こんにちは、しゅんすけです。


今日は 真理を理解する というお話です。








日本の場合、だいたい小学校に入った頃から「頭で理解する」という体験を繰り返します。



例えば

1+1=2

正解。



3+4=6

不正解。




〇とか、‪✕‬とか、判定されたり

点数とか、成績とか、比較されたり

どれだけ「頭で理解したか」ということで

褒められたり、認められたりして

小学校 ~ 高校生まで

約10年間も刷り込まれます。



そこで刷り込まれた度合いによっては

その後の何十年の人生も繰り返すことになります。




大学になっても、社会人になっても

家族を作っても、御年配になっても

ずーっと「頭で理解する」ということが最優先になったりします。




正しいか、間違っているか

優れているか、劣っているのか

を気にして

人に褒められるか、認められるか

に囚われたままになります。




人目を気にしすぎて、自分に目を向けないで一生を終えることもあるでしょう。

それでは、人でなく、ロボットの変わりあせません。

ずっと刷り込まれたこと(プログラムされたのと)を繰り返すだけなのですから。




そんな生き方は人ではありません…

小学校に入る前は「頭で理解する」ことをあまりせず「体で理解する」ことが沢山あったはずです。








覚醒、悟り、解脱、真理などは「頭で理解する」ことではありません。



頭でわかっておけばいいのは

頭で考えることは狭い

世の中は、頭で考えることよりも、ずっと複雑で、色んなことが起こってる

予想をしても、予想外がしょっちゅう起こる

「体で理解する」のが、生まれた時からしている人間の本来の学び

そんなことくらいです。




シンプルに言えば

「頭 だけ の理解に救いはない」

ということです。




小学校のころから「頭で理解する」に偏り続けているものですから「体で理解する」ことが疎かになったりするのです。



頭と体、両方で理解することが大事です。

バランスなんです。








人生を振り返ってみて、本当に大変になった時に「頭で救われた」ことがあったでしょうか?




予想外の誰かが助けてもらったり

意外な事が起こったり

頭を飛び越えた展開が起きて、救われたのではないでしょうか?








大変な時こそ、バランスが大事です。

頭にも偏りすぎない

体にも偏りすぎない




大変だと感じる時は「大きく変わる」時です。

死に物狂いになるのも結構ですが

お茶を呑んで坐ってみましょう。




外のことが気になって難しいかもしれませんが


落ち着いて、内を気にしてみてみましょう。





ただ坐っていれば

振り子のように揺れが落ち着いて

バランスしてきます。




本当の救いとは、バランスがとれた意識から現れてくるものです。



バランスがとれると「今ここ」を生きれるようになるからです。








今のものは、今のもの。

賞味期限は今です。



ニュートラルから溢れてきたことをやってみる。



「頭で理解する」癖が強いと、気づいたことを追いかけて、分析して、知識にしようとします。



だけ では「今ここ」には届きませんし、追いつけないのです。



頭と体を使って、全身を使って、溢れてきたことをするのです。




それが「本当の救い」へと導いてくれます。








頭だけではなく、体も使って生きてみてください。


全身を使って生きてみてください。




そうした生き方を続けていけば、覚醒、悟り、解脱、真理などは「理解する」に至ります。



理解した時には、理解した主体者もいないこともわかるでしょう。




何にもなくて、全てがある。


頭で、体で、全身全霊で理解できるでしょう。












今日のお話はここまでにしたいと思います。



読んでいただきありがとうございました。






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