今度こそ本当に「98日目ワープ説」埋葬 | メタメタの日

 女王宣告によって、100人の妻たちが、「(不特定の)数だけについて」の共通認識を持ったわけです。

 宣告以前は、●の存在についての、100人全体の共通認識はなかった。

 ●の存在やその数についての、個別の認識や、99人以下の各グループごとの共通認識はあった。しかし、100人全体の共通認識はなかった。

 しかし、それは、「特定の●について」の認識や共通認識だったのです。(参照525番発言)

 宣告以後に、「数だけについて」の共通認識が可能ならば、宣告以前にも可能ではないだろうかと、私(たち)は、考えたのです。

 つまり、女王という「外部」から、「少なくとも1人の●がいる」という情報がもたらされて、100人の妻たちが、「数だけについての共通認識」を持つことが可能になったのだが、それならば、100人の「内部」で、各自の認識と論理的思考だけで、「数だけについての共通認識」を持つことは可能ではないのか。

 もしも、可能ならば、その共通認識された数を、カウントのスタートにすればよい。その数が、ボトムである。

 つまり、100人の妻たちが、論理的推論によって、「少なくとも97人の●の存在」を共通認識にしているのであれば、97人の●を確認するための97日間をワープして、いきなり98日目から始めれば良いのではないか。98日目を第1日目とし、第3日目で100人の●が立証できるのではないか、と。


 というわけで、100人の「内部」の論理的推論だけで、「数だけについて」の共通認識に到達できるか、出来るとしたら、それは何人か。

 先ずは、私(たち)は、こう考えたのでした。


 任意の妻Aは99の●を見ている。Aは考えるだろう、「考えられる●の数のボトムは99だ。もし、自分が○だとすると、任意の相手Bは、98の●を見ている」

 Aが見ているBは考えるだろう。「考えられる●の数のボトムは98だ。もし、自分が○だとすると、任意の相手Cは、97の●を見ている」

 Aが見ているBが見ているCは考えるだろう。「考えられる●の数のボトムは97だ。もし、自分が○だとすると、任意の相手Dは、96の●を見ている」

 Aが見ているBが見ているCが見ているDは考えるだろう。「考えられる●の数のボトムは96だ。もし、自分が○だとすると、・・・・・

 ・・・・・

 Aが見ているBが見ているCが見ている・・・99番目の妻は考えるだろう。「考えられる●の数のボトムは1だ。もし、自分が○だとすると、任意の100番目は、0個の●を見ている」

 Aが見ているBが見ているCが見ている・・・99番目の妻が見ている100番目の妻は考えるだろう。「考えられる●の数のボトムは0だ」


 しかし、この無限降下は、どこかで歯止めがかけられるのではないか。

 Aは、自分以外のどの妻も98の●を見ているのを知っているのではないか。たとえ、それが、Aと他の一人一人の妻との2人組ごとの共通認識だとしても。

 そして、私(たち)は、751番発言のように考えたのでした。

 Aは、99人のを見ています。
  k(A)=99人
 Aは考えます。もし自分が
だとすると、自分が見ている任意のXは、98人のを見ている。

AとXの共通認識は98人だ。
  k(A,X)=98人
 そして、Xもまた、「自分が
だとすると、任意の相手Y(Aからは第三者)は、97人のを見ている」と考えるだろう。AとXとYの共通認識は98人だ。
  k(A,X,Y)=97人
 しかし、これより下がれるだろうか。Aにとって、XとYは代替可能ではないのか。

 つまり、99を見ているAのボトムは99、ABのボトムは98、ABCのボトムは97。BCの選び方は任意だから、100人全体の共通認識のボトムは97ではないか。

 しかし、これは、任意の主体が99を見ている場合だ。任意の主体が99を見ていることは、100人全体の共通認識にはならない。では、任意の主体のボトムは98か。98をボトムと【考える】のは、任意の主体が99を【見ている】からだ。98を【見ている】主体は、97をボトムと【考える】、そして、97を【見ている】主体は、96をボトムと【考える】、そして96を【見ている】主体は、・・・・

 やはり、無限降下が始まるか。


 正攻法だと、入れ子の入れ子となり、意味を考えるのがきつくなるので、背理法で考える。

 100人の妻たちが、論理的推論で、●のボトムは97だと証明できたとしよう。

 ということは、どの妻も97人以上の●を【見ている】ことになる。

 どの妻も少なくとも97人の●を【見ている】ということは、少なくとも98人の●が【いる】ということだ。

 ボトムが98になる。矛盾だ。

 よって、ボトム97の証明は間違いだった。


 では、1人の●だったら、どうか。

 100人は「外部」からの宣告で「少なくとも1人の●の存在」を共通認識とした。ボトムは1だ。

 では、「内部」の推論で「少なくとも1人の●の存在」、ボトム1を共通認識としたらどうだろう。

 推論が元にできる条件は、各妻が他の妻が何人の●を見ていることを知っているかという事実以外はない。そして、どの妻も「少なくとも1人の●の【存在】」を認識しているという結論は、どの妻も「少なくとも1人の●を【見ている】こと」から推論されたはずだ。

 どの妻も少なくとも1人の●を【見ている】ということは、少なくとも2人の●が【いる】ということだ。ボトム2が共通認識になる。矛盾だ。


 「外部」からの天下りの宣告なら、「少なくとも1人の●の存在」⇒「誰もが少なくとも1人の●を【見る】はずだ」 ということになるが、

 「内部」で証明するということは、「誰もが少なくとも1人の●を【見ている】」⇒「少なくとも1人の●の存在」ということだ。


 つまり、内部で論理的推論によって、不特定の●の人数を共通認識にすることはできない。

 ある人数を共通認識に出来なければ、その人数が確定する日までを飛ばして、翌日にワープすることも出来ない。


 女王宣告以前に、100人全体の共通認識はない。

   K(100人)={  }

 この空白に「1人」が共通認識となって、カウントが1から始まる。

 ワープもできない。


 今度こそ、本当に、「98日目ワープ説」は埋葬できたのだろうか。