プロムナード -21ページ目

プロムナード

古いこと、新しいこと
いつでも、どこでも
思いつくまま、気の向くまま

ポピュラー音楽のミュージシャンの楽曲販促用として制作されるビデオをミュージックビデオ、或いはプロモーションビデオ(PV)というが、必ずしも歌詞のイメージに沿ったものばかりではなく、一体何故この様なビデオとなっているのだろうという、歌詞とはおよそかけ離れた内容のプロモーションビデオも少なくない。むしろ最近は歌詞とは全く違う映像で展開されるビデオの方が多いくらいで、いきおい、楽曲一曲分の時間に収まる短編映画として評価すべきかもしれない。

乃木坂46が誕生してから2年後に発売となった楽曲「バレッタ」のPVも、そういった短編映画的色彩の濃いビデオのひとつで、ここに描かれている映像は、法秩序云々と云った四の五の言う野暮な仕組みを一刀両断に切り捨てる爽快感と、逆にそこに潜む得体の知れない恐怖感が巧妙に折り重なっているためにビデオを見終わった後の不気味感は半端なく、またそれを演じる乃木坂46の演技力も秀逸であるがゆえ、

小生のお気に入りビデオの最高峰にあるビデオだ。

因みに映像に出てくるスマホに表示された日付は、今からちょうど2年前の2013年10月15日となっている。





https://www.youtube.com/watch?v=5DLrnKOiVlA

このビデオ作品は、二期生の堀未央奈が先輩たちを一気に追い抜いてセンターに立つという大抜擢が話題となった時期のビデオなのだが、ビデオのストーリーとしては歌詞との相関関係は殆どなく、いかがわしい集団に囚われの身となった仲間を救出すべく、メンバー達が銃器を携えてその集団を壊滅させるというストーリーで、難解なイデオロギーの様なものがない単純なストーリーなのだが、これがアイドルグループのプロモーションビデオなのかと思わせる禁断の演出が見られるビデオ作品として仕上がっているのだ。

ラストシーンは観る者の想像を遥かに超える展開となっており、乃木坂46のウラ事情まで推察すると恐ろしく奥が深く、ファンに「なぜこんなビデオを?」という疑問を持たせたナゾの多いビデオでもあり、ファンの間ではむしろ乃木坂46の立ち居地や内部事情を暗示するものという解釈が多くみられ、2年を経た今日でもその議論は収拾がつかない状態にある。

ストーリー最後のセリフ、「だって、こうするしかないじゃない?」は一体誰に向かって言っているのか、あの銃声は誰が誰に対して発砲したものなのか、真面目に分析すればするほど滑稽なくらいにハマる作品なのだが、この楽曲の歌詞を支配している「妄想」という心理状態を鑑みれば視聴者の間で様々な見方が生じても可笑しくはなく、恐らく答えもない作品なのだろう。

見終わった視聴者にあれこれ議論させるという、まさに制作者冥利ともいえる罪な作品でもある。

昨年、パナソニックがドイツのIFAにて、そして国内ではCEATECにてTechnicsブランドの再復活を宣言し、その第一弾としてピュアオーディオ製品を発表したことは様々なメディアに紹介され、小生もこのブログに投稿した。

テクニクスというブランドの復活 -今こそ日本の技術力を棚卸しすべき
http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11946713700.html

その後の市場反応を見ると、満を持しての登場として大いに歓迎され、次なる一手は如何なるものかと、国内外での期待度は極めて大きなものとなったが、それに対する解が、国内では今年のCEATEC JAPAN(Combined Exhibition of Advanced Technologies)でのお披露目となった。

今回も昨年同様、ブース訪問中に、これまで長年に渡って懇意させて頂いている技術のトップの方から展示に関する様々な情報を頂いたので、それを含めて紹介したいと思う。

ブースの雰囲気は次の通り。お祭り気分の多い他の展示と比べ、
奇をてらう演出のないシックなモノトーンで囲まれた展示形態となっており、主張がはっきり伝わる佇まいとなっていた。


今年のCEATECは、東芝、ソニー、日立といった常連大御所が相次いで出展を見送ったため、CEATEC自体の地盤沈下が避けられない状況となっており、かつての様に大企業が会場ところ狭しと大ステージを設けて大音量大画面で新製品発表を行なうという情景は見られなくなった。とはいえこの傾向、実は何も今年始まったばかりではなく、ここ数年続いている。実際、東日本大震災直後のCEATECでは、自粛ムードと景気停滞が共振して派手な展示は影を潜め、代わりに地味な省エネ・蓄エネ関連の展示が大半となったが、それ以降、(無駄に)派手な展示は少なくなった。即ち、大量の物資とパワーで来場者を圧倒させると言った様な手法はラスベガスで行なわれるCES(Consumer Electronics Show)に任せ、国内では専ら技術展示や品質訴求へと、良く言えば本来の技術訴求へと回帰している様にも見える。いきおい、技術を巧く見せるマーケティング手腕も、その本質が問われる時代となってきたわけだ。

そうした昨今の迷走ムードにあって、Technicsというブランドを復活させるということは、ワクワクする期待感というものに飢餓状態にある最近の消費者にとって、ある意味活性剤となる可能性があるわけで、自ずから 消費者に於ける期待度は高いものとなる。

但し一般的に言って、この様な企画モノ戦略には明確なビジョンが必須であり、しかもそれが消費者に受け入れられないと失速する。商品企画や機能性能だけで突っ走った後で、ふと振り向くといつのまにか客がいなくなっているといった様な例は枚挙に暇がない。消費者は気紛れだし、飽きっぽいし、そして簡単に裏切る。ハイテクも芸能界も、同じ様なものだろう。

このTechnicsに対しても、昨年の打ち上げ後の挙動について、「今年はどうする、今後どうなる?」と、消費者や同業者を含む業界関係者は大変注目していたはず。そんな背景の下で今年のお披露目となったのだから、ある意味宿題への回答でもある。その内容によって、消費者は付いて行くことにするか、見捨てるか、いずれかの道をとる。どちらでもないという選択は、下りのエスカレータを駆け上っている競争社会にあっては「見捨てる」に近い。

こういう展示を評価するためには、定点観測を行なうことが正しい。昨年に比べて今年はどうか。その変化率を観察してみると様々なことが見えてくる。魅力的な展開を見せてもらえるか。前年の宿題を忘れていないか。世相や景気を理由にしてサボっていないか。そういう評価が可能となる。

さて、今年のTechniicsを見てみよう。昨年のTechnics展示は旧来の技術の粋的イメージの強いブランドの再復活の宣言であったことから技術訴求が展示の主眼点となっていたが、今年の展示は商品展開に於けるコンセプト、即ち「先を見通したビジョン」が明確に訴求されている点が印象的だった。

かつてこのTechnicsと言うブランドは、旧松下電器産業のブランドのひとつだった。当時、松下は「パナソニック」と「ナショナル」というブランドで国内白物家電を席巻していたのだが、Technicsはそれらとは一線を画した高級オーディオブランドだった。その頃小生等が抱いていたTechnicsに対するイメージは、決して優しいブランドではなかった。ブランドが人を選ぶ というか、ユーザーが選ばれるというイメージと言ったらよいか。それはそれで正しい戦略だったと思う。しかし、それにはそれなりの時代や経済状況といった背景との整合性が必要だ。

今回の展示を見て、新生Technicsはそう云う整合性を十分に計算しているのだと云うことが判った。つまり、一部のエンスー達に対して機器と言うハードウェアを提供することだけではなく、音楽の楽しみ方はスピーカの前に座って目を閉じて聴くことだけじゃないよねという、ライフスタイルの提案を明確に打ち出している点が新鮮であった。

SC-500

そのひとつがSC-C500で、リスニングルームの中央に構えられたラックの中に鎮座するといった風情ではない、見た目ごく普通のコンポ風なのだが、スピーカー構造はもとより、システムにはここでは詳細は割愛するが様々な技術が潜んでいる。その様な中で、最も興味深い事のひとつは、ガラス製のスライド式カバーつきCDプレーヤーが装備されている点だ。このCDの開閉をマニュアルとするというコンセプトは、かつてのLPレコードを出し入れする感覚を模擬するためだという。こういうあそびゴコロがなんとも新鮮だ。一方、このガラスカバーは機器の上面にあるため、この上に何か重ねて使うことが出来ない構造となっているので、この機器の上部は自ずから空間となる。いきおい、ユーザーが認識しようがしまいが、設置された後はしっかりと存在感がアピールされることになるのだ。インテリアも含めた使用環境まで考慮されたコンセプトというのは、技術が総てというエンジニアだけでは生まれて来ない発想だろう。

SU-G30

もうひとつ興味深い展示は、Grand System、SU-G30、ST-G30という参考出品。これらは9月にドイツで開催されたIFAで発表されたもので、国内お披露目は今回が初めてのシステムとなっているが、ハイエンドパワーアンプ「SE-R1」と同一のフルデジタルアンプが搭載されており、ハイエンドのSE-R1と同様に、旧来のMOSFETの代わりに信号の立上がりや立下りの特性の優れた窒化ガリウム(GaN)のFETが使われているため、音の歪は十分に抑えられているので音の良さは推して知るべしだ。

余談だが、先日このブログでも書いたように、小生、現在右膝に半月板損傷を喰らっており、歩く時や座っている時、膝が痛む。ところが、いささかオカルト的かもしれないが、G30から奏でる音楽を試聴している間、なんとこの膝が痛まなかったのだ。ハイレゾサウンドを聴くということは、痛みを忘れさせるアドレナリンの分泌や自然治癒を促すといったサイドエフェクトがあるのだろうか。確かにハイレゾで再生される音は人間の可聴周波数帯域をはるかに越えており、耳で聞くことはできない。しかし、肌で聞くことは可能だ。そんな効果を医学的に立証できれば、新たな市場ともなるだろう。

参考出品、アナログターンテーブル

その他、参考出品としてアナログレコードのターンテーブルの試作が展示されていた。さすがに注目する人や質問する人としては年配者が多かったが、小生の様にCDよりもいまだにLPの数の方が多いユーザなどに対するアピール度は大変高いだろう。「今更アナログプレーヤか」というなかれ。企業は遊び半分で商品を開発したりしないのだ。実は、あそびゴコロを超えたムーブメントを密かに準備している可能性もある。


ターンテーブルに課せられた任務はごく単純で、一定の速度で周り続けることだけだ。ところがこの一定というところが極めて難しい。回転させる原理原則は同じであっても、実はそのフィードフォワード、フィードバックという制御技術を用いて高精度で制御するところが最先端技術なのだ。もし回転ムラが全くなければ、アナログ再生としてこれ以上望まれることはない。

本当に良い音を求めるなら、中途半端なデジタルはもういい。これからはハイレゾかアナログ。そういう明確な訴求を行なうつもりなのかもしれない。

冒頭で述べたように、国内大手メーカーが迷走して久しい。近隣諸国との仁義なき戦いに疲れ、戦線から次々と脱落していく今日この頃、技術だけで競争し、それを前面に出して訴求する戦いに消費者も少し疲れてきているはずだと思う。音は奥が深い。

Technicsのムーブメントが日本の電子技術最勃興のモチベーションになる様、パナソニックの牽引を期待したい。

最近よく「AKB48から乃木坂46へ鞍替えしたの?」とか「AKB48、飽きたの?」とか、良く聞かれる。

そうではない。乃木坂46は追う立場にいるから応援したいということだけ。

乃木坂46 真夏の全国ツアー2015

AKB48は既に他のグループから目標とされる地位にあり、頂点に君臨する存在となった。小生にとってAKB48は絶対的存在だ。一方、一方乃木坂46は、発足当初からAKB48という追いつくべき目標を与えられている。運営側の用意したキャッチは「AKB48の公式ライバル」だった。メンバーがどう思うかは関係なく、いやおう無しに設定された大前提である。いきおい、根本的に立場が違う。追うものと追われるものの違いとも云える。

追うものと追われるもの  - どちらの方が大変か?
http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-12040494009.html

それぞれの立場で大変さは異なるが、追うものの場合、目標を追っている姿を周囲に晒すことによるプレッシャ、つまり「お手並み拝見」的な好奇の目に晒されるという宿命が付きまとう。それに打ち勝つためには、しっかりと背中を押すファンの存在が不可欠だ。そこが小生が乃木坂46を押す動機だ。

かつての総選挙で「私のことは嫌いでも、AKBは嫌いにならないでください!」と叫んだり、或いは「もう背中を押して下さいとは言いません。ついて来てください」とスピーチした前田敦子、大島優子といった様な、AKB48のファンでなくても一般人に知名度の高いエース的存在というメンバーは、残念ながら乃木坂46にはまだいない。しかも元々ネガティブ志向の強い子たちが多いためか、ついて来てくださいどころか背中を押してくださいとすら言わない。だからこそ、ファンが引っ張っていく必要があるのだ。

認知度を高めさせたい、それに貢献したい。それはファンとして当然の心理であり、それに立脚した行動をとるのはごく自然のことだろう。かつてまだAKB48が発展中だったころ、米国シリコンバレー出張中に電器量販店の展示品タブレットでYoutubeを開き、AKB48の動画を流してその場を去る様なことは何度もやった。意味があるかどうかはともかく、そうすることで「なんだこの子達は?」と記憶させればいいと思った。

AKB48は結成後10年が経って世界的にも知られる存在となり、今や絶対的な地位を築いた。元来グループというのは友達同士からの発展形であり、オーデションはグループとして一緒に受け、受かればグループとして活動を行なう。それがグループの基本形だった。

それに対し、AKB48はオーディション合格者で結成された初顔合わせ同士の「寄せ集めグループ」だ。この手の仕掛け人はかつて同様の手法で「おニャン子クラブ」をプロデュースした秋元康氏だろう。互いに仲間であると同時にライバルだ。そこに独特の緊張感が生じる。あえてズブの素人を原石から切り出しただけのまま、研磨加工する前に突如としてメディアに晒す。ハスに構えた一般大衆の目に晒されるわけだ。一方、メンバー同士にしても、とにかく全くアカの他人同士が互いの距離感がつかめないまま、というか、棘々な状態でむりやりグルーピングされて活動開始するというモデルになっている。最近ではモーニング娘。がその典型だろう。

その様な中で、AKB48はライバル同士の戦いを世に見せた。闘争心むき出しでオーディションに臨み、合格した暁には、メディアで尺の取り合いをする。そういう価値観や行動は、これまでの常識を覆す。ともすればそれは残酷な絵図であり、場合によっては人間の尊厳すら失わせる、まさに修羅場だったし、それを「見世物」にして今日まで来ている。一方、「1+1=3」と云ったシナジー効果が奏功し、AKB48は途中で中弛みすることなく、ビジネスとしても常に右肩上がりで成長が続き、既に10年となった。株価だとしたら、最優良株の筆頭だろう。

我々男性から見ると、女性が闘争心をむき出しで戦うという姿はちょっと想像できないのだが、一方、あっても可笑しくはないと思う。但し、それは飽くまでも男性の前では見せない「ウラ」の世界だったはずで、それをメディアに流すという発想はこれまでなかった。言葉や態度によるオンナ同士の「格闘技」をメディアの前で演じさせたのだ。おにゃんこクラブで実験を行って感触を得た秋元康氏は、その発展形としてAKB48を発足させた。ともすればこのあからさまな神経戦による格闘を煽る手法は人道的に問題ありという意見もあるだろうが、ある意味、女性解放でもあると小生は考えている。

さて、こういう流れの派生形として乃木坂46は誕生した。当然、オーディションによる寄せ集めグループである。そして結成当初からAKB48の公式ライバルという貼紙が貼られた。何がなんだかわからない少女たちに、雲上人であるAKB48に対してタイマンを張れと指示した。そういう状況下にあり、戸惑いながらも屈することなく演技する姿はまさにアッパレだと思う。

世の中、女が元気だと男が元気になるというのは古今東西同じだろう。かつての様な強いリーダーシップをとる男が稀有な今日の日本、男たちを奮起させるためには女が元気である必要がある。女が元気であるためには、男がインフラを整備する必要がある。

優れたソフトウェアも優れたハードウェアがなければ動かないし、優れたハードウェアも優れたソフトウェアがなければ役立たずなのだ。

役割分担とはこのことを言うのだろう。アイドルとファンも、そんな関係なのかもしれない。この関係を保持できれば、常に儲かる仕組みが確立されたビジネスモデルとなる。

100均は、生活に必要な雑貨が100円で手に入る庶民の味方として広く知られており、小生もたとえ用事はなくてもしばしば立ち寄るお気に入りのスポットであるが、エレクトロニクスエンジニアと言う視点で興味深いものについて、これまで幾つかの優れものをここで紹介した。

100均の挑戦  - LEDナツメ球のナゾ http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11500885320.html

100均で勉強  - 今回はバッテリチェッカーのナゾに迫った http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11514432647.html

100均の真髄  - マグネットスイッチ付LEDライ http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11519473233.html

100均のナゾ  - ニッケル水素充電池様充電器の分解 http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11528545464.html

100均のLEDキーホルダ  - リチウムイオン充電池の取り扱い http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11562889517.html

100均で買える電子技術の勉強材料  - オーディオアンプ http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11576215501.html

100均魂  - スマホの強い武器、パソコンクロスというスグレモノ http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11834531382.html

100均で買える逸品  - 今回は「マジックライトペン」というUV-LED、ブラックライト http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11986631385.html

100均USBケーブルの秘密   - 電流と充電時間の関係 http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-12019712753.html

100均が教えてくれること  - 車からモバイルに充電できる「USB Charger」の分解 http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-12071753089.html

どれも何故100円で製造販売できるのかなどを突き詰めると、中には安全規格上や品質上の問題がありそうなものもあるが、それが気になるならブランド物を買えばいいでしょ、という自己責任を前提とすれば、それらの商品を分解してみると電子回路的にみて基本に忠実であることや、余計な保護回路などが入っていない事など、回路動作の勉強になることは極めて多い。

さて今回は、マイクロUSB端子に挿して使うiPhone用の充電アダプタをターゲットとしてみた。

ご存知の様に、iPhoneはiPhone5以降のモデルでは充電やデータ伝送に用いられるケーブルが大幅に変更され、ライトニングケーブルという特殊なケーブルが必要となった。コネクタ形状は小さい上、リバーシブル(上下どちらに挿しても動作する)というピン配列となっているので大変便利なケーブルとなっているのだが、問題はiOSのバージョンに支配されていて、アップル社による正規ライセンス認定品以外のケーブルは、たとえ動作しても将来iOSがバージョンアップされた際に「燃えないゴミ」になってしまうということだ。環境マネージメントISO1400x的には如何なものか、と思える仕組みでもあるわけだが。

実際にOSをバージョンアップさせて非ライセンス品で充電しようとすると、非ライセンス品ユーザにはおなじみのこんな冷たい表示が表示される。


この様なことから、アキバにあるパーツショップでは非ライセンス品については「現バージョンでの動作は確認済み」といった貼紙付きで、そのかわり純正品やライセンス品と比べるて相当な格安で店頭販売されている。

拙宅にもこれらの非ライセンス品が幾つかあり、純正品と使い分けて使用しているのだが、その中のひとつに100均のマイクロUSBアダプタというコネクタ形状変換アダプタがあり、それがこれだ。


マイクロUSBケーブルは、モバイル系などのUSB機器にはほぼ標準的に同梱されているケーブルで、機器買換えなどによってこのケーブルは知らないうちに余ってくる。その結果、拙宅にもミニUSBを含めてたくさんのマイクロUSBケーブルが未使用のまま保管された状態となっている。

100均のアダプタは、これらを有効活用するための大変貴重な逸品なのだ。


ところが問題は、本製品、当然のことだろうが非ライセンス品。つまり将来まで使用できることが保障されていない「As is」な商品なのである。とはいえ、これまでの廃棄寸前のマイクロUSBケーブルが再活用できるということは大変有難いわけで、このアダプタはお気に入りとして日頃から使用していた。

しかしながら、そこは非ライセンス品の宿命、OSをアップデートしたところ早速使用不能になってしまった。こうなるともう役立たずとなってしまう。そこで廃棄となるのだが、その前にライセンス認証のナゾを探るべくコネクタ部分を分解してみた。

  

こんな感じ。XA42と刻印されたICと、PchMOSFETが入っている。XA42はMFi認証用と思われるが、フシギなのは先々のOSバージョンで使用できなくさせる方法だ。現バージョンまでであれば使えるということは、即ち認証は通るということだから、この手の商品に搭載されている認証ICと正規ライセンス品の認証ICとでは、認証に必要な鍵の種類が異なるということなのだろう。正規ライセンス品に搭載されている同種のICはオールマイティの鍵を持っているということか。それにしてもそんな「現バージョンまでだったらサポートする鍵」付きの認証デバイスをどうやって調達しているのだろう。供給方法は??いずれにせよ、日本じゃないな、と言う想像はつく。

また、興味深いことは、このアダプタはライセンスがないとは言え、合法的に販売されていることだ。アキバで売られているサードパーティ製のケーブルなどは、出所も入手ルートもアヤシイのだが、全国展開している天下の100均の場合は、製造元も流通ルートもきちんとしたところを使っているはずなので、つまり、その製品に対するライセンスに絡む法律的なお咎めはないということになるだろう。そこには何か理由があるはずだ。

この辺のからくりは、メーカーや100均ショップではこれらのケーブルやアダプタに対してライトニングとは言っていないことにある。具体的に言うと、正規のライトニングケーブルは表裏どちら方向に挿しても使えるリバーシブルであることに対し、くだんのケーブルは片面しかサポートしていない。つまりこのケーブル、アダプタはライトニングではないという論理に基づいて販売されているからお咎めがないのだ。

普段ナニゲで使っているケーブル、中にこんなICが入っていて認証云々といったプロトコルを司っているなんて知らない人が圧倒的に多いと思う。因みに、以前断線してしまったアップル純正品のライトニングコネクタを分解したことがあったが、ものすごく頑丈にと言うか屈強にというかモールドされており、分解にはとんでもなく難儀したことがあった。もしかすると鍵保護のため、と言うことかもしれないが、見えないところに様々な仕掛けがあるものだ。

先に述べたように、この仕組み、環境マネージメントISO1400x的には如何なものか、と思える仕組みでもあるのだが、アップルとしてはライセンス品以外は海賊版であり、海賊版が自己都合で廃棄されることに関してはなんら感知せずというところなのだろう。いたちごっこは今後も続くのだろう。

とにかく様々な手法でガードを固めるアップルへ喰らいついていく100均魂はアッパレだ。

もちろんケーブル自体華奢だし、以前にも紹介した様に皮膜の誘電率や銅線の純抵抗、伝送線路としてのインピーダンスなどを評価すれば品質的に純正品の比ではないものの、

「四の五の言わず、動けばいい」という庶民の事情に沿い、充電時間が云々とか贅沢なことを言わなければ100円で販売できるという事実を証明していることは本当にエライと思う。

安く提供できるものを高く買わされるのは不本意だから、100均には今後もがんばって欲しい。


半月板損傷という膝の病を患った。サッカー選手などのアスリートがよく患う怪我の一つで、歩くときに痛む。

少し以前から胡坐をかく様に膝を曲げた状態から膝を伸ばすとき、膝付近で「ポキッ」という音がするようになったのだが、痛みなどはなかったので、さほど気にはしていなかったのだが、最近になって、膝を伸ばす時にその音がするまで痛みを感じるようになった。

その後、状態はだんだんと悪化し、最近では痛みが激しくなってきて自力では伸ばせなくなり、だれかに足を引っ張ってもらって足をねじらないとその音がしなくなるようになってしまい、自力では痛みから解放できなくなってしまった。その場合、歩くどころか足を動かすこともままならないという厄介な状態に陥る。

これは由々しき事態であると判断し、拙宅に近い接骨医に行ったところ、半月板損傷と診断された。小生はアスリートじゃないから、単なる加齢によるものだろうが、原因はともかくこの痛みは尋常ではないので、すぐにも治したいと思ったのだが、医者曰く、この半月板損傷は、半月板という軟骨には血液が通っていないために自然治癒はせず、

治療は手術によって損傷部分を切り取るしかないという。

そんな後生なこと言わずにと、その医者から紹介された膝の治療に関しては権威ともいうべきという整形外科を紹介してもらい、原因及び対策について相談しにいったところ、診断結果はやはり半月板損傷だった。この半月板はX線では撮像できないとのことだったが、とにかく骨に問題ないということは確認してもらった。


その際、くだんの整形外科の先生は、先の接骨医よりももっと強い口調で「自然治癒しないばかりかだんだん悪くなるし、いつ激痛が襲ってくるかわからないから手術すべし」と冷たく宣告され、手術の予約までさせられそうになったので一旦持ち帰りとさせてもらったのだが、かなりブルーになったことは確かだ。というのは手術はさほど難しいものではない様なのだが、術後の通院が必須だという。この整形外科、実は遠方にあり、拙宅からは車でも電車でも1時間半程度かかるのだ。しかも名医らしく、いつも混雑しており、手術以外は予約なしということで、治療開始時間は9時であるが、患者はいつも朝7時から並ぶらしく、要は一日を使うということだ。毎日通院するにしても、これでは入院と変わらない。仕事も都合もあるし、如何なものかと思うので、まずは真剣にその半月板損傷という疾病がいかなるものか、手術以外に治癒させる方法はないかなどを探ることにした。

ところがその間、ここ暫くは痛みも出ずに小康状態となっていた我が膝だったのだが、カラオケでAKB48を踊ったときに油断し、膝をねじったのが致命傷となり、歩くこともままならない右足となった。とにかく動かさなくても痛いし、動かすと余計に痛いから始末が悪い。

再び接骨医に飛び込んでなんとかしてくれと頼んだのだが、半月板損傷というのは緊急性は低いため手術などは予約手術とか言うジャンルらしく、執行日までの間は大人しく待つしかないのだそうだ。つまり、この痛みとしばし付き合うしかないという。
この半月板損傷といのは命に別状はなく、疾病の進行が緩慢なので、手術にしても優先順位は低いらしく、「痛いだけなんだからガマンしろ」というのが医者側の論理らしい。まあ、そうかもしれないが痛いと集中力も気力も低下するというものだ。第一、夜眠れないのが問題。実際ここ数日間、殆ど眠れていない。

医者曰く「痛かったら、痛み止めのセデスとかバッファリン飲めば?」だそうで。。尚、炎症起こしているのだから冷やすのが良いという。早速冷やしてみたのだが、ヒリヒリとして別の痛みを喰らった。

今はどうにかこうにか歩けるのだが、階段がキツイ。とはいえ、即効性のある治療がないそうなので、暫く安静にして痛みが去るのを待つしかなさそうだ。
最近、とみに本を読まなくなってしまった。いや、読んではいるが、横書きで書かれた書物、即ち科学雑誌や書籍、参考書が大半であり、縦書きの代表である小説などは殆ど読んでいない。

因みに最近読んだ縦書の書物は、昨年夏に発刊されたHKT48の指原梨乃による指南書「逆転力」、その前はその一年前の夏に企画された、AKB48のメンバーが読書感想文を提出すると言う企画に於いて大島優子が選んだ田中慎弥の「共喰い」と言う小説だった。ずいぶん偏っている。

AKB48指原莉乃の「逆転力」  ー 客観的な自己分析による「本音」
http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11911783454.html

あと縦書きといえば新聞、それに飛行機の機内誌程度かもしれない。尤もこれらは本とは言わないが。とはいえ、本屋に行った時には必ず入り口付近にある新刊書、縦書書物はチェックしている。興味を持てばパラパラめくる。だが、なかなか買うまでには至らない。

そんなある日、パラパラ2-3ページめくっただけで即効で購入した本がある。それがこの本だ。

益川敏英著 「科学者は戦争で何をしたか」

益川教授は云わずと知れたノーベル物理学賞受賞者で、反戦主義者として活動しているのは知っていたが、立ち読みしてみると反原発にも触れてあり、物理学者と言う立ち居地での反原発意見は大変興味深いというのが購入した直接の理由だ。

ともすれば、科学の進歩は人類の生活を豊かにするだけではなく、破滅への道を提供することがある。

原子力がその筆頭だろう。人類に対し無尽蔵ともいえるエネルギーの供給が可能となる反面、制御不可能となったら人類のみならず地上の総ての生命が絶滅する様な危険性を孕むことは、先の原発事故で痛いほど知った。

また、平和を築くはずの技術が死の商人たちの手によって軍事に転用されれば、瞬く間に技術は平和を砕く技術へと変貌する。つまり科学も扱い方によっては、いとも簡単に悪魔に豹変するのだ。 

要するにいわゆる両刃の刃なのだ。 益川先生はそこに大きな警鐘を鳴らす。自分の研究がどういう使い方をされるのか。科学者たるものには、そこまできちんと見極める能力が必要だと説く。確かに自分の研究成果が将来何に使われるのかなど、知ったことではないと言う研究者も中にはいるだろう。それではいけないと説く。闇で使われると判っているのであれば、研究を断念するという決意も今の人類には必要だと言うのだ。「なるほど」と思う。元来、科学とはニュートラルであるべきだが、それをどう使うかは人間次第なのだ。 

原発も両刃の刃の代表格である。益川教授は原発には反対と言う立場をとる。だが、反対ということと撤廃ということは別次元で捉えている。つまり、現状において原発は必要悪であるというスタンスだ。小生も同感で、原発事故の1年後ぐらいに、このブログに記載した。

原発問題   - 産業に於ける電力供給の安定性
http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11290536880.html

原発問題   - 恐怖心を煽る手法の危険性
http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11294253853.html

要するに今、原発を廃止することは実質不可能だし、今後画期的な代替エネルギー生成方法が確立するまでは、不本意ながら必要悪ともいうべきその「ならず者」原発に頼らなければならない以上、すくなくとも代替が現れて原発を廃止するまでの管理方法や廃炉方法をきちんと科学的に研究する必要があるということなのだ。ところが最近は原子力という学問が極めて不人気だと言う。これは由々しき問題だ。今日本にある原発の面倒は一体誰が見るのか?外国にゆだねるのか?

日本国民の生活、生命線を司る技術を海外に任せるというのか。

一方、現在の科学は産業との足並みが極めて重要となってきており、研究テーマは「選択と集中」という金儲けの原則で選択される様になってきている。つまり、利益優先なのだ。なんの役に立つのか見えない研究に対する国家や企業からの支援はない。

昔と違って今の科学は金がかかる。最新の量子力学の実験設備やランニングコストは、国家予算規模の費用がかかる。国の威信をかけてという名目があればまだしも、そうでないとなれば研究を続けることは不可能だ、

かつて、同じくノーベル賞を受賞した小柴昌俊氏は「スーパーカミオカンデはなんの役に立つのですが」という質問に対し「百年経っても何の役に立つか分かりません。ただ人類共通の知的財産を増やすという意味では貢献するでしょう」と語ったというが、研究テーマによっては断念せざるを得ないテーマも山のようにあることは想像に難くない。

小生は科学者でもなんでもないので、人類の将来云々に直接関わることはないが、それでも技術者の端くれとしては、自分が携わっている技術が、たとえ些細なことであるにしてもエネルギーの高効率化など人類にとって喜ばしい方向に貢献できているのであれば、と思うことは多い。

人類に良かれと研究したことが人類の殺戮に加担しているとなれば、ショックだろう。色々考えさせる本でした。
東京都立神代植物園に、ショクダイオオコンニャクという植物が栽培されているのだが、この9月に数年ぶりに花が咲くということで話題になった。というか、専ら話題は、この花がとんでもなく悪臭がするということが話題となっているわけで、しかも開花は2日間程度ということと、たまたま開花が週末ということもあってものすごい賑わいとなった。


この花は、サトイモ科に属する植物でスマトラコンニャク(学名:Amorphophallus titanum)とも言われるそうだが、インドネシアのスマトラ島に自生する世界最大の花であり、世界でも開花例は極めて少ないそうで、かつて小石川植物園で19年ぶりに咲いたということで話題になったそうだ。


この開花は月曜まで続き、同公園は急遽月曜も臨時開園としてその花の「魅力」を広く知らせしめることに貢献した。



もう終わりに近い時期ということもあってさほど臭いはきつくなかったが、それでも独特の死臭というか、たんぱく質が腐敗してその上にカビが生えている様と言ったらよいか、ともかくそのステキな香りに接することが出来たのは幸運だった。今後数年、場合によっては7年ぐらい開花しないしい。


ところでこの臭いの成分は「ジメチルトリスルフィド」という含硫黄化合物と類似しているという。

この臭いによって蝿などの虫が集まり、受粉が可能となるのだそうだ。つまり蝿を呼ぶ花と言うことになる。小生、化学系は門外漢なので理解していないが、この臭い、

実は浸潤性癌の患部から放出される臭いと類似しているそうなのだ。


東京大学大学院 農学生命科学研究科資料より


ということは、素人考えだが癌の所在を蝿が見つけ出せるということじゃないんだろうか、と思った。

キャビア、フォアグラと並ぶ世界三大珍味のひとつと言われているキノコのトリュフ(西洋松露)は、オス豚が発情した時に発する匂いの元と同じ成分が含まれているためにメス豚が必死で探しまわるという手法で採取されるそうだが、キノコにしてもくだんのショクダイオオコンニャクにしても、植物が出す「体臭」によって動物(昆虫も含め)が惑わされるという点が大変興味深い。逆に言えば、植物が動物臭を出すということであり、そのメカニズムに類似している気がする。

従って、蝿はウソをつかないという前提で考えてみれば、蝿が早期癌の発見に貢献するかもしれないと考えられるのではないか。最近では癌の臭いをかぎ分ける犬が話題となっているが、犬の場合だと絶対数が少ない上、飼育教育に時間を要することに対し、蝿は単純で数も多く、次々と生まれているから数量に制限はない。

近い将来、これまで忌み嫌われていた蝿が、癌早期発見生物としてちやほやされる日が来るという可能性があるかもしれない。

以前、癌の特効薬としてモンシロチョウの蛹から抽出されるピエリシンという成分を紹介したが、自然界に存在しない物質を生成して成敗するのではなく、自然界にある物質で中和しあうというのは、平均を求める自然の作用として考えると理にかなっている気がする。

モンシロチョウ - 人類の救世主となるかも

http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11223358517.html


ここ暫く雨の日が続き、外出もままならないので、久しぶりに100均モノの分解なんぞやってみた。

今回の分解ターゲットは、車のシガーソケットに差し込む電圧変換アダプタで、反対側がUSB端子となっており、スマホなどのモバイル機器の充電が出来るアダプタ。即ち車のバッテリー12VからUSBの5Vを生成するのだが、くだんのアダプタは800mA対応品であるのに対し、別機種として同じアダプタで1A品があることが分かり1A品に買い換えることにしたので、800mA品の方を分解してみることにした。充電したいモバイルデバイスでも、スマホなどは、充電開始直後の電流値が900mA近くになることがあるので、1Aサポートだと安心だ。


さて、分解開始。

分解の第一歩である開封、100円商品だから当然ネジなどは使わずパカッとはめて接着剤で一点締めしてあるだけなので、隙間を見つけてこじ開けると簡単に外れた。

分解してみると、車からの給電側(アダプタから見た入力側)にはちゃんとヒューズ管が入っている。また、基板上に12V入力から5V出力するDC/DCコンバータと思しきICが乗っている。その他インダクタやコンデンサ類が幾つか見えるので、典型的なステップダウンコンバータだろう。


ということで、まずはこのICをチェック。拡大鏡で確認するとMC34063Aとある。モトローラ製かコンパチ品らしい。これをWebで検索してみると3.0Vから40Vまでの入力電圧で動作し、ステップアップにもステップダウンにも使えるICの様だ。また、ショットキーダイオードが入っているので非同期整流型なのだろう。車のバッテリからの供給電圧は状態によって大きく変動するが、このICの許容入力電圧は40Vなので問題ないのだろう。こういう用途向けとして開発されたDC/DCなのかもしれない。

ここまで分かったので、早速回路図に落としてみた。単層基板だし部品点数も少ないので回路図への落とし込みは簡単だった。


回路を見ると、ICメーカーの推奨参考回路と殆ど同じ構成で、ほぼ教科書通りのコンバータとなっているのが判るが、ICやヒューズ、USBコネクタなどを合わせて販売価格として100円で出来るのがエライ。部品屋へ行って一点ずつ買い求めたら、とてもじゃないが100円では収まらないのは、これまで見てきた100円ものと同様だ。

但し問題がないわけではない。例えばヒューズ管だがこの安全規格は北米のUL、ドイツのDVE、そして中国のCCCが刻印されているものの、使用先である我国のPSEの認証がない。

これは如何なものかと思うが、そんなものなのかもという気もする。

同じジャンルである1A品も興味あるが、概ね回路構成は同等だと思われるので、そいつの分解はいずれ。

小生、東海道新幹線には大体2週間に1度は乗車するのだが、東京から乗車する前に調達する弁当は、押しなべて崎陽軒のシウマイ弁当が定番となっている。かつて様々な弁当にトライしてきたが、値段が少しずつ上がってきているのが少し気になるものの、結局コストパフォーマンスを鑑みて、結局このシウマイ弁当に落ち着いてしまう。部品構成はご飯のほか、シウマイ5個、厚焼卵、鮪のつけ焼き、赤い縁取りつきの蒲鉾、鶏の唐揚、筍、杏の甘煮、切り昆布、千切り生姜、及び小梅。ある意味、汽車弁当の元祖かもしれない基本形でもある。


聞けばこのシウマイ弁当が誕生したのは、なんと昭和29年だったそうだ。それを知ったのはつい最近なのだが、聞く前からなんとなく世代的な整合感は感じていた。

ところで、このシウマイと言う言葉、本来はシュウマイ、或いは焼売と表すのが普通なのだが、「シウマイ」で検索すると完璧に崎陽軒のシウマイに誘導される。つまり、崎陽軒の商標の様なものなのだ。これは凄いことだ。なまじっか商標登録するよりも「シウマイと云えば崎陽軒」という方程式が確立されているということなのだ。考えてみると、スゴイ戦略でもある。調べてみると、日産約2万食の生産高だそうだ。人気が高いことがわかる。今や、ある意味横浜の顔のひとつだ。

さて、実はこのシウマイ弁当に就いて少し問題が生じた。少し、ではあるが。

それは、弁当に内包されている醤油ボトルの蓋が固すぎて開けられなかったということだ。なんだ、些細なことだと思うなかれ。醤油がさされていないシウマイなんぞ、それこそ醤油抜きの寿司とか玉子かけご飯みたいのものだ。味のコラボレーションというのは食材と調味料が共振することで昇華するというものだ。

従ってこれは大問題だった。もちろん力任せに蓋を捻れば開いたかもしれないが、醤油が飛び散って服にデカイ染みが付いてしまうかもしれないという恐れから、それは躊躇した。とはいえ、隣の席が空いていたことを幸いとして歯に加えてまわしてみたり、いろいろ試してみたのだが、総てダメ。仕方なく醤油無しのまま、共振しないままの食材を味わうこととなった。

これは何とかしなくてはならない。そう思った。小生の様な犠牲者が多発することはよろしくない。些細なことからファンが突如としてそっぽを向くことは、芸能界のアイドルの押メン変更と同様だ。

そこで現物の醤油をそのまま持ち帰り、必要なデータ、即ち製品名、製造ロット、購入年月日、購入場所が書かれた包装紙や売店のレシートなどを取り揃え、不具合状況を説明するレターと共にお客様相談室へ送付した。日産2万食のうちの1つかもしれないが、消費者の声は届くだろうと考えての行動だった。


それから一週間後、崎陽軒は生産管理・技術課から署名つきのレターと共にシウマイギフト券2枚を送ってきたのだ。

レターは自動応答の様なものではなく、症状を踏まえた上での具体的な善後策として「製造メーカーに対して、醤油ボトルの蓋を閉める工程でトルクを再調整するように指示した」と書かれたきちんとしたレターである。

小生的には今後対応されていればいいと言う程度にしか考えていなかったので、ここまで対応してもらえるとは思っていなかった。

アッパレである。

逆に礼をいいたいくらいだが、この場で謝意を書き記すものとする。


近年、クレーマという人種が蔓延っていると聞く。特に高齢になると相当厄介らしい。まして最近はツイッターの様なSNSで何でもかんでも、あることないこと瞬時に世界中へばら撒くことが出来る時代となり、一般消費財を販売しているメーカーはさぞかし大変だと思うが、中には品質改善のアイデアや対策ヒントを提供してくれる情報提供者もいる。今回の小生の行動はそんな大それたものではないが、それなりの対応策を講じてもらえるのであれば、品質改善への貢献が出来たのではないかと思う。

一般消費財に限らず、改善改良を進めるにはユーザの声を反映させるのが一番だ。企業はそういう声を聞く耳を持ち、なおかつ役立つ情報かどうかを見分ける選球眼が必要だろう。そうした関係が出来ればWin-Winの構図が出来上がる。

今回の件で、崎陽軒の対応は立派だったと思う。もちろん他のメーカーと比較した結果ではないが、絶対値として正しい方法で対応したと考える。

今後もシウマイ弁当が新幹線弁当としての主食となりそうだ。

 

 

 

小生、アスファルト上の道端に成虫だろうが幼虫だろうが、とにかく虫が這っているのを見ると、瞬時に拾い上げて近くの叢へと放つ。ひょっとすると虫はアスファルトの上を歩きたかったのかもしれないが、だからと言ってそのまま蠢いていれば人や車に轢かれたり、あるいは目的を成就することなく干からびたりする可能性が高いし、いきおい、生存する確率は叢の方が高いと思えるので、いらぬお世話かもしれないのだができるだけそうしている。

そういう事をするとき、いつも頭をよぎるものがある。

これまで家族や友人には一度も話したことがないのだが、それは小学校の低学年の頃に犯した犯罪だ。 そっと罪を悔い改めるために、それをここに書いておこう。

小学校低学年の頃といえば、好奇心の真っ盛りであり、大人が考えない様なことをする年頃だ。当時の友人との遊び場の一つは近くを通る国鉄の線路だった。線路といっても貨物線だったから往来は少ない。子供ではあったが、さすがに石を置くのはよくないという事ぐらいは判っていたので石は置かなかったが、小さなかんしゃく玉を置いて火花が出るの見たり、釘を置いてぺったんこにしたりとか、いろいろなことをやって遊んだものだった。

 

 

 


そうした遊びの中、実は過激なことをしたことがあった。それはカブトムシを線路に置いて貨物列車に轢かせるというものであった。だれが言い出したのかなんて全く覚えていないが、何となくやってみようということになった。というか、そこにカブトムシがいたから線路に乗せただけ、という程度のものだったのだが、とにかく線路の上にカブトムシを置いたのだ。そのカブトムシ、もともと瀕死な状態だったこともあり、殆ど動けないほど弱っていたのだが、それでも生きていた。それを線路の上に置く。貨物列車が通った後はどうなるかなんて、もちろん理解していての行動だ。

カブトムシを線路に置き、子供たちは列車が来るのを待った。先に書いたように貨物だから本数は少ない。一時間に一本も来ない。しかし「その時」はたまたま来た。忘れもしない、蒸気機関車だった。

カブトムシの上を車輪が乗る瞬間を見たかっただけなのか、或いは何かの奇跡が起きるのを見たかったのかなんて覚えていない。ただ、その情景は今でも鮮明に覚えている。列車がすぐそこまで来たとき、はたして危険を察知したのか、単に線路が振動したからなのか判らないが、瀕死だったカブトムシが歩き始めた。そして線路からずり落ちそうになったとき、列車の車輪は、カブトムシが線路から落ちる前に覆いかぶさった。

と、思う。

「と思う」と書いたのは、実は小生を含め友人のだれもがその瞬間については目を背けて見ていなかったからだ。なぜ目を背けたか。間違いなく罪の意識があったからだと思う。しかしとにかく誰も見ていないのだ。その前後の事は今でも鮮明に覚えているが、その瞬間の事だけは全く記憶にない。常磐貨物線の蒸気機関車が迫り来る情景。だるそうにたくさんの貨物車両を牽引して通り過ぎる情景。今は昔、連結の最後に連結されていた車掌の乗る緩急車が過ぎ去っていく情景。総て脳裏に焼きついている。しかし、カブトムシの最期については記憶がない。

このこと、今からすでに半世紀近く前の事にも拘らず、昨日の事の様に記憶している。恐らく今後も記憶し続けるだろうと思う。

アスファルトに虫が這っているのを見ると必ずこの光景が現れる。だから殆ど無意識的に拾い上げるのだ。それで昔のことを免罪しようとかそういう事ではなく、殆ど発作的なものだ。これからも、そうやって拾い上げていくのだろうと思う。先日は拾い上げた虫に噛まれた。それはそれでいい。そんなことに懲りることなく、拾い続ける。それが小生の懺悔だと考えている。

そう言いながら、蚊が出れば蚊取り器を出すし、ゴキブリが出れば退治する。全くもって勝手ではあるが、人間はそういう動物だと割り切るしかない。しかし、少なくとも研究対象としてか、自分に危害を加えてこない限り、殺生はしないことを心がけている。というか、したくない。

子供というのは、大人の想像以上に残酷なことをすることがある。カエルの口に火薬を突っ込んでみたり、それはもうメチャクチャなことを試みたりする。だが、そういう行為を重ねるうちに、ふと命の尊さを知るということもあるのだ。

「虫だって殺してはいけない」と教育し、殺生を忌み嫌う。もちろんそれは正しいことなのだが、子供たちから、一度死ぬと元には戻らないという命の尊さを知る機会を絶ってしまうことは、如何なことかと思う。


最近小中学生も含め、若い人の凶悪事件が後を絶たない。凶悪事件を起こす子供の中には、なんと「一度人殺しをしてみたかったからやった」とまでうそぶく子供が出現していると聞く。死ぬ様を見てみたいからだという。一般論として、未体験のことを知りたい、見てみたいという好奇心や探究心は理解できるが、善悪の判断がその大前提にあることが教育されていない結果だ。こんな危険なことはない。科学云々の前に、倫理があるべきなのだ。それが人間というものだろう。

あの日から小生の空の上には、あのかわいそうなカブトムシがいつもこちらを見ている。「ぼくを最後の犠牲者として、もうこれ以上意味のない殺生はしないでね」そう語りかけている。

生命体にリセットボタンはない。子供たちが、昆虫たちからそういうことを教えてもらうことも大切なのではないだろうか。