社会人3年目の
難聴の女性から
体験談を寄せていただきました。
(快諾くださりありがとうございます!!)
原文のままで載せています。
スタッフから気になった質問もしてみました!
前回のお話
家族構成について
両親(健聴者)、
兄二人(8~10歳年上)、
そして自分を含めて5人家族です。
特に二番目の兄は
自分と同じく生まれつき両耳が不自由で、
片耳に補聴器を装着しています。
家族との会話方法は基本的に
簡単な手話や指文字を使いながら
口話でコミュニケーションをとっています。
幼少期
私が幼少の頃は
両耳に補聴器を装着していて、
週に3回は地元の幼稚園へ、
残りの2回は県内の総合療育センターへ通っていました。
卒園から小学校への入学までの間は
人工内耳手術のため、
某大学病院に数日間入院していました。
ちなみに手術するきっかけとなったのは、
母「人工内耳を付けると聞こえやすくなるらしいよ」
私「じゃあ付ける!」
・・・的な軽い会話で決まった記憶が残っています(笑)
スタッフから
片耳人工内耳にしてみてきこえの違いはありましたか?
→正直細かいところまでは覚えていません。ですが補聴器と併用することで、正確に聞こえやすくなったと思われます。
小学生~中学生
地元の小学校と中学校には
『ことばの教室』という名の
言語通級指導教室がありました。
そこでは主に
言語障害をもつ子どもたちが通っており、
言葉や発音の練習をするだけでなく、
校外学習みたいな活動を行ったり、
子ども達だけの劇や
大人も交えた季節の行事や交流会などを
開催していました。
学校外から通ってくる人たちがほとんどでしたが、
私は他クラスの難聴の子と一緒に
授業の時間に直接通っていました。
因みに、
私の通っていた学校は両方とも
当時滞在していたクラスは2つしかありませんでした。
(他の学年だと3つはあった)
席は常に前の方で
授業の時は隣に要約筆記の人がいて(常時ではない)、
話している先生の言葉や映像の音声を聞き取って
直接書き起こしてくれていました。
ただ、算数の時間などで問題を解くときに
「この問題の答えは何?」と聞いてしまい困らせてしまったこともありました(笑)
要約筆記とはどのような方に、どうやって来ていただいたのですか?
→要約筆記は、
『ことばの教室』の先生や
派遣された方がやってくださいました。
派遣された方というのは、
自分を含んだ難聴児の保護者が
学校に依頼し、
(あるいは要約筆記者のほうで自主的に)
来てくださったかたが要約筆記を行いました。
高校生
通ったのは普通高校ですが
知り合いの年上の難聴者が滞在していたこともあって、
教師達はあらかじめ
聴覚障害ついて理解がありました。
特に1年生時のクラス担当の先生は、
自分の通っていた中学校までわざわざ足を運んでくださり、
そこで先生達同士で
自分について話し合いをしてくれたようです。
授業の時は
基本的にマイクなどの機械を使用して、
体育館内で行われる講演会などでは
外部から要約筆記をお願いしていました。
クラスメイトとの関係は特に問題がなく、
初日から気の合う子と数人友達になったことがあり、
特にクラス替えしても
3年続けて仲の良い友達と一緒になったこともありました。
高校3年間を通して
学校行事や授業で
聞こえないことによる苦痛を感じることはそこまで無く、
とても楽しく過ごすことができました。
(ただし部活動を除いて)
(因みに部活動は、
小学4年生から高校3年生まで
吹奏楽部で打楽器パート(大太鼓や木琴、タンバリンなど色々)を
担当していました。
この辺りのお話はまた次の機会に書こうと思っています)
次回は…
大学選び、浪人生活について
書いていきます。
次回は6月7日(金)です。
お楽しみに
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もいもいに関わってくださった
お母さんがた、難聴の女子大生、社会人の
「その時の思いを書いてくださった」記録です。
ぜひお読みください
参考までに…
●重複児を育てる保護者の連載
●ディナーテーブル症候群(家族との晩ごはんで聴覚障害児が疎外感を感じる、孤立するようなことを言います)
●こどもが就学するまで~
●補聴器を付けた赤ちゃんを抱っこして~
●ほかいろいろ…