これはアリ・アスター監督の映画「ボーはおそれている」について、時系列に沿って解読を試みる記事です。
「ネタバレ考察1」、「ネタバレ考察2」の続きです。そちらから順にご覧ください。
書いていることはすべて独自解釈です。何らかの公的な情報に基づくものではありませんので、ご了承願います。
最後までネタバレしています。
トニとリズのトリップ
トニがボーを「送っていく」と言い出し、車に乗せます。
助手席にはトニの友達のリズ。
トニはボーを「新しい兄貴」と紹介し、リズは「養子になるには老けすぎ」と評します。
トニはボーにマリファナ(と思われるタバコ)を吸わせようとし、ボーが断ると「乱暴されたと訴える」と脅します。
ボーはマリファナを吸って、少年時代にエレインと出会ったクルーズ船の記憶へのトリップに落ちていきます…。
ここでのトニのボーへの接し方は、まるでうぶなティーンエイジャーに対するようですね。
この辺り、ボーの少年時代のトラウマが反映されているのかもしれません。高校時代とか、同級生の女子が苦手だったんだろうなあ…という。
エレイン
ママと一緒にクルーズ船で旅行中のボー。12〜14歳くらいでしょうか。
乳母のマーサを「愛してる」と言って、ママに馬鹿にされ気恥ずかしい思いをするボー。
ボーがエレインに惹かれていることを知って、「一定のタイプに目が行く」と息子を評するママ。
「女がわかるのは女だけ」と息子にアドバイスするママ。
何かにつけ、ボーはママの手のひらの上にいることを思い知らされてしまいます。
一方のエレインも、ボーを常にリードしています。
死体をバックに記念写真を撮らせる。
ボーがたじたじになってるのに強引にキスを迫る。
そしてボーに写真を渡し、待っているように言い残す。その言葉は呪いのようになって、ボーは結局その後何十年に渡って、童貞のまま言いつけ通りにエレインを待ち続けることになります。
ボーを支配して、行動を呪縛するという意味合いにおいて、モナとエレインは相似形です。
エレインはボーがママの支配を脱するチャンスであるようにも見えるのだけど、実際のところはボーを支配するもう一人のママであると言えます。
だからテレビでエレインを見た時、ボーは反射的に吐いたのでしょう。
そして、この一連のエレインのエピソードは、トニが激昂してジーヴスを焚き付けるシーンと並行して描かれます。
ママを捨てて新しい家族に迎えられようとするボーに対して、それを非難して邪魔しようとするのがトニです。
ママ・モナと、エレイン、そしてトニ。この三者は、どこか重ね合わせて描かれているように感じられます。
チャンネル78
翌朝、2022年7月18日月曜日。
グレースはボーに「チャンネル78を見ろ」と囁きます。
ボーがチャンネルを合わせると、テレビには今そのリビングにいるボーの姿が映し出されます。ボーを監視する隠しカメラの存在です。
それだけでなく、巻き戻しをすれば過去が映る。
更に、早送りをするとまだ起きていない未来の出来事が映ります。
冒頭の展開予告と同様、これは運命があらかじめ決められていることを暗示している訳ですが。
この映画全体がボーの心象風景であるなら、実際にはすべて最後まで終わっていて、ボーは過去を回想している…あるいは走馬灯を見ているのかもしれません。
ママが生きている「真相」
この時グレースは誰かと電話して「契約にそんな条項はない」「私自身が母親なのよ」と言っています。
通話の相手は、おそらくモナなのではと思われます。モナとの契約でボーを預かっていたが、そこまでやるはずじゃなかった…というようなことを言ってるのでしょう。
この辺から、フェイズ2の物語が見えてきます。実はママは生きていて、死を偽装してボーを騙し、試していたという物語です。
ロジャーとグレースはMW社の社員で、モナの部下。モナの狙いは、ボーのママへの愛情が本物かどうかを見極めること。
これが映画の後半に明かされていく「真相」です。
…なのだけど、これはこれで相当に無理のある「真相」です。
いくらモナに絶大な権力があるとしても、他人を殺害までして自分の死を偽装し、警察も病院も抱き込んで、大企業を私物のように使うなんてことが本当に可能か…というのもあるし。
また、そんな大掛かりな陰謀を計画して実行する目的が「ボーのママへの愛情を確かめるため」というのも、あまりにボー中心の発想です。世界が自分を中心に動いていると考えるような、幼い、自己中心的な発想と言えます。
という訳で、このフェイズ2もフェイズ1と同様に、真相も込みで現実ではなく、ボーの思い描いた世界である…と考えた方が良さそうです。
不安を解消するための陰謀論
ママから逃れて、もっと優しい家族に迎えられたいというムシのいい思いの一方で。
長年染み付いたママへの恐怖はそう簡単には消えない。
ママは死んでいないんじゃないか、まだ何かを企んでいて、息子が裏切らないか試しているんじゃないか…という不安が、そんな妄想を育ててしまう。
漠然とした不安は苦しいものです。想像の中で、不安はやがて具体的に「敵が存在する」という形をとっていきます。
ママの頭はなかったと言う。ということは、見つかった死体はママじゃないかもしれない。
そういえば、その直前ママは怒っていた。僕が会いに行かないのを、僕が行きたくないからだと疑っていた。
そうか! ママは僕を試しているんだ。ママの会社の社員を使って、僕が本当にママを愛しているのか、テストしているんだ。
…という思考。想像が想像を呼び、どんどん膨れ上がっていく。
不安を誰かのせいにしたところで、不安がなくなる訳じゃないんですけどね。でも、理由のわからない漠然とした不安よりは安心できるのでしょう。
これはまさに、人が陰謀論にハマる仕組みと言えるんじゃないでしょうか。
陰謀論では、「陰謀がある」ということは絶対に動かせない前提なので、陰謀の主体が後付けで大きくなっていきます。
戦争や天災を誰かの作為で説明するためには、世界の政府を超えるレベルの権力者が必要。だから、世界は影の絶対権力者によって支配されているのだ…とか。
本作でも、モナが生きていることにするためには絶大な権力が必要で、それは普通に考えたら無理があるのだけど。
モナが生きていることは絶対に動かせないから、MW社の権力が巨大なものになっていき、誰も彼もがMW社の手先になっていくんですね。
陰謀論の面白い…というか怖いところは、結構誰でもするっと信じてしまえること。
本作の解釈に関しても、それが言えると思うんですよ。いろんな感想を見てると、映画後半で明かされる「モナがMW社を使ってボーを試していた」という「真相」については、割と素直に「そういう話だった」として受け入れてる人が多い。
それは、序盤の荒れた街の描写についてはボーの妄想だろうと解釈している人であっても、同じだったりするんですよね。
それはたぶん、不条理で意味のわからない描写が続いた後で「これが真相だった」と示されるから。
意味のわからない状況が続くと、人はしんどくなる。そこで「これが真相だよ」と言われると、思わずそれに飛びついてしまう。
「わかった、納得した」と思える快感は、強いですからね。
これはまさに陰謀論の構造。映画それ自体が、人が陰謀論を信じる仕組みを物語るものになっていると言えます。
トニの正体
トニはボーをネイトの部屋に連れていき、ピンクのペンキを塗るように言います。
ネイトの部屋の壁紙は青、トニはピンク。ネイトばかりにかまけてトニの存在を無視している両親に対する、トニの感情の爆発。
トニは「あんたはテストに落ちた」「親のない子ぶって、ヘドが出る」「トニと呼ばないで!」などと言って、「あんたの映像を投稿して何をしたか書く」とボーを脅してペンキを飲むよう求めます。
ボーが拒否するとトニは青いペンキを飲み、昏倒します。
トニは青いペンキとピンクのペンキを用意しています。
最初、ネイトの部屋をピンクに塗ろうとしますが、これはネイトの存在を消して自分の色に塗り替え、両親にもう一度振り向いて欲しいということですね。
しかしそれが叶わないと、青いペンキを飲んで自殺する。ネイトへの負けを認め、自分の色をネイトの色に塗り込めて、消えてしまいたい…ということでしょう。
これは完全な家庭内の問題で、ボーは関係なさそうですが。
「テストに落ちた」というのはフェイズ2の物語を前提にした言葉でしょう。
テストというのは「ボーが本当にママを愛しているか」で、ロジャーとグレースが何を言おうと、ボーが振り切ってママのところへ向かっていたら合格だったんでしょうね。
テストに落ちるということは、モナはボーを見捨てるということで、その場合はフェイズ1の物語に戻って、ロジャーとグレースがボーを養子に迎える…という設定だったんじゃないでしょうか。
…というのもボーの願望である訳ですが。そもそもボーは保護者を必要とする年齢じゃないのに。テストに受かっても落ちてもボーの保護される立場は変わらない!
ボーが「テストに落ちた」ことに怒りをたぎらせ、ボーがロジャーとグレースの養子になることを妨害しようとする。
それまでも、ずっとボーの行動を撮影し、見張っていた。
これ、ママの行動原理です。トニはモナの分身なんじゃないでしょうか?
ボーがママを愛していないことを察して不機嫌になり、自らの頭部にダメージを与えて自殺を図る…というのは、モナがボーと電話で会話した後、とった行動です。(と、ボーは考えています。)
ボーの逃避する先にママが姿を変えて追ってきて、ボーの行動を見張り、ママへの愛情を値踏みし、ボーがママから離れて幸せになるのを阻止する。そういう悪夢。
「トニと呼ばないで」というのも、トニがモナ・ワッサーマンであれば理解できますね。
第2パートの終わりと幕間
ボーの悲鳴を聞いて駆けつけるグレース。その時リビングのテレビには、ラストシーンのボートが転覆したアリーナが映っています。
グレースは「あなたの正体がわかった」「悪魔の力で息子に成り代わろうとしている」とボーを責め、ボーはガラスを破って逃げ出します。
グレースはジーヴスに「八つ裂きにして!」と命じます。
このシーンでボーがガラスを破るのは、ホアキン・フェニックスがスタントなしで演じているそうです。
森へ逃げ込んだボーは枝に頭をぶつけて気絶。第2パートが終わります。
ボーはそのまま夜まで寝ているのですが、これでジーヴスに追いつかれないのはおかしいですね。ボーの足の「ヘルスメーター」でジーヴスはボーの所在を知ることができて、後でそれによって襲ってくるのだから。
ボーは「屋根裏部屋」のビジョンを見ます。これは「風呂の夢」の続きで、ボーの少年期のトラウマの元になっている記憶であるようです。
森の孤児
夜の森で目覚めたボーは歌声に引き寄せられ、薪を集めている妊婦の女性と出会います。
緑のドレスを着てカンテラを持った、彼女はペネロペ。
彼女はボーの頭の怪我を治療し、旅する劇団「森の孤児」へと誘います。
森の中でキャンプをして、思い思いに演劇の稽古をする劇団員たち。
木々には「中庸を知るべし」「夢が見つかるまですべての虹を追おう」などのスローガンが。
木の上には創設者イェセコフ。
劇団員の多くは親が健在ですが、彼らは自分から孤児であることを選んでいます。
アリ・アスターの構想段階では、これはもっと攻撃的なカルト集団になる予定でした。
「孤児である」ために、親を殺すことも厭わない狂信的な集団。「ミッドサマー」に似過ぎてしまうことを避けて、劇団に変更されたようですが。
これはつまり、親との関係をめぐるまた別のパターン。親を失ったボーが選ぶべき選択肢の一つです。
「新たな過保護な親」であるロジャーとグレースの家に続いて提示されるのは、自ら積極的に親から離れ、親が生きていようと死んでいようと孤児であることを選ぶという選択です。
15歳のような顔をして新たな親に守ってもらおうとするよりは、より自立に向かうものに見えます。
ただし、相互依存的なコミューンに身を置いて、擬似家族のような繋がりを必要としている訳なので。純粋な自立とも言えないですね。
だから、やっぱりこれは「ミッドサマー」のパターン。家を出て、カルト的擬似家族にハマってしまうというパターンです。
…と考えていって思いついたのだけど、このボーの遍歴はアリ・アスターのこれまでの映画をなぞっているという捉え方もできますね。
第1パートはそのまんま、2011年の短編版「Beau」。これは本作の元になった短編で、第1パートはほぼそのままトレースされています。
第2パート、ロジャーとグレースの家は「ヘレディタリー」。暖かく平和な家族…その閉じた結界の中に身を置く。守られているようだけど、でも家族がもたらす呪いは一身に浴びてしまう。
最終的に主人公は「悪魔」と呼ばれ、家族は崩壊する。
そして第3パート、森の孤児は「ミッドサマー」。家族が崩壊してそこから逃げ出し、共感してくれるカルトな疑似家族に逃げ込む。
舞台が始まる
ラッパが吹き鳴らされ、舞台が始まります。
ラッパは古代イスラエルにおいては、礼拝や戦争など多くの場面で鳴らされました。
旧約聖書では、ラッパは「神に、民との契約を思い出してもらう合図」の役割を持っていました。
森にいる劇団員が、「勇壮な音だが主人公は気づくのが遅すぎた。これは葬儀よ」と言っています。
ラッパの音はこのあと2回、劇の中の「奇跡」のシーンと、最後の「判決」のシーンで鳴り響きます。
演者と観客の境を曖昧にするためにボーも衣装に着替えて、客席へ。
客席にはスーツの男がいて、「僕はどうしてここに?」と周りに尋ねています。
「僕はどうしてここに?」は、本作全体にずーっと漂ってる疑問ですね。
「夢を見ている人」の感覚でもあると思います。ここは何らかの集合的な夢の世界で、ボー以外の人もそれぞれに夢を見てここにいるのかもしれない。
父と母の墓の前で、息子が悲しみに暮れるシーンから始まる舞台劇。これはボーの今の境遇ですね。
親を失って一人になって、さてどうするか、という個人的な問題。劇はその一つの方向性をボーに提示してくれるもの。
「十分に悲しんだ」ので、「父母も報われた」。だから、「自分のために家を建てて、思い切って踏み出す」。
「劇はボーがアクティブだった場合にあり得たかもしれない人生」という意味のことをアリ・アスターは言っています。
黄色いレンガ道
アニメーションを使って描写される劇中劇の世界。
アニメーションは「オオカミの家」を監督したクリストバル・レオンとホアキン・コシーニャが手がけています。
彼らの短編「骨」はアリ・アスターが製作を務めています。
「オオカミの家」のぶっ飛んだシュールレアリズムはあまりなく、アリ・アスターが事前に描いていたストーリーボードに忠実に作ったのだと思われますが、それでもやはり魅力的なアニメ表現です。
自らをずっと縛っていた「家族の鎖」を斧で断ち切ったボーは、一人で旅に出かけていきます。
その歩んでいく道は、「オズの魔法使」の黄色いレンガ道。これも「ミッドサマー」であった表現ですね。
ボーはある村へ辿り着き、そこで手に職をつけて鍛冶屋になり、結婚して家庭を築き、セックスして3人のハンサムな息子を作ります。
ボーが母親から自立していたら選んでいただろう「普通の」人生。
それを「これからの可能性」として見てしまっているボー。どう見ても「気づくのが遅すぎ」と思われますが。
劇の前に話していた「これは葬儀」とはこのことでしょうか。ボーだけが、こんな可能性はとっくにないことに気づいていない。
緑の服と赤い髪の女
ボーが結婚する相手の女性は、顔がぼやけていてよく見えません。ボーが自分の結婚相手の顔をイメージできないのは、それはそうでしょうね。
この人は緑の服を着ていて、それはとりあえず直近で親切にしてくれたペネロペを思わせます。
また、髪の色は赤で、それはママ・モナですね。ここにもママが抜け目なく見張っている。
「時に彼女は男のように見える」という謎めいたナレーションがあります。
この後、疲れ果てて倒れた老人ボーの前に現れて「告白しなさい」と告げる仮面の女も赤い髪です。
3人の息子たちに再会するシーンで、舞台で本を読んでいる仮面の女も同様です。
つまり、ボーの自立を描いているようでいて、結局この劇もママに支配されている。
あらゆる局面にママがいて、ボーの人生を支配しています。
洪水と放浪
幸せな生活は、嵐と洪水によって断ち切られます。家族は流されてバラバラになり、ボーは一人で見知らぬ異国に流れ着きます。
洪水といえば聖書のノアで、ボーの放浪はユダヤ民族の流浪を思わせますが、しかしそれは物語のモチーフ以上の深い意味はない気がします。
ボーは幼い時から聖書に親しんでいて、自分の境遇を考える時に聖書を引き合いに出すことが考えやすい…ということは言えるんじゃないかな。
異国に流れ着いたボーですが、言葉は通じず、誰とも打ち解けられず孤独に苦しむことになります。
疫病の町に辿り着き、災いをもたらしたと名指しされ、犯罪者扱いに。
言葉が通じないのは、第1パートでのボーの境遇を思わせます。狂気じみた群衆に周りを取り囲まれ、管理人にも誰にも話が通じない。
犬に追われ必死に逃げるのは、ジーヴスに追われて逃げてきたことのトレースです。
家族を探し続けた老人ボーは力尽きて倒れ、仮面の赤髪の女に告白を促されます。
女は「あなたも探されていた」と言い、ボーは「僕は臆病者だった」と告白します。
ラッパが鳴り、枯れた土は良い水に変わって、ボーはもう一度立ち上がります。
3人の息子との再会
最後に老人ボーは「あなたの輝かしい村」にやってきます。そこは「森の孤児」の場所です。
なけなしの1ドルでスープよりも芝居を選び、老人ボーはボーが舞台を見ている客席へやって来ます。
生き別れだった3人の息子との涙の再会。息子たちに聞かれて初めて、ボーは「お母さんがいない」ことに気づきます。顔もわからない妻は、もうすっかりボーの心にはないようです。
ボーはまた、おばあちゃんがいることを告げますが「40年間で顔も思い出せない」と言います。
ボーの会いたいという気持ちは息子たちにばかり向いていて、妻もママも忘れている。
舞台の上で見守る仮面の赤髪の女。
ということはこれも「ロジャーの家」と同じで、ママによるボーの愛情を測るテストかもしれないですね。
そして、ボーはやっぱりテストに失敗しているようです。
パパの死
おじいちゃんはどうなったかを息子たちに問われて、ボーはママから聞いたことを語ります。
ボーのパパ(後にハリーという名前であることがわかります)は初夜に死んだ。モナとのセックスで、絶頂に達すると同時に死んでしまった。心雑音があったからだ。
それがパパの家系の宿命で、おじいちゃんもひいおじいちゃんも同じように死んだ。そして、ボーも同じ遺伝子を受け継いでいる。だから、決してセックスをしてはならない…。
…という話を、モナは幼いボーに話し、セックスへの恐怖を植え付けました。それはボーを手元から離さないようにするための、モナの企みでした。
というか、冷静に考えれば嘘だとわかりそうですが。セックスしたら絶対死ぬなら毎回生殖のチャンスは1回しかないことになって、もうとっくに子孫が途絶えていそうです。
後で出てくるモナの家のプレートではパパの命日は1974年7月12日となっていて、ボーの誕生日(1975年5月10日)と比べても矛盾はないです。妊娠期間が約10ヶ月ということになるので。
…と思ったら、日本では十月十日と言いますが、アメリカでは「9 months」と表現するのが一般的なので、ここは「矛盾点だ!」と話題になったみたいです。モナの話が嘘である証拠だ!と。
1974年7月12日から1975年5月10日の日数は302日。平均妊娠日数は280日なので、22日も超過していることになります。
ただ、通常は「性行為があった日」から数える訳じゃないので、平均日数よりやや多いのは逆に合ってるのかな…とも思います。
ペネロペもママ?
「今まで誰とも経験がない」ことを告白し、当惑した子供たちに「じゃあ僕たちはどうやって?」と問われ、アレ?ってなるボー。
ここでのボーの顔は映画全体のハイライトじゃないでしょうか。長々劇中劇をやったあげく、こんなコントのオチで落とす。
我に返ったボーはペネロペにスープを貰い、飲みます。
カルトの中で出される飲み物は、怪しい…というのが、「ミッドサマー」の教訓ですが。
ボーはママへのおみやげだったマリア像をペネロペにあげてしまいます。
これも、後のエレインとの関係と同じく、ママへの裏切りにとられそうですが。
ただ、トニがママであったように、ペネロペもまたママであるようにも思えるんですよね。
お腹の大きいペネロペの姿は、まさしく「ママ」の象徴です。
劇の中では緑の服の女が赤い髪で、ペネロペとモナを合わせたような存在になっていました。
ボーを受け入れて優しく傷を癒やし、ずっと寄り添ってくれる。でも筋書きはあらかじめ知っていて、ジーヴスが襲ってくる前にとっとと逃げ出してしまう…。
パパとの出会い?
近くの席から、ボーをじっと見ている怪しげな男。
「私を覚えてるか?」と尋ねます。彼はボーが幼い頃を知っていて、親の借金のためにモナに雇われてボーの父の世話をしていたと言います。
「お父さんは生きている」
「ボーを見守る怪しげな男」は、ロジャーとグレースの家にも出没していました。
親の借金のためにモナにいいように使われる…というのは後にマーサの顛末でも言われることで、ボーは母親のやり口をそのように認識していることが伺えます。
ボーの父が実は生きていて、その世話をする人物がいた…というのは、後に明かされる屋根裏部屋の「真実」と合致しています。
この男は、屋根裏部屋のペニス・モンスターの世話をしていたことになりますね。確かにアレは誰かに世話してもらわないと生きていけそうにない。
ボーの足首のヘルスモニターに気づくと、男は「冗談だ」と言葉を濁して立ち去ります。
陰謀の所在を知らせてくる人々がいて、でもその人々は陰謀者に知られるのを恐れていて、身を隠している…というのも、陰謀論でありがちなストーリーですね。
男が「君に会えてよかった」と言って立ち去ると、男がパパだったという思いに取り憑かれるボー。
全然証拠はないし、男本人も「お父さんの世話をしていた」と言ってるので、いきなり否定しているんですけどね。ボーは男にパパであって欲しい。
ママの支配のプレッシャーを感じ続けているボーは、不在であるパパに、そこから救い出してくれる可能性を感じているのでしょう。劇中劇のボーのように、生き別れになった家族(パパ)をずっと探し続けている…。
その思いにしても、47歳にして今さらパパを欲している時点で、あまりにも幼いのだけど。
ジーヴスの襲撃
ボーを追ってきたジーヴスが奇襲をかけて、舞台上の主人公はナイフ投げで刺殺。
ボーがパパと思った男は、あっけなく爆死してしまいます。
ジーヴスが機関銃を乱射して、森の孤児は大混乱に。
ペネロペは、ジーヴスの襲撃前にとっとと逃げていなくなっています。
ボーが過保護な家族を得られそうになったところでトニがぶち壊したように、ボーが共感してくれる擬似家族を得られそうになったところでジーヴスがぶち壊します。
そんな安易な救いは得られるはずがないのだから、その都度ぶち壊されて終わるのは必然であると言えます。
ボーが求めているのは「おっさんになってもなお子供扱いして優しく保護してくれる存在」で、そんな都合のいいものはこの世にないのだから。
第3パートの終わりと幕間
足元の「ヘルスメーター」が爆発して、ボーは気絶します。
これはボーの所在を示すGPS装置であり、逃げ出したら爆発する爆弾でもあった…ってそれもまた陰謀論ぽいですね。
GPSで追われ、逃げないように爆弾をつけられている最重要人物ボー。こんなおっさんを、なぜみんなが躍起になって争奪するのか。
自分の重要性へのこの過大評価が、妄想たる所以です。
何度も断片が繰り返されていた風呂の夢。
風呂に入っているボー。最初に洗ってくれていたのは、エレインじゃなかった?
でも、気づけばそれはママになっている。
ママが少年ボーの服を脱がせようとしている。でもボーはいうことを聞かない。その様子を、視点のボーが風呂から見ている。ボーが二人に分裂しています。
ママと言い争っているのは双子のボーです。双子のボーは「パパはどこ?」と聞きます。
怒ったママは双子のボーを屋根裏部屋に閉じ込めてしまいます。「もうあなたの話はしない」
振り向いたママが向かってきて、視点のボーは水の中へ逃げ込みます。ぶくぶく…
ボーが気絶するたびに何度も繰り返されていたこのシーンは、ボーにとって最大のトラウマなのでしょう。
少年期のボーが分裂しているのは、ボーは本当は双子だった!という訳ではなく、トラウマに耐えられないボーの心が当事者であることを拒否して、事態を遠くから客観的に眺める視点を生み出したのだと思います。
つまり、ボーが実際に経験したのは双子のボーの方。ママに反抗し、お仕置きで屋根裏部屋に入れられた。
屋根裏部屋にはペニスモンスターが…という訳ではなく、別に何もなかったのだろうけど、小さな子供にとって暗闇の中に閉じ込められるのは恐ろしい体験です。
その体験は幼いボーにトラウマとして刻まれ、ボーは二度と母親に反抗できなくなってしまった。「お仕置き」は一度きりじゃなく、何度も繰り返されたのかもしれませんね。
ママを怒らせたのは、ボーがパパについて聞いたから。
つまり、モナにとってはそれは聞かれたくないこと。「初夜に死んだ」という話は、やっぱり嘘なのだろうと思います。
モナにうんざりして、ハリーは出て行った。それがシンプルな真相なんじゃないかな。
プライドの高いモナはそれを認められず、ボーに嘘を教え込み、ボーがハリーのように自分を捨てることがないよう、呪いをかけた。…ということなんじゃないかと思います。