こんにちは(*^^*)

 

年が明け、1月9日の日曜に柑橘園の防除作業も終わったので

 16日の日曜は今シーズン初スキースキー

 

四国中央市からだと

 徳島県の井川スキー場と県内の西条市にある石鎚スキー場がほぼ同距離

 

井川スキー場は三好町が運営していましたが

 2014年から5年契約で指定管理者になったマックアースが僅か2年で撤退

 

三好町が新たな指定管理者を募集して

 愛媛県の石鎚登山ロープウェイ(株)が現在も運営しています

 

どちらのスキー場も運営者は同一ですが

 石鎚スキー場では、今シーズンは毎日シニア割らしい飛び出すハート

 

シニア割の西条市へ向かいます車DASH!

 

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・

 

加茂川右岸を通る県道西条久万線を遡って往くと

 絶壁が頭上に覆いかぶさるように聳え立ち、岩山をくり抜いたトンネルを抜けます

 

この辺りは加茂川渓谷の三碧峡と呼ばれる景勝地

 

加茂川の清水の青、伊予の青石と呼ばれる岩肌の青、

 そして樹木の緑が美しく、この三つが三碧の由来らしい

 

河口1号、2号隧道跡は現在も面影を留めて供用中だけど

 昭和42年に河口谷を跨ぐ三碧橋が架かり

 

河口3号、4号隧道と河口橋は人知れず、河口谷沿いに眠ってる

 

探訪日 2017年1月3日

 
三碧橋を渡って、スキー場とは逆の右方向へ

 ここは加茂川と河口谷の合流地点で河口(こうぐち)と呼ばれ

 

石鎚山の玄関口として知られてましたが

 1968(昭和43)年のロープウェイの開通で一気に衰退しました

 

現在も営業してる宿は1件だけで、お山開きの時だけかも

 

表参道の今宮道は此処から続いています

横峰寺の別院が岩壁にへばりつく様に建ってます

 

加茂川に沿って県道142号石鎚伊予小松停車場線を遡ります

 

旧石鎚村の石鎚村立石鎚小学校・中学校跡に到着

 

 

前回の記事に登場した

 関サカエさんのご終焉の地でもある

 

この地を訪ねてみたかったので寄り道しましたウインク

 

四国中央市の自宅からここまで50kmで

 混んでなかったので所要時間は65分でした

 

先ずは、合掌

正門の石柱はガードレールの外側に2本建ってるけど

 なんか幅が狭いような気がする

 

往時の写真をネットで探すと

 県道から正門を抜けて石段が続いてた

 

石柱の間隔も現在のよりも広そうです

 

調べてみると2007(平成19)年頃までに

 ここまで県道の改良工事が行われ

 

拡幅によって石段や石柱が撤去されたけど

 陳情によって、石柱は残されたみたい

 

幅も違うようなので、元の場所では無いのかな?

 

 

学校跡へ降りてみると

 コンクリートの四角い枠があったので

 

校舎の基礎かと思ってると・・・

 予想外の生簀でしたびっくり

 

インスタに投稿した写真に

  小学生時代の夏休みに此処を訪れて

 

「この中で育てたニジマスを石垣の池に放流して掴み取りしてた」

 ってコメントを頂きました飛び出すハート

現在と昭和40年頃の石鎚小学校・中学校
 

現在も唯一残ってる建物は給食室だったらしいけど

 職員住宅や校務員住宅として使われたことは無かったのだろうか

養魚場の生け簀脇に石柱が一本建っており
 皇太子殿下御降誕紀念 昭和十年と記されている

 

校庭の隅には遊具も残ってた

閉校後に、養魚場の施設として
 アマゴやニジマスを販売していたと思われる、給食室だったこの建物も崩壊寸前
 
昭和40年頃の写真を見ると
 この建物と一直線に並んで中学校の校舎も建っており
 
そのすぐ横に石柱と石段が見えるので
 今の石柱の場所はかなり左に寄っているのでは・・・

 

小学校と中学校ともに1977(昭和52)年4月1日に閉校になりました

この中にニジマスを放流して掴み取りしたそうな魚しっぽ魚からだ魚あたま

 

校庭のすぐ横を流れる加茂川

 

1926(大正15)年に県道が河口-土居間に開通するまでは

 伐り出した木を加茂川を利用して流してたらしい

 

この辺りが土場として利用されたのかもね

(ここの地名は土場らしい)

 

当時の写真ではかなり大きな校舎が写ってるけど小学校?

奥は中学校で、一番手前の建物は体育館(講堂)かな?

明治時代、石鎚村には15の集落があったと言われています
 

石鎚村は昭和26年8月までは、千足山村と呼ばれていました
 

昭和30年4月25日に、石鎚村・石根村・小松町が合併し、小松町となり、自治体としての歴史を閉じます


平成16年11月、小松町・丹原町・東予市・西条市が合併し、新西条市となって現在に至ってます

 

 人口の推移

 明治21年  1,307人
 
昭和30年  1,189人
 昭和33年    977人
 昭和35年    898人
 昭和45年    329人
 昭和55年     44人
 昭和62年     27人
 平成 2年     13人
 平成 7年     11人
 平成19年      2人 
※平成19年の人口は湯浪集落を除く
森に埋もれた千人の村・石鎚村より

 

2014(平成26)年に中村地区の老夫婦が山を降りられてゼロに

最後まで石鎚村で生活されていた御夫婦

 

「石鎚山に抱かれて」というような題名でNHKでも放送されてた記憶があります

(訂正)

「神さんの山 石鎚 ~冬から春~」2012年4月20日(金)20時~NHK総合

「神さんの山 石鎚 ~夏から秋~」2012年

2回シリーズで放映、翌年には総集編として放映

 

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・

 

学校跡から加茂川の上流を眺めると

 沈下橋のような橋が架かってる

パジェロを駐車してある県道へ戻ります

 

今回の寄り道は、5年ほど前から計画している

 石貝集落に残っているという石灯籠(野灯)を見に行く下見も兼ねてたんですが・・・

 

帰って来てからよく調べてみると
 石鎚小学校・中学校の正門前にある十亀縫之進の顕彰碑から
 
石貝集落への道が繋がっているらしい
 
正門周辺にあると書かれてる造林記念碑はあったけど・・・
 顕彰碑は見落としたのか、気が付かなかった
 
上の写真はウィキペディアに載っているものだけど
 次のスキーの時にも寄って確認しておかねばアセアセ

近くに諏訪神社があるはずなので

 パジェロで県道を奥に進んだが見つからずにUターン

 

先ほどの沈下橋のような橋を渡った対岸に建物らしいものが見える

 

あれが諏訪神社かもって思いましたが保育所でしたアセアセ

あとでジオグラフィカのGPSトラックログを確認すると

 諏訪神社の直前で引き返してたΣ(゚д゚lll)ガーン

 

再び学校跡の県道にパジェロをとめて

 加茂川の右岸へ向かいます

橋は沈下橋ではなく

 手摺(欄干)も付いた立派な橋だったようですが無くなってます

 

 

 

橋を渡ったこの道は昭和40年頃まであった有永集落へ続く道で

 かつて石鎚山の季節宿として繁栄した黒川集落にも通じている様です

 

坂の手前に小・中学校と同じような石柱が2本建っており

 大きな建物が残ってました

 

石柱には小松町立石鎚保育所と彫られてました

昭和30年に石鎚村は小松町に合併されて消滅しますが

 合併当時、千人の人々が暮らしてました

 

有永集落へと続く道を少しだけ辿ってみます

 

保育所跡は今にも崩れそう

すぐ上には墓地があり、

 今も管理されているものも沢山あって

 

掃除用具は朽ちないように防水仕様で木に括られてた

 

墓地から見下ろした保育所跡

 

屋根が波打ってる

 

戻ります走る人

 

橋の上から学校跡方面

 土場にも最適?

橋は渡るだけでなく、下からも眺めてみなければなりません(笑)

コンクリート造りのこの橋はいったいいつ頃出来たものなのでしょうか

 

大正後期から昭和の初めにかけてコンクリートアーチ橋は良く作られましたが

 ここはアーチ橋じゃないだけに、今までよく橋脚が耐えたなぁってかんじ

 

石鎚登山ロープウェイ奥の西之川の大宮橋とよく似た朽ちよう

 

探訪日 2019年5月12日

 

 

大宮橋は昭和2年の竣工で、河口橋は大正14年だったかな

 

右岸側がちょっと危うそう

 この橋が落ちると墓参り出来なくなるぞ

 

橋の裏側には大きな獅子蜂の巣がぶら下がってた

 

左のは壊してるけど、右のは生きてるかも注意

 

パジェロで県道を下ります

 

大きな岩の上に林が出来てる

県道沿いの崖の上に建物が見えたので

 ひょっとしたら諏訪神社かも(まだ気づいていない)と思い、登ってみる

奇麗な滝の傍に石積みを築いて城の様に住居を築いてた

 滝側の廃屋の壁は崩れて内部が露わになっており、日野泉之助って名入りの湯呑が転がってた

 

便利な時代で、ググるとすぐ出てくるΣ(・ω・ノ)ノ!

 日野 泉之助 (ひの せんのすけ)
 明治30年~昭和57年(1897~1982)実業家。育英事業に功労があった。明治30年4月1日、新居郡氷見村末長(現西条市)で日野鶴太郎の長男に生まれた。新居農学校卒業後、旧満州・中国に渡り青年時代を大陸で過した。帰国後上京して夜学に学び、大正12年富国徴兵生命保険に外務員として入社、業績をあげて腕利きの保険マンで鳴らし、重役に抜擢された。昭和23年三和信用組合(現三和信用金庫)を創立して理事長・会長を務め、月賦業界で活躍する本県人の援助をして「月賦業界育ての親」といわれた。関東愛媛県人会長・東予育英会長などを務め、自らも私財を投じて郷里の子女のため育英資金「日野賞」を設けた。昭和57年7月29日、85歳で没し、氷見公民館前に頌徳碑が建てられた。

 

因みに東予育英会の初代会長は

 戦後の混乱期に第2代西条市長を務められ

 

昭和30年に第4代国鉄総裁に就任された(在任1955~1963)

 新幹線の生みの親である十河信二氏で、

 

国鉄総裁に転身される昭和30年3月まで勤められたようです新幹線

 

日の当たる南の谷側はしっかりしてる

 

この岩は何処からか落ちてきたのか

 それとも流れてきた?

 

虎杖(いたずり)の遍路道

 ここから星ヶ森峠を越えて四国霊場60番札所横峰寺へ行くことが出来ます

 

また、横峰寺の参拝を終えて石鎚へ向かう遍路は

 ここから、黒川道を通って成就へ向かいましたが

 

尾根ルートの今宮道は健在ですが、

 谷ルートの黒川道は痛みが激しく通行止めとなっているので

 

現在は河口まで県道を下って今宮道を利用する様注意喚起されています

 

虎杖から横峰寺へのGPSトラックログ

2019年5月12日

 

探訪日 2019年5月12日

 

横峰寺への有料林道が出来る前はこのルートも賑わって

 この辺りは駐車する車で一杯だったそうな

 

遍路道としての黒川道は通行困難で

 今宮道を利用する様注意喚起されてます

黒川道は下黒川、上黒川の集落跡を越えて植林地帯を過ぎて

 行者堂手前辺りから道の痛みが激しく

 

成就までの参拝道や遍路道としては機能せず、

 それらの用途で踏み込むと危険ですが

 

登山道、冒険道としては魅力的であり、

 植林の作業道や黒川集落跡への道としては何一つ問題のない道であり

 

この様にバリケードを築いてしまうのもどうかと思うけどな・・・

 

登山道と遍路道

 遍路道は安心安全を担保してないとイマドキなので問題になるので

 

この棲み分けが難しいですね

(安心安全の担保イコール通行禁止で、補修される訳ではない)

 

探訪日 2019年4月28日

 
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・

 

橋の名前はふつうに「イタドリ」と読むようです

 この辺で云うタシッポの事ですねw

 

何故、地名は「イタズリ」なんでしょうかねはてなマーク

 

石鎚村の前身は千足山村で15の集落があったと云われてます

ふるさとの暮らしと産業10-西条市
 
 
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・
 
約1時間に亘る寄り道をして
 石鎚登山ロープウェイ下谷駅下の京屋旅館駐車場に10時17分に到着しました
 
久しぶりにやって来ましたが、
 京屋旅館の駐車場の手前にもう一つ別の業者の駐車場が出来てて

 

手前の駐車場は700円でこちらは500円だった

 前回までは京屋旅館も700円やったのに競争相手ができて値下げしたのかなニヤリ

 

着替えと準備をして下谷駅へ移動

 マスクを車に忘れる予防

学割じゃなくて~、シニア割で1000円引き

 学割もシニア割も毎日なので嬉しい限り飛び出すハート

 

ロープウェイは20分間隔で運行されています

 

全長:1814m95cm

高低差:839m

最大勾配:36度48分

運転速度:5.0m/s

走行方式:三線交走式

定員:50人

所用時分:約7分30秒

駅数:2駅

支柱:3基

 

10時40分の便に間に合いました

 

標高455mの山麓下谷駅から標高1300mの山頂成就駅まで、所要時間約8分

 

コロナ対策で乗車定員の50%程度で運行してるそうな

 このゴンドラに乗ったのは10人も居なかったと思う

 

人が少なそう~

 

今宮道はここを通ってます

 

黒川道は第一リフトの最も降った箇所の谷沿いを横切ってます

人をよけて撮ってる訳じゃないけど・・・

 写り込まないくらいにスキー客が少なかったです

 

午後4時まで滑って、今シーズンの初滑りを終了しました

 

ロープウェイが竣工して2年後の1970(昭和46)年の地図があったので眺めていると

 県道12号西条久万線は西之川で今宮集落まで折り返し

 

大森山を抜けて石鎚スカイラインと繋がる予定になっててビックリ

 

県道12号も西条久万線だから

 今でもこの計画は生きているのだろうか?

 

次回のスキーも石鎚スキー

 諏訪神社と十亀縫之進の顕彰碑の確認をしに寄り道せねば

 

長くなりましたが

 最後までご覧下さいましてありがとうございました

 

では、またバイバイ

 

探訪日 2022年1月30日