こんにちは (`・ω・´)ゞ

 

4月7日に探訪した

石鎚村(旧千足山村)石貝集落

からの続きになります

 

2024-06-06

 

旧石鎚村石貝集落跡に

今も遺ってるって聞いた

「野灯さん」

この素晴らしい石灯籠と

 

往時と変わらない姿で

対面する事が出来ました飛び出すハート

 

それにしても

 

水路や往還道

急斜面に平地を確保する為の石積み

 

何から何まで

みーんな

自然の石をそのまま使ってる

 

まるで石工の里やったがねー

 

このような石灯籠が

他にもないかと調べると

 

愛媛県内では

旧柳谷村(現在の久万高原町)にも

 

ユニークで美しい常夜灯が

あるみたい

 

石貝の野灯は常夜灯なのか

 

お祭りとか特別な時だけ

灯したのかは分からないけど

 

柳谷村のは常夜灯で

 

石の他にも

木で作られたものもあるそうな


『柳谷の常夜燈』

 常夜燈とは、一晩中つけておく明かりのことです。

夜道の安全のため昔は街道沿いに設置されていました。

 

現在で言う街灯の役目を果たしており、

街道の道しるべとして活躍していました。


 柳谷の休場、小村、西村、中田、立野地区には、

現在もいくつかの常夜燈が残っています。

 

建立年月日は不明ですが、

自然石で創られていたり、

石積みで創られていたり、

木で代々創られていたり様々です。


 中でも立野の常夜燈は、

現在でも毎夜ローソクの火がともる常夜燈として

県下でもめずらしい常夜灯の一つです。

 

今から約五百年前、

地区住民が

「地区の安全」「通行人の安全」を

 

金毘羅さん、秋葉さん、愛宕さんに

祈願したのが始まりと伝えられ

 

大雪の日も、雨の日も、

毎日暮時、

順番に回ってくる旗を持った当番の者が、

この常夜灯に灯明をともしています。

 

久万高原町 広報 2016年1月号

【支所だより】より転載

 

 

柳谷村誌

第六編 民族・文化

第八章 ふるさとの文化財

第四節 その他の文化財の

四 常夜灯

 

ここで5つの魅力的な常夜灯が

紹介されてる

第六編 民族・文化

 

四 常夜燈
  (一) 立野の常夜燈(柳井川立野)
 この常夜燈は、いまでも毎夜火がともる常夜燈として、県下でもめずらしいものである。
 建立年月日は不明であるが、五百年くらい前から、部落の住民が、「村中安全、部落中安全・通行人の安全」を金毘羅さん、秋葉さん、愛宕さんに祈願して始められたと伝えられ、現在も部落の一五戸が当番制によって、毎夜この火をたやすことがない。

  (二) 休場の常夜燈(中津休場)
 休場の寺屋敷跡にある。建立年月日は不明であるが、明治初期から金毘羅さんを祀っていたといわれる。
 常夜燈としては、村内の他のものより規役も大きく、石積みで造られている珍らしいものである。

  (三) 小村の常夜燈(西谷小村)
 建立年月日は不明であるが、明治初期より、部落を火災から守る「火ぶせきさま」として祀られてきた。
 毎月五日と二〇日には当番制によって、ローソクの火がともる。現在の常夜燈は、昭和三五年に再建されたものであるが、木で代々創られてきた常夜燈は珍らしい。

  (四) 西村の常夜燈(中津西村)
 明治初期に、明神山の山の神を祀る燈として、建立されたといわれているが、建立年月日は不明である。
 自然石で創られた常夜燈では村内最大である。

  (五) 中田の常夜燈(中津中田)
 明治初期から、松岡八幡様のおひかりとして建立された。建立年月日は不明であり、また位置も、昭和四三年道路改良によって変更された。

 

二番の休場の常夜灯

 

この石灯籠も自然石を

上手く組み合わせていい感じ

 

石貝の野灯に比べると

エントツの様に真っ直ぐに立ってる

 

何となく笠も含めて

スナフキン連想しちゃうなぁ~w

石鎚村の石貝は

かなりの急傾斜地で

 

急斜面に安定して

建てる為には

 

山側と谷側で

長さが大きく異なるし

 

あのような末広がりな形

になるのでしょうね

 

↑↑↑

お気楽アルプ日記 vol.2

2011年10月04日の記事で

 

『おいしい常夜灯』として

 

中津地区の休場(やすば)集落の

常夜灯が紹介されてます

 

 

あっ!

木の灯篭と云えば・・・

アメブロでスゴイの見たーおーっ!

↓↓↓

仁淀川町別枝地区

 

 

四国中央市にも

初瀬試観世音漂着之地

の石碑と一緒に

立派な常夜灯が移設されてた

 

 
 

西条市(旧小松町)の

石土神社の灯篭もあったよー

石土神社の式年祭記念として

1931年に建立した

珍しいコンクリート製の灯籠で

今も道の安全と人々の暮らしを照らしている

 

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さて、さて

 

石貝集落跡の探訪を終えて

 

土場の

石鎚小学校・中学校跡前に

14時53分に下りて来た

 

この後、同じ様な野灯があるという

中村集落跡も訪ねる予定やったけど

 

お堂の発見に時間を費やし

少し遅くなったので

 

次回、改めて探訪する事に!

 

2022年の冬にやって来たときは

 

土居の諏訪神社から先の

林道折掛石鎚線は通行止めになってた

 

時間があるので

道路状況を確認して来ようかな

 

という事で

 

県道142号石鎚伊予小松停車場線を

加茂川沿いの左岸を遡る車DASH!

 

諏訪神社から先は

未舗装の林道折掛石鎚線

 

諏訪神社の前の通行止めは

解除されてたけど

 

御来迎橋で右岸に渡った所で

通行止めになってた

 

ここまで諏訪神社前の

林道折掛石鎚線起点から1.8km

 

大きな広場があるので

此処に車をデポして

高瀑(たかたる)を目指すことが出来ます

 

因みにここから

高瀑登山口の高瀑橋まで

徒歩で約2時間

 

更に登山口から高瀑までが

2時間と片道4時間は要するそうな

 

 
西ノ冠岳(1894m)の谷を流れ落ちる
 
息を吞むスケールの大瀑布を
一度は見てみたいものですニコニコ

 

林道折掛石鎚線の起点迄
戻って来ました
 
 
諏訪神社の駐車場に停めて
中村集落跡へのルートを確認
 
土居地区の観音堂で休憩
 
こちらも無住になっていますが
修理とかもされて
管理が行き届いてる
 
今から10年前の
2014(平成26)年12月までは
 
この上の中村地区に
曽我部さん夫妻が
生活されておりました
 
石貝集落跡のお堂とよく似てますね
 
建てられた年代も近いかも
 
灯篭は石貝の方が大きかったみたい
 
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土場の石鎚小学校・中学校跡前

 

 

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河口の横峰寺別院

 

河口からの黒川道(石鎚登山道)は

 

この鳥居をくぐり

別院の前を通って登って行った

 

横峰寺から星ヶ森峠を越えて

 

モエ坂を下って来たお遍路さんは

虎杖から黒川道に

 

でも、現在は行者堂付近の

谷沿いの道が崩壊し

通行禁止になっております

 

横峰寺から虎杖に下りて来た

お遍路さんは河口まで下り

 

三碧橋のあるここから

今宮道を登ります

 

成就社迄6.6km

 

 

2019-05-03

 

標高210mの河口から

1,400mの成就社までの距離が

6.6kmで標高差1,190m

 

虎杖からの黒川道も

5.6kmで標高差1,150m

 

前回の四国中央市の赤星山が

4.5kmで標高差1,110m

 

うーん、どれも楽じゃないねえー

 

谷ルートの黒川道は

 

最後に一気に標高を上げるので

赤星山に似てるアセアセ

 

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加茂川と河口谷の合流地点に下りてみた

 

三碧峡の三碧とは、

 

加茂川の清水の青

「伊予の青石」とよばれる岩肌の青

そして樹本の緑を指すそうな

 

河口は市街地から約20㎞で、

かつては石鎚登山の玄関として知られたが

 

ロープウェイの開通により哀退し

現在は無住になった

 

三碧橋の下に見えるのは
 
大正14年に架けられた
県下で4番目に古いアーチ橋!
 

 

 

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大保木(おおふき)の千野々に寄り道

 

「ふき」とは古代日本語で、

現代語でけわしい崖

 

石鎚山の山々に囲まれた奥深い土地で

加茂川の両岸に小集落が点在

 

民家や田畑は急斜面にあり

森林資源に恵まれる

 

兎之山(とのやま)、黒瀬山、前大保木山、

中奥山、西之川山、東之川山

 

の6つの村に分かれていたが

明治22年に合併し大保木村となる

 

昭和31年からは西条市に合併

 

住友共同電力(株)大保木発電所

 

オーラを纏ったレトロな建物

 

端出場水力発電所の

僅か13年後に

運用開始されたのに現在も稼働中!

 

旧端出場水力発電所

1912(明治45)年運用開始

1970(昭和45)年廃止

 

住友共同電力(株)の中で

最も古い現役の水力発電所

 

1925(大正14)年3月運用開始

 

横軸ペルトン水車が使用され
発電後の水は、

下流の兎之山発電所で再使用されます

 

発電用の水は
御燈谷、名古瀬谷、瓶壺谷、東之川谷
で取水し、隧道で導水されている
 

30年前に東之川から瓶ヶ森に登りましたが

 

2019年に再訪したところ

 

ここも、無住になり

廃屋ばかりになってたショボーン

 

2019-06-19

 

千野々橋

県内では現役最古の曲弦トラス橋

 

住友重機械工業(株)製作

 

住友共同電力(株)大保木発電所の

建設の為に丈夫な

トラス橋に架け替えたのかと思ったけど

 

架設より2ヶ月前に

発電所が稼働しとるガーン

 

機材や発電所の機械を積んで

 

どうやって

加茂川を渡ったんやろ?

不思議びっくりマーク

 

千野々橋の架設前は

吊り橋だったらしい

 

橋の袂の榎(写真右側の木)に

吊り橋のワイヤーを縛ってたそうな

 

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黒瀬湖の右岸を通ります

 

水位が低下して
水没前の畑が姿を現してる
 
あのピンク色は何なんって
思ってたら・・・
 
 
しばらく経って
愛媛新聞に載ってた
 
「ダム湖レンゲお目覚め」だってびっくりマーク
愛媛新聞 2024年4月25日
 
なんと!レンゲの花びっくり

 

黒瀬ダムが完成したのは1973年

 

普段はダム湖の水中に埋もれてても

種は生きてたんやね~

 

近頃見ることの無い

昭和の田園風景が蘇ってるー

 

レンゲ畑懐かしい飛び出すハート

 

途中の分岐にこの看板あったけど

平成26年から通行止めが続いてた

市道大保木2号線

 

通れるようになったはずやけど

どしたんかな

 

この通行止めの先にある

2010年から休校中だった浦山小学校

 

2019(平成31)年3月に閉校になり

 

2019年10月5日に

閉校式が行われた際には

通れてたはずだけど…

 

それにしても

残置車両って!

 

山の奥地の

直ぐには補修してくれなさそうな

場所まで車で行って

 

取り残されたら大変やなー

(6年に亘って通行止めが続くとは)

 

昭和38年には大保木地区に

7つの小学校と1つの中学校が

あったそうですが

 

次々と廃校になっていき

 

休校状態ですが

唯一、浦山小学校だけが残ってたそうな

 

 

ダムの堰堤を渡って

県道12号西条久万線へ復帰

 

因みに県道12号線は

石鎚スカイラインを経由して

 

久万高原町に繋がる予定でしたが

環境問題が影響したのでしょうか

 

未開通で、久万には抜けれません

 

やっと、桜の時期の投稿済んだよ~

ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪

 

最後までご覧いただきまして

ありがとうございました

 

では、またバイバイ