2005年春、悪性脳腫瘍が判明した母。

(後にグレード3→グレード4の膠芽腫へ転化)

 

余命3年以内と言われながらも、18年間戦った母の、奇跡の記録です。2023年他界。

 

◇経緯に関する主な記事へのリンク◇

・病院からの呼び出し

・恐れていた(てんかん発作

・脳腫瘍が自然に小さくなった!

・一度目の再発(大きくなっていた腫瘍

・手術の日(前編)

・手術の日(後編)

・病理の結果。悪性度の高さに絶望

・余命宣告

・放射線治療

・ごく薄く写るだけになった脳腫瘍

・再発確定→膠芽腫へ転化

・抗がん剤治療が奏功

・三度目の再発と余命

 

 

2015年1月

 

お正月はゆっくり家で過ごした後、

いよいよ入院の日がやって来ました。

 

入院の準備はもう慣れたものです。

 

ナースステーションにて、

アレルギーの有無の確認、

今回の入院の目的の説明と、

内容を理解しているかの確認。

 

いつも通り手続きが終わり、

お部屋に案内されました。

 

 

入院初日は、特にやる事が無く、

院内の売店に行ったり、

談話室でのんびりしていました。

 

 

そして翌日。

私は、翌日の治療時間に合わせて

病院に向かいました。

治療は午後から。

 

病院に着くと、

すでに看護師さんがいらして、

ルートを取ったり

予定を説明されていました。

 

 

「ベッドのまま行きますねウインク

 

(帰りはウトウトしているので)

 

 

との事で、いよいよ出発です。

 

母は急に緊張してきた様子で、

エレベーターの中でも

私の手を握っていました。

 

 

エレベーターを降りたところで、

母とはお別れ。

 

私は母の病室に戻って待ちました。

 

 

夕方、ようやく戻ってきた母。

 

やっぱりウトウトはしていましたが、

 

「お疲れ様!」

 

と声を掛けたら、

 

「うん、うん。」と頷いて、

意外と受け答え出来ていました。

 

治療後3時間は安静と言われていました。

足の付け根にカテーテルを入れた方の足は、

暫く伸ばしたままだそう。

 

 

足の付け根の麻酔が痛かった。

途中、お薬を入れたあたりで、

いきなり脳の血管の映像が浮かんだ滝汗

ウトウトしている間に終わっていた。

 

そんな事を話していた母でした。