愛人との快楽満喫の地アメリカから妻へ送る手紙内容の異常!

愛人から生まれた息子は、弟子の朴氏の実子として戸籍に入る。文鮮明の真意は?文鮮明なりの原理・オツムはどういう構造になっていたのだろうか・・・。
愛人の家系は大資産家で、愛人の崔女史祖父は有名人。私の一族は統一教会(現家庭連合)の餌食にされた<崔淳英氏

反日の統一教会が「躍動する日本 幸せな家庭 希望の世界へ」を本気で考えていると思いますか?


テーマ:

<家庭連合(旧:統一教会)公式HPより>
http://ffwpu.jp/?p=19892

世界平和統一家庭連合出帆記念大会ダイジェスト映像


妾(愛人)と不倫していた先から送った本妻宛の手紙(1965年3月14日 ワシントンにて妾(愛人)に会った直後に書いた手紙)

(参照:妻(鶴子夫人)の妊娠中に朴サムエルの母と不倫していた文教祖

『映像「真のお父様から真のお母様への手紙」は10月12日に行われた「世界平和統一家庭連合出帆記念大会」において上映されたもので、当時ワシントンDCに滞在中だった文鮮明師が韓鶴子総裁へ送った手紙を映像化したものです。
作中の手紙は成和出版社刊「真の愛の書簡」に全文掲載されています。
ぜひご覧ください。』

(家庭連合(旧:統一教会)公式HPより)

こんな不倫先で書いた手紙の映像を信者に堂々と見せるとは、さすが『血分け教(淫乱教)』の統一教会です。

文教祖は本妻と妾との重婚生活状態で隠し子まで作っていたのを教会幹部は知っていますが、末端信者は知りません。

文教祖の隠し子「朴サムエル氏」が講演でも述べていますが、文教祖は財閥一族の娘と結婚しようとしましたが失敗し、40歳で結婚するという宣言を守るために、急遽、貧乏人の娘(韓鶴子)を妻にしましたが、金と権力への欲望を捨てきれず、正妻がいるにも関わらず、財閥の娘である女性信者と密会・不倫を繰り返し、重婚状態で隠し子を作ります。
1960年までの当初の計画はヤコブ家庭(妻二人、妾二人で息子を12人生む)を再現する計画だったようです。



<文教祖の隠し子「朴サムエル氏」の講演(一部抜粋)>
http://22448866.seesaa.net/article/424386678.html
http://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/tagged/Sam-Park
私の母(崔淳華)と文鮮明師との関係は、文鮮明師が(当時高校生だった)17歳の母を強制的に犯し彼女の処女を奪った1953年から始まりました。(中略)

私の父(文教祖)は私の母(崔淳華)に何度も、神は(財閥の)崔氏一族を通して、人類の歴史の全体を完成することを望んでおられると言いました。彼(文教祖)は私の祖父(崔聖模)が歴史の中で大天使の位置に該当し、私の二人の叔父(母の弟たち〔淳永、淳光〕)が歴史上のカインとアベルの位置に該当しており、私の母(崔淳華)と彼女の姉(崔淳実)(二人とも私の祖母(李得三)が1953年統一教会に入信した直後に統一教会に入る)が歴史上のレアとラケルの位置に該当すると信じていました。

私の父(文教祖)は二人の実の姉妹と結婚し、その姉妹と小間使い(妾)たちとで十二人の息子を産むために聖書のヤコブの生活を真似なければならないと信じていました。ヤコブのように、私の父(文教祖)は、まず姉(私の叔母〔崔淳実〕)と1960年に結婚することを計画し、7年後、彼女(崔淳実)と離婚した後、より若く、より愛する姉妹、まさに私の母(崔淳華)と結婚しようと計画しました。 1960年に至るまで、統一教会内のほとんどの信徒たちは私の叔母と母の両方と結婚しようとしていた私の父(文教祖)の計画について知っていましたし、私の母(崔淳華)を、未来の統一教会の「真の母」として認めていました。私の父(文教祖)によると、彼の使命を達成するためなら、彼は聖書のヤコブが成し遂げたモデルを真似る(再現する)ために崔氏一族との、この重大な関係を確実に結ばなければと言いました。

残念ながら、私の父(文教祖)の過度な性欲のために、他の女性との意図していない妊娠が数回おきてしまい、私の父(文教祖)に向けた私の叔母(崔淳実)の信仰は徐々に弱くなって、最終的に彼女は1959年後半の公式的な約婚後にすぐに統一教会を去ってしまいました。このような話は、他の人はほとんど知らない部分です。このようなことは、彼らは当然の理由として蓋をして隠そうとした歴史ですが、これらのことは、教会が排斥すべきことであり、彼らが信徒たちに、1960年から教えてきたことと、絶対的に矛盾していることだからです。私の叔母(崔淳実)が破談した後、私の父は、急激に崩れ始めました。彼の使命に本当に重要だった、7年間、彼(文教祖)が作ってきた関係が、まさに消えてしまったのです。彼自身の責任を認めるより、彼(文教祖)は彼を失望させたと私の叔母(崔淳実)と崔氏一族を非難して、これは他人に責任を転嫁し、彼自身を除いた他のすべてを非難するという文鮮明師の典型的な手法です。しかし、彼はジレンマに落ち、彼は「天の予定」を守って1960年の春、彼は40歳になるときに結婚しなければなりませんでした。統一教会の信徒たちは40数が重大な宇宙の重要性を持つと信じて、彼は短い時間で花嫁を見つけなければなりませんでした、約4ヶ月内にです。(中略)

彼ら(韓鶴子と文)の最初の子である誉進は「天の王子」として最初に宣言されるはずでしたが、結果として女の子でした。3番目の子の恵進は産まれてすぐ亡くなりました。信者の増加という点では停滞し、財政的にも苦闘していました。ここで当時、富と影響力を広げ繁栄し続けていた私の祖父(崔聖模)との間で明暗がはっきりしてきました。父(文教祖)は韓鶴子と結婚したことは間違っていたという結論に達しました。軌道修正をして崔家との本来の計画(文鮮明曰く「崔家の摂理」)に戻る必要がありました。

1964年春、ジョージタウン大学で卒業研究をするためにアメリカに行くことにした私の母(崔淳華)の決定は、私の父を自分の計画していたことを実行に移させました。(中略)

それにもかかわらず、私の父は心を決めて、彼の計画を確実にして母を失わないために、1964年にソウル青坡洞教会の本部で統一教会の非公開儀式で母と結婚をします。私の父に何がひっかかっていたかどうかを知っておくべきです。彼(文教祖)はもし彼女がアメリカに行けば彼女を永遠に失うことになり、これは崔氏一族の財政(財産)への道を失うことを恐れたのです。

また、彼自身と統一教会を私の祖父(崔聖模)の報復から守ってくれる唯一の内容は私の母の教会に向けた忠誠心と献身だったので、私の母を失うということは、彼の存在自体の危機だったようです。また、最も重要なことは、私の母と結婚し、彼女と子供を持つことによって、彼はヤコブの生活や、統一教会の信者がいう通称「ヤコブ路程」を見本として仕事を成すことであり、原理講論によると、これは彼にとっておそらく最も重要な使命でした。原理講論は、その時以後変わっており、今日の原理講論は、初期のそれと比較して大きく異なります。彼らは現在文鮮明師が現在の妻と結婚した後に起こった事実関係に合わせるために原理講論を手直ししなければなりませんでした。


私の母がアメリカに到着した後、すぐに、私の父は1965年に彼女に沿ってアメリカにすぐに来ました。私の母はアメリカには1964年に来ましたが、私の父は1965年(第一次世界巡回)に来ました。彼がいうには彼は根本的に私(息子)を産ませるために、「すべてのものをかけた(これは私の父が直接言った言葉です)」と言いました。彼の唯一の目的は、アメリカに来て、私の母を妊娠させることでした。彼は彼女を失いたくなかったのです。彼女が妊娠したことを確認してやっと、彼は彼女のそばを離れました。彼は1965年3ヶ月程度滞在しました。私は翌年の1966年1月に生まれました、それ以降は皆知っていることでしょう。実際には、私の父が私を有することにより、崔氏一族の摂理に戻るという自分の意図を明確にしたので、私が生まれた頃、文鮮明の現在の妻(韓鶴子)が退いて文鮮明の妻「真の母」としての地位を私の母(崔淳華)に渡すと、私の祖母(李得三)に話をしました。しかし私の母の同情心は、韓鶴子を引き降ろし、私の母が統一教会の用語でいう「真の母」として彼女の正当な場所に立つという計画を引き止めさせました。私の母は韓鶴子の可能性を信じたいし、また、一人の女性として、彼女(崔淳華)は韓鶴子と韓鶴子の幼い四人の子供を追い出すことができませんでした。

これは私が生まれた後、彼女が私を放棄しなければならなかった理由です。彼女はこれを知っていました。(中略)
私が今までに説明したものが統一教会の本当の隠された歴史です。』




(1964年 崔淳華の渡米前、ソウルにて)


上記のサムエル氏の証言(ヤコブ家庭のように合わせて4人の妻と妾で12人の息子を産むこと)と同様の内容を文教祖も語っています。

『得三さんの娘の崔淳華が問題でした。三人のうちの一人は残ってそれを受け継がなければいけません。姉が脱線してしまって二人とも脱線して残った崔淳華を中心として・・・崔淳華とユンジョンウンがいるじゃないか?』(※このユンジョンウンは36家庭で郭錠煥氏の妻の尹貞恩女史のことと思われます)
(「文鮮明先生御言選集」416巻より)

ヤコブも四人の女から十二人の息子を産んだでしょ? 先生もお母様が十二人の息子を産むことができなければ四人の妾を得ても大丈夫です。 十二人の息子を産まなければなりません。そのような争いが起こる家を一つ作らなければなりません。・・・そのため若いお母様を立てて、20年以内に十二人以上の息子、娘を産めばならないというのです。』
(「文鮮明先生御言選集」352巻より)

『お母様が十二の息子、娘を産まなかったら大変なことになるのです。大変なことになるのです。世間が悪口を言ったとしても、先生が妾を持ったとか何とか言っても、十二人を産んでおかなければならないのです。・・・だから韓国の宮中に妾制度が出てきたのです、妾制度。それで三千宮女の宮女法が出てきたのです。天がそれを作ったのです。そうでなくては終わりの日に合わせることができないために。』
(未来の摂理のために備えよう 1984年7月19日 ベルベディア(ダンベリー刑務所収監前日に在米祝福家庭の二世へ語ったみ言葉))




<純潔を説く教祖が不倫先から妻に「愛してるよ」という手紙を書くなんて気持ち悪くて反吐が出ると思う人はクリック!>

 

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文鮮明のパクリと嘘(3)

文鮮明のパクリと嘘(4)

文鮮明のパクリと嘘(5)

 

 

怪情報ではない!見ない聞かないで済まそうとするのはやめてほしい

 

http://ameblo.jp/chanu1/entry-12195140161.html

朝日新聞襲撃事件(1987年)と同時期に文教祖は朝日新聞を攻撃するよう

「とういつきょうかいの わるぐちをいうやつは みなごろしだ」
    
(1987年5月5日午後朝日新聞東京本社に赤報隊テロ事件の犯行で使われた銃弾と同一の薬きょう2個を同封した1通の脅迫状が届き、文面には「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」とあった。)

 

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