アタシファンタジーの第2回の公演が終わり、
色んな人からの色んな感想をいただいて、その都度一喜一憂したりして、
会える人には会いに行き、
でもまだ御礼もきちんと言えてない人も残してはおり、
それでもしばしほったらかしになってた仕事やなんかをあわてて片付けたり、
水害やら海を渡ってくる津波やら阿蘇山の噴火やらの報道になんだか眠れなくなる夜も過ごしたりして、
そんなこんなそんなこんなしているうちに、
既に次の舞台の準備に入っております。
秋なのに、結局私はちっとも、しっとりした感じにならない暮らしです。


今日は父の命日でした。

私にとって「今日は父の命日」というのは初めて使うコトバです。
一周忌の法要そのものは来週することになっているので、とにかく今日はゴチャゴチャと色んな用事をなんとかすませて、夜は実家に顔出しに行きました。
去年のこの日と同じように、母と妹の家族がみんなで、くうちゃんやっと来た、みたいな顔で待っててくれました。
生意気盛りの姪っ子や甥っ子たちが、
お腹すいたーだの、くうちゃんスマホかしてーだの、ワサワサワサワサしている中で、
仏壇にお花と御線香をあげました。


おとんにしてみれば、
このワサワサと落ち着きのない家族たちの中での初の命日は、
シルバーウィークとやらの真っ最中だし、
お彼岸だし
今年は更に敬老の日でもあるし、
なんていうか、
クリスマスと自分の誕生日が近くて、一緒くたにお祝いされちゃう子どもがちょっと損したような気分になる、みたいな感じだったりしないかしらと、思ってみたりもします。


みんなとワイワイ近況報告なんかをしながら食事を終えて、
ひとりで一服しに2階のベランダに上がったついでに、
私は久しぶりに父の部屋に入ってみました。

それは去年の暮れに片付けしたときのまま、
こざっぱりとした、
父のいない父の部屋でした。


あたしはこの1年、
何か困ったなーということがある度に、
お父ちゃん頼むよー、
お父ちゃん助けてー、
お父ちゃんヤバイどうしよう、
と、何かとお父ちゃん頼みにしてたようなところがあり、
多分父は忙しかったんじゃないかしらね。
この部屋に父の気配はありませんでした。

この部屋の押入れには、
父が遺してあったいくつかの記念のアルバムや手帳や資料のような冊子がいくつか並んでいて、まだ私も開いたことのないものも結構あります。
今日はなんとなく、
「わが子の歴史」と背表紙に書かれた赤いきれいな冊子を見つけて、そっと取り出してみました。
{20EADAAA-3EAE-4219-A414-8CDC0DA96839:01}

{7E8841DC-65B4-438E-9AD9-D7669179B27E:01}



そこには、父の生まれた日からの様々な記録が、とてもきれいな字で丁寧に書かれていました。
{1E69F6E6-4B1B-4EE4-8028-5A324DBCA35F:01}


これは、父のお父さん、私からするとおじいさんにあたる人が書いたもののようでした。
おじいさんは父が幼い頃に亡くなっているので、私は会ったことのない人です。
私はちょっとドキドキしながらそっとページを繰りました。

父が生まれた日のこと。
命名の由来。
誕生を知らせた相手。
父の前におばあちゃんはひとり死産をしていたことも初めて知りました。

順に読んでいくと、
「初めて」と題されたページがあって、その最初に、
「意識的に笑ふた日」という項目がありました。
「寝返りした日」「立った日」「歩いた日」「喋った日」と続く項目の、一番最初の「初めて」が「意識的に笑ふた日」なんだなあと、私は思いました。

{F06D49E4-CDF0-42D4-A231-C7C520EFF03C:01}



生後44日目、
それまで夢うつつの中にいたような父がはっきり人の顔を見詰めて笑うようになった、その笑顔の可愛さを、おじいちゃんが書き留めていました。
それを今、私が読んでいるという不思議。

父は亡くなる少し前から、しばらく、
やはり夢うつつの中にいるようでした。
私は、父が夢うつつの状態になる少し前、病室に見舞いに行って、また来るねと声をかけたときに、私を見てふんわり笑った父の顔を思い出すことが出来ます。
それが私が見た、父の「意識的に笑った」最後のときでした。

父はどちらかというと、いつもニコニコ笑顔の人、という印象では決してなかったし、ましてや互いに目を合わせて笑う、なんて、自分の子どもの頃の記憶を遡ってみてもほぼ思い出せないのだけれど、
おじいちゃんのこの記録のおかげで、
私は認知症で意識もおぼろだった父と、いたずらっ子みたいに笑って目配せして別れたあの瞬間のことを、はっきり思い出すことができて、なんだか少し涙が出そうになったけど、嬉しかったのでありました。


私は、生まれてきて何を見て最初に笑ったのだろう。
そして私は、最後に何を見て笑うのだろう。

私の人生はまだまだ、
ワサワサワサワサしていて、
今尚、整理がついたなと思えることなんて何ひとつないようではあるけれども、
人と顔を見合わせて共に笑えるその瞬間ってね、
つまり、相手も笑ってて私も笑ってて、互いが笑ってるよねってわかってて笑ってるようなそういう瞬間てね、
この上なく愛しい瞬間だということはわかります。

そういう瞬間が、人生に何度あるだろか。

そう思ったらなんだかちょっと、
またこれから生きていくのも結構楽しみになってきました。

サンキュー、お父ちゃん、おじいちゃん。