2005年春、悪性脳腫瘍が判明した母。

(後にグレード3→グレード4の膠芽腫へ転化)

 

余命3年以内と言われながらも、18年間戦った母の、奇跡の記録です。2023年他界。

 

◇経緯に関する記事のリンク◇

・病院からの呼び出し

・恐れていた(てんかん発作

・脳腫瘍が自然に小さくなった!

・一度目の再発(大きくなっていた腫瘍

・手術の日(前編)

・手術の日(後編)

・病理の結果。悪性度の高さに絶望

・余命宣告

・放射線治療

・明らかに小さくなっていた腫瘍

・ごく薄く写るだけになった脳腫瘍

 

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2012年2月中旬。

 

MRI撮影と診察の為に病院へ。

 

いつもよりも待ち時間があり、

放射線科前の長椅子で

暫く待ちました。

 

その間、母はウトウト。

 

呼ばれても、

私が声を掛けるまで

起きませんでした。

 

やっぱり、何かありそう・・・

そう思わざるを得ませんでした。

 

 

結果は、

 

おそらく再発でしょう。

との事でした。

 

前回までは、

造影剤で染まる部分は、

もう確認できない、

と言われていましたが、

この時は、白い縁取りのように、

腫瘍の周りにしっかりと

写っていましたえーん

 

腫瘍の大きさとしては、

前回とほぼ変わらず、

死んだ腫瘍の周りにある

腫瘍細胞が活動を始めた可能性が高い、

という感じの説明でした。

腫瘍周りの浮腫みもありました。

 

 

経過を診るために、

1ヶ月後にまた受診する事に。

 

 

お薬は、それまでと変わらず

 

デパケンR錠400㎎を朝晩1錠ずつ。

(抗痙攣薬)

 

プレドニゾロン5㎎を朝晩1錠ずつ。

(脳の浮腫対策)

 

を3ヶ月分処方されました。

 

 

母の落ち込み方は相当のものでした。

 

また何か治療が始まるのかと、

不安な気持ちを漏らしていました。

 

・言葉が上手く出てこない

・傾眠が酷くなる

 

この二つの症状が、

少しずつではありましたが、

徐々に目立って行くのが分かり、

長い長い日々でした。

 

 

※過去の出来事であるのと、多忙につき、

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