テーマは、卒業。
新しい自分になるために
自分が卒業することについて
考えさせられた。
本心を書くけれど
かずちゃんは、自分のこと
魅力のない人だと思っている(^▽^;)
魅力のない人だと思っていると、安心だ。
たとえ失敗しても
大切な人からキラワレテモ
どーせ自分は魅力がないから…と思えるし、
ポジション的に、なにかと都合がいい。
安心がある。
出る杭は打たれる
っていう言葉もあるじゃないか。
だけど
ここ数日で
この、思い癖がぶち壊れるような
風を送り込んでくれる人が
二人も現れてくれた。
一人は、ぐりちゃんだ。
彼女の言葉は、答え合わせのようにやってきた。
(クリック)
私は、自分が
カウンセラーとしてやっていく為に
また、心に向き合って
悩んでいる人のために
自分の出す情報には、責任を持つようにと
心掛けてやってきた。
その〝責任〟とは
〝正確さ〟のことだった。
正確ではない情報を、届ける訳にはいかない。
それはもう、自分にとってはモットーだった。
だけどここ数日の間、悩んでいた。
情報の正しさを求め、
未熟なりにも、自分の眼鏡にかなうブログは書けていたハズなのに
気持ちよくなれないのだ。
頭の中が、スカッと晴れないのだ。
そして私は、考え続け…
なんとなく自力で
ある答えにたどり着く。
正しさを求めることは、必要か?
ということだ。
正しい情報よりも
自分という人間が
思っていること、感じていること
これを書くことの方が重要ではないのか。
ある意味、
間違った考え方だったとしても
自分は、こう考えました。
自分は、こんな思いをしました。
こっちの方を書くことが
自分の発言に〝責任〟がとれる
ということでは、ないのか?
たとえ学問的に正しいとされることであっても
自分が経験してもいないことを、さも正解のように書くことは
自分の発言に責任がとれる、と言えることなのか?
それよりも
私が経験した
私の正解を
(たとえ正解じゃなくても)
書き、伝えることの方が
自分と向き合うとは、こういうことだよ
ということを
読み手に伝えられるのではないか?
私の職業は、カウンセラーだ。
カウンセラーとは、悩んでいる人に正解を与えてあげる職業ではない。
悩んでいる人が
自分で自分の答えを見つけられるようになるように
自分との会話の仕方を身に付けられるように
自分の本心に沿った人生を歩んでいけるように
サポートをする職業だ。
(様々な方法で、楽しみながら)
この世界には正解はない。
あるのは、捉え方だけ。
ある現象が起きた時、それを自分が
どう捉えるのか
どう感じるのか
それだけが全て。
ぐりちゃんのブログは、
ぐりちゃんを、発信している。
正しいか、正しくないか
ではなく
ぐりちゃんを発信しているのだ。
とある物事が起きた時に
ぐりちゃんがどう感じ、
ぐりちゃんがどう思ったか、
が書かれている。
私は、ぐりちゃんから
自分という一人の人間を伝えることの
大切さ
を感じたのだ。
ビートレの話を書こうと思ったら、
企業支援セミナーの時の話になってしまったぞ
このブログは次回に続くよ。
次回の告知を、お待ちください…
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更新しようかなぁーと考えています
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