こんにちは、しゅんすけです。
今日は 興味ごとをする というお話です。
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気づけば、6月です。
今年は、自然菜園にチャレンジしていて、失敗と発見がたくさんあります。
すごく楽しいです。
まるで、新しいオモチャを手に入れた子供のように、あれこれ遊んでいます。
きっと、この自然菜園でも悟れるのだろうな…
なんて思います。
悟るために自然菜園をする、のではなく
自然菜園をしたいから自然菜園をする、みたいな。
そんな感覚で取り組める方は
自然菜園を楽めるでしょうし
楽しんでいけば、自然と、悟りに至るでしょう。
いるかどうかわかりませんが… もし
悟るために自然菜園をする、という方は、悟りに至るのは難しくて
自然菜園をしたいから自然菜園をする、という方は、悟りに至りやすいと思います。
前者の方からすれば、なんたる皮肉と思うかもしれません。
私は悟りたいから自然菜園をがんばっているのに… なんで悟りとか目指してもいない後者の方が悟りに至りやすいのだ…
みたいな。
前者と後者の違いは、なんでしょう?
気が向いたら考えてみるのもよいかもしれません。
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自分が純粋に興味を持って
やってみたい、してみたい
と思うことを素直にしていけば
悟りに至りやすいです。
悟りとは、素直に生きることだからです。
〇〇のために、〇〇をする
なんてまどろっこしいことはしません。
〇〇したいから、〇〇をする
というシンプルさ、素直さがキモです。
じゃあ、例えば、仕事を辞めたいから仕事を辞めるのもアリか?といえば、アリです。
シンプル、素直。
ですが… 多くの場合、素直な気持ちを実行するには、覚悟が必要となります。
仕事をやめたら… とか
お金が入ってこなくなったら… とか
色んな不安や恐れが過ぎり、シンプルさ、素直さが霧の中に消えていってしまいます。
自分が純粋に興味を持って
やってみたい、してみたい
と思うことを素直にしていけば
悟りに至りやすいですが
実行するには覚悟が必要になります。
自分でしたことの責任は、自分がとる、とか。
自分がしたことの結果は、受け入れる、とか。
そういう覚悟がないのに、素直さを気取っても、悟りからは遠のいていくでしょう。
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ビビってる…
実行したいけど、できない…
そんな不安や恐れをちゃんと感じてください。
何日か、何週間か、何ヶ月かわかりませんが
出てくるならば、出てくるままに感じることです。
覚悟はそうすることで、芽吹き、育ち、太く、大きくなっていきます。
植物と同じです。
それを自分軸を太くする、と表現してもいいでしょう。
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自分が純粋に興味を持って
やってみたい、してみたい
と思うことを素直にしていけば
飽きるのも早いです。
そして、次の興味を見つけるのも早いです。
自分に合った悟りの道(興味関心事)に出逢うまでは、自然と飽きるのも早いものです。
人間しゅんすけさんも、沢山のことに興味を持ち、興味を持ったら素直に実行してきました。
例えば、バスケットボール。
当時は楽しくて、人生ずーっと続けていきたい、とすら思っていましたが
何年か続けていくと飽きてきて、もういいや、と思うようになりました。
例えば、友達。
当時は楽しくて、人生ずーっと仲良くしていきたい、とすら思っていましたが
何年か続けていくと飽きてきて、自然と疎遠になったりしていきました。
勉強も、大学の研究も、仕事も、興味を持っては飽きてくる…
そんな繰り返しでした。
たいていの興味関心事は、バスレでした。
途方に暮れた時、内観と出逢いました。
外側にある娯楽や事象に興味が持てなくなって…
最後の最後に興味を持ったのが「自分」だったのです。
そこからは、むさぼるように内観に没頭しました。
それこそ、自分を知り尽くすためだったら
離婚だろうが、お金だろうが
寿命だろうが、家族だろうが
何がどうなっても自分を知り尽くすぞ!
そんな感覚でした。
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自分を知りたいから、自分を生きました。
徹底的に。
ただ、それだけです。
ふと気がつけば、ハズレだと思っていたことも、一つでも欠けていたらここに至れなかったと思いました。
ある意味、全てがアタリだったのです。
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あなたが純粋に興味を持って
やってみたい、してみたい
と思うことを素直にしていけば
興味の対象と自分の垣根がなくなっていきます。
自然菜園に興味持った方ならば
自分が自然菜園をしているのか…
自然菜園が自分をしているのか…
よくわからなくなるでしょう。
ピアニストがピアノと一体化していくように
ランナーが走りと一体化していくように
自分が興味あるものと一体化していきます。
垣根がなくなって、ひとつ、なんだと体験としてわかります。
そんな体験を経て
「自分を知り尽くせば」
自然と悟りに至るでしょう。
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自分の悟りへの道は、自分が興味関心を抱くものです。
やってみたいならば、やってみましょう。
責任を負ってでもやってみたい
結果がどうやってもやってみたい
そう思えるものならば、特にです。
悟りに導く人を導師といったりしますが
自分にとっては、自分が最高の導師なんです。
興味あることをする時、人は、自分自身の導師になります。
自分が自分を導いているのです。
幸せに、そして、悟りに。
そうやって自分自身と周りの人を悟りへと導いていくのです。