これはアリ・アスター監督の映画「ボーはおそれている」について、時系列に沿って解読を試みる記事です。

「ネタバレ考察1」「ネタバレ考察2」「ネタバレ考察3」の続きです。そちらから順にご覧ください。

繰り返しますが独自解釈です!

最後までネタバレしています。

モナの家

2022年7月19日火曜日。森で目覚めたボーはヒッチハイクをして、故郷の街ワッサートンへ向かいます。

ヒッチハイクした車のカーナビは MW社製。このドライバーも MW社の社員なのでしょう、陰謀論的には。

天地を逆さまにした景色が流れる。これは「ミッドサマー」でホルガの村に入っていく時に起こっていた現象、すなわちここから異常な世界に入っていくぞという印です。

 

モナの家に着いたボー。しかし葬儀は既に終わっています。

赤子を抱いたマリア像(ボーが買った像の巨大版)の下を通って家に入ると、葬儀のスピーチの模様と思われるビデオが流れています。

「彼女は一人で巨大企業を築き上げた」「一人息子を愛した。しかし彼は今日ここにいないことを選んだ」

スピーチはまた「モナはリスをとても恐れた」とか「モナは山をも動かす。帰りには山の位置を確認しよう」とか言って聴衆の笑いを誘っています。なんだか葬儀にしてはふざけすぎな気もします。

 

壁には、家族の生年と没年を刻んだプレートが。

ハリー・ワッサーマン 1946年1月24日〜1974年7月12日

モナ・ワッサーマン 1949年8月15日〜2022年7月12日

ボー・ワッサーマン 1975年5月10日〜

ハリーは28歳で死亡。

モナは26歳でボーを産み、72歳で、奇しくもハリーと同じ日に死亡。

そしてボーは現在47歳…ということになります。

とはいえ、このプレートを用意したのもモナだろうから、ハリーについての記載が事実かどうかはわかりません。

 

部屋には棺があり、モナの首なし遺体が安置されています。

まだ埋葬されていない! 埋葬を急ぐために、ボーに早く来るよう言っていたのに。

ボーを待たずに葬儀を行ったなら、すぐにでも埋葬をするはずです。

この日は19日なので、モナの死から一週間も経ってしまっています。しかも季節は夏です…。

モナのお気に入りの歌

葬儀のビデオでは、「モナのお気に入りの歌」が流れます。

これはBread(ブレッド)"Everything I Own(涙の思い出)"という1972年のヒット曲。

 

You sheltered me from harm.

Kept me warm, kept me warm. 

You gave my life to me.

Set me free, set me free. 

The finest years I ever knew, 

Were all the years I had with you. 

 

あなたは僕を危険から守ってくれた

温かくしてくれた 温かく

あなたは僕に命をくれた

自由にしてくれた 自由に

僕が過ごした最良の日々は

あなたと共に過ごした年月だった

 

And I would give anything I own. 

I'd give up my life, my heart, my home.

I would give everything I own,

Just to have you back again. 

 

僕の持っているすべてを捧げよう

僕の命も 心も 家も諦めよう

僕の持っているすべてを捧げよう

あなたをもう一度取り戻せるのならば

 

お葬式にはふさわしい曲ではあるけど。

モロに、モナがボーに「こうあってほしい」と押し付ける内容の歌詞ですね。これがいちばんのお気に入りの歌というのが怖い。

MW社の商品の乱用

モナの家の中には、MW社の様々な商品の広告ポスターが掲示されています。

その多くには、少年時代のボーがモデルとして起用されています。まさに、MW社の商品と共に育ってきたと言えるボー。

 

ボーの目を引くのは、「BIG Wハウジング」という不動産会社の広告です。そこに写っているのは、ボーが住んでいたアパートです。

広告コピーには「既に29の州で38の社会復帰(リハビリテーション)地区が建設されている」とあります。

小さな文字のコピーを解読してみると、「当社の製品を乱用した居住者の住居とサポートに専念します」と書かれています。

 

つまりボーが住んでいたのは、「MW社の製品を乱用した人が、その悪影響を脱して社会復帰させるためのリハビリをする施設」だったことになります!

様々な分野に渡るMW社の商品はドラッグのようなもので、それを使い続けると何らかの不具合が生じる。

そのため、そんな中毒者への住居の提供と、社会復帰のためのリハビリまでも、MW社が提供しますよ!という広告な訳ですね。

ドラッグディーラーがリハビリ施設まで用意するような。なんて手厚い。

 

…という、ブラックな皮肉である訳ですが。

これもそのまま受け取るのは無理があるので、ボーの「自分はママの会社の製品のジャンキーだ」という気分を反映した現れであると思われます。

幼少期からママの製品にどっぷり浸かって育ち、そのジャンキーのようになってしまったから、そこから「社会復帰」を図るために一人暮らしをする。これは、ママべったりで暮らしてきたボーが社会に適応するため家を出たことの、メタファーと言えそうです。

でも、それさえも、MW社のプロダクトの枠内だった…という発見。

 

また別の可能性として言えるのは、ボーは何らかの「リハビリ」を要する状態だったのかもしれない…ということですね。

ボーが暮らしていたのは実は「リハビリ施設」で、だからボーはママの元を離れ一人で暮らすことになっていたのかもしれない。

社会復帰のための「リハビリ施設」…「病院」から「刑務所」まで、いろんな可能性が考えられる訳ですが。

モザイクの絵

ボーはモナの肖像画を発見します。

それは、大勢の人物の顔で構成されています。それはMW社の社員であるようです。

顔の中に、ボーはロジャーを発見します。

タトゥーの男とか、他にもいろいろいるようですが。ロジャーはわかりやすいけど、他はあんまりよくわからない…。

 

これは、ここまでボーの身に起こった様々なことが実はMW社による作為であって、ということはつまりママの差金だった…ということの「証拠」である訳ですが。

しかしもちろん、それを額面通りに受け取る訳にはいかないのはこれまでに書いた通りです。

ボーが実家を出ていない可能性

疲れ果てたボーはソファで眠ります。

ソファのクッションはへこんでいて、ボーが横たわると頭がそこにジャストフィットします。

ママの温もりを感じている…? あるいは、失われたママの頭部を感じているなら少々悪趣味でしょうか。

 

もう一段深読みすると、ジャストフィットするのはそれがボーの頭のへこみだから…とも考えられます。

だとしたら、ボーは実際はそれほど長く実家を離れていない。

つい最近まで、実家で暮らしていた。このソファで横になってダラダラするような生活をしていた…。

 

「ボーの一人暮らし」は、そもそもこの映画の怪しい要素なんですよね。

ここまでの描写を見る限り、モナはボーにべったりで、ボーが一人暮らしをしたいと言ってもそれを許すとは思えない。

ボーの側も、一人で暮らす能力があるとは思えない。

そう考えると、ボーはそもそも家を出ていないんじゃないか。

この家でモナと一緒に暮らしていて、そこで何かがあった。

その結果、慌てて逃げ出した(から、あんな治安の悪い場所にいた)、もしくは何らかの施設に収容された(それが「リハビリ施設」、あるいはロジャーとグレースの家)…というようなストーリーも想像できます。

そして、この家であった(これからある)決定的な出来事といえば…

ボーがママの首を絞めたこと。

 

時系列が逆転しているのだけど、冒頭で最後までの展開が予言され、ロジャー家のテレビに最後までの顛末が映っていたように、本作は「すべてが終わった地点から回想している」とも取れるものになっています。

「ママの首絞め」は、帰結点ではなく出発点だったのかもしれない。

ボーの「GUILTY(罪悪感)」はそもそも、ママを殺してしまったことを出発点として生じていて、それでボーはこんなにも壊れているのかもしれません。

モナとニーナ・シモン

夜になって、エレインが弔問に訪れます。エレインは「午後8時からかと思っていた」と言います。

エレインはMW社で「先週まで」働いていました。今は退職していて、モナに対しては複雑な思いを持っているようです。

エレインはボーにキスして、彼をモナのベッドルームへと誘います。

「ドラゴンの隠れ家ね」とエレインはモナの家を評します。

 

エレインが​来た時、音楽はニーナ・シモン"Isn`t it a pity"が流れています。

これはジョージ・ハリスンのカバー。ニーナ・シモンはカバーに当たって、原曲にない歌詞を付け加えています。太字部分が原曲にはない、ニーナ・シモン版だけにある部分

 

Isn't it a pity

Isn't it a shame

How we break each other's hearts

And cause each other pain

How we take each other's love without thinking anymore

Forgetting to give back

Forgetting to remember

Just forgetting and no thank you

Now, isn't it a pity

 

惨めじゃない?

恥ずかしくない?

私たちがどれだけ互いに傷つけあい

互いに痛みを与え合ったか

私たちがどれだけ互いの愛を考えもせず受け取り

返すことを忘れていたか

感謝の心を思い出すことを忘れていたか

惨めじゃない?

 

Some things take so long but how do I explain

When not too many people can see we're all the same

W

We're all guilty

 

時間がかかることもあるけれど、どう説明すればいいのだろう

私たちがみんな同じであることを気づいている人が多くない時に

私たちはみんな有罪だ

 

これは葬儀のBGMで、モナのお気に入りプレイリストである訳で。

ボーとエレインが出会ったところで、「GUILTY」という歌詞が咎めるように響きます。

ジョージの目線で恋人とのすれ違いを描いた曲を、ニーナ・シモンは女性目線で書き換えている訳ですが、そこに不気味な母性が立ち現れてくる。見事な選曲ですね。

エレインとマライア・キャリー

ベッドインに際して、ボーは「すごく久しぶり」などと言いますが、これは見栄はってるのでしょうね。ボーは童貞なので。

エレインはマライア・キャリー"Always Be My Baby"をかけます。

1996年のヒット曲で、モナの1970年代を吹き飛ばそうとする意図も感じます。

でも歌詞を見てみると、これまた非常に「モナっぽい」歌詞なんですよね…。

 

We were as one, babe

For a moment in time

And it seemed everlasting

That you would always be mine

 

私たちは一つだったのよ、ベイブ

ほんの一瞬の間だけ

あなたが私のものである時が

永遠に続くように思えた一瞬に

 

Now you want to be free

So I'll let you fly

‘Cause I know in my heart, babe

Our love will never die

 

今あなたは自由を求め

私はあなたを飛び立たせる

だって、心の中では知ってるから、ベイブ

私たちの愛は永遠に死なないってことを

 

You'll always be a part of me

I'm part of you indefinitely

Boy, don't you know you can't escape me

Ooh darling, 'cause you'll always be my baby

 

あなたはいつまでも私の一部

そして私は永遠にあなたの一部

坊や、私からは逃げられないって知ってるでしょ?

ダーリン、だってあなたはいつまでも私のベイビーだから

 

ラブソングなんだけど。モナとボーの関係を踏まえて聴くと、怖い歌詞

絶対にボーを手放さない。自由に羽ばたかせているように見えてもそれは見せかけだけで、ボーはいつまでもモナの赤ちゃん。

 

エレインとの行為中にこれがかかっているのは、まるでモナに監視されているようでもあるし。

この曲をかけるのがエレインであることを思うと、やはりエレインはモナであるようにも思えます。

エレインの死とモナの復活

「絶頂に達すると死ぬ」と思い込まされているボーは恐怖を感じるのですが、死ななかったことで心から安堵します。

しかし、その後でエレインが絶頂に達してそのまま死んでしまいます。

呆然としているボーの前にモナが現れ、エレインの硬直した死体は執事とメイドによって運び出されます。

 

自分が死ぬと思って恐れていたボーが、死ななくてホッとした瞬間に、絶頂に達したエレインが腹上死している…という、ベタなコント。​

エレインの死体はコチコチに固まっていて、いくらなんでもこんな一瞬で死後硬直になることはないので、やはり現実とは思えない描写です。

気になるのは、天井の鏡に映ったエレインがまるで人形のように見えること。

一瞬なので定かじゃないですが…エレインは初めから人形なのかもしれません。ボーの愛用のダッチワイフだったのかも。

 

エレインが退場し、代わりにモナが登場する。そこからも、エレインは実はモナだった…というような含みを感じます。

BGMも、まるでモナのテーマだったし。ボーがいくらママに反抗して自由になったと思っても、そこはモナの手のひらの上だった…というような、「絶望を与えて支配する意志」が感じられます。

 

エレインはいったい何だったのか…どこまで現実で、どこから妄想だったのか。

ロジャー家や森の孤児が「新しい(優しい)家族に迎えられたい」というボーの願望だったのだとしたら、エレインの登場は「恋人を得たい、セックスしたい」という願望と取ることができます。

また「母親に代わって、恋人に保護してもらいたい」という未成熟な男の願望恋人を母親と同一視する病理の現れとも受け取れます。

そう考えていくと、エレインとモナが同一であるというのも頷けます。

 

あるいは、時系列に欺瞞があると考えるなら。

エレインとの再会は、実はもっと前だったのかもしれない。

MW社の社員にエレインを発見して、ボーは(社長の息子の立場を利用して?)エレインに接触した。

(「ママに頼んでエレインを雇わせた」というのもあるけど。それだと更にタチ悪い。)

エレインに会って、少年の頃の約束をずっと守って待ち続けていたと話すボー。そんなことはすっかり忘れていて、なんのことかわからないエレイン。…というような構図が思い浮かびます。

それでトラブルになって、エレインはMW社を辞めさせられてしまう。エレインが先週まで社員だったというのは、そういうことなのかもしれない。

(ボーがテレビでエレインを見て吐くのも、この経緯があったから、になりますね)

(ボーが本当にエレインを殺した…とまでは、言わないけれど)

 

そんなエレインとのトラブルがあって、モナが大いに怒り、ボーへの失望を言い立てて、あの首絞めシーンに繋がる…というような想像もできます。(ちょっと作りすぎ?)

モナの死の「真相」

モナは実は死んでいなかった。

首なし死体はメイドのマーサで、家族への資金援助を引き換えに、マーサは自ら犠牲になることを志願した。

そしてボーは、手のあざでそれがマーサであることに既に気づいていた。

…という真相。これがフェイズ1ですが、いやあ…無理でしょう。

首なし死体が本当に本人か、いくらなんでも調べるだろうし、科学的な分析が入ればすぐにバレるでしょう。

いくらお金を積まれたって、自分から頭を潰されて殺されたい人なんていない。しかもそれがボーのママへの愛情を確かめるためなんて!

 

という訳で、これもフェイズ2としては「ボーの妄想」ということになります。

ママの死を受け入れられないボーが作り出した、幼稚で無理のある作り話。

ただ、これは願望というよりは恐怖ですかね。

常に自分を支配し、絶対に逃げられないという暗示をかけ続けられてきたことで、ママがそう簡単に自分を逃がしてくれるはずがないと思い込んでしまう。

そして、ママが生きていて自分の罪を責め立ててくるという妄想に囚われてしまう。

マライア・キャリーの「Boy, don't you know you can't escape me」という歌詞がそれを物語っています。

カウンセラーに話していた「愚痴」が全部ママに筒抜けである、というのも、ボーがもっとも恐れる事態ですね。

 

もう一つ、フェイズ3として「現実にあったが、細部はあの通りではなかった」というのがあります。

モナが激おこになって…エレインとのことか、何かで…ボーへの長年の不満と失望をぶち撒けた。

ボーにとって、ママは一方的に自分を支配する怖い存在ではあったのだけど、でもこれまでそれは自分への愛ゆえだった。

ママの自分への愛がなくなり、憎しみになるということは、ボーにとってはあり得ない、世界がひっくり返るような大変な事態だった。

ママに見捨てられるというショックが、ボーを壊してしまった。妄想の中に逃げ込ませ、物事の時系列も把握できない状態に追い込んでしまった…。

屋根裏部屋の怪物

「パパについての真実」を知りたいというボーを、モナは屋根裏部屋へ連れて行きます。

ボーの悪夢に出てくるトラウマの舞台、屋根裏部屋。

「夢で見たのと同じだ」と言うボーに、モナは「バカね、夢じゃない。記憶よ!」と言って扉を閉じます。

 

屋根裏部屋には、鎖に繋がれた「もう一人のボー」がいます。

これは、悪夢の中で自分自身を「お仕置きを受けた自分と傍観者の自分」に分裂させた、その名残りですね。お仕置きを受けたのが自分でないなら、もう一人双子の兄弟がいるはず。

しかし、モナは「記憶よ」と言っているので、屋根裏に閉じ込められたのはボー自身。双子などいるはずがありません。

 

「わしの美しい息子」「そばにおいで」と呼びかけられて奥を見ると、そこには巨大なペニス・モンスターが。

巨大な陰茎と睾丸に顔がつき、カマキリみたいな腕を持つ、子供のラクガキみたいな怪物。これがボーのパパだと、モナは言うのでした。

 

モナが隠し続けた「パパがどうなったかの秘密」はボーの中で膨れ上がって、こんなヒドイことになってしまったのでした。

「お父さんがでっかいペニスである」というのは、どういうことなんでしょうね。

モナが夫に裏切られたかどうかして、生物学的な男全般を深く憎んでいる(男なんてしょせんはちんことキンタマのモンスターだと思ってる)のだとしたら、夫の姿をこういう醜悪かつ滑稽なものとして思い描くのは理解できます。

それをボーが見るというのは…やはり幼少期から「屋根裏部屋のお仕置き」などの虐待を通して、ボーはママの「男性嫌悪・男性蔑視」を刷り込まれてきたということでしょう。

 

ジーヴスが飛び込んできて(死んだはずのジーヴス。屋根裏部屋なのに窓から平然と入ってくる)、ペニスモンスターに攻撃。

ジーヴスは脳天をカマで突き刺され、ボーは屋根裏部屋から転がり落ちます。これは、前半の「天井に張り付いた男の風呂への落下」を思い出させます。

ボーの母殺し

最初は「かわいそうに」と優しかったママはまたいきなり豹変し、ボーを責め始めます。

「あなたを生み出す​苦労がわかる?」「愛を与えてきたのに、あなたは取るばかり」「私を傷つけないという約束を1000回も破った」「苦悩の報いは悲しみと、憎しみだった」

ママに憎まれるという事態に我を失ったボーはママの首を絞め、途中でやめるもののママは水のない水槽に倒れます。

 

すべての描写が主人公の主観で歪められている中での、生々しい首絞めシーン。

これ、どうしても思い出してしまったのは「エヴァンゲリオン旧劇場版」なんですよね。シンジがアスカの首を絞めるシーン。

僕は個人的にエヴァを「最初から最後までシンジくんの主観で描かれた世界」と解釈してるので、自分の解釈に引っ張られちゃってる感はあるけど。

でも…似てるんだよな。「劇中世界が崩壊している原因としての主人公の罪悪感」の元凶がこれであるという点で。

 

本作のベースにあるのは、実はものすごくシンプルな、古典的な話なのかもしれない。

子離れできない過保護な母親に育てられ、成熟できないまま大人になってしまった男が、遂に限界に達して母親を殺す話。

それはいわば神殺しだから、主人公の世界は崩壊する。因果も時系列もめちゃくちゃになって、主人公の後悔と罪悪感、自罰意識、またそこから逃避したいと思う気持ちなどから、妄想世界が作られていく。

 

ママは水槽の中で死んだから、「ボーが水槽を覗き込んでいるシーン」で妄想が始まる。

ここから逃げて遠くに行かなくちゃという思いから、一人暮らしの生活が出現する。でもそれは周囲を敵意と悪意に取り囲まれた暮らし。

罪悪感から、「家に帰ってこい」というママのプレッシャーが繰り返しやって来る。

自分がしてしまったことが断片的に、テレビのニュースや街角の暴力行為という形で見せつけられる。

やがて逃げきれず、ママの死を突きつけられる。「首を絞めた」という事実を見えなくするために、頭部はシャンデリアで粉砕されている。

死体が埋葬され、自分のしてしまったことが闇に消えてしまうのを、ボーは待ち望んでいる。だから家には帰りたくない。それなのに、埋葬はボーが帰るまで延期されると言われる。

 

「こうであれば良かったのに」という願望の世界を、ボーは次々と通り抜けていく。

ママじゃない家族の元へ養子に行った世界。孤児になることを選び森の中で暮らす世界。普通に働き結婚して息子をもうけた世界。

しかしそのいずれも、別の姿になって追いかけてきたママによってぶち壊されてしまう。

そしていよいよ、自分がやってしまった最大の罪「母殺し」に直面し、ボーは自らの有罪を受け入れることになる…。

裁き

モナの家を出たボーはモーターボートに乗り、海へと出ていきます。

洞窟を越え、星空の下に出たところで、エンジンが故障。ボートはそれ以上進まなくなります。

明かりがついて、そこが巨大なアリーナの中であることがわかります。大勢の観衆がスタンド席にいて、ボーを見守っています。

それはボーの罪を裁く公開裁判です。絞められた痕が首に残るモナとコーエン弁護士が、ボーの罪を告発します。

ボーの側には頼りない弁護士がいますが、彼は途中で突き落とされ、「ミッドサマー」のように岩に落ちて殺されてしまいます。

 

「9歳の頃、デパートで迷子になり、ママが慌てるのを見ても叱られるのを恐れて隠れていた」「15歳の頃、ママの留守中に級友を引き入れ、パンツを盗ませたりした」などが告発されます。どちらもボーしか知らないはずのことなので、これはボー自身の中から出てきた告発であることがわかります。

だからこの「裁判」にしても、結局はボーの中の世界。

ボーの有罪を告発する側も、弁護する側も、すべてボー自身であるのだと言えます。

 

たぶん、自分自身の「有罪」を穏やかに受け入れることができれば、ボーは解放されるんじゃないかな。

親に対して、いつまでも完全に無垢な存在であることはできない。成長するということは、親から離れ自立した人格になるということだから。

もしボーが「自分自身の意志でモナの首を絞めた」と認めることができれば、ボーは母親の呪縛から解放される。仮にそれで殺人罪に問われるとしても、ボーの心の上ではむしろ救われるかもしれない。

 

でも、ボーは最後までそれを認めることができないんですね。言い訳に終始して、ママを愛していると言い張り、「ママ許して!」と許しを乞い続ける。

…ということは、ボーは自分で自分を許せない。自分を無罪にできないということだから。

ボートは転覆し、ボーは死刑にならざるを得ない。それもまた、ボーが自分自身で選んだ結末であるということです。

もしかしたら、すべてはあの「ビルの屋上に立っていた男」が一瞬の間に見た走馬灯だったかもしれませんね。

 

…という訳で!

なんとか最後まで辿り着きました。かなり話を作っちゃった感はありますが。

ボーはママを殺していて、それがボーの奇妙な冒険の出発点ではないか?というのが一応の着地点になりましたが、それも数ある解釈の中の一つでしかないと思います。

というか、アリ・アスター自身、一つの回答のあるものとしては作っていないと思うので!

たぶんこの先も考えてくと、無数の解釈が出てきそうです。噛めば噛むほど楽しめる映画ですね!