またかかってしまったと思い込んで、抗生物質を飲んでいたら
3日間、熱が一向に下がらず、抗生物質をやめて、
じっとしていたら回復してきた。
そう、ただの風邪だったのに抗生物質なぞ飲んだものだから、
風邪のウィルスと闘っていた良い常在菌まで殺していたようで、
やはり自己判断は怖いなと思う結果に至った。
結局、餅は餅屋ということだ。
久しぶりに体調を崩した。
1年前の3月にもガクンと体調を崩した。
そして1年前とほぼ変わらない症状。
クーラーのせいで喉がやられて、そこから発熱。
抗生物質と痛み止めを自己判断で飲みながら、
そんなに高熱でもないけれど念のために自分で
マラリアの検査キットを使って、マラリアかどうかも確かめた。
日本にいれば、ちょっと調子が悪いなと思ったり、
真夜中に高熱が出たって、医療機関に行けば
確かな技術を持った医師が間違いのない処置をしてくれたので、
私は医療機関を信用しきっていた。
ただ、ここではあまり信用しないことにしている。
レスキューダイバーの講習を受けた時に、
インストラクターの人が言っていたことなのだが、
医師でも応急処置ですら正しく行えない
(情報や処置が古い)人が病院で医師として
勤務しているという。とんだ恐怖である。
以前、ナカラに新設された私立診療所にかかった方が
言われるがままに薬を飲んでいて、首都に行ったら
即刻入院をする破目になったこともあり、
この町の医師はあまり信用してはならないことがよく分かった。
自分でインターネットで似た症状を調べて、
自己判断で薬を飲むこともあまりいいことではないのは
百も承知だが、下手に医者にかかって、
どうにかなっても嫌なのである。
日本にいる時は質の良い医療がすぐにでも
受けられるのをいいことに、いつも限界を
超えるまで体をこき使っていたのだけれど、
ここではそのやり方は命とりにもなりかねない。
昨晩は、夜中にものすごい雷鳴と共に、これで
降り納めとばかりに雨がザァーッと降り出した。
ちょうど旦那さんが出張で家には一人だったので、
一瞬何が起きたか分からず、雨音と鳴り響く雷鳴で
その音が雷だと認識した。
しばらく雨音を聞いていたのだけれど、どうにも
すぐには止みそうにない。とくれば、そのうちに
リビングとキッチンの床から水が浸み出し、
壁の穴(そこから衛星テレビの線が屋内に入っている)から
水が滴り落ちるのは目に見えていたので、
嫌々起きてそれらの対処(床に新聞紙を敷いたり、
壁の穴の下にたらいを置いたり)をしてから、また床についた。
朝起きたら、もう雨は止んでいて、新聞紙は
すでに乾いていたが、たらいにはなみなみと水が溜まっていた。
インターネットをしようとモデムのスイッチを
オンにするが、いっこうに電源が入らない。
何度やってもうんともすんとも言わない。
これは昨日の雷でヤラれてしまったのかもしれないと思い、
ちょうど先月の支払いもあったので、モデムを持って
電力会社まで足を運ぶと、いつにも増して人の往来が激しい。
来る人来る人、困り顔で「電話が繋がらないんですけど」とか
「線が燃えちゃったみたいで」とか言っている。
皆、昨夜の雷で電話線に異常をきたしてしまった人ばかりである。
こうなるといつもはのーんびり、てれてれと
仕事をしている職員たちもあっちの対応、
こっちの対応と忙しそうである。
結局、うちのモデムはそこでもうんともすんとも言わず、
お亡くなりあそばした様子であり、新しいモデムを
買うしかほかなかった。
予期せぬ出費に財布が寂しくなったが、しょうがない。
帰りがけ、対応してくれたおばちゃんが私を手招きする。
おばちゃん:「ちょっと話す時間ある?」
わたし:「え、なに?支払いのこと?」
おばちゃん:「違うわよぉー、それは私の仕事じゃないし!」
わたし:「え、じゃあ何ですか?」
内緒話をするように私の方に身を寄せてくるおばちゃん。
おばちゃん:「車、日本から入れたいんだけど手伝ってくれない?」
話を聞いてみると、どうやら新しい(と言っても中古)車を
購入したく、それを個人で輸入したいらしい。
こっちにも州都ナンプラまで行けば、日本車を
扱っている会社はたくさんあるようだけれど、
たぶん様々な手数料で高くなってしまうのだろう。
それに、信用できる整備士がいないため、
こっちで買っても整備状況に不安が残る。
わたし:「どんな車がいいの?セダン?それともワンボックス?
(以前、我がチャレンジャーを運んでもらったときの)
会社を紹介することぐらいしかできないけど」
おばちゃん:「ああいうのがいいわ!」
わたし:「どれ!?」
おばちゃん:「もう(走って)いっちゃった」
わたし:「見なかったよ。ああいうのでもいいの?
(目の前に止まっていたフィット)」
おばちゃん:「あれは小さすぎるわよぉー」
わたし:「えぇっ、じゃーああいうの?
(その逆側に止まっていたワンボックス)」
おばちゃん:「うーん…」
わたし:「何人乗りがいいの?5人とかでもいいの?
それとも8人とかまで乗れた方がいいの?」
おばちゃん:「8人のがいいわね。これは、あなた売る気ないの?」
我がチャレンジャーを指さすおばちゃん。
わたし:「これ?5人しか乗れないよ?」
おばちゃん:「この際、5人でもいいわ!ねぇ、これ売らない?」
まだ帰るまでの半年は車がないと困るので、
すぐに売る気はないけれど、とりあえず聞いてみた。
わたし:「いくらで買う?」
おばちゃん:「(超真剣な面持ちで)2,000ドル(約20万円)あるわよ」
わたし:「2,000ドル!?そりゃないよぉー!!」
おばちゃん:「だってインターネットで探すとそれぐらいのもあるわよ!
じゃあいくらなの?」
わたし:「最低でも6,000ドル(約60万円)?」
おばちゃん:「そんなお金、どこにあるのよぉー(大爆笑)」
わたし:「ま、わたしも決められないし、旦那に聞いてみるわね」
おばちゃん:「頼んだわよ~」
2,000ドルなんて、首都マプトからナカラまでの
陸送代にしかならないよ、おばちゃん。
旦那さんの職場がある港までを車で10分ほどかけて、
日に4回(朝、昼休み前後、夕方)送迎をしている。
旦那さんが建物から出てくるまでは、もちろん駐車場で
待つことになるのだけれど、その建物に日常的に
出入りしている東洋人は旦那さんしかいないため、
他の職員や運転手、警備員の人たちは私を認識してくれ、
挨拶をしてくれたり話しかけたりしてくれる。
特に警備員は昼間は女性が多く、待っている間に言葉を交わすこともままある。
警備員のお姉さん:「あらぁー、元気?」
わたし:「元気ですよ、おたくは?」
お姉さん:「元気よ~、子どもたちは元気?」
わたし:「まだいないんですよ」
お姉さん:「だめじゃない、産まなきゃ!
ここで産んだら(日本人でも)モザンビカーノよ」
わたし:「そのうちね~、でも9月で日本に帰国だから」
お姉さん:「えっ、9月に帰国?でもまた戻ってくるんでしょ?」
わたし:「9月に帰国したら、もうここには戻ってこないのよ」
お姉さん:「えぇーダメよ、そんなの。9月なんてすぐじゃない!」
わたし:「でもそういう契約だからさー」
お姉さん:「9月なんて言わずに12月までいてよ!ね、12月!!」
驚いて、寂しがってくれたわりには、
あと3か月だけという微妙なオファーであった。
こちらの人は、なんでもかんでも頭の上に乗せて物を運ぶのが一般的である。
小さいころから、知らず知らずのうちにその訓練を積み上げているので、
大人になれば、必然的にバランスよく物を運ぶことができる。
私も密かに練習してみたのだけれど、どうにもこうにも
ぐらぐらしてしまい、物はすぐに頭上から落下してしまう。
猛烈な訓練を積めば、そのうちにはこちらの人よろしく
軽々となんでも頭に乗せて移動することができるのかもしれないが、
生憎そこにかける情熱と忍耐が足りないためにすぐ諦めた。
頭に物を乗せて運ぶことのメリットはまず、
何と言っても両手が開くことであろう。
次に、体がまっすぐに伸びていて視線は前を向いていないと
物がうまく運べないので、必然的に背筋がスッと伸びる。
私が今まで見たモザンビーク人で猫背の人は誰一人としていなかった。
背筋が伸び、首が正しく背骨に乗るということは、
骨盤も正しい位置に納まるということで、年齢を重ねても
腰が曲がったり、腰痛に悩まされたりすることが少ないのかもしれない。
肩こりなどという概念は理解され難いかもしれない。
さらに慣れた大人になれば、手や肩に下げて持ち運ぶよりも
はるかに重い物を自力のみで、運ぶことが可能になる。
運ぶ対象としては子どもから大人まで、まず一番多いのが「水」である。
家に水道を引いている家庭もそう多くはないために、
近所の水汲み場または水道が引いてある家から自宅まで、
生活用水は自分たちで運ばなければならない。
そしてそれは小学生でもできる「仕事」である。
10歳ぐらいの兄弟たちが数人まとまって、5リットル容器に
水を汲み、揃って頭に乗せ、車に轢かれないように年長者が
年少者をかばって、歩いている姿は何とも微笑ましいものである。
15kgや20kgほどしか体重のない子どもたちにとっては、
たかだか5リットルを運ぶのも一仕事である。
これが大人になると、女性でも20や30リットルは入りそうな
バケツを頭に乗せ、悠然と歩けるようになるのである。
頭に物を乗せて歩くことに慣れると、それは乗せなくても
充分に運べるようなものまで頭に乗せて運ぶようになる。
例えば、炊事に使用する小枝や数本のキャッサバ(主食の芋で
長芋のような長さと大きさ)、ペットボトル1本だけなどは
手で持っても充分に運べそうなものである。
はたまた、そんなものまで頭に乗せて運ぶのか!と思わず
振り返らずにはいられないようなものも平然と運んでいる。
例えば、1メートル四方ほどの大きさの冷凍庫や2m以上はある
丸めたトタンや木材など。
極めつけは、ベビーカー。
運ぶためのものを運ぶとは、もはや理解に苦しむ。
さすがにこれ(ベビーカー)は誰もがやっているわけではなく、
町で売られるようになったのもここ数か月の話だし、
見かけたのは1回だけである。
ベビーカー(1,500MT[約4,500円]ぐらいする)のように、
田舎町では珍しいものを持っていたり、身につけているのは、
ある種のステータスであるようなので、現地のお金持ちの
人たちはそういう物をよく欲しがるようである。
首都マプトでしか手に入らない柄のカプラナなどは
倍近い値段がしてもある一定層には飛ぶように売れるのである。
主に頭痛や生理痛緩和のための痛み止めとして、
日本でも服用していたロキソニン、バファリンを
持ってきていたのだけれど、自分で服用したり、
大家さんの家族に「ちょっと頭が痛いから
鎮痛剤をくれませんか」とたまに言われるので、
分けていたらついにバファリンが底をついてしまった。
バファリンの主成分はアスピリン(アセチルサリチル酸)だが、
アスピリンやイブプロフェン(どちらも非ステロイド性抗炎症薬)は
出血傾向を助長する働きがあるため、マラリアを患っている時に
服用すると症状が悪化してしまう場合があるので、
日常的にマラリアにかかりまくる人が多いこちらでは
パラセタモール(アセトアミノフェン)が好まれる。
これは薬局で簡単に手に入れることができ、
価格も1箱30錠で約60MT(約180円)と比較的安価である。
ドイツやスイスなどの会社が出しているものが数種類ある。
アセトアミノフェンはアスピリンやイブプロフェンと異なり、
胃を刺激せず、興奮や眠気もなく、血液凝固や動脈管収縮の
影響もない世界的にも安全な薬物とされている。
ちなみに日本ではノーシンの主成分がアセトアミノフェンである。
バファリンを切らしてからというもの、上町と下町に
1軒ずつある薬屋の前を通る度に店に入ろうかと思うだけれど、
営業時間のはずなのに閉まっていたり、常に店の外にまで
人が溢れかえったりしているものだから、そこに入っていって、
並ぶのにまた体力を使うし、しかも万が一そこで病気をもらっても
嫌だし今日はやめておこうと諦めていたのだけれど、
今朝は開店と同時に店の前を通りかかることができたので、
誰もいない店内で薬剤師の説明を聞きながら、
ゆっくりと薬を選ぶことができた。
この「営業時間のはずなのに閉まっている」と
「いつ行っても混雑している」は、薬局経営において
ナカラが抱えている問題の一つでもある。
つい先日、新聞にもそれに関する記事が出ていた。
記事によると、人口24万人弱を抱えるこのナカラ郡は
経済特区でもあり、世界中から注目と投資を集めている
地でありながら、現時点では民間の経営する薬局が
3つのみ(しかも週末は閉店)で、政府に対して
改善の要求をするに至っているという。
これらの薬局は、朝8時半に開店し10時にいったん閉店、
さらに12時から14時までは昼休みを取り、17時には閉店となる。
薬剤師や薬局の都合で営業時間はあまり守られておらず、
この事態は保健当局の関心の低さゆえに引き起こされているとある。
ナカラ郡保健業務担当ディレクターによると、
規定には薬局は1日おきに22時まで営業することとなっているという。
もちろん現時点で22時まで開いている薬局は皆無であり、遵守されていない。
また、町にある国立ナカラ地域病院(ここもいつも患者が
溢れかえっていて待合場所は非常に不衛生)では、
薬剤が常に不足しており、医師から処方箋が書かれても
病院併設の薬局には薬の在庫がなく、民間の薬局に行くよう指示される。
とはいえナカラも田舎町であるから、約190km
(東京から那須塩原ぐらい)離れた州都ナンプラまで行かないと
手に入らない薬も少なくないのである。
また、このナカラ地域病院は国立なので、
ここでもらう薬は無料なのであるが、
民間の薬局に処方箋を持っていくと、薬代がかかる。
ゆえに薬代を調達できない人たちは購入できず、結果症状は
改善せず、また病院にかかるといった悪循環が続いている。
私の周りでも、ナンプラまで薬を買いに行くので
現金を貸してくださいと言われることも稀ではなくあるし、
ナンプラまで病院にかかりに行く人も少なくはない。
仕事もなく、お金もない人たちは適切な治療も受けることや
薬を買うことも叶わず、周りの助けもないとなると
必然的に病状は悪化し、本来は初期で治療が施されれば
なんてことない病気でも、死ぬことになる。