ユークリッドの『原論』において、定義は、点→線→面→体と進むわけですが、これを逆に並べると、次のようになります。
立体とは、長さと幅と高さとをもつものである。
立体の端は面である。
面とは、長さと幅のみをもつものである。
面の端は線である。
線とは、幅のない長さである。
線の端は点である。
点とは、部分をもたないものである。
最後の点の定義にある「部分」とは、「長さ」のことになるわけです。
現実に存在する物は、「長さと幅と高さ」を持っているわけで、古代のギリシア人は、この存在物を分析していって、最後に「点」に至り、そこから逆に幾何学の体系を構築していったわけでしょう。
で、江戸時代の日本人も現実に存在する物を分析していった(こういう下向分析の方法を自覚していたとも思えませんが、いちおうそういうことにして)のでしょうが、「点」にまでは至らなかった。つまり「長さ」という概念までには至ったが、長さを持たない「点」という概念には至らなかったわけです。
ユークリッド『原論』に当たるような和算書はありませんが、体系的思考を持っていた今村知商の『堅亥録』(1639年)によれば、その体系は、次ぎのような順で構成されています。http://www2.library.tohoku.ac.jp/wasan/wsn-imgm.php?id=005827&km=4
基数(一から十までの整数)
大数(十、百、千、万、億、兆、・・・極)
小数(分、厘、毫、絲、忽、・・・埃)
度数(長さ。丈、尺、寸、分、厘、毫、絲、忽)
産数(面積。町、反、畝、分、厘、毫、絲、忽)
量数(体積。斛、斗、升、合、勺、抄、撮、圭、粟)
衡數(重さ)
諸数
軽重(比重)
・・・
『原論』は「点→線→面→体」ですが、『堅亥録』は、「数→線→面→体→重」です。点から始まらず、数から始まり、重さへと至る体系になっています。
ともあれ、長さを考えるときに、長さをもたない「点」を考えるということはない。
『改算記』の問題で、幅のある畝と溝が繰り返すときは、溝が両端にあるから畝の数は溝の数より一少ないと考えるし、『算俎』の問題で、幅のある格子を窓の中に並べるときは、格子の数と格子と格子の間の間隔の数について、間隔は格子より一多いことは「定法」と考えますが、幅の長さを考えない人間を道に並べるときは、その人は道のりを考える起点にはならないのです。人は動くから、ということではないことは、動かない木についても、木の幅の長さを考えなければ、木は道の長さの起点にも終点にもならないことでわかります。
長さ(線分)とは「点から点までの長さ」という発想ではないわけで、これでは植木算は生まれないわけです。