朝、目が覚めると、
私は、いつも何かをあきらめようとする。
今日はもうあきらめてもいいんじゃないか?
としばらくの間考えるのだ。

しかしながら、大抵の日には、約束がある。
仕事だったり、
誰かと会う予定だったり、
何かの手続きだったり、
買い出しだったり、
美容院とか、ネイルサロンだったりも約束は約束だ。

カレンダーを見る。
今日やらないともうやれない。
そういう風に自分で仕組んでいるからだ。

今朝はいつもより少し長く「もうあきらめてもいいんじゃないか?」という誘惑と闘って、朝食後のコーヒーを呑むのをあきらめることにした。

なんてささやかなあきらめだ。

結局、簡単な朝食を食べ、
洗濯もしたし、
鉢植えの水遣りもしたし、
着ていく服にアイロンだってかけて、
そそくさと出かけた。

出かけてしまえばもう、
物事は動き出す、と決まっている。


雑多な用事を済ませてのち、
昼すぎからは、仕事の依頼を抱えて、
何年かぶりの友人に会った。

いつ会ったのが最後だっけ?なんて言いながら、
自分が今年50になったので、私は彼女が今何歳になってるのかが気になって聞いてみた。
せいぜい2、3歳下くらいだと思っていたのに、
意外と歳が離れていたことを思い出して、
今更ちょっと驚いたりした。
何年かぶりの彼女は、初めて出会ったころより、そして何年か前に最後に会ったころより、年を経て素敵な女性になっていた。
頼んだ仕事を快諾してくれたことも、
またこうして一緒にものづくりできる機会が巡ってくることも嬉しかった。

朝にあきらめたコーヒーも、
彼女と一緒に飲んだ。


動けば、いいことばかりとは限らないが、
例えば財布を失くしたりとかしたような日ですら、結局、何も起きないよりは、面白い。
と、私は思っている。

こうしたことを、朝になるといつも、忘れているってトコが、難儀なのだが。


帰りは、花屋に寄って、花を一輪選ぶ。
去年から部屋に増えた沢山の花瓶のひとつにそれを活けて、他の花瓶の水も全部交換する。
飾った花を眺めながら
今日久しぶり会った彼女のことを紙の日記に書き留める。
あと、今日も、朝のコーヒーしかあきらめなかった自分のことを褒めておく。

朝より夜の方が俄然、多幸感が大きくなっている。私が、夜が好きなのは、こういうことね。

ちょっと寝るのがもったいない気もしたりして。

こんなだから、寝て起きるとまた、色々あきらめたくなるのだとは、わかっちゃいるのだ。



とにかく私はリモートワークに向いてないんだ。

エンジンがかかるのがどうも遅いので、

やっと仕事に没頭してきたぞとなると、

食事をとるのもめんどくさくなる。

今日も気づいたらもう0時を回っていた。


ああお腹すいてるなぁ。


と、LINEが鳴る。


月がキレイですねー

月見てたら会いたくなっちゃって


だって。

ああ、いいメッセージだなあ。


こんな時間に外にいるのかしら。

月の知らせをくれる人、いいよね。


満月になるのは今日の12:32。

今月始めに部屋のカレンダーにそう書いておいた。


そうだった、今回は蠍座の満月じゃないか。

私の、いわゆる太陽星座は水瓶座だが、

月星座は蠍座なのだ。

自分の月星座の満月は、宇宙のパワーが自分に強く影響するから、ちゃんと願いを届けなさいって前に本で読んだのだった。

しかも、そもそも蠍座の満月というのは、1年の新月満月の中でも、最もディープなエネルギーの月だから、無理めだと思うこともちゃんと願えと。


最近のドタバタに紛れて、

これらのことをすっかり忘れていたのに、

LINEを開いたら、急に思い出したよ。

そうか、アナタは月のメッセージも一緒に届けてくれたのね。


仕事はおしまい。

窓を開けて

久しぶりにベランダから

夜空を見上げる。


無理めな願いごとなら、

そりゃもう沢山あるのよね。


まずはね、

なんでもいいからまたブログ書きたいんだよな。

随分長く書いてないからきっかけがつかめない。

そんな話をさっきも仕事先の相手としてたところ。


ほらね。すぐ実現した。

さすが蠍座の満月。


星や月のことって、私、結構大事。

あたるあたらないとかは置いといて、

いつもコトを転がすきっかけになるから。


あと、「月見てたら会いたくなっちゃって」

は夜更けのメッセージアワードでは100点満点。

「た」じゃなくて「て」で終わるとこが大変イイのであります。わかるかなー。











アタシファンタジーの第2回の公演が終わり、
色んな人からの色んな感想をいただいて、その都度一喜一憂したりして、
会える人には会いに行き、
でもまだ御礼もきちんと言えてない人も残してはおり、
それでもしばしほったらかしになってた仕事やなんかをあわてて片付けたり、
水害やら海を渡ってくる津波やら阿蘇山の噴火やらの報道になんだか眠れなくなる夜も過ごしたりして、
そんなこんなそんなこんなしているうちに、
既に次の舞台の準備に入っております。
秋なのに、結局私はちっとも、しっとりした感じにならない暮らしです。


今日は父の命日でした。

私にとって「今日は父の命日」というのは初めて使うコトバです。
一周忌の法要そのものは来週することになっているので、とにかく今日はゴチャゴチャと色んな用事をなんとかすませて、夜は実家に顔出しに行きました。
去年のこの日と同じように、母と妹の家族がみんなで、くうちゃんやっと来た、みたいな顔で待っててくれました。
生意気盛りの姪っ子や甥っ子たちが、
お腹すいたーだの、くうちゃんスマホかしてーだの、ワサワサワサワサしている中で、
仏壇にお花と御線香をあげました。


おとんにしてみれば、
このワサワサと落ち着きのない家族たちの中での初の命日は、
シルバーウィークとやらの真っ最中だし、
お彼岸だし
今年は更に敬老の日でもあるし、
なんていうか、
クリスマスと自分の誕生日が近くて、一緒くたにお祝いされちゃう子どもがちょっと損したような気分になる、みたいな感じだったりしないかしらと、思ってみたりもします。


みんなとワイワイ近況報告なんかをしながら食事を終えて、
ひとりで一服しに2階のベランダに上がったついでに、
私は久しぶりに父の部屋に入ってみました。

それは去年の暮れに片付けしたときのまま、
こざっぱりとした、
父のいない父の部屋でした。


あたしはこの1年、
何か困ったなーということがある度に、
お父ちゃん頼むよー、
お父ちゃん助けてー、
お父ちゃんヤバイどうしよう、
と、何かとお父ちゃん頼みにしてたようなところがあり、
多分父は忙しかったんじゃないかしらね。
この部屋に父の気配はありませんでした。

この部屋の押入れには、
父が遺してあったいくつかの記念のアルバムや手帳や資料のような冊子がいくつか並んでいて、まだ私も開いたことのないものも結構あります。
今日はなんとなく、
「わが子の歴史」と背表紙に書かれた赤いきれいな冊子を見つけて、そっと取り出してみました。
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そこには、父の生まれた日からの様々な記録が、とてもきれいな字で丁寧に書かれていました。
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これは、父のお父さん、私からするとおじいさんにあたる人が書いたもののようでした。
おじいさんは父が幼い頃に亡くなっているので、私は会ったことのない人です。
私はちょっとドキドキしながらそっとページを繰りました。

父が生まれた日のこと。
命名の由来。
誕生を知らせた相手。
父の前におばあちゃんはひとり死産をしていたことも初めて知りました。

順に読んでいくと、
「初めて」と題されたページがあって、その最初に、
「意識的に笑ふた日」という項目がありました。
「寝返りした日」「立った日」「歩いた日」「喋った日」と続く項目の、一番最初の「初めて」が「意識的に笑ふた日」なんだなあと、私は思いました。

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生後44日目、
それまで夢うつつの中にいたような父がはっきり人の顔を見詰めて笑うようになった、その笑顔の可愛さを、おじいちゃんが書き留めていました。
それを今、私が読んでいるという不思議。

父は亡くなる少し前から、しばらく、
やはり夢うつつの中にいるようでした。
私は、父が夢うつつの状態になる少し前、病室に見舞いに行って、また来るねと声をかけたときに、私を見てふんわり笑った父の顔を思い出すことが出来ます。
それが私が見た、父の「意識的に笑った」最後のときでした。

父はどちらかというと、いつもニコニコ笑顔の人、という印象では決してなかったし、ましてや互いに目を合わせて笑う、なんて、自分の子どもの頃の記憶を遡ってみてもほぼ思い出せないのだけれど、
おじいちゃんのこの記録のおかげで、
私は認知症で意識もおぼろだった父と、いたずらっ子みたいに笑って目配せして別れたあの瞬間のことを、はっきり思い出すことができて、なんだか少し涙が出そうになったけど、嬉しかったのでありました。


私は、生まれてきて何を見て最初に笑ったのだろう。
そして私は、最後に何を見て笑うのだろう。

私の人生はまだまだ、
ワサワサワサワサしていて、
今尚、整理がついたなと思えることなんて何ひとつないようではあるけれども、
人と顔を見合わせて共に笑えるその瞬間ってね、
つまり、相手も笑ってて私も笑ってて、互いが笑ってるよねってわかってて笑ってるようなそういう瞬間てね、
この上なく愛しい瞬間だということはわかります。

そういう瞬間が、人生に何度あるだろか。

そう思ったらなんだかちょっと、
またこれから生きていくのも結構楽しみになってきました。

サンキュー、お父ちゃん、おじいちゃん。




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毎日暑くてかなわないのですが、
じっとしているとそのまま溶け出してしまいそうなので、
目が覚めたら、たとえそれが休みの日でも、
とにかくどこかに出かけていくことにしています。

誰か知っている人に会うわけではなかったとしても、
例えば、
マッサージ屋に行ったり
酸素カプセルに入ったり
美容院に行ったりすると
ちょっとしたやりとりを交わす以外は
ただそこにじっとしているだけなのに
時間が経つと、
そこに来る前とは、
少し違う自分に変わっているなあと思います。じっとしてるだけなのにね。

まあそれとはあまり関係ないかもしれないけれど、
夏になると何故かいつも強く思うのは、
全てのものは
望む望まないに関わらず、
変化してゆくものなのだということです。

でもだからこそ、その中で、
自分の身体の中に、いつからか冷たく凍結されたままのものがあることに、ふと、気づくことがあります。

それは他人に触れさせるどころか、
自分でも、もう長く触れてこなかったものです。

暑い夏の夜は
それが溶け出してきそうになり、
以前はそれを溶かしては眺めていたように思うのですが、
今の私は、
冷蔵庫からいそいで氷枕を取り出してきて、
そのまま
眠ってしまうことにしています。

昨夜の満月は特に危なかった。



8月になりました。

歳をとるにつれて、一年が短く感じられるようになる、とよく言いますが、
私はあまりそう思わない方で、
人生はなんて長いんだ、
と、うんざりしているようなところがありました。

でも、今年はどうも、ここまでなんだかあっという間で、
いつものように色々なことがそれなりに起こってはいたはずなのに、
時間がすっ飛ばされているような気がしています。
なんでだろ、と考えて思いついたのは、
ブログとか書いてないからだ、ということでした。
私は子どものころから、ブログじゃなくても日記のようなものをあちこちに、ことあるごとに書き散らしてしまい込んであるのですが、
今年に入ってしばらく、そういうことをしなくなっていました。単純にサボってただけですけど。
でも、文字にして残すことをやらずにいると、自分でも自分のことをあまり思い出せなくなるものなのだなと思います。

誰が読むというわけではなくても、
言葉にして残しておくということには、それなりの力があって、
言葉にすることで、その時の心持ちを確認したり、あるいは気持ちを作り替えたりすることもできてしまう。

そんなことをしない方が、
自分の思考にとらわれることがなくなるので幸せかもしれない、思うこともあります。
あるいは、今やSNSは拡がりすぎて、逆にこういうの書くことが、ちょっと不自由に感じるようになってしまったところもあります。

まあでもなんだか、
この暑さに紛れてフワリと、
ただふと今日思ったことを、
またこうして書き留めてみようかしら、とも思ったわけです。

それと、今取り組んでいる
村上春樹の『氷男』という作品が、
影響してるのも確かです。
彼の綴る言葉に毎日毎日触れていると、
ちょっとカブれて、変な感じになってくるんです。
危ない危ない。

でもまあ、今年の夏はそうやって過ごします。

この夏が終わるころには、
またいつの間にか自分の何かがちょっと変化してしまっているのだとしたら、
それを楽しみにしておこうと思います。


…………………………………………………………………………………………

アタシファンタジーvol.2
『氷男』

原作 村上春樹

演出  三谷麻里子
出演  宮咲久美子
         長島美穂

開演時間
4日(金)               19:30
✴︎開場は開演の30分前

池袋 ギャラリーK にて
(JR池袋駅西口またはメトロポリタン口 から徒歩約5分)



前売2500円 当日2800円
(日時指定・全席自由 )

チケット予約
アタシファンタジーHPから
コリッチチケットから
あるいは、宮咲に直接でも、もちろん承ります。


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クリスマスのときに会えなかったので、新年明けてから、
小学校3年生になる姪っ子に、
“Rainbow Loom”というカラーゴムを編むおもちゃをプレゼントしたら、
彼女は気に入ってくれたようで、
自分のブレスレットをまず編み上げて、
それから、
パパとママと弟と、
おばあちゃんとあたしと、
それぞれみんなにカラフルなブレスレットが出来ました。

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編み方を変えると、実に様々なパターンのデザインのものが出来るので、
今度はこういうの作って、と、注文すると、姪っ子は「まかしといて!」と、答えます。
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ふと見ると、
仏壇の父の写真の前にもひとつ、
出来上がったブレスレットが置かれてました。
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今年は神社に詣でる代わりに、
お寺にお参りしに行きました。
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あたしが小さい頃、よく父が連れてきてくれて、ここのブランコに乗って遊んだものです。

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去年までは一緒にお正月を過ごした人が、
今年はいない、
誰もそのことを口にしなくても、
その不在は、
それぞれの胸の中に存在している。
ひとりでいるときよりも、
みんなといるときの方が、
その存在がくっきりするような気がします。

家族って、
増えたり減ったりするものなのだと、
改めて思います。
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昨年は色んなことがありました。
忘れ難い風景がいっぱい。

そして、今年もあたしたちは元気であります。
{E45CC5E9-DEE2-4F6C-8D6F-2D1003F1868D:01}


あたしはまた性懲りもなく、色んなものに出会いに、出かけていこうと思っております次第です。
今年もどうぞよろしくお願いしますね。




何かと「今年最後のなんちゃら」と、言いたくなるシーズンにはいりましたな。
あたしは先日、今年最後のステージを終えました。ご来場いただいた皆様ありがとうございました。

{E785711F-D9F6-42FC-93A9-3173DC6878FE:01}

「朗読歌謡曲」って、
歌謡曲の歌詞をただただ朗読するっていう、
三島くんが考案して、2011年の夏に初めて披露した可笑しなパフォーマンスです。

この日は、「のんちと知り合い」っていうライブイベントの150回目の記念の日でした。
はしゃぎ過ぎて未だ筋肉痛です。

今年の初めの140回記念の日にも、この朗読歌謡曲で出演させてもらって、それがあたしにとっては今年最初のステージでもありました。
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つまり今年は「のんちと知り合い」で始まって「のんちと知り合い」で終わった一年だったと言っていい。

ああ。
その間になんと色々なことが、あっただろう!
思い起こすとクラクラするわ!

でも、あたしが今日も元気でこうしていられるのは、
いつも誰かがあたしをほっとかないでいてくれたからだと思っています。
心底、そう思っております。

中でも特筆すべきはこの2人。
のんちとノスケ。
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この2人は今年too-Nっていう新しいユニットを結成しました。
「のんちと知り合い」141回目でtoo-Nが初披露されてから、何回も何回もあたしは彼らのライブを観に行きました。
{EDC2EF05-8E1F-4E4B-86B2-3854B7227FD4:01}

先日の「のんちと知り合い」150回目で、同じステージに立たせてもらえて、あたしはホント嬉しかったよ。
そして彼らのステージに、ホレボレしちゃって写真を撮るのも忘れてました。

思えば2人とは、それぞれに結構昔からの知り合いではあるのですけど、
だからもう、これは全くあたしの主観ではありますけれど、
彼らは、
逢う度に新しくて、
観る度に強くなるんです。
彼らは、ホントは「彼ら」とひとくくりになんか出来ない個性と才能を互いに持ってて、
それがぶつかり合って、
同時につながり合って、
音楽になっちゃう。
彼らのエネルギーは時にtoo muchなので、あたし時々彼らを見失うことすらありますよ。
そういう、凄い奴らです。


あたしが自分の舞台を終えた後も
お父ちゃんが死んだ後も
友達が死んじゃった後も
あたしは彼らの強い強いステージを観て、
勝手にだけど、
クッソォ!と思いました。

そのクッソォ!が、
翌朝のあたしを目覚めさせるわけです。


彼らにそんなつもりがなくっても
あたしは彼らにグイグイ応援されてきたと思っているので、
あたしも負けずに彼らをグイグイ応援します。誰が何と言っても。
見失ってたまるか。(笑)


今や、あたしの周りにはこういう強い人がいっぱいいます。これはあたしの望んでたことです。

タフな人たちの近くにいようと思ったら、
こっちもタフじゃないとならない。
つまり、こういう人たちが、
あたしをタフにしてくれるということでもあります。

結局あたしには、「抱えきれない」ってくらいがちょうどいいんでしょう。
「しっくりくる」サイズを狙ってやっていくのはあたしの望むところじゃないのだと改めて気づかせてもらいました。

あたしの1年は365日で終わらないかもしれないよ?(笑)
必死で眠って、必死で目覚めよう。

そうやって欲張って欲張って欲張り倒して、生きていくんだ。

TOO MUCH 万歳!

実のところ、あたし、
今年はなんだかずーっとドタバタしているので、
「12月は忙しい 」みたいな特別感がちょっと薄めであります。

今年の花園を振り返ってみると、
更新頻度はたいそう少なめでしたが、
書かれているのは「お父ちゃん」関連の話が殆どだったとも言えますな。
これじゃ「お父ちゃんブログ」だ。(笑)
それ以外のことだってもちろん色々あったのですけれども。

あたしね、毎年大晦日の晩になると、
その年の自分の十大ニュースをノートに書き留めておく、なんてことをしています。
絶対人には見せないけどねー。

誰それと恋に落ちたとか、
誰それとの恋に破れたとか、
がトップに来ることもあるし、
こんな舞台に立ったとか、
こんな仕事をしたとか、
新しい仲間が出来たとか、
あるいは自分のことじゃなくても
友人に衝撃的事件が起こったとか、
そういうこともランクインします。
ここには嬉しいことも悲しいことも
混ぜこぜに、並んでます。
大晦日のときだけ、ひとりで読み返したりして、ニヤニヤするんです。


で、まあ、2014年のあたしのトップニュースと言えばやっぱり、
どうしたって、お父ちゃん、なのだろうなと思います。

先月頭に父の納骨を終えてからは、
出来れば今年のうちにある程度のことは整頓しておきたいので、
時間が出来れば実家に帰って、
遺品を整理したり、
あれやこれやの書類を書いたり、
手続きしたりをして過ごしてます。

作業していくうちに、
これまで知らなかったことも、
色々知りました。
人が死ぬと、
いっぱいハンコ押さなきゃならない書類があるんだなあとか、
戒名って高いんだなあ、とか、
岡野家の先祖って、ちょっとオカシナ人多いんだなあ、とか、
その中でうちのお父ちゃんは、随分真面目に生きてきた方の人なのかもしれないなあ、とかね。

お母ちゃんの部屋がモノで溢れかえっているのとは間逆で、
お父ちゃんの部屋はサッパリしたもので、
晩年認知症が進んできたころのモノは少々散らかってはいても、
着なくなった服は殆ど自分で処分してあってクローゼットの中もよく整理されていたし、書類やなんかもきちんと輪ゴムで留めて分類されており、
いまのところいかがわしきものは、一個も発見されてません。(笑)

父の部屋の押し入れを一旦空っぽにして、
古いアルバムや時計やノートや子どもの頃のおもちゃや、
父が僅かに遺してあった思い出の品を並べて、
プチ記念館にしてみました。
入場は無料。
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学生時代のお父ちゃん。知らない人だー!
{4391DB18-258C-446C-A66C-A6C19175186C:01}
あたし男に生まれていたなら、
もしかして結構イケてたのではなかろうか、
とこれを眺めながらしばし妄想。



書庫には膨大な本が詰め込まれているのでまだ手をつけてませんが、
父はコトバを使う職業だったこともあり、辞書を沢山持っております。
特に「広辞苑」と「大辞林」は改訂される度に買って揃えておりまして、彼の部屋の本棚に第1版からズラリと並んでます。
ていうか飾ってある、という感じか。
あたしは小さいころ、この大きな本を時々押し花押すのに使ってましたよ。

お父ちゃん、退職後も、変化する日本語についてを、勉強していたようです。
大学ノートに何冊も渡って、
日本語に関わる記述がびっしり。
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あと、まだわりと新品の、マルクスの『資本論』が全巻、机の下の箱に入ってました。全巻いっぺんに注文したと思われる。
そういえば、「資本論」の勉強会みたいなのにも出てたなあ。

{C8AB1A5E-726B-4E22-B9C7-E706450C2CEA:01}

晩年は本を読むのも大分億劫になってたので、多分「資本論」は読み切らないうちに逝ったのだろうと、栞の位置で知りました。

これ、あたしは形見分けにもらうことにしました。彼らの時代の人たちが熱狂したマルクスの思想、あたしもこれから少しずつ読んでみようかな、なんて。

靴箱にはたった3足の靴。
大事に使ってたカバンは3つ。

そのうちの、
カルバンクラインの小さな鞄を、
これも形見にもらいました。
中に2014年、今年の手帳が入ってました。
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何十年か分の、これと同じ黒い皮の手帳が
父のベッドの下の引き出しに綺麗に並んでいたので、
それはプチ記念館に収納してあります。

2014年の手帳を開くと、
あの、今年5月頭の緊急入院直前まで、
父が何をしてたのかが、
父の字で書かれてました。
父はレビー小体型認知症で、字がうまく書けなくなってきていたので、
なんともたどたどしい文字ですが、
それはやっぱり、ちょっと丸っこくて愛嬌のある、父の字でした。

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朧になっていく記憶の中で、
自分の毎日をなんとか忘れないように、
メモってたのかもしれません。

これを見てあたしは、
多分父が亡くなってから初めて、
父のことを思って泣きました。
いつまでもいつまでもひとりで泣きました。

あたしはお父ちゃんのことを、
随分知らないでいたんだなあと、
思いました。



父が亡くなって少し後に、
あたしとひとつしか歳の違わない古い友人が逝きました。

若くて多感な時代を、
共に濃密に過ごした友人がいなくなってしまったことは、
父を亡くしたこととは全く別の意味で、
痛烈な経験でした。

父の遺品を片付けるのと一緒に、
実家に置いたままにしてある自分の古い荷物も片付けたりしているうちに、
亡くなったその友人との思い出の品も、次々出てきて、
その度に、彼やその仲間たちとの思い出が、とてもとても鮮明に蘇ってくることにびっくりします。
そして、それがひとつずつ、もう更新のない「思い出」として自分の身体に凍結されてゆく痛みも感じます。


そうやって
整理しては散らかして、
散らかしてはまた整理して、
あたしは時々、空を見ます。



生きていれば
誰でもみんな、誰かを失うという経験をするのだということが、励みになることもあれば、
人と死別するというのはそれぞれの個別の経験として、
どうしても他者とは分かち合えないところもあるものなんだと、感じることもあります。

誰かを見送って、
葬儀のマナーや段取りや
その後の雑多な手続きの方法やなんかを知る経験にはなっても、
だからといって、
これからまた必ずやってくるだろう大切な人との別れのときに、その喪失感をひょいとスルーできるようになるわけではないのだということも思います。

それでも今、身を持ってはっきり思うようになったのは、
死は、生の対極にあるのではなく、
この生のうちにいつも潜んでいるものなんだということです。


父が死んでからの方が、生きていたときよりも、父のことを強く思います。
友人が亡くなってから、何かにつけ、彼ならこんなとき何て言うだろうと、想像します。
これまでに亡くなってしまった人たちのことも、改めて考えます。
顔も知らない、膨大な数の先に逝った人たちのことにまで思いが拡がってしまって、茫漠とした気持ちになることすらあります。


そんな、死のことばっかり考えてたら暗い気持ちになっちゃってやっていけないんじゃないかというと、あたし、そんなこともないようです。
むしろ、この生の中に死が含まれているという感覚は、あたしを強くしてくれると言ってもいい。

幸いなことに、
あたしの周りには、
強くて優しい人がいっぱいいます。
生前の父はそのことを具体的には知らなかったかもしれないけど、
今は全部知ってると思います。
あたしがズルしたり、
嘘をついたりしても、
お父ちゃんには全部バレていると思います。
あたしは、そのことが嬉しいんです。


まあとにかく、
この2014年は、あたしにとって、
なかなか凄い年であります。
まだいくつかやり残してることもあります。
なのでまだ、今年もよろしくお願いしますよ。



父が逝ってから、
一週間が経ちました。

あたしにとっては、
とてもとても濃い一週間でした。

父がいなくなったことを認識したときに身体のどこかに出来た空洞みたいな場所に、
実に様々なものが流れ込んできたような、
そんな一週間でした。
一週間前とは周りの景色の見え方が随分違うような気もします。

でも、多くの方が心配してくれるように、
父を喪失したという事実が、本当の意味でこの身に染みてくるのは、もう少し先のことなのかもしれないな、とも思っています。

というのも、この一週間、私は、
父死去に際して、人々が示してくれた
気遣いや、励ましや、無念の気持ちや、
そういう優しさに触れて涙してしまうことはあっても、
父がこの世にいなくなった悲しみや淋しさそのもので泣いたことは、多分まだないからです。

もしこのまま時が過ぎていったら、あたしって薄情な娘ってことになっちゃうのかしら、なんて思ったりもします。

更によくよく考えてみると、あたし、
お父ちゃん何で死んじゃったのよ!と、思ったりもしてないし、
遡っては、お父ちゃん死なないで!と、思ったこともないのです。

お父ちゃんは死んだ。
そのことがただ、目の前にある。
空が青いなあ、というのと、同じ感じで。

6月に『お父ちゃん』というタイトルで小さな公演をうちました。
この”父を葬る娘”を題材に描いたオムニバス作品の中の最後の一人芝居に、
小川拓哉氏が書いてくれたこんなセリフを思い出します。
「私たち、いなくなることを前提にして生きてるんだよ。」
「ひどいね、私たち。」

「私たち」とは、「父」と「私」のことでしょうか。
衝撃的なセリフです。

小川氏が私と話すうちに探りあてた言葉なのか、
あるいはこのセリフによって私から引っぱり出されたものなのか、
その順番は今となっては定かではないけれど、
でも、このセリフのような思いが、
いつからかハッキリあたしの中にあったのは、本当です。多分父が倒れるもっとずっと前からかも。
そしてこれは、父の中にもあった思いのような気がしています。


やっぱり、ひどいかな、私たち。


でも、私たちは、こうやって同じ思いで繋がっていたのだとも、言えないかしら。

火葬場で父が焼かれて骨になって、
それを骨壺に入れて、
骨壺は桐の箱に入れられて、
白いカバーをかけられて、
そしてそれをあたしはこの胸に抱きました。
そのときはっきり思いました。

お父ちゃんがこうしていなくなることを前提に
あたしは生きてきたんだよ、と。

そう、こっそりお父ちゃんの骨に言ってみました。

胸に抱いたその骨壺は温かかった。
あたしは、そのことが、嬉しかった。


あたし?錯乱してませんよ?


嬉しかったことは他にもあります。
お父ちゃんは2歳のときに父親を亡くしていて兄弟もいないので岡野家にはもう親戚がいないんです。
告別式の出棺の際に、棺を担いでくれたのは、
母方の親戚の叔父さんと
妹の旦那さんと、
あとは、この日式に参列してくれていた
三島くんとトモヤさんとノスケと常雄くんそれからたっちゃんでした。
彼らは実に自然に当たり前みたいに、
叔父さんたちの後についてそそくさと棺を運んでくれました。
このキャラの濃~い5人に担がれて、お父ちゃん、
だ、誰だこれ!って
ビックリしてんだろうなあ、とあたし、思わずムフって笑ってしまった。
この風景をあたしはきっと一生忘れません。


なんか、徒然に書いてるかな。
人の父親の葬儀の話なんて聞かされても
あんまり面白くないだろね。
でもこういうとき、ブログって便利ね。
ダラダラと思いついたことを書き留めておける。
せっかくだから、もう少し書いておきます。


葬儀には、昔の父の仕事仲間も集まってきました。弔電も色々ありました。
そういうのを見ながら、父は仕事が好きだったんだなあ、ということを改めて知りました。

退職して、家で過ごすことが増えた父は、
結構グズグズだったので、
あたしたち家族にとっては、
その最近の記憶の印象の方が強いわけなのですが、
何十年ぶりかに集まってくる仕事仲間たちには、
共に働いていたころの父の印象がそのままに残っていてくれる。
彼らが伝える父の記憶は、
生き生きと仕事をしていた頃のお父ちゃんを思い出させてくれました。

父と母は同じ職場で働いていたので、
幼いころからあたしは、
2人が食卓で、会社のことや、仕事のことで、よく熱く議論を交わしているのを見てました。
あるいは職場の仲間たちと集まって、
ケンケンガクガクやっている横で、
その子どもたちとなに食わぬ顔で遊んでいた記憶も蘇りました。

父は会社のやり方に楯突いて、
多分、左遷を余儀なくされたような時代もあって、
子どもながらにお父ちゃん傷ついてんだろなあ、なんて密かに思ってた時期もありました。

そういえば、晩年認知症が進んで、
時間や場所の感覚が虚ろになっていったころ、
父は今から仕事に行ってくる、と、夜中に出て行こうとして母を困らせたり、
病院に見舞いに行くとベッドでもしきりに
もうずっと前に退職したはずの仕事のことを、
大丈夫かな、いつ行けるかな、なんて心配したりしていたものです。

仕事バカの親たちに、それなりに反発してきたことももちろんあったけど、
実はあたしは、
参観日とか運動会とかの学校行事なんかに来なくても、
娘の友達の名前を全然覚えてくれなくても、
何日も帰ってこなくても、
喋ることがあんまりなくても、
父や母が働いてる姿は好きでした。
父や母の仕事仲間のことも好きでした。

葬儀で、そういう父のことを、思い出せて嬉しかった。
さて葬儀が済んだら、
あたしも、さっさと仕事しーようって、思ってしまった。


お父ちゃんはいなくなりました。
だけど、
どちらかというと、この一週間、
あたしは、嬉しかったことの方が多いような気がしてるんです。

変かなあ。

葬儀の翌朝、
雨があがって朝日が差し込んでいて、
あ、なんか淋しいかも、と思って目が覚めました。
でも淋しいと思うことも、ひとつの喜びのような気もしました。

まぶしい朝日の中で、お父ちゃんの使ってたお茶碗を、割って、
庭に埋めました。
お父ちゃんとはもう一緒にご飯食べれないんだぞ、と思いました。

そういう日が来ることを、
ずっと前から知っていたのだとするなら、なおのこと、
この日々をしっかり味わっておこう、とあたしは今思っています。


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最後に。
忙しい中、更には荒天の中、葬儀にかけつけて、父を共に見送ってくれた皆様、
お悔やみや、励ましや、暖かいメッセージをくださった皆様、
全部全部、胸にやきつけておきます。
ありがとうございました。


日曜日。
朝起きて、
今日はなんて爽やかな秋の日だろうと思いました。

あたし、死ぬんだったらこんな日がいいなあ、
なーんてことも思いました。

あたしは、わりとすぐこういう物騒なことを、朝から溌剌と思ってたりするタチです。

しかし、今日は、来月あるボイトレ教室の朗読コンサートの稽古があるので、そんな思考はさっさと置き去りにして、家を出ましたけど。

教室には今日もいそいそとメンバーが集まって来て、ああでもない、こうでもない、と言いながら、
皆と稽古に励みました。


そして、
こんな美しい秋の日に、
お父ちゃんが
あたしのお父ちゃんが
ひょっこり、
死にました。

同じこの稽古に向かうはずだった母は
病院から呼ばれてお父ちゃんのところに駆けつけて、最期を看取りました。

稽古の間に、母から、
父危篤を告げる連絡が二度入ったけど、
あたしは「稽古終わったら行く」
と、答えました。
三度目の電話があったときには、
お父ちゃんは、
この世からいなくなってました。


そういえば、おばあちゃんが亡くなったとき、
仕事を変わってくれないかという母からの電話に、あたしは、「あたしにもおばあちゃんに会わせてよ」と、猛烈に怒ったんでした。
だからきっと母だって、今日はこっちに来なさいと言ってくれたのだろうに、
あたしは、なんて天邪鬼なんだろうなあ。

でも、お父ちゃんは、もう、
あたしに言い遺すこととか特にないだろうなと、あたしは勝手に思ってました。
ここ何回か、お父ちゃんに会いに行って、なんとなく、そう思ってました。
病院のベッドにいるお父ちゃんは、目を覚ましていても、観葉植物みたいに静かで、何にも言わなかったし、
あたしも、観葉植物を見てるときみたいに静かに、お父ちゃんを見てるだけでした。

だから、今日も
ああ、今日か
今日、お父ちゃんは逝くんだなあ、
と、稽古しながら、
静かに思ってました。

5月に父が入院して、
その頃あたしは、すごいタイミングで『お父ちゃん』なんてタイトルでお芝居をやってたりして
お父ちゃんホントに死んじゃうかもとかって、大っびらに騒いだりしました。
色んな人が気にかけてくれたり
励ましてくれました。

更には、時々、お父ちゃんが死んじゃうかもってことを忘れて、仲間とはしゃいだりもしてました。

その間もお父ちゃんはずーっと、
何にも言わずに、
病院のベッドの上にいたわけです。

そして、
こんな美しい秋の日に
ひょっこり
死んじゃった。

稽古が終わって、
急いで実家に帰ると、
ちょうど、お父ちゃんの遺体が、
運び込まれて来ました。

あっという間に綺麗に布団に寝かされて
手を組まされて、
ドライアイスに周りを囲まれて
お父ちゃん、
ポカンて口開けてたな。
あはは。

葬儀屋さんとの色んな打ち合わせをして、
とりあえず自宅に戻り、
あたしも今、ちょっとポカンとしています。

ただ、肉親のひとりが、この世からいなくなったら、
身体のどこかが少し、はっきりと、スーカスーカしているのがわかります。
今までに味わったことのない感じです。

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近所のノウゼンカズラが散り始めた。

9月に入っても、
毎朝家の近くの緑道を自転車で通ると、
相変わらず、蝉の声が賑やかに聞こえていたのだが、
その声が、今朝は急に弱々しい。
これがこの夏最後の生き残りの蝉かもな、
と思う。


毎年同じことを言ってるが、
あたしは夏があまり得意ではない。
近年の東京の暑さはホントに酷い。
そして、
夏の暑さでバテた身体に、
秋の気配を感じるころになると、
大抵熱を出したり、寝込んだりする。

今年も一週間くらい前から、
あたしはずっとお腹を下したり、
熱が出たり、
どうにも体調のすぐれない日が続いていたのだが、
この朝は、久しぶりに、
すっきり身体が軽かった。


今年は、少しだけ秋の訪れが早い気もする。

夕方。
仕事の合間に一服していると、
陽射しが部屋の奥まで射し込んでくるようになっていることに気づく。
それと一緒に、
多分 “秋” があたしの身体にも入ってきたようだった。

“秋” と “センチメンタル” ってのは
どうもセットになってるのだろうか。
唐突に涙が出た。

あたしは最近、
滅多にひとりで泣いたりなんてしないんだがな。

小さなきっかけはあって、
それがスイッチになったことはわかるのだけれど、
それが、この涙の本来の理由ではない。
悲しいわけでも、
苦しいわけでもないのだ。
理由を探しても多分はっきりした答えは見つからない。
ただ、これは“秋” が入ってきたんだなあと思いながら、
あたしはしばらく、
涙が流れるのに任せておいた。

少し、孤独だった。

でも孤独は、
愛していたり求めていたりするときに
こうして現れるものなのだと、
あたしは知っている。
愛したり求めたりするものがあるということは、
あたしにとっての幸せに、間違いない。


例えば月に一度は満月だったり、
年に一度は名月だったり、
何年かに一度、流星群が見えたりするみたいに、
あたしが知らないだけで、
ふとこんな現象がこの身に起きる日があったりするのかもしれないな。


帰り道、ウールのストールを一枚買った。

こうやって季節が変わってゆくのも、
あたしは好きだ。