米国西海岸のベイエリア、いわゆるシリコンバレーに来るといつも思うのだが、車のマナーがホントにいい。
車線を変更しようとしてウインカーを出すと、斜め後ろの車はソッコーで車間を開けてくれる。たとえ相当に無理があっても、だ。
Freeway 101にて
モチロン、危ない時はクラクションで警告してくるが、それもイヤミとか嫌がらせとか頭に来たからとか言う理由じゃなく、本当に危ないから注意をしてくれるということなんだね。
日本も含むアジア近隣諸国の様な、割り込む輩と割り込ませない輩のバトルなんて全くありません。道が広いと言うこともあるのだろうが、幅寄せしたり、後ろにピッタリ張り付くバカなんかゼンゼンいない。実に大人しく運転している。「無理に割り込んだりすると、ややもすると後ろから問答無用に撃たれるからか」とまで疑ってしまうほど、律として走っている。
それがアタリマエになっているから、割り込みさせてもらった時、日本の様にハザード出して挨拶するみたいなヘンな「媚」をする必要もない。余計なことしなくていいのです。ごく自然なわけです。
我国もこういうふうになるといいなぁ。。
この地域を以ってアメリカ全体に拡大解釈は出来ないとは思うが、基本的に米国は車社会としての「オトナ」なんだろうと思う。道具、変じて「武器の扱い方」には長けていると言うことかもしれない。
実はこの国、根本には「譲る」と言う精神があるのではないかと思う。
アメリカ人というと、なんとなく横柄なイメージを持つ人が多い気もするが、それは飽くまでも彼等の体が大きいからそんな気がするだけで、彼等は相当にお人好しで、ある意味ヘタレで(^^)、本当はカワイイ人種なんじゃないかと思う。
例えば、アメリカのビルなどにある手押しのドア、前を行くアメリカ人は自分が通った後、たいてい後ろを見て、もし近くに誰かいれば、必ずドアを手で押さえて次の人の通行を援助する。男、女に限らずだ。日本ではどうか。自分が通った後は振り返りもしない。それが当たり前となっているから誰も訝しがる事もない。
平等を愛し、譲る心を持つ。素晴らしい精神だ。道を歩いていても、デカイ体を動かしてぶつからない様に歩く。
様々な人種がいるから言語を超えた人間としての「絆」を大切にしているのだろう、と思う。そういえば、昨年の震災への支援プロジェクトは「Operation Tomodachi、トモダチ作戦」だったなぁ。。。
だがしかし、その精神も、一旦金銭が絡むと瞬時に豹変する様な気もしないではないわけだが。。。
日本も含むアジア近隣諸国の様な、割り込む輩と割り込ませない輩のバトルなんて全くありません。道が広いと言うこともあるのだろうが、幅寄せしたり、後ろにピッタリ張り付くバカなんかゼンゼンいない。実に大人しく運転している。「無理に割り込んだりすると、ややもすると後ろから問答無用に撃たれるからか」とまで疑ってしまうほど、律として走っている。
それがアタリマエになっているから、割り込みさせてもらった時、日本の様にハザード出して挨拶するみたいなヘンな「媚」をする必要もない。余計なことしなくていいのです。ごく自然なわけです。
我国もこういうふうになるといいなぁ。。
この地域を以ってアメリカ全体に拡大解釈は出来ないとは思うが、基本的に米国は車社会としての「オトナ」なんだろうと思う。道具、変じて「武器の扱い方」には長けていると言うことかもしれない。
実はこの国、根本には「譲る」と言う精神があるのではないかと思う。
アメリカ人というと、なんとなく横柄なイメージを持つ人が多い気もするが、それは飽くまでも彼等の体が大きいからそんな気がするだけで、彼等は相当にお人好しで、ある意味ヘタレで(^^)、本当はカワイイ人種なんじゃないかと思う。
例えば、アメリカのビルなどにある手押しのドア、前を行くアメリカ人は自分が通った後、たいてい後ろを見て、もし近くに誰かいれば、必ずドアを手で押さえて次の人の通行を援助する。男、女に限らずだ。日本ではどうか。自分が通った後は振り返りもしない。それが当たり前となっているから誰も訝しがる事もない。
平等を愛し、譲る心を持つ。素晴らしい精神だ。道を歩いていても、デカイ体を動かしてぶつからない様に歩く。
様々な人種がいるから言語を超えた人間としての「絆」を大切にしているのだろう、と思う。そういえば、昨年の震災への支援プロジェクトは「Operation Tomodachi、トモダチ作戦」だったなぁ。。。
だがしかし、その精神も、一旦金銭が絡むと瞬時に豹変する様な気もしないではないわけだが。。。