父が逝ってから、
一週間が経ちました。

あたしにとっては、
とてもとても濃い一週間でした。

父がいなくなったことを認識したときに身体のどこかに出来た空洞みたいな場所に、
実に様々なものが流れ込んできたような、
そんな一週間でした。
一週間前とは周りの景色の見え方が随分違うような気もします。

でも、多くの方が心配してくれるように、
父を喪失したという事実が、本当の意味でこの身に染みてくるのは、もう少し先のことなのかもしれないな、とも思っています。

というのも、この一週間、私は、
父死去に際して、人々が示してくれた
気遣いや、励ましや、無念の気持ちや、
そういう優しさに触れて涙してしまうことはあっても、
父がこの世にいなくなった悲しみや淋しさそのもので泣いたことは、多分まだないからです。

もしこのまま時が過ぎていったら、あたしって薄情な娘ってことになっちゃうのかしら、なんて思ったりもします。

更によくよく考えてみると、あたし、
お父ちゃん何で死んじゃったのよ!と、思ったりもしてないし、
遡っては、お父ちゃん死なないで!と、思ったこともないのです。

お父ちゃんは死んだ。
そのことがただ、目の前にある。
空が青いなあ、というのと、同じ感じで。

6月に『お父ちゃん』というタイトルで小さな公演をうちました。
この”父を葬る娘”を題材に描いたオムニバス作品の中の最後の一人芝居に、
小川拓哉氏が書いてくれたこんなセリフを思い出します。
「私たち、いなくなることを前提にして生きてるんだよ。」
「ひどいね、私たち。」

「私たち」とは、「父」と「私」のことでしょうか。
衝撃的なセリフです。

小川氏が私と話すうちに探りあてた言葉なのか、
あるいはこのセリフによって私から引っぱり出されたものなのか、
その順番は今となっては定かではないけれど、
でも、このセリフのような思いが、
いつからかハッキリあたしの中にあったのは、本当です。多分父が倒れるもっとずっと前からかも。
そしてこれは、父の中にもあった思いのような気がしています。


やっぱり、ひどいかな、私たち。


でも、私たちは、こうやって同じ思いで繋がっていたのだとも、言えないかしら。

火葬場で父が焼かれて骨になって、
それを骨壺に入れて、
骨壺は桐の箱に入れられて、
白いカバーをかけられて、
そしてそれをあたしはこの胸に抱きました。
そのときはっきり思いました。

お父ちゃんがこうしていなくなることを前提に
あたしは生きてきたんだよ、と。

そう、こっそりお父ちゃんの骨に言ってみました。

胸に抱いたその骨壺は温かかった。
あたしは、そのことが、嬉しかった。


あたし?錯乱してませんよ?


嬉しかったことは他にもあります。
お父ちゃんは2歳のときに父親を亡くしていて兄弟もいないので岡野家にはもう親戚がいないんです。
告別式の出棺の際に、棺を担いでくれたのは、
母方の親戚の叔父さんと
妹の旦那さんと、
あとは、この日式に参列してくれていた
三島くんとトモヤさんとノスケと常雄くんそれからたっちゃんでした。
彼らは実に自然に当たり前みたいに、
叔父さんたちの後についてそそくさと棺を運んでくれました。
このキャラの濃~い5人に担がれて、お父ちゃん、
だ、誰だこれ!って
ビックリしてんだろうなあ、とあたし、思わずムフって笑ってしまった。
この風景をあたしはきっと一生忘れません。


なんか、徒然に書いてるかな。
人の父親の葬儀の話なんて聞かされても
あんまり面白くないだろね。
でもこういうとき、ブログって便利ね。
ダラダラと思いついたことを書き留めておける。
せっかくだから、もう少し書いておきます。


葬儀には、昔の父の仕事仲間も集まってきました。弔電も色々ありました。
そういうのを見ながら、父は仕事が好きだったんだなあ、ということを改めて知りました。

退職して、家で過ごすことが増えた父は、
結構グズグズだったので、
あたしたち家族にとっては、
その最近の記憶の印象の方が強いわけなのですが、
何十年ぶりかに集まってくる仕事仲間たちには、
共に働いていたころの父の印象がそのままに残っていてくれる。
彼らが伝える父の記憶は、
生き生きと仕事をしていた頃のお父ちゃんを思い出させてくれました。

父と母は同じ職場で働いていたので、
幼いころからあたしは、
2人が食卓で、会社のことや、仕事のことで、よく熱く議論を交わしているのを見てました。
あるいは職場の仲間たちと集まって、
ケンケンガクガクやっている横で、
その子どもたちとなに食わぬ顔で遊んでいた記憶も蘇りました。

父は会社のやり方に楯突いて、
多分、左遷を余儀なくされたような時代もあって、
子どもながらにお父ちゃん傷ついてんだろなあ、なんて密かに思ってた時期もありました。

そういえば、晩年認知症が進んで、
時間や場所の感覚が虚ろになっていったころ、
父は今から仕事に行ってくる、と、夜中に出て行こうとして母を困らせたり、
病院に見舞いに行くとベッドでもしきりに
もうずっと前に退職したはずの仕事のことを、
大丈夫かな、いつ行けるかな、なんて心配したりしていたものです。

仕事バカの親たちに、それなりに反発してきたことももちろんあったけど、
実はあたしは、
参観日とか運動会とかの学校行事なんかに来なくても、
娘の友達の名前を全然覚えてくれなくても、
何日も帰ってこなくても、
喋ることがあんまりなくても、
父や母が働いてる姿は好きでした。
父や母の仕事仲間のことも好きでした。

葬儀で、そういう父のことを、思い出せて嬉しかった。
さて葬儀が済んだら、
あたしも、さっさと仕事しーようって、思ってしまった。


お父ちゃんはいなくなりました。
だけど、
どちらかというと、この一週間、
あたしは、嬉しかったことの方が多いような気がしてるんです。

変かなあ。

葬儀の翌朝、
雨があがって朝日が差し込んでいて、
あ、なんか淋しいかも、と思って目が覚めました。
でも淋しいと思うことも、ひとつの喜びのような気もしました。

まぶしい朝日の中で、お父ちゃんの使ってたお茶碗を、割って、
庭に埋めました。
お父ちゃんとはもう一緒にご飯食べれないんだぞ、と思いました。

そういう日が来ることを、
ずっと前から知っていたのだとするなら、なおのこと、
この日々をしっかり味わっておこう、とあたしは今思っています。


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最後に。
忙しい中、更には荒天の中、葬儀にかけつけて、父を共に見送ってくれた皆様、
お悔やみや、励ましや、暖かいメッセージをくださった皆様、
全部全部、胸にやきつけておきます。
ありがとうございました。