昨年末も、AKB48が晴れてレコード大賞を獲得した。女性グループとして2年連続は史上初だという。この「歌うだけで競い合う」ということは、物理的な定量分析や定性分析といった客観性のある評価方法がないために、差別化が極めて難しい競争だと思う。
AKB48の場合、握手会の招待券が欲しくてCDを買う人もたくさんいるといわれているが、子供達に「オマケ目当てにお菓子を買わせる」という行為は、いにしえの時代からいくらでもあるビジネスモデルだ。これはつまりアイデア商品であって、反則ではない。
理由はどうあれ、対価を払う人が代償として満足感を得られれば良い。要は価値観の問題。従って、それを考え付かなかった悔しさ紛れに批評までする「負け犬」たちになどに付き合う必要は全くない。
また、昨年の震災直後に彼女達がとった行動に対し、売名行為だと決め付けて有言不動の姿を醜く晒すばかりの姑息なオトナ達がひしめく現代にあって、しっかりとした目標を持って自己鍛錬に励む姿は、最近のオトナ達に対する「忘れたふりをしている自分を映し出す鏡」だと思えばよいのだ。
AKB48のメンバー、どの子も実に平均的日本人体格で、カジュアルでいたら間違いなく一般人のそれと変わらない。そこが実は他国のアイドルと大きく異なる点なのだろう。隣国のアイドルは、歌唱力も体型も極めて素晴らしいが、恐らく日本人は、これまでの様々な動乱の中にあって、常にオーラが出ているような、或いはカリスマ性を持つといったような、まるでマネキン人形よろしく完成されてしまっているアイドルに、ほとほと疲れてしまっているんだろうと思う。
だから本当の意味で一般的であり、生まれつき特別なわけでもなんでない彼女達に対して親密感を持つのだろう。そんな彼女達が必死こいて頑張っているから共感を持ち、応援するようになるのだろう。つまり、ファンは保護者なのだ。共に育ち、育つという感覚が欲しいのだ。
こういう関係はこれまでのアイドルにもあったものの、AKB48の場合は、あまりにもフツーな子たちばかりだから、ファンとの距離はおろか立ち位置に関する高低差すらも殆んど感じさせない。一方、水面下ではそれこそ万人には足元にも及ばない程の訓練に励んでいるのだが、それが決して表には出ない。このギャップが新鮮であり、斬新なのだろう。
AKB48の場合、確かにビジネスモデルは運営側が作成したものだが、それを肯定するも否定するもファン次第。彼女達の行動は、常にファンが保護者として見守っている。
正月、メンバーの数人が靖国神社へ初詣にいったということで、隣国が騒いでいるという。AKB48もすごい影響力を持つようになったものだ。その行動に問題があれば、保護者であるファンが正すだろうし、問題なければ良しとする。今や木っ端の政治家など足元にも及ばないくらい、その行動に各国が注目しているといっても過言ではないだろう。
ひょっとすると、彼女達が「参拝することに政治的意味はありません」ぐらいなことを言えば、隣国も静観するかもしれない。そうなったら、及び腰の政治家連中は彼女達の後に続けばよい(^^)
中途半端な親善大使よりも、よっぽど良い仕事をしそうだ。













