なかなか充実したゴールデンウイークの4日間を過ごしました。前半は28日の日曜しか休みがとれず、テレビから聞こえる世間様の10連休の声に拗ねたい気分になりましたが、そのぶん後半は走り抜けました。

 

5月2日、大阪から帰省した弟から電子書籍リーダーを貰いました。本人は新しいものに買い替えたので、いらなくなったのをくれたのですが、最近は電子書籍でしか読めないものもあるので、この機会に読んでみようと思い、早速設定をしました。

 

 

この4月で、愛媛インテリアコーディネーター協会で2年間運営をしていたインテリア図書館を閉じました。たぶん1年で止めては消化不足が残り、この先続けると惰性に陥ると思ったので、良い頃合いでした。そこで「図書館に本を読みに来る人は少ない」ということを学びました。当たり前ですが、大抵の人は日中は忙しく、ゆっくりと本を読んでいる暇などありません。図書館で借りて帰って夜に読む、書店(又はネット)で買って夜に読むわけで、私もそうです。

 

 

このゴールデンウイーク中は、とりあえず1冊の本を読み切りました。小出和代さんの「あのとき売った本、売れた本」です。紀伊国屋書店の売り場からベストセラー本を見つめて来た元店員さんが書かれた本で、とても面白かったです。本文で紹介されている本はいずれもベストセラー本ばかりなので、読んでいなくても書店で表紙を見たことのある本ばかりというのもいいです。雑誌にはよく、著名人が「私の心に残る1冊」という感じで本を紹介しているのを見かけます。興味深いと思いつつも、あんまり分野が違ったり昔の本だとわからずじまいなのですが、この本のようにベストセラーばかりを取り上げてもらうと「あ、これ読んだ」「表紙を見て気になっていた」「これは知らなかった」とか色々と思うものもあり、結果として「やっぱり本を買ってみよう」となってしまうのですけどね(笑)

 

 

というわけで、屋根裏図書館もますます充実すしそうです。

 

 

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↓ご興味のあるかたはこちらです

 電子書籍と単行本があるのでお気をつけください

 

 

 

 

 

 

 

 

日々、仕事やらなにやらで忙しくしています。そんな中、4月14日は久しぶりの着物デイでした。

着物が好きで着る機会を探しているお客様がいるので、お茶会にお誘いし、そのあとは三曲協会の演奏を聴きに行きました。

 

 

お茶会は表千家で、午後の会のお客28名のなかに2人、知り合いと出合いました。一人は建築士協会の人で、ゴルフをしている活発なイメージがあったので、着物姿にびっくり。そして一人は元いた箏の社中の人でした。コロナ禍前までは一緒に老人施設の慰問演奏に行っていた人で、ということは丸々2年はお会いしていなくて、懐かしく嬉しかったです。その箏の社中は、一時は10人に達していた弟子も今や2、3人しか居なくなり、どこで演奏することも無いそうなので、こういう機会でもないとお会いすることは無かったでしょう。

 

 

 

お茶会の後だったので、三曲協会の演奏は後半が聴けました。現代曲が多く、吉崎克彦先生が作曲した「雪月花によせて」「こでまり」が聴けて良かったです。誘った人も箏が好きだそうで喜んでもらいました。

 

 

箏の音色は美しいです。そろそろ真面目に弾かなければと自分にはっぱをかける良い機会になりました。

 

 

 

1月はいぬる、2月は逃げるといいますが、本当にあっという間に過ぎ去りまして3月3日のひな祭り。といってもこちらは4月に祝う習慣なので、ひな人形はまだひと月飾ったままでも大丈夫です。

 

(自宅の雪柳と。 この2体、実はおみくじです)

 

この数か月、建築士会の写真コンテスト企画に携わっていまして、それが3月1日でようやく終わりました。

1月には実家の庭から半野良猫ファミリー4匹を引き取ったためバタバタしていましたが、ようやく落ち着いてきました。

 

(超リラックスのお母さん錆猫)

(子猫とはいえない大きさになったこどもたち)

 

次のことをはじめなければ、と思います。

 

 

 

 

 

 

能登の地震に心が痛みます。

きっと、12月31日の夜は、帰省した家族と共に紅白歌合戦を見たり、年越蕎麦を食べた人も多いでしょう。来年の予定やささやかな夢を語り合ったかもしれません。

1月1日の朝も、近所の神社やお寺にお参りに行ったことでしょう。「今年1年が平和でありますように」「家族が健康でありますように」「仕事がうまくいきますように」

そんな多くの人の祈りは、4時10分の地震で暴力的に破壊されてしまいました。地震、津波、地割れ、建物の崩壊、土砂崩れ、そして火災。どれかひとつをとっても大きな災いとなるものが、一緒くたに人々に襲い掛かり、幸せな生活を一変させてしまいました。

 

むごいとしかいいようがありません。自然は人の都合などおかまいなしで、その前には無力だと思い知らされた災害でした。いつか、春に草木が芽吹くように、人もまた復活できることを祈ります。(この祈りが無力であるとしても)

 

昨日、杉原楽器さんに行ってきました。購読している邦楽ジャーナルを受け取るためです。日々あまりにも仕事が忙しすぎて11月号を取りにいけていなかったので、手元に2冊となりました。12月号は吉崎先生が表紙なので、ぜひとも早く手にしたかったのです。もちろん、トップページの「いんたびゅう」も読みました。先生のひととなりが、レッスンの時に感じるお人柄のそのままでした。文中にある「名前を知ってほしかった。知っていただくと演奏がしやすくなるの」「人生で一番楽しいのは人前で演奏することと曲を書くこと」という言葉など、さすがだと思いました。

 

 

ですが、今年の、2年に1度の先生のリサイタルは、行かないことにしました。自宅療養中の夫は安定していますが、もしも体調を崩したら、という懸念がないわけではありません。訪問看護の人が来るのは月・水・金なので土日を不在にすると不安です。ぎりぎりまで悩みましたが、一生の後悔にならないように四国内で大人しくしておくことにします。

 

2年前の東京は、銀杏の葉が黄色く色づき、クリスマスのイルミネーションも素敵で、時々は都会の風にあたらねばと思ったものでした。まさか行かない時が来るとは思ってもいませんでした。今年のリサイタルに行かれたかたがブログに様子をアップされたら、楽しみに読ませていただきます。

 

(長磯箏を出しました。弾いてやらねばね)

 

箏を寝室に持ち込んで以来、時々練習をしています。やっぱり環境は大事です。病気療養中で日がな一日自室でテレビ映画を見て過ごす夫の部屋の隣では、音を出すことははばかられます。練習のおかげで、左指の腹も少しづつ固くなってきました。身体ってなんて正直なんでしょう。ダイエットも、これくらい短期で結果が出るなら続くのにと思ってしまいます(笑)

 

この間、初めて私の家に遊びに来た友人がいます。アンティークが好きな人で、家の中の私のコレクションを見せているうちに寝室にアンティーク箪笥があるのでお連れしたところ、中央に鎮座している箏を見られてしまいました。せっかくなので六段の初段の部分をご披露したところ、目を丸くして「すごい。私のまわりで箏をやっている人って他にいないです」と言われました。確かに、少ないですよね。

 

(マイコレクションのインク壺)

 

私が箏に誘った友人知人数人も、結局全員が紹介した社中をやめてしまいました。あとは自宅でひとりで・・・というと、あまり弾かないでしょうね。早々に楽器を手放した人もいます。私のまわりでも、箏人口は減っています。

 

 

 

友人のお琴の先生、高瀬雅仙さんちの3匹の猫は良い子たちばかりのようで、箏があっても、上に乗ったりの悪さはしないそうです。

心底うらやましい・・・と思うみやびです。

 

うちの4匹の猫の中には噛み切り魔がいて、ある日気が付いたら、窓のシェードの紐が全部噛み切られていて、シェードの上げ下げが出来なくなりました。これが箏の糸を見つけようものなら、嬉々として噛み切りそうではありませんか。そして、箏部屋に入り込んだら爪で糸をはじく猫もいます。音を聞いて私が慌てる様子が面白いのでしょうが、これも糸が傷ついたらとハラハラします。そして何より、桐の木で爪を研がないかとドキドキします。なので、基本的に猫は箏部屋に入れないようにしています。

 

という環境下、箏を一面移動させました。新しい設置場所は2階の私の寝室です。冷暖房完備で猫を入れていない場所となると選択肢がありません。目がさめたら目に入る箏。今日から心を入れ替えて練習しましょう。ということで早速藤井凡大先生の「さくら」を弾きました。山田の爪で習ったことがありましたが、生田の角爪のほうがだんぜん弾きやすいことがわかります。といっても悪戦苦闘。左手の指の腹がすっかり柔らかくなっていて熱をもちました。鍛えなおさねばなりません。

 

(タマ 寝ているときは天使です)

 

 

久しぶりに、お箏を習いたいという人と出会いました。学生時代にはお正月のホテルのロビーで和服で「春の海」を弾いていた、ということです。社会人になると練習の時間がなくなり、結婚するとさらに時間がなくなりお金もかかるので止めてしまった。子育てが一段落したので再び習いたい・・・ということで、友人のお箏の先生をご紹介しました。

 

 

今日はその顔合わせでした。楽譜の読み方もすっかり忘れてしまっているとのことでしたが、藤井凡大先生の「さくら」のはじめの合わせ爪(二七・二七・三八・・・)のところはすぐに弾けました。指の間隔など、すぐに思い出されたようです。秋から始めたいので杉原楽器さんに糸の張替をしてもらわねばと張り切っています。

 

経験があり楽器をお持ちだと、話が早いですね。橋渡しができて嬉しかったです。そして私も弾かなければと思いました。今まで箏にかけた金がを思い起こせば勿体ない(笑)。肝臓が悪くて入退院を繰り返していた夫は、現状維持が1年半くらい続きそうです。毎日自室で安静に過ごしていますが、箏の部屋はその隣。襖1枚隔てただけではお互いの音が丸聞こえで落ち着きません。箏の練習場所を変えようと計画中です。

お久しぶりです。久しぶりに箏のブログに戻ってきました。

というのも、友人の娘さんが「おかやま全国高校生邦楽コンクール」に出場したので、私も愛媛は松山市から車をとばし、岡山に行ってきたのです。片道180キロくらいでしょうか。道中も、到着してからも楽しかったです。

 

 

課題曲は「六段の調」の初段です。参加者29人のうち、27人が箏を弾いて、2人が尺八を吹きました。

同じ曲を延々聴くので、退屈しないかな?と思ったのもつかのま。みなさんそれぞれの六段が聴けて楽しかったです。同じ高校の生徒たちは同じ間(ま)で弾くのねとその指導の先生を想像したり、ここはもっと早いほうが好みかな、あと一瞬間(ま)が欲しいとか、脳内で勝手に審査のまねごとです。

 

練習では完璧に弾けているだろう生徒さんたちですが、緊張のあまりミスをする場面も見られました。けれど一瞬で立ち直ります。自由曲の選曲は宮城道雄先生作曲のものが一番多く、次は沢井忠夫先生。難易度の高い曲をいくつも聞けて、とても満足のいく時間を過ごせました。入賞者もおおむね「この子上手い」と思った子が入っていて、私の耳もなかなか良いかもと嬉しくなりました。(番号のオレンジマークが入賞者です)

 

 

そして、まさかの出会いがありました。フェイスブック上だけのお付き合いだった九州に住むお箏の先生とリアルで出会えたのです。あちらにも大喜びしていただき、お互いがお互いのフェイスブックを見ながら、この人とは気が合いそうと思っていたこともわかりました。・・・もう、これは、一緒に飲むしかないですね。一晩中だって語り合えそうな気がします(*^^*)

 

家族の病気のことがあり、しばらくブログを開けない状態が続いていました。箏はお休みです。

 

夫の原発性胆汁性胆管炎(昔は原発性胆汁性肝硬変といいました)が進行し、肝性脳症を発症。一見すると痴呆のようで、はじめはアルツハイマーを疑い病院に行きましたが、脳波の検査でそうではないとわかりました。内科に紹介状を書いてもらい、診察の結果、肝性脳症だとわかりました。きびしい状態で治療を模索中です。情報収集のためにインターネットを見ることは多いのですが、ブログを書く時間がありません。

 

また、書けるようになりましたらよろしくお願いします。