トランスサタニアンは使いこなせない?【天王星・海王星・冥王星】 | ホロスコープ勉強部屋 ~見えるものにも見えないものにも偏らない均衡を目指して

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教科書通りのリーディングにしっくりこないことには、大きな意味があるはずです。納得できるまで遊び心を持って考察していきます!

よくネットで目にする情報をタイトルにしましたが、結論から言うと使いこなせないみたいですw

私なんぞが断言できるような範疇のテーマではないことは百も承知ではありますが、松村潔先生の著書にある「天体とは個人の10種類に分割した主体、10種類の活動欲求」という表現を見て、「じゃあトランスサタニアンだってちゃんと自分の中にある主体であり欲求なわけでしょ?使いこなせないってなんだか違和感…」となったんですよね。

 

 

私は基礎からしっかりひとつずつ積み上げる方式での勉強がすごく苦手です。(活動宮過多の人←)

ホロスコープに関しても、手元に鏡リュウジ先生の著書が一冊ありますがほぼ流し読みしてまして(ごめんなさい)

ネットで気になる情報を調べては自分のチャートを見て、なるほど!と思ったり微妙だなと思ったり…そんな感じで「学ぶ」という姿勢を持つことができずにいました。(3ハウス土星、9ハウスキロンの人←)

 

色んなちょっとしたきっかけが重なり、図書館で数冊ホロスコープの方をまとめて借りたのですが、一冊の本の疑問から別の本を読んだりしてつながっていくと良い循環に入って、やっと情報から「学びとる」姿勢が取れるようになってきたなと思います。

 

余談が長くなりましたが、とにかく松村先生が天体を主体や欲求と表現されていたことが自分のイメージとずれていたんですよね。

私が持つ天体のイメージは「エネルギー、パワー、行動」そんな捉え方をしていまして。

だからトラサタは個人では抗えないようなエネルギーのありかみたいな解釈で。

まあ欲求がエネルギーとなるわけなので大きな間違いではないと思いますが。

欲求か…欲求なんて表現初めて見たかも…と思いながら鏡先生の著書を開くと、はっきりと「欲求」と書いてありましたwww

 

 

タイトルではトラサタに絞った書き方をしてますが、個人天体より遠い天体が表す欲求を鏡先生の著書「占星術の教科書Ⅰ」から以下に引用します。

 

木星:自分よりも高次なもの、大きなものに接近したいという欲求

土星:自己を秩序あるものにとどめたいという欲求

天王星:他人とは異なる存在になりたいという欲求

海王星:自我から自由になりたい、解放されたいという欲求

冥王星:まったく新たな存在になりたいという欲求

 

 

もちろん他にも象意は多岐にわたり、この表現以外の解説もたくさん載っているのですが、改めて遠い天体の欲求というのはより高次なものだなと感じますね。

「ただ生きているだけで幸せ」ではない、人間特有のエゴイズムを感じます。

決して思い立ってすぐに満たせる欲求ではありませんね。経験や体験を繰り返して積み上げるとさらにその欲求自体も色や形をかえて現れてきそうな…老年期の哲学者の苦悩みたいな世界観を連想します…

 

また、衣食住不自由ない生活が当たり前になりつつある現代においては、よりこういった高次の欲求が高まりやすそうだなと感じます。

一方でこういった高次の欲求に囚われていると、より原始的な月や金星の欲求が後回しになり、水星が空回りして、太陽が進むべき道を見失い、火星のエネルギーの浪費が多くなり…命が削られそうだなとも…

 

 

今の幸せに目を向けることは大切だと思いますが、このような欲求があることも自然というか、生まれたときから与えられているのだなと思うと、どんなことを欲する自分も許せそうですw

そして「願ったことは叶う」といったスピリチュアル的発想も、このような高次の欲求に素直になることがカギになりそうだとも思います。

 

どんな欲求であれ、抑圧すると歪な形で現れるものだと思いますので、素直な状態で浮かんでくる欲求であることが大前提にはなると思いますが。私は今のところ素直になるのは想像以上に難しいと感じている次元にいまして偉そうなことはいえませんがw

 

数百年?数千年?前には「煩悩」とひとくくりに一蹴されていたであろう欲求も、現代は叶ってしまう、許容される時代になっているのではないかと感じます。

 

 

ただし、その間違いなく存在する欲求は、表面的なところから深層意識の奥深くまで、複数の意識でできあがっており、全ての天体の可能性を一度の人生で味わい尽くすことはできないんだと松村先生の著書にはあります。

そこに関わる文章を松村先生の著書「最新占星術入門」を参考に要約したものを記します。

 

天体が12サインを回り終えるという事は、個人の主体たる天体が12サインという傾向全てを経験し終えるという事。それによって特定のサインの性質に縛られないようになり、結果として各々のサインの特性を超えるという事が可能となる。冥王星のように12サインを回り終えない星は星の性質そのものを理解することはできない。

そのため、個人の意識では人の一生をかけても廻りきれないほど公転速度の遅い冥王星の作用のすべてに関して、内面的に知ることも、コントロールすることもできない。つまり冥王星が持つ意味は、個人の経験では理解しつくすことの不可能な深層意識の中にある意思である、と考えることができる。

 

 

松村先生は「冥王星」と指定して表現されているところに少し特別さを感じます。

公転周期は天王星で84年、海王星で165年、冥王星で250年以上。

トラサタとひとくくりにしがちですが、やはり桁違いですね。

 

今回の記事で色々掘り下げたとて私の未熟さでは落としどころがよくわからないのですが、天体は自分の「欲求」を表している、どんな天体も自分の一部だと思うと、なんだか愛着がわきましたw

そしてその欲求がどこで(ハウス)、どんな色や価値観で(サイン)現れるのか、他の欲求とどんな関係にあるのか(アスペクト)、そういった視点で捉えなおすことで、これまで自己流の解釈でずれていっていた読みとは違うものが見えてきそうです!