先日、山口百恵さん(三浦百恵さん)主演の『絶唱』という映画を見ました。

 

が小学生の頃は、もう山口百恵さんは大スターで、

三浦友和さんとゴールデンコンビなどともてはやされて、すごい人気でした。

 

当時私は小学生で、自分で映画館に見に行ったりはしなかったですが

BSプレミアムで放送するということで、

そういえばそんな映画があったなーと、思い出したんですね。

 

 

山口百恵さんは貧しい山番の娘で

三浦友和さんは大地主の息子なんですよ。

その2人が恋に落ち、駆け落ちするわけですね。

村人は大地主ににらまれると仕事がなくなりますし

心ならずも、百恵さんの家族を村八分にするんですね。

 

百恵さんは駆け落ちした先で、けなげに夫を支えるわけです。

口癖が「自分みたいな者のために、大地主の息子にこんな苦労をさせて申し訳ない」

みたいなことなんですね。

 

夫が戦争に召集されて、せっせと働きながら留守を守るんですが

最後は病気になって死ぬと言う話でした。

 

(これから見ようという方にはちょっと申し訳ないですが

主人公が亡くなったってところから話が始まりますので

ネタバレではないですよー)

 

その人物像っていうのは

 

たいへん謙虚で

自分をいつも後回しにして

他人のことを一番に考えて

他人の気持ちを大切にして

自分はいつもへりくだって、相手を立てて

誰にでも優しくて、思いやり深くて

自己主張をしないで

だまされても、すぐに相手を許してあげる

 

って感じなんですね。

 

そして亡くなってから

「あの子は菩薩さまみたいな子だった」

と惜しまれるんですね。

 

「あー、こりゃ無理だー」

って思いました。

 

「そんな奴、おらへんでー」というギャグがありましたけれど

(もしかしたら関西人しか知らないかもしれません。すみません)

現実、そんな人間はいないし、

そうなる必要もさらさらないんですけれど

 

「こういう人物像ってすばらしい!」って言う

重い空気の中にいたなぁ

って、今更ながら感じたんですよ。

 

過去の話ではなく

ここまで極端ではないけれど

今だって、そんな空気はありますね。

 

 

それで

自分が子どもの時にハマっていた『若草物語』を思い出したんですね

そこに出てくるベスって言う女の子に何か似ていると思いました

ベスはさきほどの山口百恵さんみたいな人で

 

とても謙虚で

優しくて、思いやり深くて

信心深くて

みんなに愛される

 

って言うキャラなんです。

同じように若くして病気で死んでしまうんですね。

 

私は、ベスみたいになりたかったんですね。

 

ベスみたいになったら

私はみんなに愛されるって思ってたんですよ。

 

私は、自分はだめな子だと思っていたので

無意識に「愛されるモデル像」を探していたんですね。

ベスみたいに、謙虚で、優しくて人のことを一番に考える人になろうとしたんですよ。

 

でも、無理でした。

無理です。無理。

 

 

この『若草物語』のことも忘れていたんですけど

この『絶唱』が

あまりにも「ありえない人物像」を描いていたので

そういったことをまたもう一度再確認しました。

 

 

映画に文句を言いたいわけじゃないんですよ。

映画を楽しんでる分には別に問題ないんですけど

 

無意識に、いろいろな価値観を刷り込まれている

 

ということをちゃんと意識しないと苦しくなっていきますね。

 

今はもう忘れているようなことでも

この自分の潜在意識は覚えているんですね。

 

テレビや映画を見たり

本を読んだり

学校で教えられたり

電車の中で会話を小耳にはさんだりして

 

その間に「こんなふうになると愛されるよ」という

人物像を刷り込まれていくんですね。

 

 

結局、誰もがみんな、

「愛されたい」

のですね。

 

「愛されると幸せになれる」

って思うんですね。

 

愛されたいだけなんですよ。

「どうやったら愛されるんだろう」って答を探すんですね。

子どもって無意識に探してるんですね

その「愛されるモデル像」って言うものを求めているんですね。

「どうやったら愛されるのかなあ?」って。

 

そういうところに、当時の

山口百恵さんみたいなスーパーウルトラ級の大スターが

ああいうキャラを演じますと

あんなふうになると愛される、と錯覚したりするんですね

 

そういうキャラで生きて、

本人が幸せなら、何も言うことはないですけれど

しんどいんだったら、あっさり投げ出しましょう。

 

死んでしまってから「菩薩さまみたいな人だった」

なんて言われたって、ちっとも嬉しくないですね。

少なくとも私はね。

 

幸せに生きたいですよね。

 

 

自分は「愛されたいんだ」って言うことをに気づきましょう。

 

愛されたいから愛されそうなキャラを見つけて

それに自分を合わせようとしているって言う事ですね。

 

でもね、そんなことしたって無駄ですよ

自分は、自分を生きるしかないですからね。

自分が幸せを感じられたらそれでいいわけですね。

 

「目的」と「手段」を取り違えないようにしようってことですよね

自分以外の人間になろうとするのは、「手段」だったんですよね

愛されるための手段ですね

でもいつの間にかそれが手段だったってことをね

忘れちゃうんですね

 

目的は幸せに生きること

愛されること イコール幸せではないですよ。

 

自分で自分を愛せることが幸せなんですよ。

そこを取り違えないようにしたいものですね

 

 

あなたがあなた以外になろうとするのは何のためですか?

愛されたいためじゃないですか?


自分を愛せなければ、他の誰に愛されたって

本当には幸せになれません。

 

「無理な事は無理」って言いましょう。

無理だと思ったら、あっさり投げ出しましょうね。

 

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