元素の偏りという眼鏡【松村潔先生】【エレメント】 | ホロスコープ勉強部屋 ~見えるものにも見えないものにも偏らない均衡を目指して

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教科書通りのリーディングにしっくりこないことには、大きな意味があるはずです。納得できるまで遊び心を持って考察していきます!

松村潔先生の著書「最新占星術入門」に、この記事のタイトルのような表現がありました。

以下引用です。

 

個人は、生まれたときに刷り込まれた、元素配分の偏りという「眼鏡」を通して、この世界を観察し、経験します。誰もが、この独特で普遍的では決してあり得ない自分の特徴を、客観的で最も公正なものだと思い込んでしまいます。

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基本的に、自分の中に多い元素は外界の環境生活に求める必要などなく、逆に自分にかけた元素を他人や環境に求めようとします。多くの人は、生活の中で、自分にかけた元素に大げさに振り回されがちで、その元素に対して過剰反応をします。

しかし、自分の比率こそが最もバランスが取れて普遍的なものだと思い込んでしまう傾向がありますから、生き方が生まれつきの元素比率から大きく逸脱してしまうことは、人生の狂いを意味します。

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自分の元素の傾向を客観的に観察すれば、人と自分の違いを突き放してみるという、公平無私な視野を獲得できるのです。

 

 

同じエレメントが多いと気が合うよね♡ではなく、自分にない元素を外界に求めようとするというところが非常に興味深いですね。

「求める」とあるものの、そのような対象を求めて見つけた後に、その人に憧れる・知ろうとする・模倣するという行動に出るのか、過剰に欲する・執着する、または卑下する・排他的に扱うかなど、どういう出方をするのかは精神的な成長具合に左右されるのだろうと思います。

後者の出方は今でいう「マウント」で表現できるでしょうか。

自分の眼鏡で見る景色でマウントとっても、はたから見れば全く違うものが見えていたりして…

そういうのが後の黒歴史的な記憶になっていくイメージですねw

そこから内省して、自分がかけている眼鏡を調べたり調整したりするうちにどんどん見える景色が変わっていく。

 

十人十色、みんな違ってみんな良い、世界がそんな風に見える眼鏡に調整していきたいものですねニコニコ

 

まあこういう事は言うのは簡単ですが、実際は一筋縄ではいかないのが現実なわけでw

私の場合、自分と他者の違いを受け入れようと意識すると、逆に自分を追い詰めてしまいがちです…

それは水星と月がオポジションにあるので、水星的に自分をコントロールしようと月が耐えられないのかもしれません。

太陽ベスタ合なので自己犠牲の精神も働きやすく、いつのまにか自分の眼鏡で見えるものを否定し、他人の眼鏡をかけなければという意識にまですり替わっているのだと思います。

 

ネイタルが火と風にかなり偏っているので、土っぽく現実性のある・水っぽく共感力のあるようなコミュニケーションスキルが高くないのも大きいかもしれません。

つまり、元々持っている眼鏡が、みんながかけている平均的な見え方の眼鏡との違いが大きめなんでしょう。

じゃあ平均的な眼鏡の見え方ってどんな感じ?その見え方の眼鏡が良いの?となるとまた違うよねという流れは、個性を重んじるこの時代であれば容易に想像できますよね!

 

誰しも大なり小なり偏りのある眼鏡をかけていること、その眼鏡の見え方は自分の力で変えられるものであること、公平無私な視野の眼鏡を手に入れるには経験と時間がかかること、こんなことを知っているだけでも少し気が楽になる気がします!

 

そして自分がどんな傾向の眼鏡をかけているのかを知ることができるのがホロスコープの強みですねスター