どうも、Mahaloです。
今回も、前回までに引き続き、お釈迦様の『八正道』についてのお話です。
そして今回は、八正道の残り2つ(正しく見る、正しく語る)の内の…
『正しく語る(正語:しょうご)』について書かせて頂きます。
これは『相手を思いやり、相手に安らぎと喜びを与える言葉や、相手が幸せになるよう、生きる勇気を与える言葉を語る事』であると教えられます。
前回の記事『正しく思う(正思)とは?』で書かせて頂いたのと同様に、これにつきましても細かい講釈はさせて頂くまでもないのではと私は思います。
皆がいつも互いにそんな言葉をかけ合う世界を想像すれば、この正しきは容易に察する事ができると思いますので…。
ただ、ちなみに付け加えさせて頂きますと、お釈迦様はこんな教えも残して下さっています…
『黄金の沈黙を守りなさい』
これは「正しき法以外は語るなかれ」という事です。
例えば、正当な根拠がないご自分の考えを正しき法であるが如くに語っておられる方が多いものでありますが、それは大きなひずみやこじれ等に通じます。
また、もうひとつちなみに申し上げますと、私が、皆さんからご投稿を頂いた語りに対して、たまにキャッチボールが成立する形の語りを返していない事があったのにお気づきの方もおられるかと思います。
実は、そんな時は、ちゃんと理由があって敢えて沈黙を為しているのです。
自我、自己中心の想念を離れた目で見れば、その理由が見えてくるものです。
と、これは、まだお伝えをさせて頂いていない最後の1つ「正しく見る(正見:しょうけん)」のお話になりますね。
というわけで、次回の記事に続くという事にさせて頂きますが、その「正見」とは、実は八正道において最も重要なポイントとなるものなのです。
詳しくは次回にてという事で…
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