「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

教祖(おやさま)がはじめられた道は、宗教や教団を維持するための教えではなく、万人の救済を求めた真理の開示にあることを探求したいと思います。

 倫理法人会には、倫理経営を実践する素晴らしい経営者の事例が溢れていて、以下の方のお話を伺い、感動しました。

 今後の研究資料、メモとして残します。

 

 一般社団法人 倫理研究所

 法人局 参事

 法人アドバイザー(R2年から)、倫理経営インストラクター(H24年から)

  伊藤俊郎 様

  宮城県登米市にある、割烹寿司屋・若鮨の会長である。昭和25年生まれ。 

 

<神社の建立>

  令和元年に、若鮨牛神社の建立。 毎月、ニクの日、二九日は牛さんに感謝の日(報恩祭)とする。 

  牛さんのレプリカ、絵馬もある。・・・手を合わせる文化啓蒙のため。

 

  神社の狛犬(等身大の牛=駒牛)の石像の献納:

    野口建材商会 野口昇様  茨城県桜川市眞壁町山尾633-1 

    大関石材店 大関一利様

    佐藤美術彫刻 佐藤寛齋様 茨城県桜川市眞壁町塙世1176 石掘仏師 

 

若鮨牛神社(宮城県新田駅)の投稿(1回目)。宮城県登米市にある珍しい神社『若鮨牛神社(わかず…[ホトカミ]

 

 

 <倫理経営の実践>

 ・お客様第一、お店は自分のものでない。お客様のもの。 

 ・8時閉店、同業他社への配慮、一人勝ちしない。  

 ・犯罪を犯した子供(前科者)の採用、逆三角形の摂理

 ・若者に寿司の御馳走、恩送りする。不良の子供も自然と働きだす。 「一生忘れない恩は次の世代に送る」 

 ・親孝行、先輩を尊敬、

 ・税務署が来る店をつくる、魅せる、寄ってくる。126坪、7つの部屋で飽きない仕様。

 

参考となるYouTube

「恩送り」割烹若鮨 会長 伊藤俊郎様 - YouTube 

 

【渋谷区倫理密着パート3】渋谷と言ったら「塙保己一資料館♥後編」万人幸福の栞36ページ4行目!ヘレン・ケラーが表敬訪問|渋谷区倫理法人会に密着取材♪伊藤俊郎法人アドバイザー同行記録動画・渋谷区シリーズ

 

 

 

 

 

 天理教の研究者仲間から、公開を提案されておりました

茨木基敬公 三代様一代記之骨子 下巻』

ついに公刊することが出来ました。

 

 大変貴重な歴史書であり、Kindleにて期間限定で、3000円にしました。

 

 Amazon.co.jp: 茨木基敬公 三代様一代記之骨子 下巻 eBook : 村山元理(編集): 本

 

 一般に流通する書籍・雑誌などでの無断転載厳禁。

 

 本電子版を引用する際は、出典を以下の様に必ず明記してください。

 

 記載例

 村山元理・編『茨木基敬公 三代様一代記之骨子 下巻』Kindle版、2026年5月8日発行。

 

 

 ここから学術的な検討を公開の場で開始することとなります。

  

 理の研究が真に始まることを期待します。

 

 私も一層人間を磨いていく所存です。

 

 

 

 

 

 

 

 

北大教会の系統の大教会について、調べているとき、このサイトを発見

 

 

 各大教会の歴史を「天理教事典」旧版から丸写して、熱心に勉強・発信されている。ここまで丸写しだと著作権の問題もあるだろうが、天理教の宣伝になるので、教会本部も見許しているかもしれない。

 

 この中で、営利事業を教会が兼業することの是非、すべて失敗している事例を寄せ集めていて、これはとても意義深い指摘だと思い、記録に残す。上記サイトで以下の3つの失敗例が記されていた。

 

坂本徳太郎・繁藤初代会長の紙漉(製紙)事業、
近藤嘉七・名古屋初代会長の農機具製造販売業、

樋口幾太郎・府内(当時は船井)初代会長による織物事業

 

 信仰と事業の一致か反対か?  信徒が何かの家業をして、それを寄付・支援して教会活動が成り立っている。教会は、信仰一筋に営利事業には関わると信仰心が汚れるから、神様は守護されなかったのか?  今後の研究テーマとして、ここに記録を残す。

 

 大教会が信徒会館を不動産業として貸し出すことは、宗教法人法的には、最近許されているそうだと宗務課の友人に伺った。

 

 幼稚園、福祉法人など寺院・教会が経営している事例は非常に多い。学校・福祉施設は非営利事業体であるとみなすなら、これは神様も法律も許していることなる。 

 

  日本初の郊外型の高級分譲地が広がる世田谷区の一角を歩いて、五島美術館まで徒歩にて初めて歩いてみました(〒154-0012 東京都世田谷区駒沢4丁目1−2 から 五島美術館 - Google マップ)。周辺の名所(せたがや風景Mapの掲載地・「地域風景資産」)も途上にあり、紹介したいと思います。精霊が感じられる森、庭園が途上にあり、気持ちのいい道でした。

 

 駒大深沢キャンパスから西に直線のかなり長い一本道の直線の通りがあり、バス路線でもありました。深沢六丁目、深沢七丁目を通りますが、裕福なお屋敷が続きます。

 このあたりの大地主が秋山の森という旧家の森に囲まれた家もあります。駒大深沢キャンパスの南西の裏手にあります。

1-11 「深沢の屋敷林」(地域風景資産「深沢の屋敷林」 - Google マップ)との名称で検索もできます。秋山の表札の家も近くにあり、分家筋かと思われます。駒沢公園通りからちょっと入ると森があり、秋山家の屋敷林が鬱蒼としています。近くの川からは高台にあります。秋山家の私邸にはもちろん入れません。以下のサイトで紹介されているように、入れる森もあるようですが、どこだかわかりません。畑や森が広がっていて、江戸時代からの昔の風景がわずかに残っているかもしれません。

 秋山の森の西に呑川が流れています。後で述べる川です。 

 世田谷に昔の豪農の痕跡を見に行った | †PIAS† isn't anything

 

 駒沢公園通りをさらに南にいくと、深沢村の鎮守社と思われる深沢神社(深澤神社 - Google マップ)もあります。奥社も裏手ある不思議な神社です。寄進者のお名前に、秋山様の御当主のお名前を見た覚えがあります。

 

2-10 「旧・新町住宅地の桜並木」

  深沢七、八丁目、桜新町一丁目の南側が、日本初の高級分譲住宅地として大正2年から開発されたいわれが書かれています。この私宅も寄贈されて、元々の私邸は公園になったようです。その前で撮影しました。 ここは「深沢の杜緑地(35°37'29.8"N 139°38'46.3"E - Google マップ)」と呼ばれるところで、世田谷区の「玉川地域の公園」の1つとして整備されていました。

 

1-10 呑川親水公園

 呑川が南北に流れていて、この川を超えて西に進みました。その川の先に、上記の「深沢の杜緑地」があります。「桜並木の呑川と緑道」が南北に流れていて、緑道沿いには都立深沢高校、日本体育大学のキャンパスもあります。緑道、親水公園は整備されていて、健康器具もあるらしい。大田区までこの川が流れているらしい。

 

 

深沢西公園(下の写真)をさらに西に進み、日体大幼稚園、さらにSeisen International School の裏手を通る。英語を話す子供たちがいて、まったくセレブの子供たちここに通っているらしい。カトリック系で幼稚園から高校まで英語教育圏の世界が広がっている。

 

用賀中町通りを超えて、谷沢川こえてから、左折して、坂道をおりる。駒沢通りにぶつかり、右折。環八を超えて、多摩美術大学の前を通り、左折してその裏手を通ると、富士見橋。東急大井町線の切通の上を通る、崖の上の橋だった(以下、逆光で撮影)。

 

1-17 富士見橋より見た富士山の見える眺望 | 世田谷区公式ホームページ

 

 奥のビルは楽天の本社ビル。橋を渡った丘の上にあるのが、五島美術館でした。

 

 美術館(入園料、1100円)では、美術館が所有する国宝の源氏物語絵巻を解説したDVDを鑑賞。唐代以降の中国鏡、中国陶芸展の企画展示中で、勉強になった。藤田家、鴻池家から伝来の壺が数点あった。銅鏡もどこかの研究者から譲り受けた考古品で、中国の国宝級のものである。陶芸品は、景徳鎮のもの、白磁、青磁、五采や三采のものがあった。常設展がない美術館のようである。学芸員がいる確かな美術館のようである。

 

 五島慶太翁の私邸だったものが美術館となった。そのため、すぐれた庭園も残された。

 

 庭園もあったが、午後4:45以降は利用できなくなる。古墳もある庭園で、「稲荷丸北遺跡と稲荷丸古墳について」という五島美術館で貰ったチラシによれば、この一帯の国分寺崖線(10万年以上の歳月をかけて多摩川の浸食作用によって形成さえされた河岸段丘)は旧石器時代、縄文時代、古墳時代の遺跡があり、2万年前から人々がすんでいた豊かな土地だったそうである。

 

 丘を下って、楽天本社のクリムゾンハウス、さらにRISE

 

 

という東急の作った都市型開発モデル地区を通って二子玉川の駅から帰路へ。  

 

 

 

 

 

 

真理の実践家である、王陽明の言葉に「事上錬磨」がある。

 

事上磨錬とは?【じじょうまれん】ーわかりやすく解説 - 陽明学.net

 

 

「かしもの・かりもの」の世界において、日々あたわる事情、事上をどのように受け止めるのか。

 

日本製鉄の橋本英二社長は新入社員に以下の様に訓示を与えている(2021年4月1日)。

 

「私の座右の銘を紹介したいと思います。日々の実践を通じてのみ力がついていく、という意味の「事上磨練」という王陽明の言葉です。行動や実践を通して知識や精神を磨く、ということです。皆さんへの心からの歓迎の意を込めて、この言葉を紹介します。」

 

新入社員への社長メッセージ(代表取締役社長 橋本英二)

 

 日々に与えられる諸事情は、天の理である。

 

 その形の世界は動かせない、逃げられない。これは神様からの飛躍のチャンスとして受け取るか、不足するか。

 

 人間関係、夫婦の関係、職場での関係、世界の事情、戦争や物価高騰、異常気象に天災。

 

 

仕込みは仕上げのためにある

 

 

 との神様の仰せである。  

 

身上の仕込み、事情の仕込み、色々とある、遅い早いの時期は人ごとに異なるが、必ず自分に掛かってくる逃れられない事上。他人に掛かる事でも我が事として受け取る。    

 

 その事上には意味がある。 仕込みだという。 神様からの教育的に見せている。見せられている。

 

 そのように信じて、日々一つ一つに答えを出していく。喜んで受け取る。 その目的は、魂の錬磨、魂を仕上げて、神様の道具として役立ってもらえるためである。

 

 事上は魂のレベルを上げるということ、そのようなポジティブな含意がある。 その試練に答えが出せないことが、もったいないとの神様の仰せである。 魂の段階を上げていく(魂のレベルアップ)。 ここに事上の意味がある。   

 

 しっかり「足許を固めること」。ここに仕込みの目的がある。

 

 「日々に 仕込みためしで 磨くのや その度ごとに深い喜び」

 「素直やで かしもの悟り 磨くのや 誠の者には 証(しるし)与える」

 「日々の 心磨きは 実で行け その度ごとに 不思議自由(ふしぎじゅうよう)」(平成8年7月24日)

 

 日々の出来事から神様と直に対話する、その心境で心澄ましていきたい。

 

<合掌>

 

 世田谷区の東急大井町線には、田園都市線の二子玉川駅から上野毛、等々力、九品仏、自由が丘などの駅があり、都会のリッチ層が住んでいる。ここから2カ所を紹介する。

 

<萬願寺・等々力不動尊>

 この大井町線の中で等々力は等々力渓谷が有名で、都内で唯一の渓谷は緑があふれていている。渓谷をはさんで、不動尊、萬願寺があり、別々ではなく、一緒に運営しているようで、そのサイトがある。

 

 

 

<九品仏 淨眞寺>  大井町線九品仏駅から徒歩3分。  

 

 本稿の主題である大井町線の九品仏の名称が謎めいていて、そのお寺に一度行ってみたいと思っていた。

 

 

  この度、初めて九品仏淨真寺に参拝できて、想像以上に立派な寺院であることに驚いた。

 

 

 江戸期に、阿弥陀仏を造仏した仏師でもある珂碩上人の開山。  霊験あらたか 安産・厄除・開運  

 

 浄土宗    「おめんかぶり」の伝統行事

 

  三仏堂は日光の巨大な三仏堂を知っているが、ここの三仏堂は、3×3の9体の仏像からなる。上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)の3つのお堂で三仏堂だが、それぞれのお堂の中に3体の阿弥陀如来があるというもので、浄土宗の経典・浄土三部経の『観無量寿経』に由来する九品仏は関東では、ココだけらしい。人間は生前の功徳によって、九種に分けられた往生の階位があるという。上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)の3つの階位があり、それぞれ、上生(じょうしょう)、中生(ちゅうしょう)、下生(げしょう)に分けられ、最上位は上品上生、・・・下品下生までの九階位がある。

 

 上品上生(じょうぼんじょうしょう)の往生を願いましょう。 これがスローガンとして解説(2025.3)に書かれていた。

 

 東京都の重要文化財、大修理の期間で、下品堂の一番左の仏像は「大修繕大勧進」のために空であった。  

 

 

 午後4時から午後の勤行が龍護堂(本堂)であり、これは一般の参詣者も参列できるもので、浄土宗の寺院として地域に開かれた生きた宗教活動がなされていて、素晴らしい。午後4時半に閉門。  

 

  

 

 閻魔堂では、地獄の怖さを絵解きしていて、閻魔様の形相も怖いものである。嘘はついた人生の末路が厳しく裁かれる、因果応報の道理が説かれている。

 

 開山堂の前には、上のような水子供養の碑があり、幼稚園の経営と関連して、子供を大切にする思想があった。

 

 巨大なカヤの木もあり、樹齢800年、銀杏の木が本堂の横の入り口に二本あり、こちらは樹齢300年。

 

森の土塁に囲まれていて、かつての奥沢城の跡地を賜って、江戸期にこの寺院が建立された。  

 

自然がよく残っていて、武蔵野の景観が住宅街の中に奇跡的に残っている。江戸時代と変わらぬ領地をのこしている。

 

 九品仏の商店街には、おしゃれなパン屋が多く、セレブの街でした。 以下の、パンが美術品のようにおかれていた店舗は初めてでした。 

 

 

 

九品仏駅から徒歩3分で、参道の入口に行けます。世田谷散歩にお勧めです。   

 

 田園都市線の三軒茶屋から東京学芸大学付属高等学校には徒歩で20分。超進学校のその周辺の閑静な住宅街は、意外と起伏に富んでいます。その周辺の寺社を散策し、特色ある以下の寺院・神社を紹介します。

 

(1)野澤稲荷神社 旧野沢村の鎮守社 御神木に触れるとパワーを頂けるそうです。

 

 

 

 野澤稲荷神社の鳥居

 

野澤稲荷神社の御神木(銀杏) 社務所の前

 

(2)世田谷観音 特攻隊を祀る文化財の集積寺院

 昭和26年創建と寺院としては新しいですが、70年の歴史、特攻隊で亡くなった6000人以上の御霊を祀る特攻観音があり、特定の宗派にも所属していない単立寺院だそうです。 マスクがないと入れません。

 

 

 

 

 

吉田茂が揮毫した「世田谷観音」、正面入り口

 

特別攻撃隊慰霊顕彰の碑

 

世田谷百景に選ばれ、寺院と緑が癒しの景観

 

(3)龍雲寺  臨済宗の祈祷寺院、境内地に入ることが可能。 環状7号線から龍雲寺通りがあり、通りの高台にありますした。臨済宗の禅寺です。  

 

 

 

 

 徒歩で1時半で回れました。 環状7号線の東側の住宅街は起伏に富み、その中に点在する寺院、神社でした。江戸時代は野原、畑地、原野だっただろうと思われました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明治の文豪、徳冨蘆花(1868~1927:本名健次郎:以下、蘆花)は後半生、東京の世田谷区に住んでいたらしく、その住居あとが、芦花公園として、区内にある。

 

蘆花に関する博士論文が韓国の済州大学校大学院に提出されている(以下のサイト)が、大変な研究である。

 蘆花の文体は漢文調で、読みづらいが、自然派文学者として、自然3部作が有名らしい。『自然と人生』はベストセラーとして売れ続けたらしい。

 

oak.jejunu.ac.kr/bitstream/2020.oak/21410/2/徳冨蘆花の初期作品考察.pdf

 

 

 さて、蘆花は明治42年の秋に、天理教の教会(千山支教会)の秋祭りに招待され、その訪問談を随筆として残している。

 

 以下の書籍サイトの「天理教の祭」(明治四十二年 十二月四日)という文章が残っている。

 

 

 

 

 訪問した教会は、天理教千山分教会で、この教会はいまでも、芦花公園の近くにあることが分かった。

 

 

<天理教千山分教会>

 

 子供食堂も運営していて、天理教の世田谷支部の中にある。支部のサイトがあるのは珍しい!

 

 子ども食堂・フードパントリー - ホームページ

 

 

 ページが見つかりません - ホームページ

 

 

 明治末の世田谷には農民が多かったことが、蘆花の作品から分かった。

 

 天理教は、農民のための平和な宗教という印象がもたれていた。

 

 信徒が国民の10人に1人くらいか? 相当信徒がいた時代の天理教の風景がわかる。 

 

 記録のために残す。

 

 

 

 

 

以前書いたものを、再校しました。

 

 あわせて、梶本宗太郎さんが本部員になったとき、茨木基敬さんも本部員となりました。その珍しい明治44(1911)年の写真も掲載してあります。