こんばんは、Mahaloです。
早速、本題へ入らせて頂きますが…
お釈迦様の『八正道』について、これまで7回に渡ってお伝えさせて頂いてきましたけれども、ここでいよいよ最後の分をお伝えさせて頂きます。
というわけで今回は残りの1つである、
『正しく見る(正見:しょうけん)』についてのお話です。
この『正見』とは、八正道の前回分『正しく語る(正語)とは?』にてお伝えさせて頂いたとおり、八正道において最も重要なポイントとなるものです。
なぜならば、ある対象についてまず正しく見るという事ができていないと、他の7つが全部おかしくなってしまうからです。
と言いますか、ある対象について正しく見れていないという事は、その対象についての判断が根本の部分からズレているという事ですから、あとの分が全てズレてしまうのがむしろ当たり前というお話なんですね。
ですから、まずは『正見』であり、そしてこれが最も重要なポイントとなるわけなんです。
にも関わらず、何ゆえにこの『正見』を八正道のラストに持ってきたのかと申しますと、実は『正見』についてはこれまでにおいて既にしつこいくらいお伝えさせて頂いているからなんです。
つまりは、過去記事で幾度も申し上げてきた『中道の目線(善意なる第3者の目線)で見る』という見方こそ、お釈迦様がお説きになられた八正道の『正見』そのものであるというわけなんですね。
ここでちょっとこんな事を申し上げますと…
多くの皆さんにおかれましては、霊的真理(スピリチュアリズム)とお釈迦様の教えは別物として認識しておられるのではないかと思いますが、そうではないんですよ。
真理が2つも3つもあったらこりゃエライこっちゃというお話であり、真理は唯一の神たるグレートスピリットの下においてあくまで1つであります。
ゆえに、どちらも正しいものであるならば、その内容が別物であるわけがないのです。
もっと言えば、イエス様の教え、あるいは古代ギリシャにおけるゼウス様らの教えや古代エジプトにおけるモーゼ様の教え等も本来は同じものなのです。
ただ、お釈迦様やイエス様らの教えは長い年月を経る中で人々の手によって本来とは違うものに変えられてしまっただけ、あるいはそれぞれが別物として区別されてしまっただけであり、本来においてはどれもが大宇宙界を御心の中に動かし私達を生かして頂いている巨大な意識であり、力であり、エネルギーである唯一神の御心に真に沿った同じ法であるのです。
ちなみにその唯一神の御心に真に沿った法を本来は「正法(しょうほう)」と言います。
お釈迦様やイエス様らが本来お説きになられた法は正法そのものであり、スピリチュアリズムは正法の一部であると言えます。
スピリチュアリズムは正法の一部であるというのは、正法においてはスピリチュアリズムよりも広いところ、深いところまでが説かれるゆえです。
もうひとつちなみに、このブログで用いさせて頂いている「グレートスピリットの法」という呼称は、スピリチュアル用語に合わせて私が作った独自のものですが、意味としては正法と同じくです。
話を『正見』に戻させて頂きますが…
上述の『中道の目線(善意なる第3者の目線)で見る』というのは、違う言い方をしますと『相手の立場に立って見る』あるいは『自分中心なものの見方をしない』という事になります。
自分中心なものの見方をすると、自己保存、自己保護、自我我欲の想念が色眼鏡の如きものとなって、ものを正しく見る事ができなくなってしまうものなのです。
結局のところ『正見』とは『中道の目線(善意なる第3者の目線)で見る事』であるわけですが、ここではよりお解かり頂きやすいように『常に相手の立場に立って見る見方をし、自己中心なものの見方をしない事』であると理解して頂けたらと思います。
重複しますがこれは非常に重要な部分ですので、皆さんにおかれましてはぜひ常日頃からよく心がけられる事をオススメさせて頂きます。
そして今回の最後に、おさらいの意味も込めて八正道の全てについて記させて頂きます…
◎正しく見る(正見)-『常に相手の立場に立って見る見方をし、自己中心なものの見方をしない事』
◎正しく思う(正思)-『常に他を生かす愛の思いを持つ事』
〔正思の詳しい解説へ〕
◎正しく語る(正語)-『相手を思いやり、相手に安らぎと喜びを与える言葉や、相手が幸せになるよう、生きる勇気を与える言葉を語る事』
〔正語の詳しい解説へ〕
◎正しく仕事を為す(正業)-『私達は一人では生きられない存在であり、社会から無数の恩恵を受けて生きる事ができている存在である。その恩恵に対する恩返しという行いを為す事』
〔正業の詳しい解説へ〕
◎正しく生きる(正命)-『中道にあって常に自分を厳しく見つめ生きていく事』
〔正命の詳しい解説へ〕
◎正しく道に精進する(正精進)-『まずは自分が幸せになり、そしてその幸せを他の人に分け与えて行く事』
〔正精進の詳しい解説へ〕
◎正しく念じる(正念)-『常にしっかりした目的を持って、そこに心を向ける事』
〔正念の詳しい解説へ〕
◎正しく定に入る(正定)-『中道の目線(善意なる第3者の目線で)自らを見つめながら反省をし、間違った事があったならばそれを素直に悔い改め、二度と繰り返さない事を誓い、そのあとで安らぎと感謝のひとときを持つ事』
〔正定の詳しい解説へ〕
私達はこの8つを正しく実践したならば決して苦しみなどなく、そして必ず幸せになれると、お釈迦様は教えて下さっています。
1つの例として申し上げますと、過去記事で「正命」についてお伝えさせて頂いた時に「厳しすぎておかしくなる事がある」という旨のコメントを頂いたのですが、それは正命以外の正見や正念あるいは正定あたりがちゃんとできておられないから生じる事なのです。
8つともを正しく行ったならば決してそのような事にはなりません。
八正道とは、スピリチュアリズムにおける「階層の法則」的に申し上げれば最も神たるグレートスピリットに近い階層におられる方、言い換えれば最もグレートスピリットに近い悟りに達しておられる方々の中のお1人であるお釈迦様が命がけで私達のために残して下さった、至宝とも言える教えです。
皆さんにもこの教えを生かして頂けたらなと想う次第です。
Mahaloでした。
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