでもそうですね。ダンスもピアノも英語も料理もスピリチュアル系も…すべて大した事ない。…でも、好きだからやる。他者と比較したくなるとき、つまり私って全然大したことない、できることがひとつもないと思ってしまうとき(それは私にとってよく起こることなのですが)、そのときはいつも、自分を愛すること=他者と決して比較しないこと!!を思い出して、自分に言い聞かせています。他者と比較するのは自分へのいじめだからやっちゃいけないよと。どうしても比較は起きちゃうから、そのたびに地味にですが自分に言い聞かせています。さて、ギリギリまで息子の課題を手伝って(もちろん息子はずっとぐーぐー寝てる)、でも大阪へ行く電車の時間があるので息子を起こして駅まで送ってもらい(もちろん送迎代は払う)、私は大阪で開催されたお米の食べ比べ会へ。写真等はまたあらためて載せます!新幹線、電車を乗り継いで、大阪でお米の会を楽しんだあと…金沢に戻ってから、お客さまとのセッション。その、お客さまとのセッションが終わるまでは…けっこう集中できてた気がします。スピリットたちへの祈りなどを時間をかけてしておくと、不思議と集中が続く。…ここまではよかったのですが、おそらく、その後の、あれもしたい、これもしなきゃ、そしてあれも…というのが欲張り過ぎたのか、夜中は大してやりたいことをやりきれずにぼけーっとしたまま終わってしまいました^^; やっぱり睡眠時間削るのはよくないなーと思いつつ、それでも、お客さまとのセッションの間はちゃんと集中力とか元気さが維持できたのって…まさに見えない方たちのおかげだなと。もし…祈りとかの事前準備がなかったら、きっと私はあそこまで集中はできてなかった気がします。かといってじゃあ見えざる存在たちに祈れば全部お願いきいてもらえるのかというとそういうことではなくて、宇宙とか神さまって、誰かのためへの奉仕、というお願いはすっごくきいてくれるけど、個人的な欲とかリクエストは…そこまででも。みたいな気がしています。なんというか…愛とか平和とか、調和とか…そうしたことのためにこれこれをしたいです、ってリクエストはきいてもらいやすいけど、事故に遭いませんようにとか、ガンになりませんようにとか、子どもの受験うまくいきますようにとか、我が家の商売うまくいきますようにとか…現世利益的なことは、お願いしたからといって即ギフトがくるかというと…そこは不明です^^;そんなわけで昨日、大阪から帰ってきてから、初めてスピリチュアルカウンセリングを受ける方とのセッションがありました。その方とは初めてオンラインでお会いしたのですが、なんだか初めてお会いした感じがしなくて(もしかしてブログを読んでてくださったのかも)、いくつかのご相談のお話を聞いていて、その方の周囲に来ているメッセージなんかをお伝えして…そんな時、お客さまがおっしゃいました。その方はご両親と縁を切る、距離を置くことを決断されたのですが、果たしてそれでいいのか?という思いがどうしても湧いてくるようでした。こういう時…私はもう自分の中でお決まりのパターンがあります。私たちって、いいか悪いか正しいか正しくないかで判断しようとすると…自分の魂が求める方向とは違う方向へ行ってしまうことが多いんです。正しい、正しくない、はネガティブエネルギーが大好きな思考なので、ネガティブエネルギーに入られやすくなるんです。あと「正しいか正しくないか」「合ってるか合ってないか」は、「あたま」の声、エゴの声、なので、エゴの声を聞き続けていると私たちって確実に!!不幸になれるので、私たちは「あたま」の声に振り回されないことが大事なんです。なので、「〜〜って合ってますか、正しい選択ですか」みたいなご質問が来たときって、基本的に私は、「合ってるか合ってないかよりも、まずは、自分がそれを好きか嫌いか、したいかしたくないか、ですよ〜」ってことを言うことが多いです。つまり…正しいか正しくないか、をお客さまが聞いてるのに、それに答えない。無視する。…というやり方です!!これが私のスピリチュアルカウンセリングの基本としてあるかもしれません。聞かれたことに必ずしも答えない。という…←聞かれたことに答えないって、一見とんでもなく悪徳な占い師にも見えるかも?^^;合ってるか合ってないか、じゃなくて、正誤の完璧な判断というよりは、自分にとっての真実、自分にとってのベスト、をみんなが持てればいいだけ。だと思っています。なのでその、自分はこれでいいのだ、を思えるようになるお手伝いはします。私がズバリ正誤を断言することは…あんまりしないです。そもそも正しいか正しくないか、なんて、一般常識とか、この世の多くの人、が「正しい」と言えばそれが正解かというと、そうとも限らないわけで…そもそも周りの人達って、その本人の心の動きとか葛藤とかは知らずに勝手に正誤の判断を下すことが多い。私がその方のオーラ、エネルギーを見たときに伝わってきたのは、家族との関係に関する決断の正否のことじゃなくて、その決断をするまでに…ものすごくものすごく、悩んできた、ということ。苦しんで悩んで…葛藤して、いろんな涙を流して、苦しくて…ものすごいこれまでのつらい日々があったのだ、ということ。まずその葛藤と苦しみの日々の重さに圧倒されました。…こんなにも悩み抜いての結論なんだから…それがおかしいはずなんて、ない。こんなにも苦しんで出した結論なんだから、それをどうこう言うことなんて、ナンセンスだ。同時に気づいたことがあります。きっとこの世の多くの人達って、誰かがなにかの結論を下したとき、それを、表面だけを見て、「それは良くない」「それは正しい」「それは間違ってる」って、言っちゃうんだろうな…ということ。そしてそれは時に、頑張って決断をした人を傷つける。そもそも…その決断が合ってる、合ってない、…ってのは、必要なのか?一番大事なこと。この世で最も大切なことって、正しいか正しくないかで、生きることなんだろうか?私たちは、「正しい正しくない」を実践するために、神さまからこの肉体をもらったんだろうか?それが人生のテーマ??それよりも…目の前に、こんなに頑張って生きてる人がいるんだから、その人の頑張り、美しさ、ひたむきさ…それに気づいてあげるほうが、大事なことなんじゃないだろうか。何かの決断に対して、それはこうでああで。って言うのは簡単です。だってその人の持ってるもの、奥のほう、本質、を見なくてもいいから。だけど…相手のことを、真に思うなら。相手のことを、大切に思うなら。愛しているなら。言いたいことは…「それ間違ってるよ」ってセリフよりも、今まで、頑張ってきたね、とか、その結論に行くまで、すっごく悩んだんだよねとか、その決断を下すの、苦しかったよね、…とか、もっと別の言葉が出てくるんじゃないかという気がする。合ってる合ってない、が常に100%言っちゃだめ、ってことじゃなくて、割合としては低めなだけで、存在しちゃいけない、ってことじゃないです。そういえば、何度も書いちゃいますが(だから自分的には当時相当ショックだったんだと思う)、同じところで学んだ方々で、同じようにプロフェッショナルで、同じように人に教える、ってこともしてる方々だったけど…私への声かけが全く違ったことがありました。私が、何の下準備もなしにイギリスのAFCのジャパニーズコースに参加してしまって、それで苦労して…と言ったら、ある方は、「やっぱりちゃんと準備はしておかないと」と言い、ある方は、「…頑張ったのね・・・」という反応でした。後者の方は、なにも知識とか準備なしであのコースを受けるってかなりタフ、大変、というのを知ってて、そんな中1週間耐えるって相当頑張ったでしょ、ということをまず一言目に言ってくださったのです。でもこのお二人は、資格?的には同じだし、肩書も多分ほぼ同じ、なんなら私へのメッセージもほぼ一緒でした。だからスキル的には同じレベルなのかなと。ただ、人間性?が違うのかな…。大事なことは、相手への愛、優しさ、思いやりを持つか持たないか。相手が子どもでも、パートナー、でも、友人でも、見知らぬ人でも…その人に対してベースに愛、優しさ、思いやり、があれば、かける言葉は自然と変わってくる。愛がないベースだと、発する言葉が変わるはず。その人が、何かを決断、選択したとき。学校に行かないという選択とか。親と縁を切る選択とか。母親の葬式に行かないという選択とか。親戚付き合い一切しないとか。結婚しないとか。子どもを産まないとか。仕事をしないとか。正社員にはならないとか。…自殺したいとか。…この世にはいろんな選択、結論があるけど、それを「それおかしいよ」「こっちが正しいでしょ」と言う前に、自分の中に、相手への愛、優しさ、思いやり、があるかどうか、を自分で自分の内側を見つめて見てもいい気がします。学校は行くべきなんだよ!!…そこに、相手への愛、はあるのか?自分への愛だけじゃなくて?と問いかけてみたりとか。親には孫の顔見せるべきなんだよ!!…ほんとうに?それは相手への優しさ、愛、はあったらそのセリフになる??・・・この世に生きる私たちって、相手への愛、優しさ、思いやり、があれば、きっとこの世界も波動が変わる気がする。お客さまとのセッションって、自分は何か伝わってきたことをお伝えする役割ですが、必ず、自分自身にとって、すごく大事なメッセージとか、気付きとか、ひらめき、宇宙の真理、みたいなものが伝わってくるんです。だからスピリチュアルカウンセリングは、するたびにいろんな気付きをもらえる、私にとっては宇宙からいろんなことを教われる時間、でもあります。これこれしたほうがいいよ、よりも…まずは、相手のこれまでの歩みを尊重する。その決断に至るまでのプロセスを尊重する。それってすごく大事なことなんだなあと感じました。そして、私は…決断とか選択の裏に隠された、その人の葛藤、頑張り、苦しみ、にちゃんと気づくことができる人間でいたい。とあらためて思いました。…自分やいろんなことへの発見があるから…スピリチュアルなお仕事って、すごく楽しいです。スピリチュアルカウンセリングは、オンラインでも行っております。ご興味ある方はメール(natsue58@hotmail.com)にてお問い合わせください。それでは皆さま、今日も明日も素敵な一日をお過ごしください