2005年春、悪性脳腫瘍が判明した母。
(後にグレード3→グレード4の膠芽腫へ転化)
余命3年以内と言われながらも、18年間戦った母の、奇跡の記録です。2023年他界。
◇経緯に関する記事のリンク◇
続きです。
(2010年8月の出来事です。)
帰宅できたのは、お昼前でした。
母は、
「急がせたよね、ごめんね」
と言っていました。
そして、事の経緯を聞いたら、
前回の記事の内容だったという訳です。
それくらいで怒鳴るなんて、
やっぱり噂通りの家だなぁ。
と思いました。
いかつい男の人がハサミを向けた、
とか言うならまだ分かります。
でも、ただ一瞬作業の手を止めて、
普通に挨拶しただけです。
話す事で
少しずつ落ち着きを取り戻した母。
この日は午後から、
ウイッグのサロンへ行く予定でした。
定期的にサロンへ行き、
ウイッグからはみ出る部分の
髪の毛をカットして頂いていました。
軽くお昼を済ませて、
私もサロンに付き添いました。
だいぶ表情が明るくなったので、
母にとってもいい気分転換に
なったと思います。
買い物などを済ませて家に着くと、
すぐに玄関のチャイムが鳴りました。
モニター越しに見たら、
◆トラブル一家の奥さん(50代)
◆と旦那さん(50代)
◆問題の老婆
◆老婆の夫(高齢の爺さん)
合計4人の姿が!
「はい。」
とモニター越しに返事すると、
突然老婆が、
「ババア(母の事)出せ。」
と汚い口調で怒鳴りました。
その頃母はまだ50代。
80代後半の老婆に
ババアと言われる筋合いは無い、
と言いたいのを飲み込み、
「母は病気なので対応できかねます」
と伝えたら、
たった今、
元気に帰って来たじゃないか!
こっちはずっと監視していたんだ!
車から降りる姿も見ている。
嘘をつくんじゃない
と顔を真っ赤にして怒鳴る爺さん!
確かに、脳腫瘍には見えない位、
元気な時ではありましたが
老人とはいえ、
男性の声は恐ろしかったです。
それに、
1時間半以上監視されていたなんて、
恐怖以外の何物でもありません。
それ以上説明したところで
帰る気配が無かったので、
私が対応するしか無いと思い、
玄関を開けました。
・・・
今思えば、
開けなきゃ良かった
その一言に尽きます。