人間真柱を語る芹沢光治良 | 「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 天理教の天啓問題で、必ず出て来るのが伊藤青年(現在の天命庵)[1963- ]と彼に教祖(おやさま)が憑依したと信じた小説家の芹沢光治良[1896-1993]さんである。

 芹沢光治良さんの晩年の最後の文学活動が新潮社からでた『神の微笑』(1986)に始まる「神の三部作」を含む8冊(1986-1993)は、天理教に関連してニューエイジ思想にも広がる宗教的霊性あふれる作品群として知られている。

 伊藤青年こと大徳寺昭輝さんの存在は、芹沢氏の小説で世に広がったらしい。大徳寺さんのもとには天理教の信仰者たちもかなり惹かれたことは、教祖存命の理への希求を表明しているだろう。救済の実と無欲な姿から、ファンが多いようだ。

 

 

 

 ただ、ここで、注意したいことは、この神の三部作の前に、以下の書籍が書かれたことである。

 

 芹沢光治良(1978)『死の扉の前で』新潮社

 

 芹沢氏は、この書籍で引退を表明されたそうだが、伊藤青年との出会いから、筆を再度起こされることになった[弓山(2005)278頁]。

 

 この書籍は天理教の二代真柱と交流のあった芹沢氏が、二代真柱の中山正善の姿を書いたそうで、真柱の人間像が描かれているそうだ。これに対して、飯田照明先生の批判の書として『コンゴ河のほとりでー『死の扉の前で』の読み方』(私家版、1978年)もあるそうだ[弓山(2005)292頁]。

 

 以上まえがきが長くなったが、この書籍の問題点を以下指摘したい。ある程度事実に即した記述なので、誤った史実が混入しているのはやむを得ないが、誤りは誤りなので以下指摘したい。

 

 同書の99ページからの記述に以下があるそうだ。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~hikino-effect/idekunimuhon.html

 

 「僕にも解らなかったのです。処が、『教祖様』の資料を調べているうちに、天理教の歴史に目を向けて、偶然手にはいった天理教関係の参考年表に-大正五年一月教祖三十年祭執行とあって、同八月、播州井出くにむほんと、あるのを発見して、目を見開きましたよ。このために、真柱はああ言ったのだなと、合点したが………その三十年祭前後に、天啓事件を起した水屋敷事件の茨木基敬や天理本道の大西愛次郎は、元来天理教の信者であるばかりでなく、教会長で重要な人物ですから、謀反人(むほんにん)の極印を押されるべきだが、天理教の信者でないこの婦人のむほんは、何か重大な意味がありそうで、教祖の三十年祭前後の天理教の歴史を、あれこれさぐったものです……君は天理教の歴史を勉強していませんか」

 

 教組三十年祭当時の天啓事件に関連した記述であるが、「水屋敷事件の茨木基敬」の箇所は明らかに誤りです水屋敷事件とは安堵の飯田岩次郎が起こした安堵事件とも呼ばれるもので、本席様の時代におきた天理教の異端事件として有名です。 

 

 この引用部分は引野様のサイトから引用させてもらいました。引野様は最近ご身上になられたそうで、高慢の心を反省されいる文章に心打たれました。 恐らく教会本部が存命の理を実現していない汚れについてよく批判されている立派な方のようです。

https://hikino-effect.seesaa.net/article/504066731.html

 

引野様は、天命庵での救いを体験されたそうで、参考になりました。  

 

ただ、天命庵は、弓山著(279頁)にあるように分派の流れの影響下(天理神口明場所系、月日三世の道真知岳本部梅教会と婚姻関係を結んでいる女性が、伊藤青年の母方のおば)にあり、真実の天啓の流れとは異なると私は信じています。

 

私も、その昔、一度だけ熱海に参って、本当に青年でもあった、当時の伊藤青年さんの謦咳に接しました。 

紫色の着物を召して、座布団に正坐されながら、ものすごい迫力で、女性の声を語る熱演には驚きました。音声啓示の内容はすみませんが、陳腐でした。そして周囲の支えるスタッフに胡散臭さを感じてしまいました。  

 

 

参照 

 弓山達也(2005)『天啓のゆくえー宗教が分派するとき』日本地域社会研究所