「天理教」は宗教か、真実の教えか -23ページ目

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 現在の天理教の教団において、「機械」という概念は確立していない。むしろ異端的な概念として忌避されているかもしれないが、続く天啓継承の道、教祖存命の理がご本席様以降も続ているとする伝統の立場から、機械とは何かということについて、ここで整理したく存じます。

 機械(machine)とは近代的な産業革命以降に誕生した、例えばトタヨ式G型のように驚くべき性能をほこる織機などが想定される。しかし、神様の使う「機械」という概念は、神様が使う人間の最高形態を指示している。神が使う道具という言い方はキリスト教にもある。

 

 すでに天理教の教えに、信者を用木(ようぼく)と呼称している。機械は用木より、さらに進化した道具である。神様がその人間を使って、神の思惑を伝えることができる人間が機械である。宗教学の専門用語だと、啓示者、天啓者が機械に該当するだろうが、キリスト教神学の概念との差別化を計らねはならない。

 

  この道において、最初に神の機械となられたのは、教祖の中山みきというご婦人である。宗教人類学的には女性シャーマン、巫女などと類別されるかもしれないが、その伝える内容そのものが他と峻別されるのである。

  親なる神の思惑、理を伝えることができるのが機械なのであり、いたこやユタ、江原さんなど死者のメッセージを伝えるシャーマンとは異なる。自称天啓者はあまたいて、あまたの宗教が天理教から分派しているが、そこで何が説かれているのかが問われるのである。

 そこで理とは何かが、もちろん問われるが、これは教祖の説かれたお話の全ての中に説かれた一貫した体系性をもったロジック、理論、教えである。その教えには「かしものかりものの理」、「心通りの守護する神様という理の道」、そして「人間の魂が自由である」という根幹がある。人間の肉体の意味、心の使い方のあり方、そして有形世界を支配する神様の実在、そして、地場の理が、創造の原点として特定され、この一定の場所が得意な地点だけでなく、親神の思惑の源泉となる。単純化すれば、これらが理の体系の要素のすべてである。

 天保9年の時点で、中山みきを通じて神が話をはじめて、神が現れた。それを受け取る人間側の代表が、夫の善兵衛さんであった。神と人々との問答が続き、善兵衛さんは最終的に受諾し、その際、中山みきという人間に「月日の社(やしろ)」という天職名が定まったのである。豪農であり庄屋のご婦人から宗教的職能者への人生がはじまる。すなわち教祖50年の雛型の道がそこから始まることは、天理教の信仰者ならだれでも知っているのである。

 教祖が明治二十年正月二十六日に現身(うつしみ)を隠されて、天理教は危機的な状況に陥った。明治政府による弾圧は続いているし、さらにその弾圧は激しくなる。この時点で、大工の飯降伊蔵がすでにお屋敷に入り込んでいて、「言上の伺い」という天啓的な仕事を司っていた。そして間もなく伊蔵の身体にただならぬことが起き、あばら骨がボキボキ折れるような激しい身上になる。「真柱を呼んで来い」と。これは人間の伊蔵が下した命令ではなく、神の機械となった伊蔵から発せられた命令なのであった。こうして人間側の代表として屋敷に入り込んでいて、梶本家から養子に来ていた若い真柱の真之亮と伊蔵との間に神人問答があり、伊蔵は天職が「本席」として定まったのであった。そして本席様は二代目の天啓者であり、二代目の機械であり、存命の教祖の理を体現されたのであった。

 

 中山家以外から、機械、正式の天啓者となられた。本席様の御用された音声としての神の言葉は、筆写され編集されて『おさしず』として公刊されている。真柱1人のワントップではなく、真柱と本席のツートップ制がここに明確に定まった。

 教祖も本席も神の機械である。神が貸した人間の肉体を神がまた借り受けて、自由用に使うのが神の機械であり、神の思惑を伝えることができるのが神の機械である。

 

  それは心のきれいな澄み切った精神の持ち主にしかできない天職であり、また天直接の仕事を請け負うという大変な重責を背負うということでもあり、その決心ができなければ、神様も使うことはないのである。機械の生きざまは、雛型を示すものである。教祖の雛型を原型として、それを最も忠実に守った本席様が機械となり、機械として人間の生きるべき指針を雛型として残された。 

 

  機械を通じて書きものとして残されているのが教祖直筆の『おふでさき』、教祖からの口伝であり、原本が紛失した『みかぐら歌』、そして本席様の肉声を筆写された『おさしず』はそれぞれ天理教の原典として公刊されている。

   では書かれたものだけが神の思惑かといえば否である。日々の機械を通じた言動、発言すべてが神様の言葉だと思わねばならない。教祖が赤衣を着たり、別火別鍋にしたとか、本席様も赤衣を着たりしたが、これは同じ人間として理を軽くすることを避けるための便法である。教祖も本席さまも外見から見たら普通の人間であり、そこに神が入り込んでいるとは、周囲には容易に理解しえない人間の浅はかさが出てしまう。

 

 人はどうして神を、理を軽く扱ってしまうのである。特に親族はそのように扱いがちである。機械を軽く扱うことが、道を遅れの最大要因なのであることを肝に銘じないといけない。秀司さんは教祖を老母と形容されていたし、本席様は真柱を常に立てられ、御用の無い時とは、普通のご老人扱いをされていたようだ。

    肉声を伴わず、筆写されないことでも、神様からのメッセージが機械の心に映って来る。それが機械を通じて筆写されることもあれば、口頭で伝えられることもある。 

 神様からの教えはたくさんあると思わねばならない。

 

 前項でも書いたが、教祖の四女のこかん様も神様のお話を取りつぐことができた機械であったと思われる。教祖からの期待も大きかった女性である、若い神様とも呼ばれていた。「別間隔てて」と、『おふでさき』にも記されている。こかん様は幼い頃から教祖の元で育てられたので、機械になることができた。機械は機械とのご縁の中から生まれる。機械の近くにいる人たちは、次の機械の候補であり、それだけに厳しく仕込まれるのである。こかん様には特に天職名があったかは不明であるが、神様からの期待は大きく、教祖の次の天啓者となる可能性もあっただろう。 

    教祖の雛型を構成する重要人物として、こかん様の早死には失敗の雛型として大きな教訓を残された。

    機械は一人単独で成立するのではなく、その受け手が周りにいて、仕込まれるという相関関係の中で成立し、展開する。これは天の組織と呼ばれるシステムを意味し、理の所在を意味する。 

 

  地場の理と機械は切っても切れないものであり、そうであるなら、地場を否定する助蔵、飯田岩次郎、天理本道、その分派などは、機械ではない。

 

 神様の思惑を伝えることができる天啓者が機械である。機械という用語は『おさしづ』で少しだけ記載がある。それは次回に続けたい。

 

 

 

  天理教の分派に関する研究では、哲学者から新宗教研究に入られて、日本宗教学会理事である弓山達也先生の博士論文から出版化された『天啓のゆくえ―宗教が分派するとき』(地域社会研究所,2005年)が参考になるでしょう。分派として最大勢力となった教団として「ほんみち」が有名です。その他、神一条教、ほんぶしん・・・その他たくさんあるようです。 詳しくは、以下のサイトにも記述があります。

 http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/omithisonogoden/bunpashico.htm

 

 こうした分派の特色は、教祖(おやさま)の教えを色濃く踏襲しながら、それぞれが独自性を加味しつつ、それぞれが独自の宗教教団として独立して分かれたことです。

 そして分派した理由として、元々の天理教の教理を継承しながらも、天理教教会本部がある地場の理を否定していることが一番大きいと思います。

 屋敷の理とか地場の理というある固有な土地が人間世界の創造の原点があり、その地場から天啓者として教祖が出現したことが教祖の教えから説かれております。陰陽の二原理が創造原理だとしても、その創造原理は地場の理から生み出されたものであることが、教祖と本席様によって説かれてきたのです。それ故に、お地場帰りという帰参行事もあるわけです。

 

   「ひのもと庄屋敷のつとめの場所は

     世の元や」(みかぐらうた 三下り目一つ)

 

 「ここはこの世の元の地場 珍しところがあらわれた」 (みかぐら歌 五下り目九つ)

 

 天理教の分派した方々は、一様にこの「地場の理」を否定しているのです。

 教祖時代の助造事件、本席時代の「水屋敷事件」などはこれに相当しているものです。そして大正期にも天啓再来の待望の中で、井出くにの天啓事件、大平良平の『新宗教』雑誌の頒布などの不穏な扇動がある中、茨木事件というものがありました。それは本部の中で「お詞の御用」が始まり、それを当時のご母堂様や松村吉太郎が最終的には拒絶したことで異端化されたものでした。北大教会の信徒詰所で啓示が始まり、一つの軍艦として北部内では大変なお助けがありました。

 

 茨木事件の真相、その御用された「お詞」とは何か、その衣鉢を継ぐ、裏の道、天啓継承の道とは何か、それがこのブログの唯一の特殊性となるでしょう。 地場から追放された、元本部員の茨木基敬さんは、亡くなるまで「地場恋しい」といって出直されました。そこには地場を否定する本心はどこにもなく、神様の御用に、そして教えに殉じた魂の強さを感じます。天啓とは存命の教祖の心を表明したものとすれば、本部は目に見えない教祖を追放してしまったのです。ここに片便りの天啓不在の真柱ワントップ体制が生まれるのです。真柱に権威が一元化しました。とは言え、存命の教祖の体現として、本席様のおさしづがありました。じつはそれ自体が十分に受け取れず、軽くされていたこと自体にもともとの道の失敗の原因が始まっていました。

 

 

   学問の世界では事実の積み重ねやデータを集めて、そのサンプルから何か法則性はないかと探求する手法が用いられる。これは下から上への流れであり、経験主義による知の構築のアプローチがとられる。経験主義や実証主義の研究からは、たいした理論は生まれない。そもそも対象を狭く限定したなかでの事象を切り取って、そこにおける因果律を探っているだけであるからだ。それでもノーベル賞のような偉大な研究成果もそこから生まれるゆえに、長年の地道な科学的探求の尊さがあるだろう。

   こうした経験主義の学問的思考に対して、信仰心とは全く逆の視点から発想する。それは上からの下を見る見方であり、直観的で大局的な哲学的把握から出発する。
   科学は物質世界の現象の因果関係に関する知識を生み出す。しかし何故事物があるのか、存在の意味論にまでは、立ち入ることができない。目に見える世界のことはわかっても、見に見えない世界については不可知論の立場に知恵を限定するのが科学的世界観である。
   これに対して信仰の世界観からは、目に見えない世界の存在を想定し、信じるという非科学的な世界観に立つのである。
  神の問題、魂の行方など、理を信じる信仰の世界では、無限や永遠の視点で物事を捉える。これらのテーマは科学を超えた神からもたらされる形而上学的な視座、信仰心からもたらされる英知である。それは決して科学を否定する主観主義や思い込みとは違い、人間の通常の常識を超える視点をもたらすという意味で、より大きな理性や整合的な知の体系を作り出しているといえる。科学の知を否定せず、その知を超えるより大きな意味世界を付与するのが、信仰による世界観だと思われる。
   有限なる人間世界にあって、無限や永遠哲学の視点から世界を捉え直すことは、信仰的視点の階梯を上げていくことを意味する。
    「肉体を借りている」という天の理の黄金律は、口では簡単に言えても、これを真に理解している人のほとんどいないだろう。自分の肉体、自分の自由な心があるなかで、そこに他者なる神という方が、第三者として顕現することにおいて、誰が神を信じるというのだろうか。
 
   いつも笑われ謗られて 珍しい助けをするほどに (みかぐらうた三下り五つ)
 
   目に見えない世界を信じると、世間の嘲笑に直面する。騙されている、洗脳されている、頭がおかしいと。そのような世間の常識を超えて広がり深めることのできる信仰心はどこから発生し、持続し、信仰の共同体、さらには理想の甘露台世界へと繋がるのか。
     
   天保9年から江戸時代、明治、大正、昭和、平成と時代は進み、多くの信仰的な体験知が積み重ねられてきた。明らかに天保9年の段階とは異なる蓄積が歴史的に蓄えられた。成功体験だけでなく、失敗の体験もふんだんにあり、そこから学ぶ教訓は潤沢である。
 
    インターネットであらゆる知恵が伝達する速度はました。これは人間が作ったものだが、有形の世界を支配する神が与えた道具ともいえる。紙に書かれ、人づてに伝播した時代から、ネットで瞬時に世界のどこからもアクセスできる知となったのである。  
 
   悪しきを払うて助け急きこむ一列澄まして甘露台  (みかぐらうた第三節)
 
  科学的な知恵は信仰の英知によって補完され、より統合的で体系的な世界像、人類観が描かれる。それが信仰者のもつ永遠の視座、魂の目といえる。  
 

    なぜ神様の心を求めるのか。神様はいかに自己開示されたのか。神様の話される事をどれだけ受け止めてきたのか。神様はいるのか、いないのか。なぜ信仰を続けてこれたのか。
   世の中には多くの宗教や信条、思想があって、古くからある伝統宗教としては、キリスト教、イスラム教、仏教が有名だ。近代以降、多くの新宗教も生まれて、天理教という宗教はそのうちの一宗教してカテゴライズされている。
   天理教は新宗教の中では、大教団とはいっても、漸減傾向にあり、世俗化してすでに100年も経ってしまった。
   天理教のどこに魅力があるのか。天理教で人は助かるのか。誰のために、この教団は存立しているのか。高齢者が増えて、年金を搾取している拝金宗に出しているとの批判も聞かれる。 さらに悪いことに、教団トップの真柱様の中山善司様は昨年に脳梗塞で倒れてしまい、おさづけの理拝戴がストップして半年以上たつ。
   神様はどこにおられるのか。存命の教祖の声はどこにあるのか。平成という時代がまもなく終わり、時代の転換期にある。世俗化してしまった天理教の今の姿は、決してまともなものではない。世界に責任ある地場の理が埋もれてしまっている。今の教会本部の惨状はすでに預言されている。ひな型を示す本道が失われて100年もたちました。


  だんだんと草がしこりて道知らず

  早く本道つける模様を  (おふでさき4-74)


    そのようなスタンスから、及ばずながら、教団の公式的な立場を超えて、魂自由に真実を求める精神からこのブログを書かせてもらいます。

  肉体をはじめ有形の世界全ては神の創造物であという根源的な事実を教祖は説かれました。この肉体の貸しもの借り物の教えこそ、人間が真に喜べる安心安全の元になる基本思想だと思います。人間は自己の肉体を絶対的に自由にすることができない。現在、天理教のトップリーダーの真柱様は、身体の不自由の中にあります。初代真柱も短命に終わり、真柱という役職は厳しく仕込まれて来ました。

   人は老い、病いになり、亡くなっていく。肉体の貸しもの借り物の有難さは、それが不自由になってはじめて目覚める人間の不明さがある。そこで神様が教祖を通じて、天保9年から現れて、肉体貸しもの借り物の教えが始まったのです。

 肉体は有限であるなかで、病まず弱らず、115歳定命を定めたいというのが教祖(おやさま)の思惑でした。しかしそれを実現できた人は天理教という宗教ができてから、まだ生まれていません。とはいえ心が清められる中で必ず実現する一つの人間が目指すべき理想の人間像だと思います。

 肉体が有限の中で、魂という人間の本体的な部分が永遠であることは肉体貸しもの借り物の裏にある別の重要な教えでしょう。肉体が有限で、肉体を神様に返すこと、すなわち人の死は「出直し」という独特な概念で教えられます。二代真柱の訃報がある東大の宗教学科の教授にハガキで伝わった時、「出直し」という言葉に大変印象的に感じたそうです。


  なお東大人文科学研究科では特別な科研のもと死生学のプロジェクトが一時期続きました。


 死んだらどうなるのか。キリスト教の伝統的教義では天国や地獄、煉獄などこの世とは別のあの世の世界があって、生前の在り方で、その行き先が決まるような語りをしています。その神学では生まれ変わりは否定され、この世に再臨するのはイエスだけという教えのようです。

 キリスト教では永遠の命が、そこでは説かれ、フランチェスコ教皇の来日は大きく報道されました。


  仏教でも地獄絵図などを通じて、浄土へ行けるかのが往生をできるかという教えで庶民を導いてきたようです。仏陀の教えそのものには、生まれ変わりの思想はなく、この世は全て幻想、科学で人は助からないという浄土真宗の考え方もあります。


  輪廻転生のストーリーはヒンドゥー教の中に伝統的に織り込まれていて、仏教もインド思想の中の一分子です。


 古事記では死者は常世の国へ行く。イザナギがイザナミを追いかけてあの世に行く話しがあります。


 メキシコでは死者の日があって、その日には死者が戻ってくるなどとして大きな祝祭日となっています。このような古来から肉体的な死は必ずしも終わりではなく、何らかの持続的な生命があるとして、生死一体のものとして把握されています。


 死後、別の世界に行くのか、またはこの世に再び戻ってくることができるのか。死後の生(Life after life)とは何か。 


  前回、簡単に論じたように、魂の永遠性に関する実証的に研究によれば、肉体の死は終わりではなく、人間は何度も生まれ変わりをしているのが人間の真の実像の近いように思います。


  亡くなった魂が、別の肉体のもとにまた別の氏名で生きるということです。ではどの魂が、どれくらいの速さで再度、生まれ変わってくるのか。

 このような魂の行方に関する教えは、特に教祖(おやさま)ご在世の時代や、存命の理を継承されたご本席様の時代には当然のように繰り返し説かれてきました。大正7(1918)年に上田奈良糸様のおさづけの理のお仕事が中断されて以降、お地場には神権的な継承者がいなくなり、同時に生まれ変わりに関する魂の教説を説く方もいなくなりました。

 魂の行方は、神様が支配し、配置する大きな天の組織の中で決められることで、もちろん人間の自由になるものではないでしょう。

 魂とは何でしょうか。魂とは人間の実質的な本体で、神様によって創造された実体として、元の理の人間創造の説話のなかでは、「どじょう」として形容されています。親神から見て、人間は子供であり、魂は神の分けみ魂(たま)ということになります。神の分霊といってもいいでしょうが、今の天理教学では「分霊」という用語は利用されていないようです。

 同じ魂とはいっても、人間創造の際に道具衆となられた八柱の神々の魂は特別な魂だと思われます。教祖が晩年に説かれた、元の理の教説の中で、その八柱の魂が屋敷にそろっていたことが明かされています。   

   ただ、たとえ神々の魂をもった人間だとしても自由な人間の心をもって、信仰心を高めるか、人間心に流されるかは、人それぞれであることも知っておく必要があります。育て方、育ちということは体制です。

  とわいえ、一筋心をもった道具主の魂は、地場で拝されるべき神格をもった約束された魂として、地場に集められねばならないでしょう。

   魂は肉体を借りて、その中で心を発揮することができ、それは人ごとに個性が違います。生まれながらにしてもっている人間各自の本性、性向というものがどの子供にもあるのです。これは人間が体験的に知っている事実です。 


 ここで教祖ご在世中における道具衆の魂について振り返ってみましょう。これには山澤良助さんが書かれた和歌体の明治14年本が有効です。その他ブログも参照。

 

 中山善兵衛 (→前川菊太郎)-いざなぎの命 

 中山みき―いざなみの命

 

 中山秀司 (→中山正善)―月読みの命 

 中山まつゑ (→イタチ?)  たいしょく天の命

 

 (梶本亀蔵→) 中山(梶本)真之亮―おうとのべの命

 (お秀→) 中山たまへ―雲読みの命

 

 (空海 •••法然•••> 福井留次郎→飯降政治郎→)  飯降政甚―かしこねの命

 (中山おやす→中山おつね→) 中山こかん (→中山玉千代)―くにさづちの命 

 

 10億年前から、人間初めだしの時から、約束の年限が立った暁に神として拝をさせるために道具衆となった魂がお地場に集められていたのです。歴史的に名を残した方も神様の支配のもとで引き寄せられています。これは神様からしかわからない、魂の配置です。別に他宗教による権威づけの目的もありません。


   では道具の魂となった特別な魂の所在は今はどこにあるのか、今の天理教の教団体制の中からは誰も答えが出せません。理を求める心ある人は、その行方を求めなければいけません。教祖が始められた天直接に天下って始められた道はいつ途切れてしまったのか、さらに考察していきましょう。

 

 

  自然科学や物質科学、マルクス主義、世俗主義、現代の公立学校におけるヒューマニズムの立場などからすると、人間が死ねば灰となって、人間とは単なる物質でしかない有限なる存在であると信じられています。

  しかし多くの宗教では魂の不滅性や永遠性が説かれています。他方で実証的な学問研究からも、実は魂の不滅性を示唆する研究が積み重ねられています。
   最近でも大病院の医師がお迎え体験や臨死体験(Near Death Experience)をしている患者のケースを沢山収集していることを報告しています。臨死体験とは肉体の死を体験した人たちが、自分の肉体を空中から眺めてたり、トンネルのようなものを通ってあの世にいきながら、再び自分の肉体に戻るというような話しで万国共通にある実話が集められています。
   お迎え体験とは死期が近づいている人にあの世の亡くなった人からお誘いが来ると言うような話しらしいです。
  こうした肉体から自分の魂が飛び出して、別な地点や別な異次元の世界に飛翔する話しは、にわかには信じられない空想の話しに聞こえます。
  しかし西洋でもスウェーデンボルグがそのような体験をしたことが有名で、ストックホルムの大火を空間を超えて見たというよう話しもあります。カントもそのような幽体離脱の話しを聞いたようです。
   日本でも国学者の平田篤胤が、幽体離脱に関する話しを書いています。
   その他、前世を記憶する人達の研究も米国の心理学者が集めています。心理療法学者のIan Stevensonの研究は有名で邦訳もされてあます。すでに故人となられました。生まれ変わり(reincarnation)の専門家です。日本にはない真摯な、生まれ変わりの研究者でした。
 
    参照   

https://www.near-death.com/reincarnation/research/ian-stevenson.html

 

   幼い子供が前世での記憶を残している場合が世界中であります。
    またインドでカーストを超えて、前世の親族と親しく再会した話しがテレビのアンビリバボで放映したこともあります。
   前世療法(Past life regression)という心理学的な精神治療の中で、何世代にもわたり、自己の前世の記憶を呼び戻すことで、心の奥底のトラウマを癒す方法も開発されています。これはBrian L. Weiss博士の研究が邦訳(『前世療法』原題”Many Lives Many Masters”)されて日本でも有名です。その研究からは、ソウルメイトといういつも近くにいる魂という考え方が印象的です。何世代にもわたり夫婦であったり、親子や夫婦であったりするのです。会うべくして会う夫婦の魂というものがあるのです。人間関係の縁には不思議な世界が広がっていることをほのめかしています。
 『前世療法の奇跡』(萩原優,ダイヤモンド、2014年)では、3000回のガンの外科手術をされた先生が、ガン治療のために西洋医学を超えて、代替医療の素晴らしさを熱心に伝えています。心の大切さ、命の大切さ、そして魂の永遠性もテーマとなっています。
   こうした魂の永遠性をほのめかすストーリーからは有限な肉体を超えて永遠性を秘めた人間の魂の実在が浮かび上がってきます。目に見えない魂の実在を信じるか否かで、精神的な安心感、不安感には開きが出来ることでしょう。臨死体験をした人達の多くは死に対する恐怖がなくなったと言います。
   ホリエモンが死に対する恐怖から今を精一杯生きてアクティブに活動しています。わからない死をとりあえず諦念して彼は前進すると勇気で生きているようで、多くの若者から共感を勝ち取っています。
   魂が永遠にありそうなことは、上記のような心理学的な探求からは否定することがむしろ難しいと思います。しかし世間の目は物質中心の人間観で、なかなか魂の永続性を信じないのです。キリスト教徒のように永遠の命を信じるか、信仰心ゼロの近代的精神が正しいのか、そうした物資主義は限界に来ているのではないでしょうか。
  それでは、魂の永遠性は肉体の貸し物借り物の思想からはどのように理解すべきなのでしょうか。生まれ変わりの思想が明確にある、天の理の思想世界を探求していきましょう。

 天理教の教えが一言で、理であるなら、理の教えとして何が一番重要な教えなのでしょうか。それは端的に「貸しもの借りもの」(Things Lent and Things borrowed)という教えだと思われます。人間誰一人として、自分の肉体が借り物なのであると信じている人はいません。自分で自由に体が動いていれば、自分のことは自分でできると普通に思っているのが現実です。また私有財産制のもとで、人間の所有物について、所有権や財産権は個人や法人にあることが建前としてあります。会社法人を私物化した高名な経営者が監禁されておりますが、これも自分の会社だと思ったから自分で好きなようにポケットマネーにしてしまうのです。

 「貸しもの借りもの」は天理教を知らない人たちには、全く受け入れない教えでもあります。キリスト教の人なら、神とは天理教の神ではなく、イエスを通じて現れた神だと認識するでしょう。また天理教の信者でも実はよくこの教えが適確に心に治まっている人はそれほど多くはないかもしれません。

 肉体が「貸しもの借りもの」であることを人類で最初に自覚したひとは、「おやさま」と今は呼ばれている中山みき様でした。天理教の教祖と言われる女性教祖です。 

   天保9年、巫女役をしていたときに自分の肉体に神が憑(とりつい)たのでした。自分の肉体が他なる実在によって、possession(所有、憑依)されてしまったのです。貸しものの肉体なので、実は自分の思い通りにならない。それを中山みき自身がはじめて理解し、体験したのです。夫もだれも信じない中で、神との直接的な対話の中で、本人がまず理とは何かを教えてもらい、やがて体験的にその通りの真実であることを確かめていったのです。

 のちに深谷源次郎という河原町大教会の初代会長となる方に、教祖は涙を流して、神様がいかに人間を苦労して創造してきたかを語ったと言われています。

 人間の肉体は、唯一絶対なる神によって創造されたのです。啓典宗教でも同じように人間が創造されたと説いていますが、「貸している」とか人間は「借りている」という教えが強調されてはおりません。アングリカン・チャーチで神から肉体を「借りている」という教義があるというのをどこかで聞いた覚えがありますが、間違ってるかもしれません。いずれにしても、人間の肉体は神から借りている、神様が人間に肉体を貸しているというのが、神様が説かれた理の教えの中の中核的真理、真実の教えです。

 直ちに肉体が「貸しもの借りもの」であることを理解し、信じることは不可能に近いです。大抵は病気になったり、年老いたりする中で、自分の肉体が自分の思い通りに動かない事態となって、人間はようやく、自分の物ではではないことに自覚に至るのです。健康に暮らしている人、お金のある人、地位のある人たち、人類一般において普通に暮らしている中で、肉体が「貸しもの借りもの」の理という真理を理解することほど難しいことはないでしょう。

   天理教の初期の信仰者を見ても、ほとんどが病気を助けてもらったことで信仰者の階梯をはじめています。本席様でも妻の産後の肥立ちの悪いことを治してもらったことから信仰の道に入りました。

 そこで病気や何か自分の思い通りに物事がいかずに行き詰って、神に救いを求めるということから、肉体が「貸しもの借りもの」であるという意外な真理が開示されるのです。一部の人間に、神様から天の理を仕込む最高の方法は、この病いということになるでしょう。病気は医師が直すとしても、医学的な常識を超えて、助かる世界が信心の世界に広がっています。今でも天理教で助けられたと信仰告白する人たちは、身にしみてこのことがわかっています。

 

 「人のもの借りたるならば利がいるで 早く返済礼を言うなり」 (『おふでさき』第三号二十八)

  【原文: 人のものかりたるならばりかいるで はやくへんさいれゑをゆうなり】

 

 これは表層的には物の貸借たけでなく、金融取引における利子の正当性を語っていて、ユダヤ・キリスト教が利子を禁止していることと比べて革新性があるといえるかもしれません。

   ただ神様はそうした社会通念上のことを引用しながら、肉体を貸している神と肉体を借りている人間との関係性が暗にほのめかされているのです。人間の肉体は生物学的な両親から分与されものであっても、根源的には神という究極の実在が肉体を人間に貸し与えているのです。それは人間にとっては根本的にありがたいことであり、安心感の源泉であるのです。お医者様に最終宣告をされたとしても一縷の希望をもって、神様の教えに救いを求めて、救済されたことのある体験者なら、その有難さは何にも掛け替えのない真理として迫ってきます。

 私利私欲にまみれ、自己中心的な思考、目先の都合よい短期的な思考に染まっている人間に、肉体を抑えて神の教えが伝えられるのです。それでも普通には他人から信仰の真理を受け入れず、人間思案中心の思考を捨てることはしません。

 肉体が健康で何事も自由にできる。それは自分がしているのではなく、神様の守護によって生かされているというのが、肉体の「貸しもの借りもの」の理の意味です。その報恩感謝の方法が、「おつとめ」という天理教に特有の宗教儀礼があります。、「おつとめ」については、いずれ別項で詳しく論じないといけません。  

 肉体があって人間がありますが、人間には肉体と心からなっています。そしてその心は目に見えない人間特有の魂という実体が、どこの宗教でも措定されています。その魂というものは、たとえ肉体は滅びても、魂は永遠であるというのが宗教一般に広く信じられています。今世が苦しければ、来世が強調され、古くからある多くの伝統宗教では来世志向が強いです。しかし、人間を造った神は、現在において人間がこの世でいかに陽気暮らしをしているかを待望されていることが分かります。肉体を通じて、様々な人間の諸活動があります。東京オリンピックや大阪万博が迫って来ることに人々は喜びをもっています。人間を喜ばすために、肉体を貸し与えている、人間は肉体をお借りしています。

 なぜ、肉体を借りていることが陽気暮らしの源泉なのか、さらに考察していきたいと思います。  

   肉体という物質的次元を超えて、魂という目に見えない現象界を超えた次元からの視座を持たないと理解が進みません。

 

 

 

 

 

 

   なぜ天理教という独立した一個の宗教が成立したのでしょうか?

  それは、1人の女性、ご婦人の中に神が入り込まれて、神の話をはじめたところからすべてが始まりました。
  教祖伝から見えてくる、教祖である中山みきというご婦人が生涯をかけたことは何でしょうか。なぜあれだけご苦労されて、信仰を貫いたのでしょうか。天理教という宗教を信仰するか否かは、中山みきが本当に神の話を伝える人間だったのか否かが分岐点になると思います。
    天理教の信仰の家庭に生まれて、家が天理教の教会なら生まれた時から自然と天理教の教えに親しむでしょう。茨城県の親の教会を継承した教会長は横浜から通われているそうです。
   あるいは布教師を通じて何らかの不思議なご守護をいただいて、別席を運んで信仰者としての階梯をあげていく方もおられると思います。
    中山みきという女性が一つの独立した教えを始めたことは確かな史実であります。神道や仏教などの既成の伝統宗教があるなかで、それらと対立や軋轢も乗り越えました。さらに国家からの弾圧にも屈することなく信仰を貫き通したことに大きな特徴があると思います。
   その信仰者としてのご生涯は、ひな型と天理教では呼ばれています。明治22年のおさしづの中でも、ひな型を通ることの意義が最も体系的に説かれています。
   では天理教において教祖となった中山みき様や、2代目の天啓者となられた飯降伊蔵様のおさしづでは、何が教えられたのでしょうか。
    教祖(おやさま)の教えは、みかぐらうた、おふでさきの2つの原典が残されています。そして本席という天職名が与えられた飯降伊蔵様の神の言葉は、『おさしづ』として筆記され、編集され、公刊されています。これは第三の原典と言われています。
    これらの原典は日本語で和歌体、あるいは散文調の話言葉として人類に普遍的に残されたのでした。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に聖典があり、これらは旧約聖書を共有しているので啓典宗教と言われています。東京大学人文科学研究科宗教学宗教史学の教授の市川裕先生が本年度で退官のご予定ですが、そのご専攻はユダヤ教そのものでした。市川裕先生はユダヤ教の信仰はされてないと思いますが、その思想世界の探求をされたと思います。ちなみに確か、市川裕先生の奥様はS学会の会員だと聞いたことがあります。他人から聞いたことなので確かなことはわかりませんが。
   このように天理教も啓典宗教のように聖典、原典が文字として存在するのです。神の実在が、人間にもわかる言語として言語化されています。啓示には自然啓示と言語啓示とがありますが、言語として残されたことに大きな意味があります。
 その啓示言語の中で何度も出てくる頻出語が一言で言って、「理」という言葉に集約できるでしょう。おさしずの中でも教祖は「理を広めた」という一語で要約しているように。天理教において、理とは端的に「神の思惑」「神の心」「神が決めた法則」などが複合的に入っていると思います。天理教における人間世界創造の説話は「元の理」とも言われていて、ここにも「理」という言葉が利用されています。形も何もない無形の始原の闇の中に、時間も空間も現象世界という次元がない無形の闇の奥に「神の心」があったことになります。
   理とは何でしょうか。元の理に対して、今の理という言葉を文化人類学の岩田慶治先生が天理の国際会議で発言された答えことがありました。今現在の神の思いが今の理としたら、人間世界があること自体が今の理ということになるでしょう。無限のかなたから、空間や時間が作られ始め、次第に有形の現象世界が形作られました。そうした神羅万物の創造したという大成果をもたらした神の心こそが理といわれるものだと思われます。
   今の理は元の理とは全く対照的に万物の根源者が、創造者として万物の理法も兼ね備えて自らの真実を明かしているのです。
   そのような理があり、それを理解することが可能なのです。理があり、理を理解することが万人に求められているのです。
   その理とは何か、さらに考えていきましょう。

 天理教において教祖に対する信心が確立され、その教祖として歩まれた50年の道すがらは雛型の道として信仰者が振り返るべき模範・範型とされる。

 

<キリスト教の神学的伝統>

 キリスト教徒にとってナザレのイエスは人間であると同時にメシア=救済者=キリストであるとされる。イエスが自分を神であると語ったのかはわからないが、パウロによればイエスは人類の罪を贖うために磔刑にされたと解釈し、それがキリスト教の正統教義として伝統化された。それほどに神は人を愛している。そのイエスを受け入れることこそが信仰者として義とされるという。イエスの生涯は新約聖書の四福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)に共観福音書として記載されている。マタイ伝がもっとも詳しく記述されている。聖書学の伝統があるキリスト教会では信仰者は聖書(バイブル)からイエスの生涯を知り、イエスがなした奇跡、そのみ言葉、癒し、指導力、カリスマ性、その過激な言動に心を動かされるのである。その精神的伝統が2000年も続き今にいたる。では本当にイエスが語ったこととは何か、史的イエスとは。聖書学者たちはさらに細かく研究を続けている。

 

<仏教も創唱宗教>

 仏教でもブッダの語った言葉は何か、原始仏典を明かす研究が言語学的にも進んでいるに違いない。中村元先生のような碩学も比較思想学の視点から、ブッダ理解を進められた。大乗経典が何万冊と構築され、その仏教の教えは日本においてさらに完成されたという。聖徳太子から始まり、平安期のスーパースターである最澄や空海らが仏教教義をさら深めた。さらに鎌倉新仏教の祖師たちがすぐれた解釈をしなおすことで仏教は民衆化され、江戸期には寺請制度とともに葬式仏教として制度化されてしまった。

 いずれにしても各宗教の創始者の生き方は洋の東西を問わず、人類の歴史に大きな精神的影響を与え続けてきたのである。

 

<天理教の始まり>

 さまざまな宗教各派が教えを競うなか、大和の田舎において天理教という新しい教えが一人の女性教祖を通じて開かれた。そのご生涯が信仰のモデルとして、『教祖伝』が稿本として教会本部から公刊もされている。誰でもいつでも読むことができるし、複数の外国語にも翻訳がされている。

 

 その教祖のご生涯を「ひながた」として学ぶことの必要性は、本席様の時代から始まったといっても過言ではないだろう。教祖がご在世中も生き神として慕われたことは確かだが、助けられた人たちは沢山いたことであろうが、教祖にならって人をたすける人間へと変容した信仰者はそれほど多くはなかったと思われる。

 いわゆる教祖の高弟と言われる列伝記が天理教では十分に確立していないが、教祖がみずからが信仰に心血を注いだ目的は、人類救済という壮大な事業のためであった。そのために自らが火の中、水の中、剣の中もいとわず、あえて艱難辛苦の中をも通り抜けられたのである。教祖の払われた自己犠牲的精神の数々は史実として伝えられ、教祖伝・逸話編においても公刊もされている。

 

『おさしづ』の中でも、以下のようなものがある。

 

 「天理王命というは、五十年前より誠の道である。ここに一つ処、天理王命という原因は、元無い人間を拵えた神一条である。元五十年より始まった。元聞き分けて貰いたい。何処其処で誰それという者でない。ほん何でもない百姓家の者、何も知らん女一人。何でもない者や。それだめの教(おしえ)を説くという処の理を聞き分け。何処へ見に行ったでなし、何習うだやなし、女の処入りこんで理を弘める処、よう聞き分けてくれ」(明治21年1月8日、松村吉太郎 おぢばへ参詣おさしづ)

 

 これはのちに天理教教会本部の重鎮となる松村氏が当時21歳の時に頂かれたもので、根本教義を神直々の言葉として伝えたものである。若いインテリの松村氏には農民や職人という下層の信仰者たちが多かった中で信仰への疑問も生まれたことであろう。その中で、教祖の五十年の生涯、それも無学な教祖がなぜ五十年を歩まれたか、神が入込んで、理を弘めるための道であったことが簡単な言葉で伝えられた。人を見ているか、神を見ているのかと神様からのご注意が下されたのである。人間の智慧や学問がいかに発達しようと、その人間を創造した神が一人称としてその神名を明かして、彼に語りかけているのである。これは俄かに信じがたいことである。しかし教祖のご生涯をまじかに見てきた松村氏である。教祖が語った理の話について詳しく聞き、納得していた松村氏に神様はあえて、教祖の生涯を想起させたのであった。

 

<おさしづにみる【ひながたの理】 明治22年11月17日の有名なおさしづ>

 このほか『おさしづ』では教祖の50年の歩みを「ひながた」という用語で、何度もその「ひながた」を歩んでほしいことが繰り返し説かれている。特によく引用されれる「ひながた」の意義は、「明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話」と割書きのある「おさしづ」であろう。

 

 

 「ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。・・・・わずか五十年。・・・・三日の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。・・・・」

 

 

 この明治二十二年のおさしづでは、本席様の通られた道が「ひながた」であるとされていることが注目に値する。本席様は人が馬鹿にする中でも、毎日お屋敷に運び、ついには「親子諸共屋敷ふせ込んだ理」(明治31年8月2日)があるのである。

 

 そして教祖から最も頼りとされるお方となった。「日本一の大工」とも神様からお褒めの言葉も頂いておられる。ここにはひながたの普遍性、その実践原理が明白に説かれている。低い心、謙虚な心となって、日々のご守護を真から喜べる心になって3日、さらに3年間歩んで御覧なさいという、ひながたの実践が説かれている。日々の積みかさねによって人間心を払しょくして神様の心となって歩んでみなさい。古い人間から新しい人間になりなさいというお諭しである。

 

 教祖存命の心は本席の心と一体であることは以下の「明治三十三年 十月十四日 本席身上 おさしづ」からも読み取れる。

 

「めん/\一代鮮やか見たら、道というは解釈次第々々々々。どんな事も何でも解釈々々誰する。一年二年前もうならんという處、まあそうではないと解釈したは、前かくれた者。働いてる者分からん。これから皆心に浮かばす程に。心に見せる程に。こんな事諭した事無い。扉開いて、これからという。扉を開いて働き切って居る。影姿分からん。ほんの時々席に一つ理持たし、教祖存命の心やで。さあ/\成っても一つ成らいでも一つ、成らん/\の道、あちらへ隠れこちらへ隠れて通りた事思うて居りゃ、よい/\。思うて居りゃ、いつになっても/\消えそうな事はない。だん/\楽しみと傳えて置こう。」

 

 上記のまた下記のような本席身上の言葉は概ね刻限話である。本席様の身上を合図として神様の御用が掛かってきていることが周囲に明白にわかるからである。これは人間にどうしても治めてもらいたい話があるということである。「明治三十七年七月二十七日 本席身上御障りに付 願」

 

 「・・・・今 席と言うたら教祖とは違うなれど、万事入りこんでの話すれば、教祖一つの理も同じ事、と諭し置こう」

 

 本席を通じた天の声は存命の教祖の言葉であることが何度も繰り返し諭されている。肉体の中山みきは亡くなったとしても、その想いは本席という別の人間の肉体を通じて現れている。この点が『おさしづ』全体の流れている、大きな主旨であった。

 

<誤解された教祖存命の理>

 目下の教団の理解では、教祖存命の理について、火事の中で、赤衣を来た女性が導いて助けてくれたというような個人の体験談の中で(上田嘉世『おやさまの教え』(2018年))、または不思議なお助け現場に教祖が御伴してくださったからという信仰者の体験話などが、あたかも存命の理であるかのごとく解釈されている。

 教祖殿では、本部婦人による目に見えない教祖への給仕、お風呂、お散歩への御伴などあるそうだが、これらは存命の理に対する信仰的証として尊ばれている。植木職人の仕事を本部でひのきしんされていた方が、教祖が庭を散歩で通られるときにご挨拶をしなかったために、梯子から落ちてしまったことを反省された話も聞いたことがある。これも体験談的な存命の理の理解である。

 こうした不思議な体験話は否定するものではなく、その人たちにとっては真実の話であり、心の宝物とすべき体験談である。しかしこうした体験談を「教祖存命の理」の説明原理にしてはいけない。

 

<教祖存命の理の真の意味>

 教祖存命の理とは、本席を通じた神の言葉、啓示の言語そのものであることを改めて想起しなければならない。天理教は立教して181年目であり、世界に広がる伝統的な大伝統のもとにある宗教と比較してまだまだ幼く、若く、マイノリティ(少数派)にしか過ぎない。天理教が真に「だめの教え」となるには、「教祖存命の理」という言葉の元々の意味を復元しなければならない。

 

<100年前に酷似した現代の世界情勢>

 100年前に第一次世界大戦が終了してパリ講和会議が開催され、平和のための世界連盟の設立が設立されたがモンロー主義の立場をとるアメリカが不参加となり、やがてファシズムが生まれ、第二次世界大戦へと突入した。それから100年たって、今の世界も1930年代に似ているという。メキシコからのキャラバンを敵視し、アメリカファーストを唱える大統領がいて、善意の移民政策を進めたドイツのメルケル首相は右翼の民意に敗北してしまった。自分さけよければ、我が国さえよればという世界の大国の民主主義の意志で世界政治が動いている。

 

<真柱の身上>

 かかる中で、地場を治める真柱様のご身上は、大変なお仕込である。天理教にとってはこれ以上ない一大事件である。世界救済に責任ある地場であり、真柱である。世界の事情を地場の事情が映している。

 今なるの存命の教祖の理を求めることが真に切望される。

 

 「さあさあ 裏は鍛冶屋 表大工。この理何処からでたるか考えてみよ」

 (明治三十一年八月二日)          

 

 合掌

 

 

 

 

 神がいるのか、いないのか。なぜ人間は幸福になれないのか。それに答える道として様々な宗教や信条が現れて、常に宗教リバイバルが起きていると宗教学者のチャールズ・ロングさんも語っていたのを聞いたことがあります。

 天理教が生まれたのは、教祖となられた中山みき様が「ひながたの道」を通られたからだと信者さんたちなら普通にご存じでしょう。しかし外部の研究者たちはそう簡単には信じません。その代表例がT大学の名誉教授となられた島薗進先生の学説でしょう。そのご研究で日本宗教学会の学会賞も獲得され、トップスクールの教授となり、日本宗教学会の会長も務められました。客観的で社会学的な立論から、中山みきの神がかりの現象は、中山みきが家族の病気に行き詰まった中から、自らが神を作ってしまった、構想してしまったという説明原理です。いわゆる実在の神を措定するのではなく、人間の心理によって神が構成されたという論理展開です。恐らく天理教の教祖伝も読まれたはずですが、このような解釈が普通になりたってしまうのです。

 稿本天理教教祖伝では、第1章の冒頭で、天保9年(1838年)の天理教の立教の由来が細かく記述されております。二代真柱様の時代に出された稿本の構成は正鵠を得ているでしょう。中山家の中でおきた出来事は、一家庭の存続を願う加持祈祷を行う中で、巫女役となったみきから「我は天の将軍である」との言明が下されたのでした。幕藩体制の中で、将軍というたとえを利用して神が1人称で話し始めたのでした。『復元』によれば、十柱の神名もそれぞれにその守護を語ったとも言われます。元の神、実の神という名称を使ったというより「天の将軍」というのが実像らしいのは『復元』に記載されております。『みかぐら歌』に元の神、実の神という表記がありますが、本部の記述を神様が許したことのようです。

 夫の善兵衛さんにとっては、子供多いなか、妻を通じた神の命令は到底受け入れるものではありませんでした。

 「みきを神の社としてもらいうけたい。それができないならこの家は粉もないようになる」との神様からの脅迫でした。もし引き受けないなら、承諾しないなら、中山家は断絶だということです。みきから発せられる大音声に子どもたちは震え上がったと言います。みきはいわば巫女としてトランス状態になっていたのでしょう。神人問答が数日も続き、中山みきは何も飲まず、食わずで、御幣はちぎれ、鬼気迫るお姿です。このままでは命も無くなるという姿となりました。そして、善兵衛さんは止む無く神様の命令を受諾したのでした。ここに神と人間との回路が初めて開かれたのでした。明確な言語を通じて神の思惑が、1人のご婦人からその亭主に伝達されることになったのでした。天保9年10月26日朝でした。

 真柱の制度が確立する前において、善兵衛様はまさに人間側を代表して、神の命令を受け取る側だったと見ていいでしょう。

 その後、教祖となられた中山みき様は、育児も家事も放棄されたのか。以前とは明らかに違ったことでしょう。教祖伝には何も記述がありません。しかしその後、内蔵に籠って、神様からたくさん教示を受けたことだけは確かです。そして農村のご婦人から、一信仰者として次第に急速に成人を遂げられたと思われます。神がかり以前は何も知らない主婦です。今の小学生くらいの教養しかなかったでしょう。いきなり生き神となったのではありません。神直々に教えられなかで、日々の見えることを信仰的に捉え直して、彼女自身が新しい人間へと変容したに違いありません。

 その後、貧のドン底への道が待っていました。庄屋さんであった中山家の豊かな財産を売り払う道があったのです。最終的には母屋を取り払うということまで神様は命令しました。これは貧乏神がついたとしか思われない道中です。しかしみきを通じた神の命令に従わないと、みきの体に異変が起きます。中山みきという人間の肉体は、まったく神様の貸しものであり、人間にとっては借りている肉体であることがまざまざと示された道中でした。  

 教祖自身も夫の悲しむ姿をみて、何度も自ら身投げされようとされたほど人間としても行き詰ったと言われますが、身投げ自体も神様の命令だったのかもしれません。ただ神の声が聞こえて、それを止めたと教祖伝か逸話編に書かれてありますが、実際には隣に住んでいたある女性が宮池で入水されようとしていたみきさんを止めたという古老話も伝わっております。

 とにかく豊かな家が貧しくなる一方で、これは社会的にも許されない異常事で、親戚縁者からも見離されたことは確かな史実だと思われます。立教して16年目、母屋の取り払いがあり、教祖は道の将来を祝ったと言いますが、善兵衛さんは、絶望のどん底だったと思います。人間始まりの時の、ぎ様の魂だといわれても、貧乏への道となり、世間からは馬鹿にされて男性としての面子も失ったことでしょう。

 フェミニストからすれば、女性教祖の姿は英雄的でもあると跡付けでは解釈できますが、中山家の悲劇を一身に受けたのが善兵衛さんであり、失意のうちに立教16年目の嘉永6年(1853年)に出直されたのでした。

 その後におびや助けや霊救が始まるという快進撃に転換するまでは、このような貧のどん底をさせる神様に対して誰が信仰をもてるでしょうか。夫は妻から将来の楽しみなど聞かされたはずですが、全く理解できなかったと思います。神様を理解していたのは教祖お一人だけだったのです。教祖は天保九年以来、神を知った一信仰者となったのです。現象世界で起こることはすべて神様の貸しものの世界であり、生起することはどんなことでも神様が許して起こしていると信じていたのでしょう。貧しくなるのも、夫がいつまでも無理解であることもすべて神様が見せている世界であると認識していたのでしょう。人間にとって夫婦関係を治めることほど難しいことはありません。毎日一緒にいるわけですから。教祖は心を尽くして、夫に神様の話を説かれたはずですが、その内容は何も伝わっておりません。ただ貧のどん底に進むなかで、夫に対して理路整然と理の道を説かれ続けたはずだと思います。それで夫もそういうものかと納得しつつ、疑問に思いながらも妻に従ったのだとと思います。

 教祖の心は泰然自若とされておりました。いつも何事が起きても喜んで通られたのです。立教の年に生まれたこかん様には、「水を飲めば水の味がする」と励まされた言います。

 貧のどん底への道は、「屋敷の掃除」であるとして、中山家の汚れた魂をきれいに磨くために必要な過程だとされております。このような魂の教説、後に生まれる不思議な助けなど、また体系化されたつとめや元の理の話などが出てきますが、これらが人間中山みきの創造物、構想物とするには、かなりの無理があると思わざるを得ません。

 のちに警察からの迫害弾圧もありますが、また監獄の中で警察に足蹴にされたという史実も実はあります。その中でも教祖はいつもほがらかに陽気で心を倒すことはなかったのでした。苦難を苦難とせず、喜びに変える信仰心が誰よりもあったのでした。

 人間はもともと神様によって生かされている。肉体はかしものかりものである。人間には心があり、その汚れた心を払っていかないと真に救われない。神様に喜んでもらう方法として、神様が教える「つとめ」という儀礼がある、これをしっかりつとめて欲しいと。心はどこまでも自由であり、自由な心を使って存分に喜んで生きて欲しい。神様は人間の心に乗って、あらゆることを守護していく。神様に感謝する方法としてのつとめ、創造原理としてのつとめ。そうした根本教義が教祖を通じて明らかにされました。

 教祖の生涯そのものは、生き神としての人間のあるべき生き方の指針を現実的に残されたもので、それは50年にも及ぶ、艱難辛苦の道でした。天の神が天下って、中山みきを通じて、神とは何かを人類史上初めてあきらかにしたというのが、教祖の50年のひながたの道です。

 T大の先生が教祖の心を心理学的に解釈して、神の実在を否定されたとしても、それは人間世界のことであり、神様があるかないかは、その人の心の中に生きているだけのことです。神様はいないかもしれません。目には見えないから。しかし信じる人には、この世があり、人間があること自体が神様の存在証明となります。偶然に宇宙や人間が進化して誕生したのではなく、ある大きな必然性のもとに人間が誕生したことは、科学的にも正しい。これは科学がさらに進歩した今だから言えることです。

 人間は生きているのではなく、生かされている。生かされていることの喜びを深めるのは日々の出来事の中に神様のなさってくださる世界を見ていくということです。そのようなことを神様は連綿として啓示を通じて明かにされておられます。

 

 天理教は啓示宗教です。元の神、実の神が教祖を通じて顕現されました。ヒエロファニー(聖なるものの顕現)という概念にもくくれますが、一個の肉体を通じて、言語行為を伴って自らの実在を明かされたのです。人類の歴史で初めて、天保9年から開示されました。この始まりの史実、教祖のひながたの50年は、未来永劫、何億年経っても記憶されるべき出来事なのです。たった一人の女性の命をかけた信心から天理教という教えが始まったのです。それゆえにそのひながたのご生涯は尊いと思われます。     合掌