こんばんは、Mahaloです
早速ですが、これまでの記事で、お釈迦様がお説き下さった『八正道(正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく仕事を為し、正しく生き、正しく道に精進し、正しく念じ、正しく定に入る)』のうち『正しく仕事を為す 』と『正しく念じる』について解説を書かせて頂きましたけれども…
今回は『正しく定に入る⇒じょうにいる(正定:しょうじょう)』について解説を書かせて頂きたいと思います。
まず、真言密教の方において即身仏となる行の事を「入定(にゅうじょう)」と言いますので、誤解をなさる方もおられるかもしれませんが、ここで言う「定に入る」というのは死ぬ事ではなくて「反省」の事を意味します。
つまり「正しく定に入る」とは『正しく反省する』という事であるわけですね。
実は、ある読者さんから「反省もやりすぎは良くないのでしょうか?」というお尋ねを頂いたのをきっかけに今回はこの「正しく定に入る」を取り上げさせて頂こうと思った次第であったのですが…
私は、反省がグレート・スピリットの法における実践の大基礎であるという事を口が酸っぱくなるほど皆さんに対し申し上げ続けてきましたのに、今頃この「正しく定に入る」を取り上げている事を、これは迂闊であったと反省しているところです。
まあ、それはご勘弁をお願いすると致しまして、反省というのは自分の心を浄め正す事であるわけですから、その浄め正す事をいくらやっても悪い道理がないゆえに、反省をやりすぎると良くないという事はありません。
また『黄金マスクのお値段も驚きなれど…』の方などで書かせて頂きましたように、私達が魂を進化向上させグレート・スピリットとの融合に至るまでというのは実に膨大な過程を要するものであり、実際に反省をしっかり行ってみますと、いくらでも新たな修正点が見出せるはずなんですね。
新たな修正点が出てくるという事は、むしろ反省がまだ足りていないという事です。
そういうものですから、私達は何も躊躇などする事なく大いに反省に励んで良いのですが、ただ、ここで大切なのは…
反省を『正しく』行うという事なんですね。
もしも、反省によって自分の悪いところがあまりにたくさんある事に気づいてしまった事で卑下や自己嫌悪などの状態に陥ってしまったとしたらこれは本末転倒であるという話ですし…
自己中心的な目線によって反省すべき事を正当化して反省しなかったとしたら、これはもうそもそもが反省として成立しないという話になります。
やはり、私がこれまた口が酸っぱくなるほど申し上げ続けてきた「中道の目線(善意なる第3者の目線)で自らを見つめ、グレート・スピリットの御心と離れた箇所に気づいたならばそれを素直に悔い改め、二度と繰り返さない事を誓う」という事こそが正しい反省の在り方なんですね。
そして、以下の部分をまだ皆さんに申し上げていなかった事を特に迂闊であったと反省しているんですけれども、グレート・スピリットが、あの『グレートスピリットのお言葉』の中で…
もし我が心と離れし箇所に気付かばそれを悔い改めよ
その時 汝らの魂は浄まれり
と、おっしゃっているように、私達は正しい反省によって自分の悪い点をきちんと悔い改めますと心が浄まるものであり、そして浄まるとグレート・スピリットの御業によって自らに安らぎを感じるという形で証しを示して頂けるものなんです。
そうしましたら、その安らぎを頂いた事や、グレート・スピリットの力によって生かして頂きながら日々の修行をさせて頂いている事への感謝を持ちなさいと教えられるものなんですね。
まとめさせて頂きますと「中道の目線(善意なる第3者の目線で)自らを見つめながら反省をし、間違った事があったならばそれを素直に悔い改め、二度と繰り返さない事を誓い、そのあとで安らぎと感謝のひとときを持つ」というのが、正しく反省するすなわち『正しく定に入る』という事であるわけです。
というわけで、今回はここまでとさせて頂きますが、今夜もそこそこに寒くなっていますから、皆さんどうぞお風邪などに気をつけながらおやすみ下さいね。
※補足 ‐
反省というと悪い所ばかり探そうとしがちであるものですが、まずは自分の良い所(長所)をよく探し、自分にはこういう良い所があるという事をしっかり確認した上で、悪い所はないかを探すというやり方をされると良いです。
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