こんにちは(≧∀≦ゞ

 

お立ち寄り頂きまして

ありがとうございます

 

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旧石鎚村の諏訪神社を後にして

石鎚成就スキー場へ向かっております

 

前回の「旧石鎚村(千足山村)土居地区の諏訪神社へ」

から続きます

 

 

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ロープウェイとリフトを乗り継いで

石鎚成就スキー場へ

 

2022年1月30日(日)

雲は多いものの、燧灘の島々もくっきり

 

四阪島や魚島も見えてる

 

性能の良い望遠カメラがあれば

 

四阪島の直径10.5m、高さ64.2mの

大煙突も撮れるのかな

 

新居浜南高ユネスコ部HP

 

四阪島は5つの島の総称で
大煙突のある島は家ノ島
 
家ノ島と美濃島は埋め立てて繋がってる
・・・って
 
石鎚スキー場に来てまで、
ソッチに話を振るんかいゲラゲラ
 
それに大煙突は10年程前に
解体されたの知ってるっしょニヤリ
 
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別子銅山の煙害克服の象徴として

 

また、瀬戸内海を行く船舶の

ランドマークタワーとして

 

百年近く親しまれ続けた大煙突は

2013年に解体されました

 

早いもんで、もう10年にもなるのか

 

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愛機、第1世代iPhoneSEのカメラは

寒さの為か不調(;^ω^)

 

スキー場でシャッターが切れなくなり

最初の1枚しか撮れなかったじょ~

 

1枚が全ての写真をよく見ると、

燧灘の島々の他に

海岸線には中山川と加茂川も写ってる

 

またかと言う声が聞こえそーなので

 

四阪島から中山川の新兵衛埠頭へ

軌道修正させて頂きます(^◇^;)

 

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山口・広島•岡山などの各県から

船で石鎚山へ参詣する人々は

 

西条市氷見の新兵衛埠頭に

船を横付けしました

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中山川の河口に新兵衛の船着場と呼ばれた新兵衛埠頭が今も残ってる

 

星ヶ森峠-虎杖間と黒川道•今宮道の
GPSファイルを
読み込んだカシミール3Dに
 
湯浪•岡村ルートと成就社から石鎚神社までのルートを書き足して
 
バス路線やロープウェイの無い時代の
表参道の登拝ルートを探ってみる
 

現在地は石鎚成就スキー場のB地点で、

新兵衛埠頭はA地点

 

新兵衛埠頭に上陸した石鎚講の人々は

岡村ルートで横峰寺経由して黒川道

 

大正後期に河口隧道•河口橋が竣工後は

 

黒瀬峠を越えて加茂川沿いに河口まで遡り

 今宮道•黒川道を辿ったと思われます

 

お山参りの人々は別当寺による先達に引率されて

黒川若しくは今宮集落で一泊し

翌朝午前3時頃、頂上へ向けて登拝する

 

講により、今宮集落と黒川集落の

どちらの季節宿に宿泊するか決まっていたそうな

 

黒川•今宮の季節宿の最盛期は

明治末年から大正年間までで

 

明治44年には、上黒川に12軒、下黒川に11軒あったらしい

 

今宮地区が一番栄えたのは大正8年頃で

戸数36戸(178人)のうち11軒が宿屋で

 

お山大祭中の10日間で

大正8年には12,470人が宿泊した記録が残っているそうな

 

 

現在地(写真撮影地点)は、標高1414mのピーク近く

 

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1982年版 石鎚連峰案内図

 

 

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スキー場の写真が無いため

 

敢えて意図的に

話を逸らした感も拭えませんが(;^_^A

 

1月30日の成就スキー場へ戻り

現在進行形にw

 

レストハウスの中でスマホ📷復活♪

レストハウスに貼ってあった

京屋旅館のお得情報ポーン

 

え~知らんかったぜよびっくりマーク

モンベルカードで駐車料金割引って

 

幾らとは書いてないけど

麓では何の表示も無かったので

 

カード掲示しなかったけど、

次回の為に割引額だけでも聞いて帰ろう

 

石鎚登山ロープウェイ(株)は
徳島県の井川スキー場の指定管理者にもなってるので
 
井川スキー場腕山(かいなやま)
のポスターも隣に貼ってた

 

 

標高1,333mの腕山の頂上から北西斜面にあるスキー場

 

ここから見下ろすと

標高1,000m以上の斜面に集落が点在しています

 

徳島県のこの辺りの山上の集落には驚かされますが

石鎚村との違いはどんな場所にも車道が通じてるって事かな

 

スキーを終えて下山します

この時間帯は臨時便で10分毎に運行

 

ロープウェイの山頂成就駅から

夕陽を浴びる瓶ヶ森がよく見えました

 

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駐車場係の外国人のお兄さんに

割引額を尋ねようとモンベルカードと駐車券を見せると

 

「あぁ、温泉ね♨」

と云われて案内されてしまった(^_^;)

 

折角なので、

石鎚山温泉に入浴して

 

帰ることにしました(;^_^A♨

 

乳白湯の混浴飛び出すハート

 

かと思いましたが違ってましたえーんガーン

 

石鹸だけはありますがアメニティは置いてないので

利用される方はタオルは必携です

 

レストハウスに貼られてた通り

駐車場ご利用で

1名様入浴無料飛び出すハート

 

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すっかり遅くなってしまいましたが

新兵衛埠頭にも寄って帰ろうかな

 

河口谷、加茂川沿いを下り、

 

黒瀬峠から国道11号交差点まで

県道142号を辿り、中山川右岸へ

 

新兵衛橋を過ぎて暫く進むと

新兵衛大橋の手前に大きな石鎚山常夜灯があります

 

 

一番大事な写真がピンぼけやった

 

天保14年に造立された

金毘羅さんの道標が常夜灯のすぐ横にあった

この常夜灯は3mを超す立派なもので、

その銘には

明治廿四年十一月吉日

石鎚山常夜燈 備中後月郡足次村、備後品治郡大橋村・小野町・矢川町・栗根村・芦原村・湯田村・八尋村・上尋村・上御領村、沼隅郡郷分村、備後福山春日丸

 再建 沼隅郡戸田村・宜山村・江良村・岩城村、神石郡光来村、沼隅郡郷分村、安那郡湯田村

周旋人

 同深津郡岩城村 渡辺助太郎 山上金兵衛

 神石郡 光友成亀造 光来忠太郎

 沼隅郡 石川徳太郎

 安那郡 徳永武正

 備後国品治郡戸田村

      須崎八右衛門

      早川桂治

      梶井喜三郎

      出原助次郎

 江良村 増川圭吉

世話人  杉森伝吉

今治石工 秋山長兵衛

とあり、

現在の広島県福山市周辺の大方の村が参加して造立している

 

こうした船による石鎚参拝は

昭和40年頃まで盛んだったそうな

 

新兵衛埠頭の石鎚山常夜灯

 

辺りはもう薄暗いですが

スマホカメラはとても明るく写ってます

中山川の右岸に新兵衛の船着場があります

 

俯瞰するとこんな感じ

石鎚山常夜灯もしっかり写ってる

 

中山川 上流方向

中洲には頌徳碑があったけど

暗くて読めず、一体誰のか判らない

 

平成17年に立派な新兵衛大橋が開通して

それまでの新兵衛橋は歩行者と二輪の専用道になってます

 

昔は東予有料道路の抜け道として

国道196号線から中山川左岸へ

 

左岸から右岸へと新兵衛橋を渡って

石鎚山常夜灯の前を通ってたけど、

 

もの凄い通行量でいつも渋滞してた

地元の人は大迷惑やったねもやもや

 

今は新兵衛大橋が出来たおかけで

常夜灯の前の道も渋滞することは無くなりました

 

そうそう

東予有料道路も無料化されとるけんね

 

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いちおう鉄道ブログだし

石鎚山(いしづちやま)駅にも寄って帰ろうw

 

石鎚山駅は石鎚神社から下った国道11号線の北側にありました

 

予讃線は1923(大正12)年には伊予小松駅まで延びていましたが

石鎚山駅が開業したのは6年後の1929(昭和4)年7月2日

 

島式1面2線のホームは狭いけど長いです

 

以前はお山開き大祭に

特急列車が臨時停車してたけど現在は行われていないそうな

 

JR予讃線石鎚山駅

 

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四国中央市のJR伊予寒川駅近くにも

大きな常夜灯が出現驚き

近くの運動公園の改修工事で、こちらに移転してきたけど

この辺りは昭和55年頃に造成された埋め立て地

 

常夜灯は明治14年3月に建立されたと記されてるけど

元々は海岸線にあったのかな?

常夜灯と一緒に波切不動尊(大正7年3月建立)も移設されてます

 

今から1200年以上前の養老5(714)年

 

西国第八番の長谷寺(奈良県桜井市)の本尊を造刻するにあたって、

 

仏師の技量を見ようと試みに造られた十一面観音像を

行基菩薩が浪華の浦より小舟に乗せて仏法有縁の地に至れと念じて流したところ

この黒岩海岸に漂着しました

 
行基が長谷寺(奈良)を開いた後
 
全国行脚の途中に寒川江乃元の海岸(黒岩)で、
その小舟が漂流しているのを見つけて驚き、
 
729年この地に大伽藍を造立したのが今の新長谷寺に至ります

 

 

明治14年3月建立の常夜灯と大正7年3月建立の波切不動尊は
江乃元海岸黒岩の小舟漂着地にあったものと思われます
 
四国中央市で元の海岸線が残っているのは
寒川豊岡海浜公園から西だけになりました

 

 

長くなりましたが

最後までご覧いただきましてありがとうございました

 

では、またバイバイ

 

次回に続く