元素の偏りという眼鏡② 【エレメント】【ニーバの祈りの視点から】 | ホロスコープ勉強部屋 ~見えるものにも見えないものにも偏らない均衡を目指して

ホロスコープ勉強部屋 ~見えるものにも見えないものにも偏らない均衡を目指して

教科書通りのリーディングにしっくりこないことには、大きな意味があるはずです。納得できるまで遊び心を持って考察していきます!

こちらの記事で、ホロスコープチャートにおける元素の偏りという「眼鏡」を通して世界を観察・経験していく、という松村潔先生の表現を元に、私自身が考えたことを綴りました。

 
この考えから、私の好きな言葉の一つである「ニーバの祈り」を思い出しました。
私はベストセラー「嫌われる勇気」の中で紹介されていて知ったのですが、かなり有名な言葉のようです。
 
ーーーーーーーーーー

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

(ラインホールド・ニーバー 木下英夫訳)
ーーーーーーーーーー
 
時代は変わってきているとはいえ、常識や標準にとらわれやすい、というかその枠の中で生きていく方が楽さもあるような側面がまだまだ残っています。その枠は、人を生きづらくするために作り上げられたわけではなく、社会の平静や安泰を保証するために築き上げられてきた仕組みでもあり、悪い物であるとも思いませんが。
冥王星水瓶座時代においては、そういった枠を飛び越えて自由に活動していく人が増えていくという流れはよく言われていますね。
 
常識や標準を重んじる枠の中では、みんな同じような見え方の眼鏡をかけるように教育がなされてきた側面があると思います。その見え方に疑問を抱くということが、本来の自分の眼鏡に変えていく一歩になると思います。
最初からそういう教育に染まらないような芯のある人もいれば、家庭環境・身近な存在からの影響も多分にあるでしょうが。
 
私の場合、常識や標準の眼鏡から、本来の自分の眼鏡に変わっていったきっかけはホロスコープにあります。
ホロスコープを学んだきっかけが子育てです。常識や標準の枠内で考えているととても苦しくなってしまいました。
そして常識や標準にあわせるために自分にない要素に過剰に反応しそこにエネルギーを使ってきたことにも気づけました。(私の場合火・風が強く水の要素を無意識に演じたりしてましたwこの記事に書いてます)
 
眼鏡連呼のブログになってますがw
幼少期の教育や環境により与えられた見え方 → 本来の自分らしい見え方
というプロセスが、経験を通して働くという事が伝えたかったことです。
この流れは月→太陽の流れと似ているように感じます。
そして本来の自分らしい見え方を得られればハッピーエンドというわけでないですし、見え方が変わっていく過程で必要になってくるのが「ニーバの祈り」の要素だと感じます。
実行力とあきらめ。そして何より自分の目でしっかりと見ていく力。
 
「変えることのできないものを受け入れる」の部分はなんとも切ない気持ちになりますが、変えることのできないものを受け入れられた時、実は本当はそれは自分の欲しいものではなかったと後で気づくとか、痛みを伴う思いをする過程や経験が糧になるとか、どんどん繋がっていくのだと思います。
ネガティブなこととして捉える必要はないかと!(自分に言い聞かせてる←)
ここが松村先生が仰る
「生き方が生まれつきの元素比率から大きく逸脱してしまうことは、人生の狂いを意味します。」
というところにも通ずるかと思います。受け入れられない方が狂っていく。
 
受け入れざるをえない状況にしてくるのが冥王星あたりの力だったりするんでしょうかね。
だからどんな星も怖がらなくて良いんですきっと(すごく自分に言い聞かせてる←)