土は今日
優しきだけでは渡れぬ世界
なにがなんでも と思う気持ちは
強さを産む
優しきは 水
強きは 火
口で火を吐き
行いは水の如し
火は真直ぐに 立ててはじめて
情けの裏にて誠を支え
花の裏にて散らぬ誠を咲かす
低き場所から尚
身欲を控え
感謝の音と共に
花咲き行く時節
起きあがる度に
誠の情け と 生きていること
知りて解かる道へ導かれる
私欲ありては 適わぬ道
何事にも節度をもって
清き優しさを忘れることなかれ
その努力は土であり心
火と水を結び咲かす
心澄みきらねば
口は誠を立てず
行いは 偽りを結ぶ
心に澄みきりあれば
思い成すこと
誠の形と組み結び成りて
世に現すも自在に至る
感謝の響きが澄みきる響きである
心磨き一番と思うが善い
心 曇ること なかれ
生かされある この身に
誠ありて 身欲は必要はない
身欲は曇りを産み
あやま知を使うて利便に走る
それは めぐり の始まり
自らの辛さを嘆かず
不調和の響き ばら蒔かず
調和をふり蒔く者であれ
水ありと思い
火を探していた日々
土は今日
私と火とを結んだ
なにがなんでも と思う気持ちは
強さを産む
優しきは 水
強きは 火
口で火を吐き
行いは水の如し
火は真直ぐに 立ててはじめて
情けの裏にて誠を支え
花の裏にて散らぬ誠を咲かす
低き場所から尚
身欲を控え
感謝の音と共に
花咲き行く時節
起きあがる度に
誠の情け と 生きていること
知りて解かる道へ導かれる
私欲ありては 適わぬ道
何事にも節度をもって
清き優しさを忘れることなかれ
その努力は土であり心
火と水を結び咲かす
心澄みきらねば
口は誠を立てず
行いは 偽りを結ぶ
心に澄みきりあれば
思い成すこと
誠の形と組み結び成りて
世に現すも自在に至る
感謝の響きが澄みきる響きである
心磨き一番と思うが善い
心 曇ること なかれ
生かされある この身に
誠ありて 身欲は必要はない
身欲は曇りを産み
あやま知を使うて利便に走る
それは めぐり の始まり
自らの辛さを嘆かず
不調和の響き ばら蒔かず
調和をふり蒔く者であれ
水ありと思い
火を探していた日々
土は今日
私と火とを結んだ
霧音
心の風を感じるのは
忘れかけた思い出
ゆっくりと落ちてゆく
夕日が沈む速さで
もっとゆっくり感じてほしい
湖の霧のように
儚くも晴れてしまう霧のように
枯れかけた葉の横で
芽吹き始めている夢
あなたが あなたであることは
僕が知っている
その yesも 迷いも
やがて 霧のように 晴れ
やがて また たちこめる
日々の営みに
霧のような ぼくらは
ピアノの音が
静けさの横で
横たわるのを
やすらぎ 待つ
何もかもが 沈み
無色透明になるまで
忘れかけた思い出
ゆっくりと落ちてゆく
夕日が沈む速さで
もっとゆっくり感じてほしい
湖の霧のように
儚くも晴れてしまう霧のように
枯れかけた葉の横で
芽吹き始めている夢
あなたが あなたであることは
僕が知っている
その yesも 迷いも
やがて 霧のように 晴れ
やがて また たちこめる
日々の営みに
霧のような ぼくらは
ピアノの音が
静けさの横で
横たわるのを
やすらぎ 待つ
何もかもが 沈み
無色透明になるまで
曲全
まっすぐな性格の人
いろいろなタイプの人
優しくてまっすぐな人
強気でまっすぐな人
曲がったことが嫌いなんだ。
パスタのゆでる前のまっすぐな麺は折れやすい
それを螺旋状に曲げても折れやすい・・・
って・・・(〃'ー'〃)。。
すみません・・・例え間違えました。
よく例えられるのは、樫の木と柳ですね(笑
強風では樫の木の まっすぐな強度は折れやすい というのと
柳はその身をなびかせて 窮地を回避できるといった話
似た感じで「曲全」きょくぜん というのがあります。
曲がっているからこそ伸びることができる・・という
この話で思ったことが
自分自身の体験だったりします
「周りの誰も自分の苦しみなんか解かってくれない・・」
悶々とした思いであったり
「自分は正しい、自分の気持ちに嘘はつかない」
という実直な心構えであったり
そのために、周りとの 協調性 的な 馴染みにくさ という結果に至り
同調した仲間といるときにだけ 心が 和んだりしていました
そのまっすぐな気持ちが そんな自分を作り上げた ということ
まっすぐな気持ちでこの人生を生きたい
心の底で、それが後悔しない 「最後」 に繋がるんだと 思っていました
その「美点」を、美点たらしめるだけの 何かが 足りなかった。解からなかった。
自分の「まっすぐでありたい」ことを阻害する相手に対して
「怒り」や「怖れ」を懐くことが
そんな足りなさ、つまりは 心の脆さに繋がったのかもしれない
自分の正当性という 真実の盾は
この世界で「戦う」ために自分で作り上げた 防具だった。
「家を出れば戦場」という「戦い」という視点
それを使って僕の「自我」は戦いに備えたのだろう。
この世界に漂う色々な情報は僕らの「欲望」を刺激する
それに伴って「競争」や「焦り」「勝ち組」などの相対的な世界観で
自分で自分を 侵食していくのかもしれない
そういうことの反対側(対極)には何があるのだろう
そこには
心の平静、安らぎ、調和の世界が広がっているのかもしれない
「曲がることで伸びることができる」は
尤もかつ、誤解しやすい表現なのかもしれないけれど
色々と考えさせられることを、多く含んでいる気がしました
いろいろなタイプの人
優しくてまっすぐな人
強気でまっすぐな人
曲がったことが嫌いなんだ。
パスタのゆでる前のまっすぐな麺は折れやすい
それを螺旋状に曲げても折れやすい・・・
って・・・(〃'ー'〃)。。
すみません・・・例え間違えました。
よく例えられるのは、樫の木と柳ですね(笑
強風では樫の木の まっすぐな強度は折れやすい というのと
柳はその身をなびかせて 窮地を回避できるといった話
似た感じで「曲全」きょくぜん というのがあります。
曲がっているからこそ伸びることができる・・という
この話で思ったことが
自分自身の体験だったりします
「周りの誰も自分の苦しみなんか解かってくれない・・」
悶々とした思いであったり
「自分は正しい、自分の気持ちに嘘はつかない」
という実直な心構えであったり
そのために、周りとの 協調性 的な 馴染みにくさ という結果に至り
同調した仲間といるときにだけ 心が 和んだりしていました
そのまっすぐな気持ちが そんな自分を作り上げた ということ
まっすぐな気持ちでこの人生を生きたい
心の底で、それが後悔しない 「最後」 に繋がるんだと 思っていました
その「美点」を、美点たらしめるだけの 何かが 足りなかった。解からなかった。
自分の「まっすぐでありたい」ことを阻害する相手に対して
「怒り」や「怖れ」を懐くことが
そんな足りなさ、つまりは 心の脆さに繋がったのかもしれない
自分の正当性という 真実の盾は
この世界で「戦う」ために自分で作り上げた 防具だった。
「家を出れば戦場」という「戦い」という視点
それを使って僕の「自我」は戦いに備えたのだろう。
この世界に漂う色々な情報は僕らの「欲望」を刺激する
それに伴って「競争」や「焦り」「勝ち組」などの相対的な世界観で
自分で自分を 侵食していくのかもしれない
そういうことの反対側(対極)には何があるのだろう
そこには
心の平静、安らぎ、調和の世界が広がっているのかもしれない
「曲がることで伸びることができる」は
尤もかつ、誤解しやすい表現なのかもしれないけれど
色々と考えさせられることを、多く含んでいる気がしました
虚満
「満」極まれば実へ・・・
自由とは
自由自在になんでもしたいという
自我の欲求でもある
自らを満たし虚に入静
この世界をYESとし
それを「愛」とよぶ
ゆったりと過し栄達の道を天照らす
神の祝福の声を聴きながら
僕は心のやすらぎをえる
自由とは
自由自在になんでもしたいという
自我の欲求でもある
自らを満たし虚に入静
この世界をYESとし
それを「愛」とよぶ
ゆったりと過し栄達の道を天照らす
神の祝福の声を聴きながら
僕は心のやすらぎをえる
音
よりよい精神状態で
生きていく中で
ポジティブ思考とか
そのほか色々な知恵があります
それはサプリメントのよう
その中でも
「人を神として通る」
というのがある。
それは目の前の人を
神様だと思って接する
ということ
それは本当の意味で
「謙虚」という事になるとすると
とても素晴らしいですね
しかし、いつもそういう
心理状態でいるということは
難しい・・・
というより、無理があると思います。
なるべく良い状態で日々を生活していきたい
それは何故?
そう、自分の為
結果、それは周りの人たちにもきっと良いと思う
老荘思想の「タオ」は無為自然
その中の「虚」が僕らに必要だとすると
どうやって「虚」の状態を実現させるのか・・・
「虚」とは自我の無い自分
という解釈をすると
無理のある「常に人を神様だと思う」ことに
「虚」を足すことが理想的なのかもと思います
「脳は一つのことにしか集中できない」とすると
「虚」を実現させながら「人を神として~」という
二つのことはできません・・・
それを同時にするには「比喩」が必要なのです
方言には共通語にはない
複数の言葉の意味が籠められていたりします
そういう方言のような複数の意味を融合させるのに
比喩、いわゆる「メタファー」が必要だと思います。
まず、自分の中の「自我」をコントロールできるように
しなくてはいけません。
僕が今やっているのが、「聴覚に集中する」こと
簡単に説明すると
音を聞いているときは自我って何処かへ行ってることが多いのです
肌で感じたりとかもそうですが・・・
「気配」を感じてみる
それに集中してみるのです
その方法が合っている方は
きっと集中力が上がるはずです
その状態はとても気持ちが静かで、寝ているようで
なんだか気持ちがいいです
その状態を「虚」に近い状態とするならば
それと「人を神として~」とを比喩でくっつけます
こうです・・・
「神の音を聞く」
目の前の人の発する、「神の音」を感じること、聞くということ
それを実践して何かを感じること
違和感があれば、その出所に気づくこと
そうやっているうちに「幸せ」ってやってくるのだと思う
という今日の気づきなのでした(-ω-人)エヘヘ
生きていく中で
ポジティブ思考とか
そのほか色々な知恵があります
それはサプリメントのよう
その中でも
「人を神として通る」
というのがある。
それは目の前の人を
神様だと思って接する
ということ
それは本当の意味で
「謙虚」という事になるとすると
とても素晴らしいですね
しかし、いつもそういう
心理状態でいるということは
難しい・・・
というより、無理があると思います。
なるべく良い状態で日々を生活していきたい
それは何故?
そう、自分の為
結果、それは周りの人たちにもきっと良いと思う
老荘思想の「タオ」は無為自然
その中の「虚」が僕らに必要だとすると
どうやって「虚」の状態を実現させるのか・・・
「虚」とは自我の無い自分
という解釈をすると
無理のある「常に人を神様だと思う」ことに
「虚」を足すことが理想的なのかもと思います
「脳は一つのことにしか集中できない」とすると
「虚」を実現させながら「人を神として~」という
二つのことはできません・・・
それを同時にするには「比喩」が必要なのです
方言には共通語にはない
複数の言葉の意味が籠められていたりします
そういう方言のような複数の意味を融合させるのに
比喩、いわゆる「メタファー」が必要だと思います。
まず、自分の中の「自我」をコントロールできるように
しなくてはいけません。
僕が今やっているのが、「聴覚に集中する」こと
簡単に説明すると
音を聞いているときは自我って何処かへ行ってることが多いのです
肌で感じたりとかもそうですが・・・
「気配」を感じてみる
それに集中してみるのです
その方法が合っている方は
きっと集中力が上がるはずです
その状態はとても気持ちが静かで、寝ているようで
なんだか気持ちがいいです
その状態を「虚」に近い状態とするならば
それと「人を神として~」とを比喩でくっつけます
こうです・・・
「神の音を聞く」
目の前の人の発する、「神の音」を感じること、聞くということ
それを実践して何かを感じること
違和感があれば、その出所に気づくこと
そうやっているうちに「幸せ」ってやってくるのだと思う
という今日の気づきなのでした(-ω-人)エヘヘ