山中温泉総湯に来た理由。それは…。

このちかくにストリートピアノがあるから!こんな…温泉街のど真ん中に??

場所は山中温泉総湯、菊の湯のすぐそば。

この総湯の斜め向かいに、福祉総合センターがあります。

こちらの、山中温泉福祉総合センター「ゆざや」の中、1Fロビーに…誰でも弾いていいピアノがあるという…。

ちなみに駐車場は、建物の裏、ファミマ側を進んだところに町営の無料駐車場があるのでそこに止められます。

山中温泉中心部って、こんな無料の駐車場があるなんて…今まで知りませんでした。何度も訪れているのに、知らないものですね。

総合福祉センターの中に入ると…確かに、奥にアップライトピアノが!!

こちらのピアノですが…山中幼稚園にもともとあったものだそうです。そこにあったピアノを調律して使える状態にして、こちらに設置。なので…なんだかいろんな傷もあるし、それがまたあったかい懐かしい感じを感じさせてくれるピアノです。

福祉センターはお年寄りの方々の休憩所?にもなっているのか、ずっとくつろいでいる人もいたり、総湯帰りの方がここでのんびりしてアイス食べてたりとか…地元的な空気感、そしてお年寄りの方々のオアシス?的な感じも。

飾られている花に花の名前を書いた付箋があったのが…個人的に感動しました。

やぶみょうが、とか、藤空木(ふじうつぎ)、とか姫檜扇水仙(ひおうぎすいせん)とか。

福祉ショップのコーナーも。地元の方が育てている朝とれ野菜や、事業所が作っているクッキーなども。

ポン菓子は白米も玄米も140円。クッキーは120円。他にペンダントなどのアクセサリーも。

そして…おばあさまたちがマッサージ機みたいなもので向こうでくつろいでいる中…弾いてきました!!

注意書きとして、休憩している人がいるときは音量にご配慮願います、と書いてあったので…小さめに弾きました(^^;

 

ここのピアノは…一番緊張しないで弾けました。多分場所的な雰囲気とかが関係しているかも。そしてオーディエンスも年配の方々しかいないから?まさに休憩所の片隅にあるピアノ、という感じなので…。

 

こうしてまた…ストリートピアノを訪ねる旅?がひとつ完成です。まだ石川県内で訪れていない場所もあるので、徐々に訪ねてみようと思いますにやり

 

 

さて…最近よく記事にさせていただいている、豊全さんの本『助けてぇーと叫ぶ僕にパラレルワールドの僕がやってきた』の本ですが…。

この本、無事にお嫁入先が決まり感謝です。そしてネットで注文しました!という方も(^^)/

 

先日も、この世は相反する2つのものが1つの世界を作っている、ということの記事を書きましたが…。

 

私たちは好きなものしか欲しくなくて、嫌いなもの、人、出来事はノーサンキューと言うけど、それは無理なんだと。片方だけは無理。二つで一つのセットになっているから。ということをパラレルワールドの彼が教えてくれた話を書きました。

 

この世は、光と闇、とか(なので光だけください。闇はいやです、は無理)、善と悪(善しか見たくないです、悪は見せないでください、は無理)、男と女(男しかいない世界、も無理ですよね…)・・・などなど、相反するものがセットになっている。

 

片方が存在しないと、もう片方も存在できない。

 

なので生まれつき目が不自由な人は、光も存在しないけど、闇も存在していないらしいとか。

 

私たち人間は、「成功」だけを求めて、そのバディ、相棒、セットの片割れの「失敗」は拒否する。成功だけください!と欲する。でも、それは無理なわけで。成功が欲しいなら、失敗も込みで受け入れることが必要となるわけで。

 

片方だけクレクレ、…は、不可能なんですよね。

 

他に、この本を読んでなるほどなあ…と思った箇所はたくさんあったのですが、その中のひとつとして、夢、目標、幸せ、の話がありました。

 

パラレルワールドの彼はこう言います。

 

「君たちこっちの世界の人はさ、夢は?目標は?って聞かれると、デッカい特別なことばっかりを並べ立てる」と。

 

…確かに、1杯のお茶に幸せを感じられるようになりたいです、とかって・・・「夢」「目標」として語ったら、なんだか小さすぎる?みたいに人は思うかも…?それこそ子どもとかには、宇宙飛行士になりたいとか、でっかい夢を大人は求めるかも??

 

大人にしても、世界一周旅行が目標なんだ~、って言うと許される?けど、お花の水やりをゆっくりしたい、とかって・・・人前で(気心知れてない人の前では)言いづらい??

 

パラレルワールドの彼は言います。なんのためにその夢や目標を叶えたいのか深く考えたことはあるのか?と。

 

著者の豊全さんは…しばし考えたあと、「喜びたいからでしょうか」と答えます。

 

そう…自分を喜ばせたいから、幸せを感じたいから、夢とか目標を人は持つ。

 

でもそこでパラレルワールドの彼はつっこみます。

 

「君は喜びたくて夢を実現したいわけだ。そのために引き寄せだとかを必死に勉強し、実践してきた。

 

そこで聞くけど、寒い朝に一杯の味噌汁を飲んだ時、幸せだと感じないのか?

 

仕事の休憩で飲むお茶に喜びは感じないのか?

 

一日が終わって飲むビールに幸福感は覚えないのか?

 

だって君さー、幸せや喜びが欲しかったんだろ?幸福感に浸りたかったんだろ。なのにさー、世界一周の船の旅じゃないと幸せだと感じないの?その夢も、幸せや喜びを感じたくて目標にしたんだよね」

 

「だいたいさー。夢に大きいも小さいもないだろ。

 

どっちも喜びそのものだろ。

 

それにね、どんな夢を達成しても、しばらくしたら、冷めるよ。達成した時に出るドーパミンというホルモンはさー、割と早く消えるんだよ。

 

そうすると君は、また、新たな目標を達成しなきゃ、幸福感に包まれないってことになるよ。そうやって、目標を達成することそのものが目標のようになって、本来、喜ぶために目標を掲げたことさえ忘れて、馬車馬のように倒れるまで必死に走る。

 

いつ達成できるか分からない。達成できないかもしれない。達成してもすぐ消える喜び。そんなもののためにさ、今、目の前にある無数の喜びを見逃していたら、もったいなくないか?

 

そもそも、今を楽しめない人間が将来、突然、楽しめる人間になれると思う?

 

一年後に笑って生活をするために、今は歯を食いしばって頑張るんだ!なんてばかなことを言う人がいるけどさ。

 

今日笑えない人は一年後も笑えないよ。一年後もやっぱり歯を食いしばって生活してる。そのうち食いしばる歯もなくなる」

 

「私が言いたいのは引き寄せは頭で勉強してもダメってこと。実践しなきゃいけないんだ。・・・・・

 

・・・一杯のお茶。湯気の中にたくさんの具が見えて、あー、幸せって飲む豚汁。一日が全部終わってから飲む締めのビール。望んでいたから、ビールを飲む体験ができた。夢が叶った瞬間だろ。喜び満載じゃないか。

 

目の前に起きること全てが君が欲しがっていたことだよ。万歳三唱くらいしなよ。

 

だいたいさー、感謝が足りないから、普段体験してる幸せを喜べないんだよな。

 

こんなに目の前で嫌ってほど叶っているものを当たり前にスルーして、どデカいことだけが夢だと勘違いしてさ。

 

デッカい夢はさ、小さい喜びの積み重ねなんだよ。そうやってパラレルワールドを移動するんだよ。

 

目の前で起きる、当たり前だと思っていたことも、君が喜ぶことで波動が変わり、パラレルワールドに移動する。今、目の前で起きる一つ一つを味わうだけで幸せなパラレルワールドに移動できる。

 

超簡単!もっと付け加えるなら、嫌なことも君が選んだんだから、それも夢が叶ったということよ。君の人生は君の思った通りに順調に進んでいる。ただできることなら、君の好きな方を叶えて生きてほしい」

 

 

・・・・・

 

・・・・・いろんなことが思い浮かび胸に刺さります。小さなことに喜べない人が…大きな幸せをつかめるだろうか??

 

そして、当たり前のことに感謝する…私たちはとかく、当たり前のことに感謝するのを忘れがちだから・・・だからいろんなことが起こるのかもしれない、とも思いました。いろんな病気や事故、不調、困難な状況・・・それらは、私たちに、当たり前の尊さを教えてくれる意味合いもあるのでは、と思いました。

 

私自身も…骨折して初めて、歩けることのありがたさに気づいたり。たまに熱を出せば、当たり前のように動ける毎日って、決して当たり前じゃないんだ、すごく実はありがたいことだったんだ…と気づいたり。・・・つまり、いかに普段忘れてしまっているか、ってことですよね…。

 

隣に…夫がいる。それも、決して当たり前ではない。息子が生きて元気でいてくれている。それもやっぱり…当たり前ではなくて。

 

おいしいご飯が食べられることも・・・全然実は当たり前じゃない。電気もガスも水道も使えて…今まだ地震の影響で、まだ水道も使えない場所だって残っているというのに。

 

…つくづく、思います。アセンションとか、次元上昇とか、・・・どうでもいい。スピリチュアル的に難しいことなんて、どうでもいいやと。目の前の、当たり前に見える何か、に気づける自分でいたい。小さく見える幸せ、に感謝できる自分でいたい。

 

・・・言わなくなって、余計に忘れていたかもしれない。かつては毎日、息子が寝る前に、ゆうちゃん、生まれてきてくれて、ありがとう、ゆうちゃんはママの宝物だよ…を必ず言って寝かしつけていた。そして小さな息子が、「ママもゆうちゃんの宝物だよ」と言いたくて、でも言葉がおぼつかなくて、「ゆうちゃんもママの宝物だよ(←一緒やん笑まあいいけど)」と繰り返してた時期も…懐かしい。

 

10歳くらいまで一緒に寝ていて、寝かしつけもしてたけど…今日息子に会ったら、言ってみようかな。そして…目の前のひとつひとつのことを、しっかり拾える自分でいれるように。こうしてパソコンが手に入って、ブログを書けることも…決して当たり前ではない。・・・こうしてブログを毎日書くことができる。家族は私がブログを書くことも全然気にせずスルーしてくれている。そして読んでくださる方々がいる。…なんて幸せでありがたいことなんだろう。

 

家には・・・ちゃんとごはんの材料があって。それを作ることもできる。私には手も足もあるし、昔みたいに・・・うつ病だったときみたいに、お湯すらも沸かせない、って自分じゃない。お湯も沸かせるし包丁も持てる。包丁がある、それだって当り前じゃない。

 

もちろん、感謝ができない、幸せを拾えない精神状態のことも多々あると思います。私自身も、産後、授乳のたびに全身が電気椅子に座ったみたいに激痛で(座ったことはないですが…)、毎日痛みと恐怖しかなかったときは…何も考えられなかった。激痛がある人は、まずそれをなんとか和らげることが必要だとも思います。私の場合は、食生活を変えることで、数か月かかりましたが楽になれたので幸いでした。

 

痛みだらけのときって・・・何も考えられないんですよね。でも、痛みなく朝目覚められたとき・・・感じました。「この世は、光だ」と。冗談抜きでそう思いました。痛くなく、目覚めることができる。その幸せをもらえたとき・・・自分は祝福されている、という感覚を感じられた気がします。

 

なので、痛みの軽減、はとても大事なことのような気がします。

 

今・・・あの時みたいに、電気椅子の激痛があるわけでも、それを「気のせいだよ」みたいに決めつける人もいないわけで。…うん、だから私は今…やりたいことを痛みなしにやれる幸せがある。

 

今、自分があたわっているものを・・・じっくり見つめる時間。

 

足りないものではなく、ある、あたわっているものをじっくり考える時間を…自分はとれているかどうか。

 

やれることって‥‥たくさんありますね。自分の心を見つめたり、実践したり。あたわっている時間の中で・・・たくさんやっていきたいな、と思います。

 

それでは皆さま、今日も明日も素敵な一日をお過ごしくださいアップ