2005年春、悪性脳腫瘍が判明した母。

(後にグレード3→グレード4の膠芽腫へ転化)

 

余命3年以内と言われながらも、18年間戦った母の、奇跡の記録です。2023年他界。

 

◇経緯に関する記事のリンク◇

・病院からの呼び出し

・恐れていた(てんかん発作

・脳腫瘍が自然に小さくなった!

・一度目の再発(大きくなっていた腫瘍

・手術の日(前編)

・手術の日(後編)

・病理の結果。悪性度の高さに絶望

・余命宣告

・放射線治療

・明らかに小さくなっていた腫瘍

・ごく薄く写るだけになった脳腫瘍

 

放射線治療から1年半以上、

無治療だったのにも関わらず、

縮小し続けた脳腫瘍。

 

ずっと穏やかな日が続くと

思っていました。

そんな中での、震災のストレス。

 

 

世話好きな母だったので、

親戚・その友人、子ども達、

たくさんの人達を迎え、

我が家は小さな避難所でした。

 

その時は気が張っていて、

気丈に振る舞っていましたが、

皆さんそれぞれ生活の目途が立ち、

徐々に一人、二人と減っていき、

すっかり家の中が静かになると、

寂しさと共に、

一気に疲れが出てきたようです。

 

 

 2011年8月

 

季節が変わり、夏になると、

最初の異変が現れました。

 

椅子に座ったまま、

ウトウトする事が増えてきました。

 

後になって思えば、

あれは軽い傾眠でした。

 

 

この時は、声を掛ければ、

すぐに目を覚ましていました。

 

「眠そうだね。大丈夫?」

 

と訊くと、

 

「眠くはないんだけどねぇ。」

 

と、曖昧な返事でした。

 

 

眠いとも思わないうちに、

気が付いたら寝ている、

そんな感じでした。

 

 

さらに、超が付くほど

早起きだったのに、

 

6時前まで寝ている事が

増えた記憶があります。

 

でも、このあたりでは、

眠気以外の症状は無く、

 

てんかん発作も無く、

失語も無かったので、

しばらく様子を見ていたのです。

 

 

 

 2012年1月下旬

 

 

私が話しかけても、

脈絡のない答えが

返ってくるようになりました。

 

あれ?

と違和感を感じたものの、

すぐに元通りに会話できたので、

受診しませんでしたが、

 

徐々に違和感が強くなったので、

 

病院に電話をし、

主治医に相談しました。

 

 

主治医は、前回の受診時の、

「何かあったらいつでも診ます」

の言葉通り、

すぐにMRIと診察の予約を

入れて下さりました。

大きな病院なので、急な

MRI撮影の予約は困難なのですが、

たまたま空いた時間があり、

なんとか入れて下さったようです。