プロムナード -36ページ目

プロムナード

古いこと、新しいこと
いつでも、どこでも
思いつくまま、気の向くまま


昨年末も、AKB48が晴れてレコード大賞を獲得した。女性グループとして2年連続は史上初だという。この「歌うだけで競い合う」ということは、物理的な定量分析や定性分析といった客観性のある評価方法がないために、差別化が極めて難しい競争だと思う。


AKB48の場合、握手会の招待券が欲しくてCDを買う人もたくさんいるといわれているが、子供達に「オマケ目当てにお菓子を買わせる」という行為は、いにしえの時代からいくらでもあるビジネスモデルだ。これはつまりアイデア商品であって、反則ではない。
理由はどうあれ、対価を払う人が代償として満足感を得られれば良い。要は価値観の問題。従って、それを考え付かなかった悔しさ紛れに批評までする「負け犬」たちになどに付き合う必要は全くない。

また、昨年の震災直後に彼女達がとった行動に対し、売名行為だと決め付けて有言不動の姿を醜く晒すばかりの姑息なオトナ達がひしめく現代にあって、しっかりとした目標を持って自己鍛錬に励む姿は、最近のオトナ達に対する「忘れたふりをしている自分を映し出す鏡」だと思えばよいのだ。

AKB48のメンバー、どの子も実に平均的日本人体格で、カジュアルでいたら間違いなく一般人のそれと変わらない。そこが実は他国のアイドルと大きく異なる点なのだろう。隣国のアイドルは、歌唱力も体型も極めて素晴らしいが、恐らく日本人は、これまでの様々な動乱の中にあって、常にオーラが出ているような、或いはカリスマ性を持つといったような、まるでマネキン人形よろしく完成されてしまっているアイドルに、ほとほと疲れてしまっているんだろうと思う。

だから本当の意味で一般的であり、生まれつき特別なわけでもなんでない彼女達に対して親密感を持つのだろう。そんな彼女達が必死こいて頑張っているから共感を持ち、応援するようになるのだろう。つまり、ファンは保護者なのだ。共に育ち、育つという感覚が欲しいのだ。

こういう関係はこれまでのアイドルにもあったものの、AKB48の場合は、あまりにもフツーな子たちばかりだから、ファンとの距離はおろか立ち位置に関する高低差すらも殆んど感じさせない。一方、水面下ではそれこそ万人には足元にも及ばない程の訓練に励んでいるのだが、それが決して表には出ない。このギャップが新鮮であり、斬新なのだろう。

AKB48の場合、確かにビジネスモデルは運営側が作成したものだが、それを肯定するも否定するもファン次第。彼女達の行動は、常にファンが保護者として見守っている。

正月、メンバーの数人が靖国神社へ初詣にいったということで、隣国が騒いでいるという。AKB48もすごい影響力を持つようになったものだ。その行動に問題があれば、保護者であるファンが正すだろうし、問題なければ良しとする。今や木っ端の政治家など足元にも及ばないくらい、その行動に各国が注目しているといっても過言ではないだろう。
ひょっとすると、彼女達が「参拝することに政治的意味はありません」ぐらいなことを言えば、隣国も静観するかもしれない。そうなったら、及び腰の政治家連中は彼女達の後に続けばよい(^^)

中途半端な親善大使よりも、よっぽど良い仕事をしそうだ。


小生、以前から東京の秘境といえば、

   i) 横田、大和田等にある米軍基地
   ii) 東電の地下超高圧変電所
   iii) 皇居

だと思っている。

一般参賀がある天皇誕生日、「秘境、こんな時しか入れないもんね」と、突然皇居へと向かった。

桔梗門

行ってみて分かったんだが、午前中だけのステージだけで、午後はなし。しかもアンコールもないため、お目にかかることはできなかったが、しかし、とにかく中に入ったのは初めてだったので、興味津々、憧れの秘境へと足を踏み入れ、何と記帳までしてしまったのだ。

宮内庁庁舎

しかも、実際に歩いてみるとなんとなくあっけなかったので、持ち物検査とボディチェックを2度も受けて、2回入った(^^)。といっても、記帳は一度だけしかしなかったけどね。ダブルだと無効になるといけないし。関係ないかな?

ところで、皇居は独自のビオトープになっていて、都会では絶滅していると思しき昆虫や小動物なんかいてもおかしくないし、大変興味深い地域であると思っていたのだが、実際に入ってみると、通路には枯葉一つ落ちていないくらい掃除が行き届いており、ジャングル的な手付かず(手付けず)森林を想像していた小生としてはちょっと残念だった。

尤も、中にはそういうところもあるかもしれないとは思うものの、なにしろコースアウトは即退場なので、定められた道以外のところがどうなっているかは知る由もないわけだが、

出来れば手付かずのジャングルがあるといいな、と思っている。

それと、こういうところは、都内にあって手付かずの状態を維持できる唯一の場所であり、火山灰や大気汚染の塵埃、そして放射線量の変化累積データ等が垂直に堆積された状態を永年に渡って維持できることになるから、そういうサンプリングを行う場所として活用できると良いのではないだろうか。諸般事情があるだろうから簡単にはいかないとは思うが、

我国国民のための貴重な資料が提供できるということで、実現できるといいのではないだろうか。

話はかわるが、中にあった電気関係のマンホールには、電力供給は東電の電力網であるにも拘らずTEPCOマークじゃないのが面白かった。古いからか、それとも企業名を出してはいけないということなのか、これも興味深い。。。



米国西海岸のベイエリア、いわゆるシリコンバレーに来るといつも思うのだが、車のマナーがホントにいい。

車線を変更しようとしてウインカーを出すと、斜め後ろの車はソッコーで車間を開けてくれる。たとえ相当に無理があっても、だ。

Freeway 101にて

モチロン、危ない時はクラクションで警告してくるが、それもイヤミとか嫌がらせとか頭に来たからとか言う理由じゃなく、本当に危ないから注意をしてくれるということなんだね。


日本も含むアジア近隣諸国の様な、割り込む輩と割り込ませない輩のバトルなんて全くありません。道が広いと言うこともあるのだろうが、幅寄せしたり、後ろにピッタリ張り付くバカなんかゼンゼンいない。実に大人しく運転している。「無理に割り込んだりすると、ややもすると後ろから問答無用に撃たれるからか」とまで疑ってしまうほど、律として走っている。


それがアタリマエになっているから、割り込みさせてもらった時、日本の様にハザード出して挨拶するみたいなヘンな「媚」をする必要もない。余計なことしなくていいのです。ごく自然なわけです。


我国もこういうふうになるといいなぁ。。



この地域を以ってアメリカ全体に拡大解釈は出来ないとは思うが、基本的に米国は車社会としての「オトナ」なんだろうと思う。道具、変じて「武器の扱い方」には長けていると言うことかもしれない。



実はこの国、根本には「譲る」と言う精神があるのではないかと思う。
アメリカ人というと、なんとなく横柄なイメージを持つ人が多い気もするが、それは飽くまでも彼等の体が大きいからそんな気がするだけで、彼等は相当にお人好しで、ある意味ヘタレで(^^)、本当はカワイイ人種なんじゃないかと思う。


例えば、アメリカのビルなどにある手押しのドア、前を行くアメリカ人は自分が通った後、たいてい後ろを見て、もし近くに誰かいれば、必ずドアを手で押さえて次の人の通行を援助する。男、女に限らずだ。日本ではどうか。自分が通った後は振り返りもしない。それが当たり前となっているから誰も訝しがる事もない。


平等を愛し、譲る心を持つ。素晴らしい精神だ。道を歩いていても、デカイ体を動かしてぶつからない様に歩く。
様々な人種がいるから言語を超えた人間としての「絆」を大切にしているのだろう、と思う。そういえば、昨年の震災への支援プロジェクトは「Operation Tomodachi、トモダチ作戦」だったなぁ。。。


だがしかし、その精神も、一旦金銭が絡むと瞬時に豹変する様な気もしないではないわけだが。。。


無線傍受。

こう書いただけで、官憲からマークされそうなのだが、傍受自体は違法でもなんでもない。但し無線の種類によっては、会話内容を漏洩するとオナワとなるものもあるので注意が必要ではあるが。

しかし、無線通信の醍醐味の一つって、実はこの傍受にもあるのだ。

小生が高校生だった頃は、警察無線も消防無線もみなアナログ通信だったし、短波帯域では某国の暗号通信などが四六時中飛び交っていた。特に、各国で潜伏している工作員向けとして乱数表を基にした(といわれている)数字をひたすら読み上げる通信など、さながらスパイ映画を見ているようで、それはそれはワクドキものだった。

中には逆転テープといって指示内容を逆転させて放送するといった芸当まであり、小生はそれを録画して逆転して聞いてみた。尤も何を言っているかなんて全く判らなかったけどね。

そんな時代だったから、小生も某無線の傍受が出来ないかと挑戦。アマチュア無線の受信機自作記事を基に共振周波数を計算し、ボビンコイルをカットして実験に成功したことがあった。これがその「教則本」である。


何度かの試行錯誤の結果、スピーカーから音声が流れてきた時はちょー嬉しかった。あまり嬉しかったから両親を呼んで聞かせたところ、

「オマエはなんちゅーモノを作ってるんだ!」

と怒られたのだが、それでもそういう秘密めいたことへの挑戦も含め、自分の知識や技術が正しかったことが証明できて大変満足だった。

あの当時に比べると、現代は恐ろしいほどシステムが複雑になっている。無線関係は殆どデジタル化して音声そのものが数学的に暗号化されてコード化されて送信されている。第一、そもそも通信がインターネット経由となっているから、電波に乗って垂れ流しになることもない。

ちょっとした遊び心を刺激するような、そんな土台というか、よく言えば探究心を育成する材料が少なくなっているということは、技術に対して親しみや挑戦する環境が減ってしまったという意味で、ちょっと残念な気もしている。


「廃線跡」。

なんとも廃頽的というか退廃的というか、ある意味不衛生な響きすら感じさせる様な言葉であるが、小生は廃線跡を辿る旅が頗るお気に入り。

少なくとも「廃」という文字が付いている以上、文字通り捨てられたものではあるが、小生には、長年に渡る役割を終えて静かに余生を送りつつも、少しずつ自然回帰している姿をそこに見る。


廃れ朽ち果てたあとに新たな生命が蘇える、そこはまさにパワースポット。


廃線跡は、その昔、たくさんの夢や希望、或いは悲しみの想いを満載した汽車や列車がその道を一途に運んでいたんだなぁ、という思いを馳せることが出来る、郷愁漂う「ウラ名所」だと思っている。

関東地方に於ける有名なところとしては、旧信越本線(碓氷線)がある。ここは以前から鉄道遺産として保存されており、かつての熊ノ平という駅までは遊歩道も完備した観光地となっているので、訪れる人も多い。

碓氷線のアプト式鉄道には、全部で26個のトンネルがある。この峠で最も有名な鉄道遺跡は、通称めがね橋といわれる第三橋梁だが、橋梁の様な派手なものとは別にトンネル群は独特の味があって大変興味深い。

写真は旧信越本線(碓氷線)の碓氷峠にある、第六隧道といわれるもの。

碓氷峠第六隧道軽井沢側


その昔、ここを蒸気機関車や初期の電車が通行していた。今はひっそりと余生を送っているとはいえ、現役を退いた今もなお、強烈な存在感を醸し出している。興味があれば是非訪れて欲しい。郷愁といったノスタルジックな感覚を超えた、圧倒的なプレゼンスに引き込まれることだろう。


この随道、かつては厳重に封鎖されていて入坑することが出来なかったが、さらにその昔は管理が緩かったから入ることが出来た。トンネルの距離は500m以上あり、しかも途中で曲がっているので、入り口から少し歩くと漆黒の闇となる。

耳を澄ませば遠くから汽車の警笛や蒸気の音が聞こえてくるような幻想的な世界であり、なんともいえず心地がよかった。或いはその闇に対して、霊感の強い人だったら立ちすくんでしまうかもしれない雰囲気でもあった。

実際この碓氷線建設や運用では事故もあったと聞く。その後、2012年4月以降、随道内部が整備されて灯りもともり、現在では電灯を携帯する必要なく、通行可能となっている。


これ等のトンネルは総て明治時代に造られたもので、当時の土木技術でこんな僻地(失礼!)に、よくもまあこんなにたくさん造ったものだと感心させられる。

更に、それぞれのトンネルはそれぞれ別の顔を持っていて、入り口や出口の形が違うのだ。この辺り、

技もさることながら、明治時代の職人達のこだわりとか粋といったものを感じさせずにはいられない。

廃線とは確かに捨てられたものではあるが、現役時代から現代までの時代の推移や変遷を語ってくれる貴重な遺産であることは確かだ。この随道を見るたび、堅牢な姿を後世まで保つための原点となった「ものづくりに対する真摯な取り組み」に対して、いつも敬意を払わずにはいられない。

廃線跡を辿ると、そういう出会いがある。



我国には、トランジスタ技術「通称、トラ技」という雑誌がある。

幅広く電子技術について述べられた一般雑誌で、電気技術者はもとより、電気に興味を持った人であれば必ず読んだことがあるはずの雑誌だ。恐らく年齢層も小学生ぐらいから年配諸氏に至るまで幅広いと思う。デジタル系、特にPC関連などの雑誌は掃いて捨てるほど満ち溢れているが、本当の電子技術について地道に執筆し続けている雑誌は他に見当たらない。

小生も職として電子技術に携わるずっと以前からも、この雑誌には随分お世話になっているし、現在でも必要に応じて購読している雑誌の一つでもある。

CQ出版社「トランジスタ技術」

ところで、最近関わりを持つようになった非常に優秀な台湾人のアナログ電子技術者が、若い頃、この雑誌で技術の勉強したと言うことを聞いて驚いた。

いわく、台湾にはこの種類の雑誌がなく、専ら日本から輸入された雑誌で勉強したのだそうだ。もちろん、彼は日本語は理解できないのだけれども、電子回路で使われる記号は世界共通だし、漢字は読めるからなんとなく推測することができたという。「輸入物なので高いのが難点だった」と笑っていたが、大したものだと思った。

驚くべきバイタリティだ。

もちろん日本だって、最新科学技術動向や論文などが読みたければ、欧米の雑誌を読む必要があるワケだから、考えてみれば同じ様な状況なのだろうとは思うが、それでも日本の雑誌がそうやって海外で勉強材料になっているということには少々驚いた。と同時に、勉強したければ言語を超越してでも努力すると言う姿勢は立派だ。

かつて、同様に小生と付き合いのあったアメリカ人の仕事友人は、米国のコーネル大学で哲学を専攻しているうちに東洋に興味を持ち、とりわけ日本史に興味を持ったところ、当時の恩師から「本当に日本史を知りたいのであれば日本語を勉強しなさい」と言われ、大学に通う傍ら日本語学校へも通い、日本人と間違うほど日本語が達者になり、日本人にだって難解な取引契約書ですら日本語のまま理解できる様になった。

彼に言わせると、「日本語がお上手ですね」」と言われると、「まだまだなんだな」と思うらしい。。。

ま、くだんの彼氏、日本語学校卒業後にその学校の先生と結婚したというオチがついているんだけどね(^^)

それはともかく、こういうハングリー精神というか、自分が全うしたいことには手段を選ばず全力で立ち向かうと言う心意気に対しては、ただただ脱帽である。

今でもそうやって日本の雑誌を使って一生懸命勉強している若い技術者が世界中にたくさんいるのだろうと思うと、そういう雑誌に満ち溢れている我国の技術者、ノホホンとしていられないのではないか、と危惧するのは決して小生だけじゃないと思う。

頑張れ、若い日本の電子技術者!!

例年の如く、今年も拙宅の庭にあるミカンもウメもたくさん実った。

しかし、不思議なことは、地震のあった昨年はそれらが一つも実をつけなかったことだ。

その時、拙宅では本棚が倒れる程度の揺れだったのだが、庭の地面に根を生やす彼等には何らかの衝撃があったのかもしれない。通常は等電位であるはずの地面に局部的に電位差が生じ、異常な電流が流れて植物に何らかの影響を与えた、とか。。。



彼等に地震の予知能力はないとは思うが、地震の後であってもそれを痕跡として体に残す能力、例えば年輪などに変化が刻まれるとすれば、後々の年代測定の証拠になるのでは、と考えている。

最近、そんなことを考えていたら、昨夕、再び大きな地震があった。宮城で震度5-、埼玉は震度4。小生は、幕張で開催されていた再生可能エネルギー展示会の帰り、武蔵野線の吉川南駅に電車が止まっていたときだった。地震警報を受信した乗客のケータイが一斉に鳴り出した。あの、ギュイギュイという音。昨年の3.11の後、大きな余震が来る度に聞いたあの音だ。

小生は直後、ネット掲示板に情報を書き込み、ラジオとワンセグで情報を得続けた。その後の情報によれば、幸いにして大事には至らず、津波も小規模で済んだようだ。


自然の驚異の中では、人間の出来ることなど無に等しい。しかし、どんな真理があるの知りたいし、それを知ることは冒涜ではないと思う。


地震に対する植物の反応。何かある気がしてならない。

「おならが燃えるらしい」ということを聞いたのはたしか小学校3-4年生の頃だった。おならには成分としてメタンガスが含まれているから、燃える。

なるほど、それはそうだ。しかし本当にそうなんだろうか?

好奇心の塊だった小生としては、その話を聞いたとたん、「おならを燃やす」が、最優先順位のプロジェクトとなった。

当時、東京は隅田川を始め神田川もしかり、今では鯉が悠々と泳ぐそれらの川底からは、幾つものメタンの泡が浮き上がってはボコボコとはじけるといった風情で、漂う悪臭もハンパなかった。だから、メタンガスという言葉については、小生等の世代にとって、ある意味「親しみ」のある単語でもあった。

ただし、メタンガスに誤解があるといけないので、断っておくがメタンガスそのものは無臭だ。匂いは、メタンガスと共発生する硫黄系のガスである。

当時の悪臭は本当にすごいものだった。例えば秋葉原にある神田川万世橋、夏になれば秋葉原駅の構内にまで、その匂いは漂ってきた。まぁ、あの状態のままであったら、電気製品を調達する目的以外の人は誰も来なかったことだろう。小生の場合は、電子部品調達のためにガキの頃からよく通ってはいたが。

すくなくともAKB48のシアターが出来るなんてことは全くありえなかったと思う。

匂いという意味では、隅田川など、まさにその最右翼。そもそも墨田川に横たわる幾つかの鉄橋などは、四六時中、雑多なガスに晒されていたからボロボロに錆びていたし、川底からはボコボコと不気味に泡が沸き立っていたから、その様相はまさに地獄の様。しかし、それがアタリマエだった。。

その後、自治体や民間の手で浚渫や下水道の整備等々、抜本的な対策が講じられ、今日では先に述べたように鯉が泳ぐところまで回復した。やれば出来るということか。こういうことは、誰かが一人でやるものではなく、足並みそろえて一斉に行わないと効果が出ない。その意味、プロジェクトとして旨く成し遂げた成功例だといえるだろう。

遊覧船が通る万世橋(千代田区神田、秋葉原)
その昔、ここはすさまじい汚臭の根源地だった


そう言えば、大気汚染についても当時はそこら中に林立する煙突からモクモクと煙が上がっていたものだった。時はまさしく高度成長期の時代、多少の犠牲は成長という言葉の前に「誤差の範囲」として無視されていたのだ。恐ろしい時代だったと思う。尤も、近隣諸国では、現在、同様の過程にあるようだが。。。

但し、メタンの冤罪を晴らすべく言っておくけど、あの悪臭はメタンと同時に発生する硫化水素などによるものだからメタンの匂いではない。しかし、どうもメタンガスというと「臭い」というイメージを抱くのは、老若男女、今も昔も変わらない気はするが。

さて、話を戻し、おならの話。

そうです、ホントに燃えるかどうか試したかった。しかし、放屁直後、空中で火を着けるという勇気はなかった。というか、屁をこく前に火傷しそうだし、なんといっても実験姿がアクロバチック過ぎて想像し難い。。

次の方法として考えたのは、屁泡(こんな単語あったっけ?)を風呂で打ち上げた後にプラスチックなどの容器で収容しておき、体から十分離れた場所で容器を裏返し、再浮上したガスをマッチで点火するという方法。これであれば、火傷のリスクは相当に軽減されるはずだ。と言うことで、この方法の安全性について検討し、実験に臨んだ。

実験器具と手筈を整え、裸になって風呂に入る。ロケット打ち上げの瞬間の様なワクワク感がある。

屁泡の収容容器としては、打ち上げた直後に容器中に十分捕獲できているかどうかを目視で確認できる様、スーパーなどで食材を包むプラスチックの透明容器を用いた。

水面ギリギリでマッチを点灯し、マッチをつまむ指先を体から十分離したところで僅かだけ指を水面上に出しておき、脚で抑えてあったくだんの容器をひっくり返し、勢いよく上がってくる屁泡に点火すると言う手順を再点検し、いよいよ実験開始。

放屁後、屁泡を容器で捕獲。容器を足で押さえながら、両手でマッチを擦り、水面上で待機。この火種位置に合わせて容器を転覆させ、再浮上する屁泡に着火。その間、時間にすれば数秒の勝負。

実験大成功。見事に青白い炎が上がった。

スゴイ満足感があった。10歳にも満たない子供にとっては、相当に勇気の要る実験だったと、今でも思う。

今日び、子供たちはこういった実験をしているのだろうか?

疑問に思ったり、或いは本当か、と思ったことを自分自身で実践出来る環境を、大人はそれを用意したり、指導することが出来ているのだろうか?

常に科学する心を研ぎ澄ましておけ、などとカッコイイことを言っているのではなく、とにかく自分で試してみたいという気持ちは持つようにして欲しいと思うのだ。

ところで、今でも疑問なことは、風呂で打ち上げるおならと、空中で嗅ぐおならとでは匂いに差がある気がすること。メタンガスと共に生成される、匂い成分の一つである硫化水素が水に溶けてガスとしては現われないからか?これに関する文献が見当たらないので理由はわからないが、以前から興味を持っているテーマのひとつでもある。

誰か実験してみる子供はいないかなぁ。。。



日本でもオーガニックの食材はそれなりに販売されているが、米国のオーガニックものは色々な意味でハンパない。

Whole Foods」というスーパーは、そうしたオーガニック商品の専門スーパーで、売り場面積もきわめて広い。扱い品目としては食材に限らず石鹸洗剤に至るまで、様々なオーガニック商品が陳列している。 

Whole Food market, Cupernito, California

調べたところによると、陳列される商品については相当に厳格な審査があって、それにパスしたものだけが並んでいるという。いきおい、販売価格はオーガニックということで高めであるため、Wal-Martなどの安売り店舗に比べると、客層としては富裕層が多い気はする。

さて、下の写真はそうした専門店とは別のオーガニック食品売り場。これは、米国カリフォルニア州にあるサニーベール市のダウンタウンでのFarmer's Marketでのオーガニックトマトの写真だ。


いかがです?このハードボイルド感。



「これ、商品?」そう疑いたくなる様な面構えだが、ある意味、これが本当のオーガニック食材なのだろう。

このFarmer's Marketは、毎週土曜日の午前中に同市やその他のダウンタウンにて開催されるものであるが、もちろん、写真にあるトマト以外にも果物や他の野菜もたくさんあって、いつも相当な賑わいとなっている。

リンゴなども、他の一般スーパーに並んでいるようなワックスピッカピカのものじゃなく、まるで野生のリンゴの様な形や色彩のものが陳列されていて、そのワイルド感がなんとも心地が良い。

しかし、くだんのトマトに手を出すのには、さすがに気がひけた。悪いけど、旨そうには見えなかった。ひょっとするとそのまま食べるのではなく料理に使う目的用のものなのかもしれないが、オーガニック云々とかのたまう輩は、こういうトマトに何の抵抗も持たないことが基本だろう。

今からして思えば、トライすればよかった。次回の宿題だ。


オーガニックと言う以上は、消費者としてそれなりの「覚悟」が必要。

価格もそうだが、容貌についても原始的であることを理解する必要がある。味についても甘くないものや固いものなどを抵抗なく受け入れるための努力をはらい、慣れ親しみ、意識することなく摂取でき、更にそれらの方が旨いと思える様に、自己鍛錬することが必要だ。

そう考えると、我国のオーガニック信者には、どうも「ライトなオーガニック派」や、ともすれば「なんちゃってオーガニック派」が多い気がするのだが。。。



「なんで、AKB48が好きなの?」
と、よく聞かれる。

次に聞かれることは、
「押しメンは誰?」

ええっと(^^;

言わずと知れた、AKBシアターのあるアキバの中心地

昨年のAKB48による経済効果は200億円から300億円といわれており、国内経済を回転させるという云う意味で大きく貢献しています。それは、財界人も認めている。東京都知事選挙の投票の促しまで行っている。いよいよ政界まで影響力を持つようになったということか、なんちゃって。。。。

しかし、日本経済をグローバルな視点で鑑みると、そもそも経済とは、諸外国との間に於ける相対的なものだから、

外国からの貨幣が入らなければ、本当の意味での経済効果が上がったとはいえません。

つまり、日本国内で金を動かしているだけでは経済が回転しているとはいえない。早い話、「収支ゼロ」なワケで。。。

話、長い予感しません?

ままま、そのまま聞いてくださいまし。

現在その経済が低迷しているということは、つまり日本製品が売れないということなのだ。

その原因はずばり「円高」だと思う。

わが国はエネルギーも食料も地産地消が出来ない国。ライフラインであるこの二つを外国に頼っているという現状がある。

日本を壊滅させるためには、このエネルギーと食料の一つでも止めてしまえばいい。

その二つの命題を克服するためには、技術力はもとよりそれを支える経済力が必要。

今、その資金が枯渇している。打開するには国策として円高対策が必要なのです。ところが、今の政府は全く無能な状態を露呈するのみと云う体たらく。
技術に対する投資が出来なくなっている。

ここだけの話だが、大東亜戦争を仕掛けた「日独伊」の連合って、すごかったと思う。今思ってもスゴイ選択肢だった。

 (i)   イタリアのデザイン
    (ii)   ドイツのこだわり
    (iii)  日本の職人芸

そして、アメリカを市場としてのターゲットにすると云う世界戦略。

これ、すべてがうまくいって皆がハッピーだったら、「Win-Win」なんですね。

但し、戦争という手段はイクナイ。だって、人が死ぬから!親や子供が死ぬから。。。

さて、AKBに戻ります(本題)

そうした、つまり国策が円高に対して無策な今、AKB48は中国・インドネシア・台湾などにローカライズした現地法人を設立し、そこで経済を回転させながらライセンスやロイヤルティを日本にもたらせるという新たなビジネスモデルに挑戦している。

また、諸外国は日本のサブカルについて極めて関心を寄せている。小生はAKB48を単なるサブカルだとは思ってはいないが、それでも諸外国から見て、サブカルの延長上と捉えられても問題はないと考えている。

サブカルと言えば、アニメかな?

小生、アニメはあまり興味がないが、本流の文化とは異なる「サブ的なもの」には大変興味がある。アニメそのものには興味はないけど、アニメヲタには研究対象として興味深い。

某国では、ここ暫く日本製品不買運動が起きている。ところがその国で行われたAKBの現地オーディションには、48人の選抜に対して一万人をはるかに超える応募があったそうだ。ここに大きなヒントがあります。

最近、AKB48という子供たちの一部を海外派遣させる戦略に踏み切った。その心は、日本を離れて「風向きを感じろ」、或いは「野生の勘を鈍化させるな」、だと思う。

プロデューサの秋元康氏は54歳。価値観こそ違えど、生まれ育った時代背景は小生とほぼ同等。小生等が若いころ、大人たちが性懲りも無く繰り返す同じ茶番を見て育った。今のAKB48は、それに対するアンチテーゼとも考えられなくはない。自然淘汰は試行錯誤であって、自然の流れなんだと思う。

秋元康氏がよくいう、

「予定調和を崩す」という手法、小生には出来ないことだが、それによる経済回復もありうるのではないかとも考えている。

まぁ、それが日独伊かどうかは分らないけど。。