昨年、小松の大頭から遍路道を辿って横峰寺と石鎚山の西の遥拝所である横峰寺奥之院星ヶ森を訪れた時に
 
尾根にある標高800mの星ヶ森霊場から更に標高250mの虎杖(いたずり)までモエ坂を2.9km下り(標高差550m)
 
虎杖から谷沿いの黒川道を標高1400mの成就社まで5.6km登り(標高差1150m)
 
さらに成就社から石鎚山頂弥山(標高1970m)の石鎚神社までの4.0kmを登る(八丁坂下り考慮無で標高差570m)
 
参道であり、遍路道でもある古道が続いている事を知りました
 
大頭から星ヶ森までと八丁坂の下りも加えると標高差は悠に3000mを超えてしまいますね!!( ; ロ)゚ ゚
 
 
瀬戸内海側からの石鎚表参道では、今や車で県道を山深く分け入り、ロープウェイであっという間に成就社迄達する事が出来ますが・・・
 
海岸線に近い小松や西条の町から石鎚山頂まで古の参拝道を歩いて登山し、往復するとなるとかなりな距離になります
 
 
へんろ道保存協力会の地図で小松町の国道11号線の大頭交差点から弥山迄の遍路道の距離を測ってみると
 
大頭(おおと)~横峰寺 7.8km
横峰寺~成就社(黒川道経由) 9.1km
横峰寺~成就社(今宮道経由) 9.2km
成就社~弥山石鎚神社 4.0km
片道合計20.9~21.0kmの険しい山道を歩かねばなりません
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その表参道として賑わったのが黒川道と今宮道ですが、昭和43(1968)年に石鎚登山ロープウェイが出来ると歩く人が居無くなりました
 
黒川谷の沢沿いの斜面に沿って進む黒川道は荒れやすく、もうかなり以前から通行止めの看板が掛けられており、既に廃道状態かも知れません
 
もう一方の尾根筋に沿って進む今宮道は荒れる心配もなく石鎚山三十六王子社のルートにもなっているので整備もされており、今でも快適に歩くことが出来るようです
 
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この地図に但し書きがある様に星ヶ森-虎杖間と河口-成就の今宮道も暫くの間は通行禁止で、星が森峠から石鎚へのルートは全滅でしたが、現在は星ヶ森-虎杖間と今宮道の通行止は解除されています(黒川道は解除されておらず通行困難で成就には向かう事が出来ません)
この但書に書いてある星ヶ森-河口-成就社の歩道は「河口からの今宮道」の事で黒川道は含まれないので間違え無い様に!
 
明治34年4月に帝国少年議会編輯局編集・博報堂から出版された「草鞋竹杖雲耶山耶」という本には
 
西条市の氷見から頂上まで往復18里半(72km)と載っていましたが
 
この本に寄稿した学生らは19時間半64キロを歩き通しております
 
 
昭和9年発行の石鎚山案内図である「伊豫之高根 石鎚山圖繪」に表示されている石鎚登山道案内によると
リンク(クリックしてね)写真(石鎚信仰者の日記さんのブログ記事)
 
小松駅ヨリ成就迄五里半上リ八時間下リ六時間
小松駅河口間約三里自動車及所宿アリ
石鎚山駅ヨリ口之宮ヲ経テ河口マデ約三里歩行四時間途中到ル所ニ宿アリ
河口ヨリ成就迄五十五丁山路歩行上リ三時間下リ二時途中今宮・黒川ニ宿アリ
成就ニハ御守札、土産品売店、宿アリ
祭典中ハ成就社ニテ惣テノ事務ヲ取扱フ
成就ヨリ頂上迄三十三丁上リ二時間半下り一時間半三條ノ御鎖アリ長サ上七十五尋中三十五尋下十三尋。頂上ニハ石鎚神社鎮座海抜一千九百八十一米。頂上鎖元ヨり面河亀腸マデ二里半下リ三時間上リ四時間亀腸関門間十丁亀腸及関門ニ宿アリ関門栃原間二里強山籠アリ栃原ヨリ松山迄自動車アリ三時間
 
 
石鎚山・石土山道案内として主要登山道も紹介されています
リンク(クリックしてね)写真(石鎚信仰者の日記さんのブログ記事)
 
小松駅登山口 この当時は予讃線ではなく、讃豫線と呼ばれていたようです
石鎚山駅
黒川道 河口より右に少し行き橋を渡れば左側に山路あり是れ石鎚山黒川道なり九丁登れば下黒川に到る(宿あり)五丁行けば上黒川に到る(宿あり)二十五丁登れば行者堂に到る又十五丁登れば成就に達す、此路は谷づたいに登る故日蔭多く路傍谷水あり、道中数ヶ所に瀧あり。
今宮道 河口より左縣道を約二丁行けば右側に山路あり今宮道なり、二十二丁登れば今宮に到る(宿あり神木乳杉あり)奥前神寺を経て三十三丁登れば成就に達す、此路は峯つたひ故日蔭及谷水少なけれ共四方の眺望佳なり、此道は石鎚山表参道と傳え三十六王子の〇跡ありと聞く今成就にある神門は以前今宮口に有りしものを今の所にうつす
西の川道 河口より左川に沿ひ縣道を一里三丁行けば西の川に到る(宿あり)これより右に山路を三十丁登れば今宮道と出合ふ、三丁登れば成就に達す、此道は西の川迄は縣道にて道路平坦川つたひ故景色も佳なれ共西の川より成就迄の上山路急坂路にて日蔭少なく谷水なし。
横峯山道 小松駅より小松町に出で本通りに登山口あり、小松町より七十五丁登れば横峯寺に到る四國霊場第六十番の札所(宿あり)此間山路坂多し峠には星森金の鳥居石鎚山遥拝所あり、峠を越へ郷坂(モエ坂)と称して急坂路を三十丁下れば川に到る此所行場にて行をなし橋を渡り六丁登れば黒川に達す、此道は小松より山路にて上り下り共坂多く路悪し。
成就
頂上
名勝
石土山大権現 瓶ヶ森へ登るには西の川より大宮橋を渡り
石鎚山、石土山連絡道
面河探勝
 
 
江戸時代、今宮道は「西条藩」に属し西条方面、大保木(おおふき)からの登山道として前神寺派や極楽寺派の信者が
 
また、黒川道は「小松藩」に属し小松方面(大頭)から横峰寺派や妙雲寺派の信者が登拝したメインルートだったようです
 
この二つの参道は常住(成就)で合流します
 
 
当時の西条藩と小松藩の領地争いや、前神寺と横峰寺の別当職を巡る確執は相当なものであったようです
 
明治の廃仏毀釈以降、権力は神社側に移行し、昔のような露骨な敵対関係は影を潜めました
 
それでも石鎚大祭では、信者はやはり「ウチの講は今宮道で今宮宿」「私のところは黒川道で黒川宿」と毎年同じルート、同じ宿に泊まっていたようです
 
 
今宮宿と黒川宿の繁栄の様子も「伊豫之高根 石鎚山圖繪」の絵から窺い知ることが出来ます
リンク(クリックしてね)写真 (石鎚信仰者の日記さんのブログ記事)
 
どちらの集落にも多くの(リンク写真は黒川の様子記事「石鎚山系の自然と人文」所載)が立ってますね
 
いまは廃墟と石垣のみになってしまった黒川と今宮の集落
 

黒川の集落は上黒川と下黒川があり、明治44年には上黒川には12軒、下黒川には11軒の季節宿があったそうです
 
中には江戸中期の立派な重要文化財級の建造物もあったと云われています
 
また、黒川集落は、季節宿のみならず、戦国時代、河野氏の一族として周敷郡一円を支配し、江戸時代には千足山村の大里正をも勤めた名族 黒川氏の本拠地でもあるそうで千年の歴史を持つ集落だったそうな

季節宿というのは普段は農家で、賑わうときだけ、宿として旅人を泊める、夏休みだけやってる民宿みたいなものです

もっとも賑わった大正8年、今宮道の今宮集落では、「全戸数36戸(人口178人)中,11軒の宿屋があった」とあり,小学校の分校もあったそうで、お山開き中に12,470人もの宿泊者があったと伝えられていますヽ( ゚д゚ )ノ
 
 
 
前置きが長くなりましたが、4月28日の日曜日に古道探索に出かけて来ました
 
 
今回は三碧峡の三碧橋を渡った所にある今宮道入口の河口(こうぐち)にパジェロをデポし
 
県道142号線を河口から虎杖(いたずり)の黒川道入口まで800メートルほど移動し
 
通行困難といわれている黒川道がどんな状態なのか確かめたい
 
現在通行止めの表示があるようなので危険な場合は引き返し、可能な場合は成就社まで辿って、帰りは今宮道を下りたいと思います
 
9:19 ①
河口(こうぐち)の今宮道登山口下にパジェロをデポします
 
この辺りの渓谷は三碧峡と呼ばれ絶壁が頭上に覆いかぶさるようにそびえ立っており、三碧橋から加茂川を覗き込むとエメラルドグリーンの水が流れています
 
三碧峡の名前は「伊予の青石」と呼ばれる緑色片岩の青、加茂川の清水の青、渓谷を覆う木々の緑の三つの碧からなる事により付けられたそうです
 
 
昭和6(1931)年に小松~河口間にバスが開通しました
 
以来、昭和43(1968)年に下谷山麓に石鎚登山ロープウェイが出来るまではここが石鎚登山の起点でした
 
ロープウェイやスカイラインの開通で、誰もが手軽に頂上に達する事が出来るようになり、
 
今では、往昔の石鎚表参道である今宮道や黒川道を歩く人はほとんど居なくなりました
 
ここに今宮道の登り口があり、右へ0.8km行くと虎杖(いたずり)です
 
この今宮口には鳥居がありますが
 
先の昭和9年発行の「伊予の高根 石鎚山図絵」に記されていたように成就社にある神門もここに有ったものを移したようです
 
 
昭和9年発行の「伊予の高根 石鎚山図絵」に描かれた河口地区には今宮道と黒川道の2本の主要登山道、水祓所、三碧橋が架かる前の河口橋が記されています
写真はこちら(石鎚信仰者の日記さんのブログ記事)
 
 
 
石鎚本社から王子道を辿って第三十六天狗嶽王子社までの3泊4日の行程では
 
三碧橋を遥かに見下ろす岩場第六小安場王子社(覗きの行場)があり、ロープを頼りにガレ場を三碧橋が出来る前の河口橋に向かっていた県道の廃道に降りて来るようです(リンク写真はコチラの記事から)
 
そう言えば以前に河口橋を訪れた時、素掘り隧道を抜けた山側の崖にロープがあったような記憶がある
 
参詣の行者はここで川に降り、加茂川の水で身を清めて第7四手坂黒川王子社へと向かいます
 
「髻(もとどり)を切り、水をあび、身を清潔にしてのち進む 故に垢離取川と名づく」
 
この石鎚山三十六王子社の巡拝は江戸時代中期に前神寺の主導で起こされたそうです
 
 
石鎚山三十六王子社については詳しく書かれているブログ記事を見つけました
こちら(赤いクレパスさん) へ 
 
黒瀬峠手前の石鎚神社一の鳥居から第1副王子社から第6子安場王子社までは
 
是非とも近いうちに車も併用して確認しておきたいなと思ってます
 
9:26 ②
成就社からはこの今宮道を下り、ここに到着する予定です
 
9:26 ②
標高200mの今宮口(河口)を出発
 
県道142号を標高250mの虎杖へ向かいます
 
星ヶ森遥拝所からモエ坂を下ってくると虎杖に出て、そこに黒川道の登り口があります
 
9:27
ロープウェイが出来るまでの登山基地の名残りがある旅館街跡を抜けて行きます
 
9:27 ③
石鉄山横峰寺別院
 
前神寺の今宮道と競うように、この神社の裏から黒川道への連絡路が出ていますが、現在は黒川を渡る橋が古くて渡れないようです(リンク写真は2016.1.3撮影 記事)
 
9:34 ④
県道142号は黒川橋を渡ると何故か高速道路並みの車幅になってびっくり
 
9:37 ⑤
黒川道入口
 
10分程県道を歩くと黒川道の入口に到ります
 
折角なのでもう少し県道を進んで星ヶ森からモエ坂を下って来た合流点を確認しておきます
 
9:38 ⑥
黒川道入口から虎杖橋を渡ると右手に周桑農協小松支所石鎚出張所の廃屋があります
 
このすぐ隣に六地蔵が祀られており、その前をモエ坂への道が続いております
 
ここにも長い間通行止めの看板が有ったそうですが、現在は無くなっています
 
 
虎杖の集落には昭和35年には18戸81人、昭和62年には4戸7人が住んでいたと記録があり
 
ここから県道142号を少し上ると加茂川沿いに旧石鎚小学校の跡地があるとの事
 
 
 
9:38 ⑥
横峰寺まで3.6km(標高差550m)
 
「黒川道」は通行困難です
Kurokawa Road is closed to traffic.
 
石鎚神社成就社方面「今宮道」入口まで800メートルです。
 
の注意書きが愛媛の森林基金の案内板に掛けられています
 
9:39 ⑥
星ヶ森から下りて来ると県道142号に出て左へ向かうようになります
 
入口辺りはコンクリートで薄く表面を舗装してあり、軽車両を除く車両進入禁止の標識がありました
 
9:40 ⑦
折り返して黒川道へ向かいます
 
9:40  ⑦
この虎杖橋は「いたどりはし」と読むようです
 
地図では虎杖は「いたずり」となっていますがどうしてでしょうかね~
 
いたどりって「たしっぽ」の事ですよねw
 
9:40 ⑤
入口は整備された道が植林地帯へと続いているように見えますがこの先は如何に・・・
 
古いネットの記事では「この道については数ヶ所にわたって崩壊しており、危険につき通行を禁止します(西条市)」と注意書きがあったようです
 
崩壊地等危ない様なら引き返すことにして、出来れば黒川の集落跡までは行きたいなと思います
 
通行困難な道なので、お遍路さんが黒川道に迷い込んだら大変です
 
成就までトータルで100m距離が長くなりますが、現在の遍路道は県道142号を800m下って今宮道で成就社に向かってます
 
成就まで6.0km(実測5.75km) 遍路道を守る会の標識が黒川道入口に設置されていました
 
後々道が合っているのかと不安になった折に、この標識に出会って何度もホッとしました
 
0.5km毎に設置されていたようです
 
感謝です
 
でも何故250メートルの誤差があるのか疑問
 
同じ人が付けた標識では無いのかな?同じ人なら正確な位置に設置すればよいので別の人がわざに標識に付足したのだろうか?
 
 
 
通行困難な道とかなら良いのですが、通行止と表示されていると躊躇いますが・・・
 
自己責任という形で黒川道に踏み入りますが
 
何かあっても救助は要請出来ないと思うと嫌が上でも緊張感が高まります
 
現在時間は午前9時40分
 
予めネットで調べた黒川道を踏破した方の成就社までの所要時間はだいたい3時間45分くらい
 
下黒川、上黒川の集落を越えて植林が切れるまではしっかりとした道が残っているみたいです
 
自然林になってからの道の崩落が酷く、崩落個所は高巻きして迂回していかねばならないけど
 
注意して辺りを見回せばトラロープによるルート指示もあるようです
 
幸い天候にも問題はないので
 
上手く行けば13時30分に成就社到着の予定
 
危険と思えば引き返すことにして
 
いよいよ次回は出発です
 
GPSトラックログ
今回の移動区間①-⑥-⑤
 
本日もお立寄り頂きましてありがとうございました
 
 
では、また
 
 
次回につづく
 
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