タイトル、字数がもったいないので「”それ”が見えたら、終わり。」を省略させてもらってます。
記事の性格上、前編の「IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。」のネタバレもしています。また、原作小説との比較も行なっているので、原作のネタバレもあります。それについても、ご了承ください。
「IT/イット THE END ”それ”が見えたら、終わり。」のレビューはこちら。
「IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。」のレビューはこちら。
「IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。」原作との比較記事はこちら。
この記事は「IT/イット THE END」 ネタバレ詳細解説その1の続きです。
再会
ルーザーズ・クラブがデリーで集まったのは、中華レストラン「JADE OF THE ORIENT」。原作の翻訳では「東洋の翡翠」。
詳細はメールで送る…とマイクは言っていたので、店や時間の指定などはメールで行ったんでしょうね。
しかしみんな、突然の電話の翌日の夜にはデリーに集合できるなんてすごい。
最初に店に着いたのはビル。マイクと抱き合います。
続いてエディが到着し、彼はさっそく店員にアレルギーの説明をしています。
ビバリーは店の前で躊躇しています。そこに声をかけるのがベン。誰だかわからないべバリーに、ベンは「ニューキッドだ」と自己紹介します。
ビルやエディもベンがわかりませんが、リッチーがジェスチャーでベンだと知らせます。
ここから、6人が子供時代の旧交を温める様子が描かれます。じきに、彼らは気のおけない冗談を言い合うようになります。
リッチーはエディをいじってばかりです。リッチーの「ジャバ・ザ・ハットのモノマネ」は見事ですね。コメディアンでもあるビル・ヘイダーの持ちネタでしょうか。
ベンが体型のことをいじられ、不在であるスタンに言及します。
「ちびり屋スタン」(スタン・ユーリーン)と、スタンが臆病だったことが思い出されます。ユリスにかけたユーリーン"urine"は尿、小便の意味です。「小便たれのスタン」みたいな意味になりますね。
ビルは、オードラがローガン=マーシュの服を愛用していることを伝えます。
ビバリーはビルの映画を観たといいますが、結末はあまり気に入らなかった様子です。
ビルが「まさに、き、恐怖」とどもります。子供時代のどもりがここで初めて戻ってきています。
ビバリーが「ペニーワイズ」のことを思い出して、6人はイットのこと、デリーで恐ろしいことが起こったことを思い出します。
ここでマイクは、デリーの怪異が27年おきに起こっていることを伝えます。
先週、エイドリアン・メロンが殺され、リサという子も行方不明になった。また周期が始まったのだ…ということを。
デリーで起こる27年おきの怪異については、前編で説明されています。1908年の鉄工所爆発事故、1935年のブラッドレー・ギャングの惨殺、1962年のブラックスポットの火災、そして1989年の子供の行方不明です。
27年という数字も、キングの作品ではあちこちで出てくるマジックナンバーです。
作中以外の話では、たとえば前編の公開が1990年テレビ版から27年後の公開だったり。
90年版「イット」でビルの子供時代を演じたジョナサン・ブランディスが27歳で亡くなっていたり。
ペニーワイズを演じたビル・スカルスガルドが前編公開当時27歳だったり。
フォーチュン・クッキー
皆が一つずつ手に取ったデザートのフォーチュン・クッキーを割ると、ルーザーズ・クラブに向けたメッセージが現れます。
6人それぞれが受け取ったのは、「Could」「Guess」「It」「Cut」「Not」、そして最後にビバリーに「Stanley」。
並べなおすと、「Guess Stanley Could Not Cut It」「どうやらスタンリーは約束を果たしきれなかった」となります。
皆が騒然とする中、フォーチュン・クッキーから次々と奇妙なモンスターが生まれてきます。
赤ちゃんの顔を持ったコオロギ。
這う目玉。
片方だけのコウモリの羽根。
這い回る鳥の胎児。
熱帯魚の水槽では、いつしか魚のかわりに生首が泳いでます。
円卓を囲んで異生物が飛び出してきて、それを6人が囲んで悲鳴をあげてる。この構図は、「エイリアン」のチェスト・バスターのシーンですね。人数もノストロモ号のクルーたちと一緒だ。
なんとなく連想した「エイリアン」のチェストバスター・シーン
原作では、一同の割ったフォーチュン・クッキーからは、血、コオロギ、這う目玉、歯、突然変異の蝿が出てきます。出てきたものはルーザーズ・クラブにしか見えないので、6人は平静を装って、ウエイトレスをやり過ごします。
映画ではもっと直接的ですね。マイクが椅子で、机を殴りつけて蹴散らします。
映画では脈絡がないはちゃめちゃシーンのように見えちゃいますが、原作ではそれぞれの出現の理由も語られています。
ビバリーの「血」はバスルームの排水口から出てきた血のことを考えていたから。
エディの「コオロギ」は、彼の家の地下室に大量のコオロギが発生して、悩まされているから。
ビルの「蠅」は、いま虫が出てくる新しい小説「ロードバグス」の構想を練っているから。
リッチーは子供時代のイットとの対決時、地下水道で「這いずる目玉」を見ています。
少年ディーン
レストランを出ようとしたリッチーを、少年が呼び止めます。
少年は「お楽しみはこれからだ」と言ってリッチーを怯えさせるのですが、これは実はリッチーの持ちネタ。恐怖のあまり、リッチーは自分のネタを忘れていたのでした。
この少年の名前はディーン。後に、ビルの昔の家に住んでいるスケートボードの少年として登場してきます。
ビバリーがスタンに電話して、スタンの妻パトリシアから昨夜スタンが自殺したことを聞かされます。
パトリシアが口に出す前から、ビバリーはスタンがバスタブで死んだことを知っていました。
リッチーとエディはマイクに「騙された」と言って、もう帰ると言い出します。
リッチーは「町に義理はない」と言います。「昨日までは忘れてたくらいの町だ」
ビルも、「後出しは卑怯だ」とマイクに言います。
この反応は、原作にはないものですね。原作では、みんな割と素直に、幼少時の約束通りにイットと戦う運命を受け入れます。
考えてみれば、過去のことを忘れているのであれば、映画の反応の方が自然かもしれないですね。
マイクは一人、「イットの見張り役」としてデリーに縛り付けられる役割だったので、気の毒なんですが。みんなにはまだそんな感覚はないようです。
映画ではこの状況から少しずつみんなが運命を受け入れていくさまが描かれていて、特にいちばん逃げ腰なリッチーが心を変える様子が後半で描かれています。
その点では、原作より映画の方がていねいな描写になっていると言えます。
野球場
ナイターの野球場。学校とか、町のチームでしょうか。子供がヤジ飛ばすようなグダグダな試合みたいです。
ビクトリアも帰りたがっていますが、母親に最後まで見ろと叱られます。お兄ちゃんが出てるとかでしょうかね。
ビクトリアは顔に赤い痣のある少女です。彼女が持っているトナカイのぬいぐるみは、エイドリアン・メロンにもらったものですね。
ホタルを追いかけて、ビクトリアは観覧席の下に迷い込みます。
その奥の暗闇に、ペニーワイズが隠れています。
今回のペニーワイズの特徴といえば左右の目があっちこっちの方向を向いている外斜視ですが、これCGじゃなくビル・スカルスガルドが自力でやってるんですね。
「自分の目を思うように動かせる」のが彼の得意技。すごい。
ビクトリアは最初、闇に潜むピエロを怪しんでるんですが、ペニーワイズに「こんな見た目だから、一緒に遊んでくれる友達がいない」と言われて、共感してしまいます。彼女も、顔にある痣のせいで友達がいない悩みを抱えていたからです。
少女の優しい共感に付け込まれ、1、2、3で近づいたビクトリアは、ペニーワイズの餌食になってしまいます…。
ここでのペニーワイズの発言は、今回の映画におけるペニーワイズのキャラクターの大きなポイントじゃないかなと感じています。
この映画におけるペニーワイズは、孤独なんですね。そして、一緒に遊ぶ友達を求めている。
もちろんイットは邪悪な魔物なんだけど、その化身たるペニーワイズのキャラクターとして、「いじめられっ子の孤独」のようなものを持っている。
ペニーワイズは、ルーザーズ・クラブと共通するものを持っているんですね。
そしてそれこそが、ペニーワイズがルーザーズ・クラブにしつこくつきまとう理由であるような描写がされています。
これ、原作にはない映画独自のポイントです。今回の映画の、いちばんのオリジナリティと言っていいんじゃないかと感じます。
ヘンリーの脱走
ジャスパー・ヒル精神病院。監視役のジョン・クーンツの前に、ナイフで看守を殺したヘンリー・バワーズが現れます。
ヘンリーは、ちょうどそこにある金網の穴を通って、悠々と脱走に成功します。待っているのはパトリック・ホックステッターのゾンビが運転する車です。
映画では、ヘンリーが乗ったのは前編で乗り回していた青い1981年型ポンティアック・ファイアバードでした。
原作では、図書館でマイクを刺した後で逃げ出したヘンリーが、迎えにきた車に乗るシーンがあります。車は1958年型の赤と白のプリマス・フューリー。キングの別作品「クリスティーン」に登場する呪われた車です。「クリスティーン」は、1984年にジョン・カーペンター監督により映画化されています。
ビバリーの見たもの
ビバリー、リッチー、エディ、ベンの4人は、宿泊しているホテル、デリー・タウンハウスに帰ってきます。6人ともここに宿泊しています。デリーにはこのホテルしかないみたいです。
リッチーとエディはさっさと荷造りを始めますが、ベンはビバリーを問い詰めます。どうして、スタンの死に様を聞く前に知っていたのかと。
ビバリーは、イットの死の光を覗き込んだ時、スタンの死を見ていました。しかしそれだけでなく、彼女は自分自身を含む残り6人全員の死も見ていました。
遠くない将来、彼女たち6人も、スタンと同じ運命を辿るということ。
凄惨な死に方で、死ぬ運命にあるということです。
これも、原作にはない部分です。
イットと対決して、これを終わらせなければ、いずれ全員死ぬ。しかも、ひどい死に方で死ぬ。
この予言を突きつけられることで、6人は否応なくイットとの対決に向かわされることになります。確かに、既にデリーから離れて生活を築いている6人がわざわざデリーのために命をかける…と考えるよりは、この方が説得力は高いかもですね。
ビバリーが予見した6人の死は、イットと接触した時に、全員の体の中が変化したためであるようです。
ウィルスのようにそれは彼らの体の中で増殖し、やがて死に至らしめるのです。
チュードの儀式
ビルは、マイクが暮らしている図書館の屋根裏部屋にやってきます。マイクはそこでデリーの歴史を研究し、イットの倒し方を調べ続けていました。
そして、イットの倒し方がわかったんだとマイクは言います。
それが、先住民族シャカピワー族に教えてもらった「チュードの儀式」だと。
シャカピワー族は、現在デリーのある地域に住んでいた先住民族でした。イットとの戦いを経て、彼らは今はデリーを離れ、安全な地域に移住しています。
彼らの部落を訪れたマイクは、木の根を煎じた秘薬マチューリンを摂取して彼らの「煙の儀式」に参加し、イットがやってきた時のビジョンを共有します。
先史時代、隕石が落下し、イットはそれに乗って宇宙から地球にやってきました。
イットが化身した怪物に対して、シャカピワー族は「チュードの儀式」で立ち向かいます。ピラミッド型の壺を使って、そこにイットの本体である「死の光」を封じ込め、封印するという儀式でした。
18世紀にシャカピワー族が「チュードの儀式」に使ったピラミッド型の壺を、マイクは彼らから盗み出して所有していました。それを使えばイットを倒せるとマイクは言います。
いつの間にかマチューリンを飲まされていたビルは、マイクが見たビジョンを共有することになります。
すごい勢いで情報が紹介されるシーンです。ここは、原作のいくつかの要素を作り変えて、アレンジしてまとめたシーンになっています。
原作では、ベンが使った地下のクラブハウスで、子供時代のルーザーズ・クラブが「煙穴の儀式」を行います。それは、ベンが図書館で調べて見つけてきたアイデアでした。
それはインディアンが行なっていた、占いのための儀式です。穴を掘ってその中に入り、木の枝で蓋をして、穴の中で焚き火をする。穴の中で煙を吸って幻影を見ると、進むべき道を知ることができる。
「煙穴の儀式」を実行し、みんなが逃げ出していく中で最後まで残ったリッチーとマイクは、先史時代のデリーに、燃える宇宙船が落下するビジョンを見ます。
イットが宇宙からやって来て、太古の昔からずっとデリーの地下にいるのだということが、この儀式を通じてわかることになります。
「チュードの儀式」は原作では、ビルが図書館で見つけた本「暗闇の真実(Night's Truth)」に載っていたものです。
ビルはその本の中に、見るものの恐れる形をとる怪物についての伝説を見つけます。インディアンはそれをマニトゥと呼び、ヒマラヤの山岳地帯に住む人はこれをタラスとかタエラスと呼びます。
「チュードの儀式」はヒマラヤの聖人がタエラスと戦う儀式です。聖人とタエラスは互いに舌を突き出し、互いの舌を重ね合わせて、そのまま歯で舌を噛み、目と目を合わせます。そして、かわりばんこにジョークを言い合って、笑った方が負けとなって、人が負けたらタエラスに食べられ、タエラスが負けたら100年封印されます。
ビルは最後、この「チュードの儀式」でイットと戦うことになります。精神的な世界で互いに舌を噛みあい、宇宙の果てへ放り投げられるという、非常に観念的な戦いです。
映画版のチュードの儀式はインディアンの伝統で、より視覚的にわかりやすいものになっていますね。
壺を中央に置き、周りを手をつないで取り囲み、呪文を唱える。そしてイットの真の姿「死の光」を壺に閉じ込め、封印する。
なんか、ピッコロ大魔王を封印する魔封波みたいですね。
そして、マイクが体験した儀式を共有するためにビルが飲まされる、木の根を煎じた聖なる液体もマイクがインディアンからもらったもので、これはマチューリンと呼ばれています。
マチューリンというのは、「ダーク・タワー」に登場する偉大なるビームの守護者の名前。
そして、この守護者は巨大な亀です。亀は「イット」の原作に登場し、イットとは対極に位置する宇宙の巨大な力で、善を司るもの……とされているのですが、映画ではその存在は省かれています。
ただ、ここでの「マチューリン」の言及や、ところどころにチラッと登場する亀という形で、原作における亀の存在は匂わされています。
ビルとマイクはタウンハウスに合流し、マイクは全員が力を合わせればチュードの儀式でイットを倒せると説得します。そのためには、皆が失った記憶を取り戻す必要がある、と。
「生き物はその姿形の理に準じる」と、インディアンの言い伝えをマイクは紹介します。この言葉は、終盤で重要なものになってきます。
フォーチュン・クッキーのシーンはこれが意識されてるのでは、と…。