この記事は「IT/イット THE END」 ネタバレ詳細解説その1の続きならびに、
「IT/イット THE END」ネタバレ詳細解説その2の続きです。
これは、「IT/イット THE END ”それ”が見えたら、終わり。」について、映画の時系列に沿って、細かい枝葉の部分をあれこれ検証する記事です。従って、結末までネタバレしています。
記事の性格上、前編の「IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。」のネタバレもしています。また、原作小説との比較も行なっているので、原作のネタバレもあります。それについても、ご了承ください。
「IT/イット THE END ”それ”が見えたら、終わり。」のレビューはこちら。
「IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。」のレビューはこちら。
「IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。」原作との比較記事はこちら。
地下のクラブハウス
夜明けの街を、ルーザーズ・クラブが歩いていく。なんでもないシーンだけど、こういう絵面はカッコいいですね。
行方不明者のビラが散らばっていて…。
マイクに導かれ、皆は荒れ地へと向かっていきます。
6人が目指すのは、かつてベンが作った地下の隠れ家、ルーザーズ・クラブのクラブハウス。
石合戦でヘンリーたちと戦い、マイクが仲間になった後でここに来た、と語られていますが、前編ではクラブハウスは一切描写されていませんでした。クラブハウスは映画では存在しないものと思っていましたが、前編には映っていなかった時間に、クラブハウスは存在していたわけです。
原作では、石合戦でマイクが仲間になって数日後、ベンのアイデアで、ルーザーズ・クラブのみんなで荒れ地に穴を掘ってクラブハウスを作ります。
穴の深さは5フィート、だいたい1.5メートル。四角い穴を掘って、その上に板で蓋をする簡単な設計です。
ベンはこの前にも、荒れ地の川にダムを作る遊びを指揮しています。長じて建築家になるベンは、子供の頃から建築の才能を発揮していたわけです。
7人で力を合わせて、クラブハウスは一週間ほどかけて完成します。
そこに潜んで蓋を閉めれば、彼らは追いかけてくるヘンリー・バワーズをやり過ごすこともできます。子供たちはそこでマイクの持ってきたデリーの古いアルバムを見たり、煙穴の儀式を行ったりします。
映画では、クラブハウスはもっと立派なものです。ただ穴を掘っただけでなく、柱や壁のあるきちんとした地下室です。
しかも、作ったのはベン一人です。ベンは、元からあった穴を補強してこの地下室を作りました。
ハンモックがあったり、原作のものよりずいぶん快適そうな空間です。
壁には映画「ロストボーイ」(1987)や、マイケル・J・フォックスのポスターが貼られています。
一同は、子供時代のスタンのメッセージが書かれたコーヒーの缶を見つけます。入っていたのは、紙の帽子でした。「クモの巣よけに」と、スタンはそれを皆に用意したのでした。
地下室で快適に過ごすためのスタンの気遣いですが、クモの巣よけにはダブルミーニングがありそうです。
原作では、イットが最後に現す正体は「巨大なクモ」です。しかも、体内に卵を持っているクモ。
イットはメスだったのだ…ということが、最後に判明することになります。
90年のテレビ版「イット」がこの「巨大クモ」を映像化して、その出来の悪さに失望された…という経緯があります。
今回の映画では、潔くきれいさっぱり、クモの要素は切り捨てています。
子供時代のルーザーズ・クラブは、スタンの紙帽子をかぶってクラブハウスでゆったりした時間を過ごします。
石合戦で、ヘンリーに強い怒りを買っていますからね。彼らにはどうしても隠れ家が必要だったでしょう。
ベンは、建築学の講義に参加することを話します。
マイクは、将来フロリダに行きたいと話します。その希望は、27年後までお預けになります。
スタンは、大人になるまで友達でいることに懐疑的です。「自分たちの親が幼馴染と会ってるか?」と彼は尋ねます。
ビルやべバリーはずっと友達だと主張しますが…。
実際のところは、彼らは親の都合でそれぞれにデリーを出ていき、離れ離れになりました。デリーを離れた後は、記憶喪失によって繋がりを失ったわけですが…。
しかし、今はまた子供時代の繋がりを取り戻しています。だから、スタンが正しい一面もあり、ビルやべバリーが正しい一面もあり…というところでしょうか。
現代に戻り、マイクは皆にそれぞれバラバラになって街を歩き、埋もれた過去を掘り起こしてくるよう伝えます。
チュードの儀式に使う思い出の品物を見つけて、今夜図書館に集まるようにと。
リッチーはバラバラになるのは危険で、団結しているべきじゃないのかと抗議しますが、ビルは「子供時代もずっと団結してはいなかった」と指摘します。
そして、子供時代の喧嘩別れのシーンを思い出していきます。
喧嘩別れ
前編で、ニーボルト・ストリートの家から逃げ出した後、ルーザーズ・クラブの7人は一旦喧嘩別れすることになります。
もう一度装備を整えて戻ってこようと言うビルに、リッチーは「もうたくさんだ」と言います。
ビルがジョージィのために意地になっていることに、リッチーらは気づいていました。ジョージィは死んだんだとリッチーはビルに言い聞かせ、ビルはリッチーを殴ってしまいます。
他の子たちももう怖いのはごめんだと立ち去り、ルーザーズ・クラブはバラバラになってしまいます。
べバリーだけは最後までビルと一緒にいますが、ビルは仲直りには悲観的です。
運河のそば、べバリーのアパートの前で、ビルとべバリーは分かれます。自転車”シルヴァー”とともに帰っていくビルを見守る、大人になったべバリー。
子供時代と、大人時代が交錯する。こういう演出はいいですね。
原作でも、大人編から子供編へ、ひとつながりの文章がまたいでいくような演出がされています。原作のそんな効果を再現した演出とも言えます。
散歩ツアー①べバリーと魔女
原作には中華レストランを出て以降、地下のクラブハウスを再訪するまでのシーンはありません。中華レストランでの会食(原作では昼食です)の後、夜に図書館で会うことを約束して皆は別れ、そのまま6人それぞれが怪異に出会う散歩ツアーに入っていきます。
映画では、クライマックスの伏線となるチュードの儀式の説明と、子供時代を回想して大人時代と交錯させる演出のために、これらのシーンが加えられているのだと言えます。
べバリーのアパートはロウアー・メインストリート127番地。べバリーは、父アルビン・マーシュがまだ生きているのかどうかも知りません。
前編の終わりで、べバリーはポートランドの親戚に引き取られることが決まっていました。彼女は親戚に保護されてデリーを離れ、それと同時に父親からも完全に離れて、それっきりになったようです。
かつて住んでいたアパートの部屋を訪れたべバリーは、「MARSH(マーシュ)」の表札を見て、ドアベルを押します。しかし、出てきたのは見知らぬ老婦人でした。
よく見ると、表札は「KERSH(カーシュ)」になっていました。ミセス・カーシュは、アルビン・マーシュが死んだことをべバリーに伝えます。
ミセス・カーシュはべバリーをお茶に誘います。
ミセス・カーシュがお茶を入れる間、家の中を見て回ったべバリーは、父と過ごした子供時代を思い出します。
ママの誕生日、父はべバリーにママの愛用していた香水をふりかけます。アルビンの言葉から、べバリーのママが病気になって自殺したらしいことがわかります。
原作では、べバリーの母親は死んでいませんが、映画ではべバリーは異常な父と二人きり。原作よりハードな環境と言えますね。
べバリーは壁の下の隠し場所から、子供時代に隠したものを取り出します。
鍵、タバコ、そして給水塔の絵柄のポストカード。
それはかつて、ベンが彼女に送った詩のカードです。べバリーは、詩を送ってくれたのはビルだと思いたがっていたのですが。
「君の髪は冬の火、
1月の熾火。
僕の心も一緒に燃える。」
べバリーが詩を見ている後ろで、ミセス・カーシュがペニーワイズの踊りを踊っています。
レコードがかけられ、ミセス・カーシュはべバリーにお茶を振る舞います。
いつの間にか部屋はとても暑くなっていて、ミセス・カーシュは「この時期は暑くて死にそう」と言います。「でも、ここでは誰も本当には死なない」と。
ミセス・カーシュの胸に、不気味なただれが見えます。べバリーは、何かがおかしいと気づき始めます。
ミセス・カーシュはクッキーを取りに行き、彼女の父がデリーに来た時のことを話します。
「この街に来た時、父は14ドルだけしか持っていなかった」
「父はサーカスにいた」
べバリーは少女のミセス・カーシュが父親と並んだ写真を見ます。「ペニーワイズ/踊るピエロ」と書かれたサーカスのワゴンの前に、素顔のペニーワイズと少女が並んでいる写真です。
写真を見ているべバリーの後ろで、ミセス・カーシュが全裸でうろついています。
原作では、ミセス・カーシュは父の名前を「ロバート・グレイ、ボブ・グレイ。でもペニーワイズの方が通りが良かった」と話しています。
ボブ・グレイはペニーワイズの「人間名」であり、イットの別名の一つとされていますが、あるいはペニーワイズは元は人間だったのかもしれません。
サーカスで働いていたピエロのボブ・グレイという男が、イットに魂を食われて乗っ取られ、イットの化身の一つに成り果てた…のかも。
ちなみに、映画のペニーワイズの服の色はグレイです。
原作ではミセス・カーシュのシーンに写真は出てこないのですが、別のシーンで登場しています。
マイクがクラブハウスに持ち込んだ、父親がデリーの古い写真をコレクションしたアルバム。その中に、1700年代中頃の、メイクしていないピエロがジャグリングをしている写真が出てきます。
ここでミセス・カーシュが乱入! いきなり巨大化し、不気味なクリーチャーと化しています。
「私は父のお気に入りだった!」叫びながら、ミセス・カーシュはべバリーに襲い掛かります。「あなたは? まだお父さんのもの?」
このモンスターは「魔女/The Witch」とクレジットされていて、クリーチャー専門の怪優ハビエル・ボテットが演じています。
異常に長い手足と、奇妙な方向に自在に曲がる関節を生かして、悪夢のようなクリーチャーを演じるハビエル・ボテット。ムスキエティ監督の「MAMA」や、「ポラロイド」でもクリーチャーを演じています。
素っ裸で巨大でゾンビみたいで素っ頓狂な「魔女」なんですが、原作ではこれは実は「ヘンゼルとグレーテル」に登場する「魔女」です。べバリーが恐れていたお話の魔女が出現しているんですね。
原作では、アパートの部屋がみるみる「お菓子の家」に変わっていきます。さすがにこれは、映像ではイマイチになると見て省かれたようです。
べバリーは、素顔のペニーワイズ……ボブ・グレイ……がメイクをしているところを見ます。こうなると、「ジョーカー」と近いものを感じさせます。
ボブ・グレイもジョーカーのように、孤独のあまり狂気に陥って、子供を食う怪物に成り果てたのかもしれない。
べバリーはアパートを逃げ出し、振り返るとその建物は既に廃墟になっています。
一連の散歩ツアーの中でも、べバリーのこの「魔女」シークエンスは特によくできてると思います。性急さがあまりなくて、じわじわ盛り上がるんですよね。最後に出てくる素っ頓狂なモンスターも楽しいし。
この映画の中でも、かなりお気に入りのシーンです。
散歩ツアー②リッチーの隠し事
リッチーは既に閉店したゲームセンターにやってきます。そこでリッチーは、ゲーム用のコインを入手します。
思い出のゲームは、ストリートファイター。日本のカプコンのゲームですね。開発は1987年。
大ヒットした有名なストリートファイターⅡではなくて、その前のやつですね。ストⅡは1991年なので、イット前編の時代より先です。
前編でも、リッチーがストリートファイターをやるシーンがあった…ように思います。
子供時代、リッチーはある少年とストリートファイターで対戦していました。対戦を終えた後、リッチーはもっと続けようと少年に言いますが、少年はなんか変なムードを察知して、不快な顔に…。
そこにヘンリー・バワーズ一派がやってきて、「俺のいとこを襲う気か!」とリッチーを罵倒します。少年はヘンリーのいとこだったのです。
「失せろオカマ!」と罵倒され、リッチーはすごすごと逃げ出します。
ここは「リッチーがゲイである」ことをはっきりと示すシーンで、原作からのもっとも大きな変更点と言えるんじゃないかと思います。
ルーザーズ・クラブの面々はそれぞれ何らかのマイノリティ要素を抱えているわけですが、原作におけるリッチーはそれが控えめではありました。
(どもり、でぶ、父の虐待、病弱、黒人、ユダヤ人…という中で、リッチーはただ「おしゃべり」というくらいでしょうか)
そこにゲイという要素が加えられることで、リッチーにも大きなマイノリティ要素が加わったと言えそうです。
また、これによって、リッチーとエディの関係がより強くクローズアップされていくことになります。
アンディ・ムスキエティ監督は、現実社会をより強く反映させるために、リッチーをゲイであることにしたと語っています。
「リッチー・トージアは、性アイデンティティに苦しむ人々の反映です。今時、隠している人もいなくなったよね…とか言う人がいますよね。とんでもない。たくさんの人が隠して、苦しんでいる。リッチーを通して、そんな葛藤を描きたかったのです」
エイドリアン・メロンのシーンが省略されずに入れられたのも、同じ思いからと言えるでしょう。このシーンはストーリーの他の部分とリンクしないので、あそこまでしっかり丁寧に描かれたのは意外でした。
今回、エイドリアン・メロンから、リッチー、エディに連なる「マイノリティの問題」は、監督にとって重要なテーマだったと言えそうです。
ヘンリーから逃げ出したリッチーは、バッシー公園のベンチにやってきます。シティ・センターに隣接する場所で、そこには身長20フィート(6メートル)に及ぶ、ポール・バニヤンの大きな像が立っています。
ポール・バニヤンはアメリカやカナダに伝わる伝説の主人公で、西部開拓時代に存在したという怪力の木こりです。
ポール・バニヤンは生まれた時からヒゲが生えていて、身長も8メートルありました。木を切れば1日で山を丸裸にすることができ、五大湖やミシシッピ川を作ったと言われています。ベイブという巨大な青い牛を連れています。
起源は19世紀後半と言われ、歴史の浅いアメリカという国で作られた民話と言えます。
アメリカでは有名なキャラクターで、日本で言うなら金太郎とか酒呑童子とかでしょうか。
日本では有名でなく、どんなのか姿も想像できなかったので、原作読んだ時はイメージできなくて戸惑ったものです。
帽子、髭面、赤いネルシャツ、ジーンズ、ブーツ、そして斧。要するに典型的な木こりの姿ですね。でも、デカイ。ただデカイ木こり。そういうキャラです。
伝説によれば身長2メートル…ともあるので、元は実際にいた開拓時代の木こりの一人がモデルだったのかもしれません。どんどん話が大きくなって、8メートルとか五大湖を作ったとかになっていったのでしょう。
メイン州からオレゴン州まで、アメリカ北部(とカナダ)の各地に伝説が残っていて、マスコット的な像も各地に存在するようです。
木材が伝統的な産業であるデリーにポール・バニヤン像があるのも、もっともなことなんでしょうね。
バッシー公園のポール・バニヤンはメリメリ動いてリッチーに襲い掛かります。口から鳥がザーッと飛び立つ。
ベンチが真っ二つにされますが、リッチーが「これは現実じゃない」と唱えると、ポール・バニヤンは像に戻り、ベンチも元に戻っています。この辺りの描写は原作と同じです。
子供時代のリッチーがポール・バニヤンに襲われるこのシーンは、スティーヴン・キングのたっての希望で脚本に加えられたそうです。キングのお気に入りのシーンなんですね。
前編では、ムスキエティ監督がキングと話をする機会はなかったようです。前編を大いに気に入ったキングは、後編ではカメオ出演だけでなく長く撮影現場に滞在して、いろいろと希望も言ったみたいですね。
ポール・バニヤンのシーンは素敵ですが、その分映画がどんどん長くなる…ということにはなっちゃてるようです。
現代に戻って、リッチーは昔のままのポール・バニヤン像を見上げます。
バッシー公園の舞台では、運河フェスティバルのフィナーレに向けて、楽団が練習中。
運河祭りが今夜フィナーレを迎えることを、男がビラをまいて知らせます。その男は死んだエイドリアン・メロン。リッチーが受け取ったビラには、「追悼リッチー・トージア」の文字があります。
ポール・バニヤンの肩の上にペニーワイズが乗っていて、公園に居合わせた人々とともに「リッチーに送る歌」を歌います。
自分の性癖を隠し続け、コンプレックスを持ち続けているリッチーに対して、「お前の秘密を知ってるぞ…」と歌う歌です。
ペニーワイズは赤い風船を使って、空中をふわふわと歩いてきます。まるでメリー・ポピンズみたいです。
ここは原作にはないシーン。リッチーがゲイであることを隠しているという、映画オリジナルの設定に基づくシーンになっています。
ここでも、ペニーワイズは「ピエロとは誰も遊んでくれない」と嘆きを言っています。去っていくリッチーに、「戻ってピエロと遊んでよ」と呼びかけます。
これも、映画のペニーワイズが孤独を抱えていて、ルーザーズ・クラブと遊びたがっている表現だと言えます。
うう、なかなか進まない…。