「月」が積む経験値をプログレスから考える | ホロスコープ勉強部屋 ~見えるものにも見えないものにも偏らない均衡を目指して

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教科書通りのリーディングにしっくりこないことには、大きな意味があるはずです。納得できるまで遊び心を持って考察していきます!

鏡リュウジ先生のご著書「占星術の教科書Ⅲ」に紹介されていた、個人のチャートにおける天体のパティキュラーな意味を知ってから、「月」について考えることが多くなりました。

天体は占星術における一般的な象徴だけでなく、個人のチャートにおいてルーラーとなるハウスの意味をも表すことになるのだそうです。

 

詳しくはこちら→ホロスコープにおける天体には二通りの役割がある

プログレスがよく分からない方はこちら→プログレス月のリーディングポイント

 

 

 

 

この考え方と、プログレスチャートの動きをかけあわせたとき、動きの速い「月」の表すことは、他の天体のそれと比べて圧倒的な量の経験値をつむと表現できるのではないか?と思いました。

 

プログレスの月は、約30年かけてホロスコープを1周します。他のプログレスの天体は、約30年かかってもせいぜい1~2つのサインやハウスを動く程度です。水星や金星も動きは速いと言われていますが、太陽から大きく離れず順行逆行を繰り返していますので。

そう考えると、約30年かけて12星座、12ハウス、ありとあらゆるアスペクト、全てを経験した「月」が象徴するものは、他の天体のそれとは桁外れの経験値をもっているのではないかと感じるのです。

もちろん「月」が普遍的に表すのは「心」なので、「実際的な出来事として」としてというよりは、「自分の中の水面下における心の動き」としての経験にはなると思うので、検証するのは難しいと思いますが。

 

私は数字に疎いこともあり、ざっくりとしか理解していませんでしたが、厳密にはプログレスの月がホロスコープを1周するのは約27年みたいです泣き笑いプログレスやソーラーアークの太陽も1年に約1度動くと言われていますが、確か厳密には出生時の季節によって動く幅が変わるとかあった気がしますが…また見直さねば…

 

 

私のチャートにおける「月」は10ハウスのルーラーです。つまりMCルーラーでもあります。

普遍的な意味合いとしての「心」を表すだけでなく、10ハウスが象徴する「社会的目標」を表すことになります。

「心」「社会的目標」の意味を持つプログレスの月が、12星座、12ハウス、様々なアスペクトを受けて成長せざるを得ない軌道を辿っているのです。

自分にとってはかなりしっくりくる部分もあるのですが、現在の私は太陽期から火星期へ移る狭間にあり、かつプログレスの月が絶賛10ハウス進行中という条件を持っているため、偏った感じ方になっている可能性もありえます昇天

 

とはいえ、私にとって「社会的目標の模索」という事は、人生において非常に重要性が高いものだと少しずつ確信が深まってきているのは間違いありません。

「月」がルーラーになるサインは「蟹座」です。硬い甲羅をもって自分や自分の大切なものを守ります。そして活動宮なので「守る」といっても、閉じこもって動かないというよりは、行動を起こしていくことで守ろうとします。

 

 

自分で内省をしてみると、私は「社会的目標」に関わることについて、非常に未熟さが強いと思います。思ったことがストレートに達成できず右往左往してきました。でも、無意識レベルで「守って」きた、大事にしてきた、譲れない部分でもあります。

そしてだからこそ、未熟さが大きいからこそ、「育って」きている感覚も大きいのです。

 

 

 

見どころが果てしなくあるホロスコープ。学べば学ぶほど納得できたり、涙がこみ上げるほど感動することがあったり、非常に魅力を感じていますが、一方で、自分の心の動きであろうと、実際の出来事であろうと、言葉を操れば何かしらそれらしく説明がついてしまう側面も持っているような気もします。

 

私が考察していることもどこまで妥当性があるものなのか分かりませんが、蟹座カスプのハウスは、未熟さを持ちながらも、たくさんの経験を通して守り育てる大切な分野を表しているのではないかと思います。

 

 

 

月に関してはかなり幅広い解釈があるので、自分がしっくりくるものを選び、また時間が経って違和感があれば選びなおすようなスタンスでも良いのではないかと思っています。(私が活動宮多いからそう思うのかもしれません←)

 

ただ、「囚われる」のは怖いことだと思います。

囚われていると、何かを見失う分、見えている物は非常にまぶしく感じられると思いますが、どこかで反動がくるような気がします。

何かに囚われているとメッセージ性の強い言葉が紡がれますが、果たしてその発信者の方の数年後、数十年後もご自身の発言を信じ抜き体現し続けているのかまで見届けることは難しい場合がほとんどだと思います。

時代も分野も問わず、偉大で優秀な「先生」と呼ばれる方々ですら、時間を経て、ご自身の打ち出した理論の不足や過ちを自ら発表されることだってあるのです。

不足や過ちとまでいかずとも、構築された理論は常にアップデートされていくものでもあるとも思います。

 

 

とはいえ、「囚われる」ことを怖いとは思いますが、「悪」とは思いません。

囚われることで、突き抜けることができ、極端さはあれど革命的概念が生まれることもあると思います。

文明発展の裏には数多の「囚われ」と、囚われがあるからこそ見える夢、生まれる原動力があったのではないでしょうか。