藤崎宮例大祭、やめにしよう! | 魅音ー 激動のはざまで

    9月18日10時現在、超大型で強烈な台風14号が、九州に接近中である。

    19日(月)の未明には、我が熊本の真上を通過する予報である。

    こわい、こわいよ・・家が倒壊・・・えっ、また

    熊本大地震のあと、せっかく直した家なのに・・・

    たのむ・・台風よ、弱まってくれ!!

    今夜には、家族で避難所に行かねばならぬ。

     

    さて、先のブログ(9月3日)に間違いがありました。

    『チャングムの誓い』の時代は、日本では安土桃山時代、すなわち、秀吉の時代ぐらいだったようです。江戸時代ではありませんでした。すみません。

    この作品のころは「倭寇」が頻繁に朝鮮半島を脅かしていました。

    まさに『チャングムの誓い』に描かれた「倭寇」の様子、概ねあのようだったと言って良いかと思います。

     

    そうして、朝鮮王朝にとって最大の「倭寇」が、「秀吉の朝鮮出兵」であった。

    何故か秀吉は、中国(明)を支配して天皇を皇帝に据え、東アジア全土を我が物にせんと、まずは、朝鮮に大軍(20万と言われている)を送った。

    (明の支配は、そもそも信長の野望であったと言われている)

    先鋒隊は小西行長の部隊、2番手が加藤清正の部隊であった。唐津に名護屋城を築き、そこから釜山に上陸、鉄砲隊の活躍などにより、相手の抵抗をことごとく打ち破って、ついに漢城を墜とし、王(第14代宣祖)を逃亡に追い詰めたのである(尤も、漢城付近の民は、秀吉軍を歓迎したと伝えられる)。

    こうして、2度にわたる朝鮮攻撃(文禄・慶長の役)によって、朝鮮半島は滅茶苦茶になった。ついでに朝鮮を応援した明まで滅んでしまったのである。

    幸か不幸か、秀吉の死により、朝鮮出兵は中断され、以後、文治派の石田三成と、武断派との対立が起こり、関ヶ原の戦いへと続くのである。

     

    この朝鮮出兵を祝い(美化し)、「ぼした、ぼした、ほろぼした」「どーかい、どーかい」と言いながら、馬さんに飲酒させ、よろめく姿をあざ笑う祭りが、藤崎宮例大祭、旧称『ボシタ祭り』である。たてまえは、神輿に付き従う「随兵」と「飾り馬」の奉納行列である。

    (一説には、「ボボシタ」という卑猥説もある)

    子どもの頃、私はこの祭りに出演したいと憧れていた・・

    9月15日頃になれば、近所には、立派な馬が奉納行列に向けて準備されていた。

    そうして、毎年のように家族総出で、見に行った・・

     

    さすがにその姿は変えられてきたが、それでも、あまり良い気持ちはしない!

    もっと馬さんをいたわり、熊本をアピールできる祭りにシマセンか・・

    否、いっそ、やめにしませんか、市民の皆さん・・

     

     

     

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