「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

教祖がはじめられた道は、宗教や教団を維持するための教えではなく、万人の救済を求めた真理の開示にあることを探求したいと思います。

 

 2代目の真柱の中山正善が、第23回国際東洋学会(ケンブリッジ大学)で報告された際の講演のタイトルです。

 

「天理教教理に於ける神観念について」と和訳されるもので、権威ある国際学会で堂々と天理教の意義について報告されたものでした。

 

   Read at the 23rd International Congress of Orinetalist, Cambridge, 26 August 1954.  

 

 中山みきへの神の啓示(the divine revelation to Miki Nakayama)から始まったと天理教を紹介しておりました。

 啓示を受ける(received a revelation)。  月日の社となる(became the Living Temple of  God)

 世界の救済(salavation of the World)人類の救済(salavation of mankind)

 

   英語での天理教の説明は、キリスト教の概念を利用していることが分かります。  

 

  キリスト教の神は、God the Father ,  

   天理教の神は、 God the Parenet     と表現されています。

 

  『おふでさき』という啓示書(a book of revelation)が特に教祖を通じて親神が書いたものであることが強調されていました。「おさしづ」「みかぐら歌」よりも『おふでさき』が重要であることが説明されていました。

 

 ここで「おさしづ」は格下の啓示書であることが説明されていて、中山真柱の限界を露呈しております。

「おさしづ」は信徒によって書き取られた集成録(collection)と説明されていて、本席様、飯降伊蔵という啓示者の説明は全くありません。

 

 ただ「おさしづ」は親神の発言であること、伺いと刻限の2種類があることは、しっかり書かれておりました。

 

 本論文は、以下の書籍で発見しました。

 

中山正善(1954)『右往左往』天理教道友社。 

 

 

 メルカリでは4800円で落札されていました。

 

 二代真柱はたくさんの本を書かれていて、研究者タイプの学識のある方(東京帝国大学文学部宗教学科卒)で、

この本は単なる旅行記の体裁でしたが、恐らく、学会報告を兼ねて、世界旅行をされたと思われます。

 

 教団トップとして、海外信徒の激励ももちろん兼ねていて、ハワイや南北アメリカなど22カ国も訪問されました。

 

 昭和29年5月18日に東京の羽田空港を出て、9月9日に羽田空港に戻られました。その115日間の旅行記です。

 

出典:中山正善 著『右往左往』,天理教道友社,1954. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3005519 (参照 2025-08-15)、コマ番号10。 

 

昭和29年に同行された3代真柱の善衛様は、この時22歳で、大学4年生だったかもしれません。

 

 

 

 

 

 私がなぜ、続く啓示の真理を信じるようになったのか? 個人的なことを書かせてもらう。

 

 還暦を過ぎて、昔の友人とよく会うなかで、人生の洗濯をしたい。  

 

 祖母は天理教の布教師で、カリスマ的な性格から多くの人を勧誘して、お地場帰りをしたらしい。私の最初期のお地場帰りは、祖母と天理本通りで見たドジョウを見た体験である。 

 

 父から誘いで、正月は東京教務支庁に必ず参拝した。 

 小学校5年生の冬頃から、父の知人の教会長から勧誘を受けて、子供お地場帰りに参加した。 

 バスの中から親里を見た時に、幼児の時に来たことを思い出した。

 

 中学・高校時代は、東京の天理教の分教会に千葉からよく通いつづけた。 子供お地場帰り以外に、教会の行事のひのきしんに参加したり、「どうじょうの会」という中高生向けの活動に参加したりしていた。

 

 妹たちも子供お地場帰りはしたが、教会の活動に主体的に参加したのは、私だけだった。東京の下町の情緒に誘われて、また天理教の教えが元々気になっていたからかもしれない。  

 

 別席には高校生の頃に初席を運ぶ。昭和54、55年頃かもしれない。 

 

 高校のクラス日記に、元の理の創成神話について、書き込みをしたり、

 倫社の授業の答案に、天理教の意義について書いたりしていた。

 

 お地場で、初席(最初の別席)を最初に受けた時は、知識としてすべて知っている内容であったので、特に新味がなかった記憶がある。上村福太郎先生が最初の取次人の先生であり、千葉からだったので、2席を運べたかもしれない。

 

 高校時代は上級の大教会が主催する、徒歩団参に参加した。

 

扁桃腺に悩み、高校1年ころ、よく休むことがあった。身上の理由について、教理的に色々調べるようになった。

 

徒歩団参で一日歩いて、南礼拝場で集団で御礼勤めがあった。その際、障がい者らしい人が、座ることもままならない中で、まともな声も出せない中で、「悪しきを払うて助けたまへ」とお勤めをしている姿に接した。

 

その時、自然と涙が止まらなかった。 自分の不幸のことばかり考えていた利己的な心の狭さが、打ちのめされたのだった。自分以上に苦しい中でも、その方は、一生懸命にお勤めをされていた。 

扁桃腺の手術で途中で帰るところが、指導を受けてしなかった。

 

高校の無信者の友人を誘って、大教会のB道会の行事に参加したこともあった。 

 

高校の別の友人2名を東京の教会に誘ったこともあった。 

 

最終的に満席となったのは、修養科第554?期の8月であった。大学を留年していた昭和62年である。 

3代真柱の善衛様から「お授け」を拝戴した。

 

 夏の修養科で、詰所では自殺未遂事件、自殺者も出た。また学校では、やくざ関連の人が多かった。地場での3か月の因縁を見せられる、ひのきしんに励み、そして、12下りも初めて全部踊れるようになったのが大きな成果だった。

 

 この間、大学生の時、実家を離れて寮や下宿生活を置く中で、大学の友人の中に天理教の信徒の00さんがいて、彼を通じて、天理教東京学生会を知る。30周年に向けて、学生たちが活動していた。東京教区の教務支庁の三才寮の前に会館があり、毎月、月次祭をしていた。 中西先生が主任であった。  

 

 早稲田大学の「ひのきしんくらぶ」などもあり、早稲田の先輩や後輩の知り合いもできる。

 

 こうした仲間に誘われて、江戸分教会の山本利雄先生の、「おふでさき勉強会」にも参加するようになった。

 

 山本先生は今の若い天理教の人は知らないでしょうが、40年前には、教内でも大変有名な方でした。医学博士で、「憩いの家」の院長もされたとか?  

 

 本部員の山本利三郎の家系につらなる分家筋で、江戸分教会は本部直属である。  

 

 

 

この「おふでさき勉強会」に何度が参加したが、そこで大きな出会いを体験する。  

 

 

 

昭和12年に天理教の教会本部・海外伝道部が英文で作成。

 

翻訳すると『天理教ー日本の新宗教運動』ということで、自らを「新」しい教団として自覚していることが伺えます。

 

宗教社会学的には、天理教や金光教など幕末維新期以降に生誕した新しい宗教は新宗教と言われていますが、それに近い名称でしょう。

 

 天理教は学術的には、民衆宗教(popular religion), または民族宗教(folk religion)と歴史学的には分類されたこともあります。

 

  マスコミからは、新興宗教として、または明治期は邪宗門などともいわれて、蔑視されてきました。  

 

今でも天理教は自らを、新宗教と分類されることを、一般的に忌避しているようです。

 

ある本部員の先生は、「世界宗教への道」という本も書きました。

 

 

 

 世界宗教である仏教やキリスト教と同列であるというのが自己認識で、救済宗教という概念に当てはめることに異存はないでしょう。本書も、人類の救済を目指す天理教として解説されていました。

 

 海外伝道の現況と天理教の教えに関して教会本部が英語で本格的に正式に自己解説した最初期の文献かも知れません。

 

 

 

 

天理教教庁海外伝道部の代表者、山澤為次氏が出版されたようです。 

 

山澤為次氏の氏名は、 『おてふり概要』の著者として、今の天理教の人たちにもなじみのある方ですね。  

 

大東亜共栄圏の植民地にも天理教が飛躍的に広がっていた時期で、どれほど当時の天理教がすごかったのかが回顧されます。

 

600万人の信徒。

 

満州、中国、北アメリカ、南アメリカ、ハワイ、南洋諸島に12,230人の信徒。

 

 

Rev. Shozen Nakayama, the Present Patriarch (中山正善師、現在の真柱)

出典: 『Tenrikyo : Japan's new religious movement』, Department of Overseas Missions Tenrikyo Central Church, 1937.8. 国立国会図書館デジタルコレクション ,  33ページ。

 

2代真柱の若きリーダーシップのもと、形の上での大教団の組織化がますます進んでいました。 

 

この後、政府からの思想的な大弾圧があり、教義の改編を余儀なくされました。

 

その後、復元が戦後ありましたが、何か復元されたのでしょうか。  

 

 

 

 

 

分析は今後の課題として、資料の紹介とします。

 

 

 杉並区に緑陰を求めて、京王線の浜田山駅の近くを散策しました(2025.8.13)。たまたま発見した高級住宅街「パークシティ浜田山」が浜田山にありました。  その浜田山について以下のサイトが優秀です。

 

 

 

 

 「パークシティ浜田山」は、アメリカのビバリーヒルズ的な高級住宅街で、三井不動産レジデンシャル株式会社の賃貸物件でした。 

 

 一部の富裕層にしか住めない場所ですが、散策できただけでも気持ちのいい場所でした。 森の中に高級マンション、分譲地を創ったようで、大変うらやましい立地でした。  

 

 

もちろん知り合いは全くいません。芸能人が住んでいるらしいですが、秘密です。  

 

 

 

 

「パークシティ浜田山」は「三井浜田山グラウンド」の跡地に三井不動産によって平成21(2009)年から分譲されたようです。全9棟のマンション(総戸数522戸)と戸建て群(39戸)からなっています。

 

 

「パークシティ浜田山」 南北のメインロード、南から北側をのぞむ。

 

 

 

 

「パークシティ浜田山」 メインロードの南側の戸建て住宅 

 

 

「パークシティ浜田山」 北東あたりの街路樹

 

「パークシティ浜田山」 レジデンスの全体像、約82,800㎡の敷地。

 

 

「パークシティ浜田山」の周囲には、「三井の森公園」「柏の宮公園」があります。

 


  

「柏の宮公園」の南にある茶室・林丘亭は、この公園が日本興行銀行の所有地だった歴史から、新宿区の興銀所有の大名庭園の茶室を昭和34年に移動したそうです。今は杉並区の貴重な文化財となっています。

 

 

「三井の森公園」は「三井浜田山グラウンド」の一角にあったので、この名称が残ったようです。 戦前の三井財閥の栄華が今にも伝わります。「三井の森公園」については、すぎなみ学倶楽部のサイトに優れた紹介があります。

 

 

 

  

「柏の宮公園」中央広場の奥に高井戸の焼却炉の煙突。

 

  

 

「柏の宮公園」に初めて入る。

 日本興行銀行の「柏の宮総合グランド」が杉並区に、1999(平成11)年売却されました。3行統合でみずほ銀行となる際に、資産売却されたもので、バブル崩壊のため公的資金が導入されたためだそうです。興銀はこんな資産も持っていたとは。亡くなった佐藤さんにこの地のことも聞きたかったです。 

 

「K銀マン・佐藤陽一さんのサラリーマン人生と哲学」(2011)

 

https://www.tokiwa.ac.jp/tokiwa/publication/policy/pdf/policy_03.pdf

 

 

公園の整備にあたり、地元からもヒアリングをして浜田山町会との共同で公園が造成されました。 子供が遊べる遊具を貸し出すNPOとの協働もあり、夏休みらしい光景もありました。水田、プールもあるようです。 「柏の宮公園」の紹介について、FB「お散歩の会(杉並)」に最近の様子が出ていて、こちらも解説が優秀です。 さすが、文化度が高い杉並区の住民意識の高さが感じられます。

 

 

 

 

Nippon Steel 浜田山寮。US Steelの買収に成功した橋本英二会長(2025年4月まで社長、3月から会長)の英断は素晴らしい。

 

浜田山駅からも5分程度で社員には有難い立地でしょう。

 

橋本さんの英断について、以下のNHKの報道が勉強になりました。 世界一を目指す日鉄、今の東急と似ていて、リーダーの決断で若手に夢を与えています。  

 

 

 

橋本会長 「私は旧・新日鉄に入社したが、いろいろな理由で順位を落としていった。その要因の一つは成長を追い求めるDNA、『挑戦』という企業にとって一番大事なものがなくなってしまったからだと思う。日本の中だけで、ずっと縮小均衡で経営してきたがゆえに人材が育たなかった。経営が挑戦せず、社員が持てる力を試す場がなかったことが、衰退した原因だと思っている」

 

 

 浜田山駅➡浜田山公園➡Nippon Steel 浜田山寮➡「柏の宮公園」・林丘亭➡「三井の森公園」➡ 「浜田山シティーパーク」という順路で発見した次第です。1時間弱で十分に歩けました。  

 

 偶然に見つけた散歩道でした。

 

 ふりかえると、日本の財閥・大企業の厚生施設に関する歴史の一角を学べる経路でした。  

 

 三井財閥、日本興行銀行(現・みずほ銀行)、Nippon Steel (日本製鉄株式会社)  

 

 

 

 

 

 

 

 

トランプ政権でDOGE(政府効率化省:Department of Government Efficiency、自身の仮想通貨の名称DOGE Coinからとった)という省庁を立ち上げて、アメリカ政府の官僚組織をチェーンソーのごとく、ずたずたに解体したのが、イーロン・マスク氏だ。テスラのCEOであり、億万ドルの富豪の企業家である。政権を去った今はもDOGEは政府予算を切り刻んいるという。

 

目標額は、1兆ドル(156兆円)だという??? 

 

アメリ政府の海外支援機関、USAID(=アメリカ国際開発庁)が最初にターゲットにされた。1万人の職員が解雇されるという異常事態である。

 

 その他、あらゆる組織が標的となり、20万人がすでに解雇されたという。 

 

 

 

 マスク氏が政権に取り込めたのは、巨額な寄付からであり、彼らビリオネアに対する抗議でが5月にNYで起きている映像が流れた。 いわく、”These Billionaies are killing us” "Tax the Rich"の横断幕を掲げて。

 でもに参加した夫婦は、DOGEの予算カットによって、仕事をなくした民間人であった。医学系のジャーナリストの母と子供むけのTVのフリーランスのプロデューサーの父(セサミスリートの番組を作っていた)。子供たちがいるのに、突如として二人とも政府(教育省の予算カットのため)から委託されていた仕事を無くした。政府からは、WOKE(意識の高い系)のイデオロギーが支持できないという濡れ衣であった。

 

DOGEの組織は誰も知らない。秘密の組織である。

 

平和研究所(Unied States  Institute of Peace)という特殊法人が、DOGEのNate キャバノー(28歳の企業家)によって突如、閉鎖された。武装警官を率いて、鍵をもって、占拠し、サーバーをまず取り上げ、全員解雇のメールを出す。DOGEを訴えないよう、退職金はないかわりに、6393ドルが支払われた。 脅迫と不誠実な態度で、「テロリズムに資金を提供している」という濡れ衣をでっちあげての解体であった。 解雇された職員の意見ではあるが。  裁判の一審では、不法占拠された研究所側が勝訴し、今も係争中だという。 

 

DOGEは政府の機密文書にもアクセスしていることが、全米労働関係委員会のB氏から告発されている。

勇気ある告発である。

 

納税者の情報、医療データ、SSN,学生ローン、企業の内部告発、移民の個人情報・・ 

 

DOGEの職員を調査しているジャーナリスト(wired)のEliotによれば、SpaceX社の社員、シリコンバレーの企業家などが、その職員となり、政府のあらゆる省庁に配属されている。政府の人事委員会には100名も。

 

科学、健康、外交の組織がまずゼロベースで解体される。 シリコンバレー的手法だという。

 

告発した元職員は即刻解雇された。

 

1800億ドルの削減、入力間違いらしい、半分以下だと分析されている。

 

マスク氏は、5月にトランプ政権を離れ、アメリカ党を立ち上げる。  どんな未来を創るのか?

 

テックライトが集まる、ビットコイン2025の会議イベントが紹介。

David O. Sacks

Bance副大統領 「選ばれていない官僚が決めるのではなく、我々が未来の技術を決める」

アメリカ党 マスク氏の政策

1.国家債務の削減、責任ある財政支出のみ

2.AIとロボット技術による軍隊の近代化

3.テック中心、AIで勝利するために加速せよ

4.あらゆる分野、とくにエネルギー分野での規制緩和

5.言論の自由

6.産児増加主義者中心

 

ナタリスト(出生奨励主義者)でテック関係者と親しい、Collins夫婦の紹介。Malcom&Simon。 マスク氏も14人の子供がいるという。彼らは命を狙われていて、脅迫をいつも受けている。家には銃がおいてあり、迷路のような家の作りである。

「卵子を凍結して、優秀な子供を計画的に生む」。5人目を妊娠中であり、12.3人欲しいという。マルコムの弟のMilesがDOGEにつとめており、著名な人口受精クリニックを経営しているそうだ。

 マルコムは大学を全く信用しない。子供の将来のために、AI大学を自分で作った。未来はAIによって、経済も仕事も変わる。優秀な官僚よりAIは優秀である。1%の富豪がお金をだしたいようなスキルを子供たちに教育させたい。

 夫婦は、技術(AI技術)による未来を信じている。

 

 マスク氏の発言:Introducing GROAK4×AI:AIはあらゆる学問領域で大学院生より優秀だ。 GROAK4というAI技術で、国防総省と2億ドルの契約を締結した。すべての政府機関にAIを提供するという。

 AI agentを開発した、Flash IntelのCEOのイ・シ氏の発言「AIがすべての統治機能を担うことが可能である。」民主主義と効率性はトレードオフ関係にある。これは哲学的な問である。

 

NHK:「効率化を進めた先の国家とは?」

 

イーロンの語る思想の背後には、テックライトといわれる過激な政治思想家・ブロガーの Curtis Guy Yarvin が紹介されていた。

 

 

 「民主主義とは能力主義であり、大学と官僚と既存メディアという中世の大聖堂によって支配されている。このような民主主義の権威システムを壊すには、権力者に今より権力を持たせるべきである。」とトランプ大統領が王様的な行為とマスク氏のDOGEによる改革を支持する。

 「選挙しても何も変わらない。それは民主主義と呼ぶべきではない」と。「ルールや手続きよりも、柔軟に対応できる権力が必要である。民主主義やポピュリズムを強くするには、君主を選ぶことである。CEOと君主は似ている。最も効率的である点で似ている。「説明責任のある君主制」(accountable monarchy)と呼ぶものがベストである。」

 

 

 

NHK: マスクが描く未来は? 民主主義はどうなるのか? 

 

反トランプ政権のデモの映像。”No King”

 

マスク氏の発言:DOGEの改革は、ビーチでゴミを清掃するようなもの。ツナミでビーチを洗う。AIの超知性で今年か来年に大きな変革が起きるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 天理教の一般の信徒なら、ご本部の神殿を参拝して、東の回廊を経て、教祖殿に参拝することが習わしである。生前同様に教祖(おやさま)がご存命であるから、朝食、昼食、夕食、洗濯など、生前同様に本部婦人の方々が、目に見えない教祖に対して奉仕されているという。そして、不思議なお助けがあれば、教祖のお陰であると無垢な信徒なら発言するであろう。

 

 ただ、こうした「教祖存命の理」に対する現在の解釈には、限界がある。すなわち体制維持のロジックとして、ご都合主義の教理解釈をもたらす原因となり、一歩も踏み出せない真柱ワントップ体制を温存させる限界が次第に見えてきた。

 

 すでに何度も本ブログで解説してきたが、教祖存命の理とは、本席様の時代に作られた新たな教理であり、おさしづは教祖存命のお言葉であると、本部の権威者もすでに語っている。

 

 以下のように、『おさしづ索引』3巻が天理教教義及史料集成部で教祖百年祭を記念して出版され際の発言を再度引用する。

 

 

 

 教祖存命の理とは、本席様の刻限話など、飯降伊蔵さまを通じた肉声が神の詞を意味していた。お地場に、そのような神の詞を伝える天啓者(この道では機械と形容される)がいないという意味で、お地場には教祖はご不在であるという言説が生まれた。

 

 肉体をもった教祖はこの世にはおらず、扉を開いて世界の助けに出たと本席様が語っている。目には見えないが、働きの理として教祖は存命だという素朴な信仰を否定するものではない。 教祖殿にいけば、教祖のぬくもりが何となく感じられ、おさづけを取次がれる信徒の姿には心打たれるものがある。そうした素朴な信仰心を否定するものでもない。

 

 ただ、教祖が令和の今の時代に何を語っているのかという現実的な問題に、本部からは打ち出すことはできない。 本年が大変革の時旬だという教祖の思惑は、本来、総ての信徒が聞くべきご発言である。

 

 「扉は開かれた」ことに関して、「おさしづ」には以下の様なご発言があった。

 

さあ/\ろっくの地にする。皆々揃うたか/\。よう聞き分け。これまでに言うた事、實の箱へ入れて置いたが、神が扉開いて出たから、子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ。扉開いてろっくの地にしようか、扉閉めてろっくの地に。扉開いて、ろっくの地にしてくれ、と、言うたやないか。思うようにしてやった。さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん/\に理が渡そう。よう聞いて置け。」(明治20・2・18)

 

 この「理を渡す」とは、おさづけを渡すことだけなく、刻限話など神の詞そのものが含意されているという。「扉開いて」とは無形の教祖が永遠に語り、指導を続けることを意味しているのである。  

 

 「ろっくの地にする」とは、人間世界に差別や戦争を無くすことが語られている。令和の今の時代、世界には戦争があり、分断があり、教祖の思惑とは逆行する現象が起きている。教祖はこの様を悲嘆され、助けを急きこまれている。

 

 教祖と一緒に、「おつとめ」をする。

 

 そのつとめる人の心の仕込みが今の時旬においてもかなめとなる。 

 

 つとめを唱える唱え一条が仕込まれている。

 

 おふでさき、おさしづ、みかぐら歌に込められた神意を我心として、勤めて欲しい。

 

 ただ同じことを神様は伝えている。

 

 つとめが世界救済の要なのであり、そのつとめの人衆の魂が仕込まている。

 

 

 

 天啓の継承問題について、100年前には、以下のような説もあった。

 

 
 

 

 天理教の宗教儀礼に「みかぐら歌」があり、十二下りは数え歌として、日々に唱えられ、踊りを通じて、神様への感謝を表現する神と人とのつながりが現れされている。

 その意味内容には形を超えて、新たな神意が込められていることが今回明かされました。 誠に驚くべき内容として、届かぬながら書かせてもらいます。

 

みかぐら歌 三下り目

 

一ツ ひのもとしよやしきの つとめのばしよハよのもとや

[日の本 庄屋敷の つとめの場所は世の元や]

 

三下りの一ツから五ツは扇が利用されていて、これはこの下りが重要であることが暗示されている。

 

 御教祖おやさまによってこの道は、日本国の大和國庄屋敷村において、天保9年(1838)神が現れたという史実は変えられない。

 

 日本という国に特別な意義づけがあり、日本という国の長い歴史の意義も、実は、神様が守ってきた国柄があり、世界助けの順序として、日本に特別な役割があることが含意されている。

 

 インバウンド客が増えて米価が高騰したが、外国人が真に知らねばならないのは地場の理である。  

 

 トランプ関税15%の外圧があろうと、日本人は日本人として自覚と誇りを持たねばならない。天皇家が日本の象徴となっているが、これも神様が守ってきた家柄である。

 

 中山家は庄屋の家柄で庄屋の屋敷があるということで地名も庄屋敷になったと思われる。関西では庄屋、関東では名主、東北では肝いりなどとよばれ、幕藩体制のもとでは、在地の地主として支配者層の末端を担っている。

 

 荘園の荘とも関連する庄は「いなか・村里」をもともと意味している。

 

 屋敷(やしき)は本席様の時代に、神の屋敷、鏡屋敷といって、神様のお話が下される御用場として特別な意味付けがなされた。実は、この庄屋敷にもそれに匹敵する意味が込められているという。

 

 庄屋敷は「いなかの屋敷」であり、都からは離れたところにある、「汚れのない、荘重な屋敷」という含意だという。

 心の汚れがない、そのような屋敷で、つとめが勤められる。つとめ場所とは心の汚れが許されない場所であり、そのような所でおつとめがされるのである。

 そのつとめ場所は「世の元」というからには、創造原理が発揮されるというスピリチュアルな精神的次元が含意されている。

 

 神様が人間を作って、神と人が共に楽しむ陽気遊山を楽しみたいという甘露台世界が理想のユートピアとして求めらている。

 

つとめには神が出張って、神と人が共につとめるのである。

 

 さて。つとめ場所は地場の巨大な神殿の中にあり、また各地の教会や講であると普通に思われている。これが今の教団体制からの見立てである。しかしどんなに壮大な伽藍があろうと、つとめる人衆の心に汚れがあれば、何も変わらない。形だけの形骸化した儀礼がなされるだけである。

 

 そして今の地場には、存命の教祖はご不在である。神の詞が下される地場の別間が、つとめ場所の機能を令和の時代にその責務を追うことになった。形は小さな別間でも、存命の教祖からの期待は誠に大きく、一層精神を引き締めたいと思う。

 

 明治期までは奈良県三島市の地場に史実として確かにつとめ場所があった。

 其の勤め場所は、つとめ場所の機能を失って100年以上たってしまった。

 

 地場の別間で「刻限のつとめ」に参らせていただきます。

 

<合掌>

 

 

 

 

  永野記念館のある弘願寺(グガンジ)は上浦刈島(かみかまがりじま)にあります。 永野六兄弟は、戦後日本の財界・政界で一時期大変有名でした。

 

 記録のために残しておきます。

 

 

 

 

 

永野護  元運輸大臣、渋沢正雄の同級生で、渋沢栄一から学費の支援を受けて、永野兄弟の学費が賄われる。

     中島久万吉とともに帝人事件の被告となり監獄で暮らした。

     昭和20年の『敗戦真相記』に中島について言及あり。 

 

永野重雄 富士製鉄社長

 

 

<書きかけ>

教祖が執筆された『おふできさ』は人類に公開された最初の天啓録であり、だれもが読める日本語だ。しかし、その神意には時代と共にさらに明らかにされるべき普遍的な原理が隠されている。

 

 明治2(1869)年から『おふできさ』が執筆されてはじめ、この歌は第1号のものである。

 

このたびハやしきのそふじすきやかに

 したゝてみせるこれをみてくれ      (1-29)

 

[この度は屋敷の掃除すきやかに したてて見せるこれを見てくれ]

 

 「この度」とは、1869年の時点だけでなく、現在の2025年にも相当する真理が込められているとすれば、それは恐るべきほどに現在にも相当する意味内容を含んでいると言わざるをえない。  

 

 屋敷とは地場屋敷であり、存命の教祖がおられる地場を意味する。奈良県天理市の天理教の教会本部が立てられている神苑一帯、親里やかたの中、さらに詰所などがその屋敷を取り囲んでいるというのが屋敷のイメージであろう。

 

 屋敷はすきやかにされるべき場所であり、人が想像する以上に、ピカピカの屋敷が想定されている。形ではない、心の清浄さ、美しさ、誠の心が、神の心を信じる信徒集団が想定されている。 

 

 おさしづにも「鏡屋敷」(M28.5.12)にある通り、言行一致の信仰心が問われている。

 

 地場が治まらねば世界が治まらない。 

 

 今の世界の戦争も異常気象も、地場の汚れや人間一条を映している。

 

 さて、地場屋敷をきれいにするのは誰か。

 

 具体的な順序として、教祖の言うことを第一に聞かねばならないのは、教祖の長男の秀司さんであった。

 

 そのお方は、教祖の言う事、すなわち神様の言葉に対して、余り素直ではなかった。母親を通じて神が発言をしていても、老母が何か言っているのかと。 お筆先の表紙に「老母」と書いたのは秀司さんである。  

 

 教祖と苦労を共にして、もっとも身近にいた秀司さんであるが、老母を利用している無形の神という実在にまで信心が徹底していたとは言えない。 

  

 ここに形を超えた無形の神への信仰心というアポリアがある。 

 

 

そふじさいすきやかしたる事ならハ

 しりてはなしてはなしするなり      (1-30)

[掃除さいすきやかしたる事ならば 知りて話して話するなり]

 

これまでのざんねんなるハなにの事

 あしのちんばが一のさんねん       (1-31)

[これまでの残念なるは何の事 足のちんばが一の残念]

 

このあしハやまいとゆうているけれど

 やまいでハない神のりいふく       (1-32)

[この足は病と言うているけれど 病ではない神の立腹]

 

りいふくも一寸の事でハないほどに

 つもりかさなりゆへの事なり       (1-33)

[立腹も一寸の事ではないほどに 積もり重なりゆえの事なり]

 

りいふくもなにゆへなるどゆうならハ

 あくじがのかんゆへの事なり       (1-34)

[立腹も何故なると言うならば 悪事がのかん故の事なり]

 

 屋敷のトップである、秀司さんには「足のちんば」があった。「ちんば」とは足が不自由でひきずって歩くような恰好だったが、これは差別用語で今は使われない、当時の関西方面の方言である。 

 

 「足のちんば」は何を意味していたのか? 

 

 神様のある想いがあり、それがあらゆる形に現れているが、この「ちんば」は神の残念を意味しているという。このようなことが書き残されて、筆記されたことは、史実でもあり、本人がどのように悟ったかが問われる。また神の「残念」だけでなく、さらに「立腹」という強い表現も出てきている。

 

 秀司さんの心はどこまでも自由であり、神様に対して十分に逆らい続けているのである。

 

 大正3年12月31日に、突如出直された初代真柱の中山新治郎(真之亮)様は、茨木基敬さんのことばを神の詞として受け入れず、早すぎる出直しであった。 その「辞世二首」が新聞にも出ておりました。

 

 岩よりも固き心を結び合せて 道に盡せよ斯道の人

 

 通のため盡す心は唯一つ 己が誠の外なかりけり

 

  信仰一筋の尊い精神が伝わってきます。教祖在世時から養子として中山家にはいり、激動の明治期を教団形成に注いだ人生でした。

 

 秀司さんは生れ変わって、二代真柱様となる。中山家中心の神学を戦後に作った中山正善さんは、飯降家を格下扱いにして、本席の啓示を低く扱う。昭和初期の講習会では「おさしづ」の重要性を管長として語っていたが、まだ本席様のぬくもりが残っていて、筆取り人が生きていたからです。しかし、二代目の啓示者としての扱いを十分にしたとはいえない。また茨木家の三代目とも交流があったが、茨木基敬様の啓示を認めることもなかった。そして二代真柱様は早死にされた。

 

 三代目の真柱、中山善衛様には神がかりが現象が掛かってきたことがあったようだが、本人はそれに蓋をしたらしい。啓示者になるべき魂の持主として地場に昭和7年7月7日に再生されたが、この魂の摂理については、教える人がいないので、本人には自覚もなかった。

 高齢のため真柱の職を自ら引退して、真柱が普通の人間的行動を示す先例を残してしまった。高齢者の引退ブームとなった。天理教の世俗化をさらに推し進めた。

 

 そして4代目の今の真柱様は、まさに「足のちんば」のお姿となり、中山家の歴代の因縁をそのまま引きずっておられる。そのお姿は、「悪事がのかん」ことの証であり、存命の教祖のおことばを素直に聞けないことを『おふできさ』は預言しているのである。

 

 真柱とは独立した理ではない。「裏は鍛冶屋に表は大工」というセットでこそ生きてくる組織の要である。だれもそれを諭すものがいない。   

 

 足元に偉大な理をみる。

 

 届かぬながら、この究極の真理を公開の理のもと、探究して参ります。

 

 

 

合掌