5月1日と2日、大阪から弟がもどり、二人で実家の片づけをしました。

家具類は既に処分しているので、アルバムから写真をはがしたり、書籍をまとめてしばったり、こまごましたものを分別していきました。わりと大ざっぱなゴミ捨てルールの地に住む弟は、電池・ボタン電池・充電できる電池をわけるといった細かい分別ルールは苦手なようです。

 

台所の下に地下室があると、先日大家さんの親族に聞きました。今までは台所にはカーペットを敷いていたので目に入らず、それを処分してから見つけた蓋は床下収納庫とばかり思っていたのですが、そういえば25年前聞いたような気がします。

 

 

「この家、地下室があるのよ。一応中も見てみたいんだけど、一人では蓋を開けたくなかったんだよね」

「えっ、地下室?」

と弟もびっくり。

「ミステリー小説だと、地下室から白骨が出て来たりするよね」

「いやいや、お父さんが殺人鬼なわけないと思うけど」

とか言いながら開けようとすると、蓋は周囲の隙間に入り込んだ小さなゴミで密着されていて動きません。

「ますますミステリーだね」

「いやあ、お父さんが地下に出入りしていたとは思えないけど」

「引っ越しの時は入ったかもよ。荷物を入れてそのまま忘れているかもしれないから確認しておきたいかな」

 

というわけで、私が蓋の廻りをほじくり、弟が取っ手に手をかけて揺すっているうちにだんだんと緩み、とうとう蓋が開きました。

25年前の空気はカビ臭くもなく、中をのぞくと、壁をコンクリートで塗り固められた3帖くらいの地下室と、立てかけられた梯子が現れました。ミステリー小説ならば、まさに監禁にぴったりです。

スマホの照明で照らすと、白骨死体は見えなかったかわりに、灯油缶や炭やクーラーボックスなどが見えました。灯油が中にあった場合、処分が大変です。そして、古い梯子は危険そうで、降りたくありません。

 

「あの灯油缶や炭は、うちのじゃないよね。たぶん前に住んでいた人の」

「そうだと思う」

・・・

「じゃあ、見なかったことにしようか」

というと弟も素直に頷き、静かに蓋を閉めたのでした。

 

実家は5月末で明け渡しです。この連休中、頑張って片づけなければなりません。

 

 

 

ある小さな喫茶店に入ったところ、ランチセットに卵料理とありました。どんな卵料理だろうとわくわくして待っていると、出てきたものはゆで卵でした。

 

さて、我が家の朝食の卵料理というと、

時間が無いときは卵かけごはん。

ちょっと時間があるときは目玉焼き。

もっと時間があるときは卵焼きになります。

そうすると、ゆで卵は、すごく時間があるときの料理になるなと思ったのでした。

 

4月になれば仕事が減るはずでしたが、なぜか忙しく、ホットヨガも入会を申し込んだまま1度も行けていません。

先日「ああ、これでひとつ現場が終わった」と思った瞬間に旧知のお客様からラインが届き「リフォームの相談があるのですが」と書かれてあるのを見たときは、仕事の神様は一瞬の隙も見逃がさないのかと天を仰いで恐れ入ったのでした。

(ご存知ないかたもお忘れのかたも多いと思いますが私の仕事は住宅リフォームです)

 

 

先日は、掘りたてのタケノコをいただいたので、ちらし寿司と煮物を作りました。

やればできると気分良くしていた私の隣で、夫がつぶやきました。「おまえが作ると後片付けが大変」

 

ささやかな日常風景でした。

 

 

 

京都で11歳の男の子が行方不明になって以来、沢山の憶測がネット上を飛び交いました。

夫などはまめにyoutubeを見て情報を集めていて、私にも「こんな情報が」と教えてくれたのですが、その情報は再生回数が60万回だったり20万回だったりとすごいものばかり。素人探偵はこうして金銭を得ているのかと呆れるばかりでした。

 

再生回数が多くてもそれが確かな情報ではありません。

数年前、私の甥が家出をしたことがありました。

必死で情報を集める家族のSNSに、悪意の人が反応しました。「探して」と呼びかけるこの情報は嘘です。こういうふうに呼びかけて情報を集めるストーカーがいるので要注意!ということを流したのです。ネット新聞にまでそれが取り上げられ(しかしながらネット新聞からは取材はありませんでしたし、抗議先の明記もありませんでしたが)、家族の、本当に甥を探したいという言葉は全くの嘘つき扱いをされました。

ただ、私のブログの読者さんたちは私のことを信じてくれていて、そこから「もしかしたらネットのほうが嘘では?」と支持してくれる方々が現れ、本当にありがたかったです。私のこの小さなブログへのアクセスは1日50件を超えることはそう無いのですが、当時の最高は1日7707。大変なことでした。

 

皆が高校生探偵・工藤新一(名探偵コナン)ばりの推理力を持っているわけではありません。現場で草をかきわけ、地面を掘った警察関係者のかたがたを超える、自分だけの特別な推理が働くわけはありません。もし、今後事件に進展があり、何かがわかるとしたら、地面に足をつけた捜査員の苦労の積み重ねのおかげだと思います。

 

 

 

 

4月3日の金曜日のこと、道後の結匠庵で開催された蔵出し市に行ってきました。結匠庵は明治25年に建てられた日本家屋で、建築士の知人が改修を受け持ち、今回のイベントも彼女が主催しました。

 

 

部屋の奥に箏(琴)が1面立てかけられていることに気が付きました。値札はついていませんでしたが、これも売り物のようです。足元に琴柱と紙箱があるのに気が付きました。琴柱は十分に持っているので見るだけにし、隣の紙箱を開けてみてびっくりしました。中には、新品の琴枕(ことまくら)が入っていました。この箏の持ち主さんのものだったのかもしれませんが、現代の箏には布製の琴枕は使わないので、購入したものの無用の長物として仕舞われていたのかもしれません。

 

 

ということで、その無用の長物は、収集癖のある私の元にやってきたのでした。ちなみにお値段は破格の300円。

風雅な時代を感じます。いつか、うちの長磯琴を載せてみようと思います。

 

 

4月4日、友人の高瀬雅仙さんのお教室のおさらい会で箏を弾かせていただきました。貴重な機会をありがとうございました。曲は、吉崎克彦先生の「彩」です。

 

 

高瀬さんとのご縁は、うちの父が詩吟、高瀬さんのお祖父さまが尺八というコンビで施設の慰問演奏をしていたことに始まります。お孫さんに届けて欲しいと父から頼まれたDVDは名前の漢字に誤記があって「ひええ、なんて失礼な」と恐縮する私に、雅仙さんはとてもやさしくて、邦楽の世界にこんな優しい人がいたことに救われました。

父が遺したものは数少なかったのですが、高瀬さんとのご縁はその中でピカイチのものです。4月9日は父の命日。一周忌の法要を済ませたばかりの父も、あの世で見ていてくれたのではないかと思います。

 

そんな素敵な高瀬さんのお箏(琴)教室のホームページはこちら↓です。

 

高瀬雅仙 箏・三弦教室

2月に亡くなった母は、腰が曲がって、ひらがなの「つ」の字のようでした。

祖母もそうでした。

母は、石油ストーブに灯油を入れるのが重かったのでそうなったのだと主張していたのですが、原因はそれだけではあるまいと母を観察していると、いつも同じ、背中を丸めた姿勢で長時間テレビを見ていることが原因だろうと思われました。その間、身体を伸ばすような運動は一切していませんでした。

 

というわけで、環境は違えど同じ遺伝子をもつ私としては目の前に「つ」の字がちらつき、このままではマズイという気になり、このたびホットヨガの体験に行ってきました。ちょうど4月から仕事も減るはずで、母の面会がなくなった今なら時間もとれるはず。

 

インストラクターの若い女性の先生は親切で、説明はわかりやすく、適度な運動は心地良く、これはいいかもしれないととりあえず3か月のコースに申し込みをしました。

 

ただ、誤算が二つ。ホットヨガに来ている人はすでに体形が引き締まっているかたも多く、その中にまじるには今のぜい肉を何とかしないとタンクトップなど着て見せられないこと。そして二つ目は、仕事が一向に減らないこと。パソコンに向かう9割は、ブログでもネットショッピングでもなく仕事です。こんなはずではなかった・・・と思いながら、腹筋のまねごとをしたり、ジョーバにまたがったりしています。もうちょっと身体が引き締まったら、ホットヨガに出かけましょう。本末転倒ではありますが(-_-;)

 

 

先日、確定申告のため、20代の子に伝票入力のお手伝いをお願いしました。

手早く打ち込んでいるなかで、質問されました。

「モンペって何ですか?」

「モンペ?(検査仕事中に破れたモンペの修理代を経費に計上していたのでした)」

「スマホでモンペってAIに聞いたら、モンスターペアレントって出たんですけど・・・」

  ※学校に理不尽な要求を繰り返す保護者のこと

 

大笑いしました。

今の若い子には、戦時中の映画を見るとか、農作業で履くとかしないと、わからない衣服なのですね。

知らないことは仕方がないのです。調べようとしただけ偉い。

「うなぎの寝床っていう、大洲にあるお店で買った、動きやすいズボンのことよ。高いから(15000円ほどします)、引っかけたら修理して使ってるの」

 

それにしても、モンスターペアレントって教えたAI、大丈夫かな?

 

もうすぐ父の一周忌と母の四十九日と納骨です。

 

 

昨年父が亡くなった後に父関係の家具や洋服や書籍などは処分しました。今回は、いつか母が戻る日がないとはいえないしとそのままにしていた、ダイニングテーブルや椅子、ソファーや箪笥や座卓などの大型家具を処分しました。壁にあった沢山の賞状額を分解し、引出しの書類を破り捨て、鍋や食器を分別してゴミに出し、家は、部屋から箱にかわりつつあります。

 

処分しながら、呆れることもあります。

扇風機や暖房器具他の家電製品や、使った跡のない茶筅や茶碗裏にまでにもマジックで書かれた名前にちょっとゲンナリ。

沢山の懐中電灯や温度計、災害持ち出し袋に入った数年前賞味期限の水にゲンナリ。

使い終わった乾電池や電球の山、壊れたハサミの数、しまい込まれた古新聞の山にゲンナリ。

いったいどこまでが正気で、どこからが認知症のせいだったのでしょう。

 

(誰と間違うはずもないのに名前の書かれた茶道具)

 

先日、ラジオ番組の収録で、愛媛県知事と対談する機会がありました。知事の大ファンだった父のことを思い出し、サインをいただきました。遺影に供えた色紙を見て、喜んでくれていることでしょう。

 

(愛媛県知事 中村時広さんと記念撮影)

 

☆☆☆☆☆

ラジオ番組

エフエム愛媛「えひめ・熱中・夢中人」

4月4日・4月11日・4月18日 9:30~9:55

 

愛媛インテリアコーディネーター協会会長としてお話しさせていただきました

収録場所は愛媛県庁。なかなかの体験でした(*^^*)

 

 

 

 

 

2月20日、母が亡くなりました

夕方面会に行ったときは静かに息をしていて、父の詩吟CDをかけて聞いてもらいました。「じゃあまたね」とささやいて家に戻った夜に施設から脈がふれないと電話がありかけつけました。医師が到着した後、エンジェルケアというそうで、清拭後に母にはお気に入りの青綠色の着物を着せてもらいました。それはいったんは私にくれた着物でしたが「手元にないとやっぱり寂しいから」と母に言われて返したもので、喪の黒い帯を合わせました。

 

21日は、帰省した弟と施設の部屋の片づけをしました。室料が日割りになるというので、これは急がねばならない事案です。弟が母の弟に電話しました。ただ、母の弟も認知症で、そこから先への連絡がうまく伝わらず、「おじさんが何を言っているのかわからないので」と電話してきた従姉に事情を説明するといった事態も発生しました。弟が叔父に電話したときは受け答えはちゃんとしていたそうなのですが、記憶が持続しなかったようです。

 

22日は通夜。夜の間は弟が母に寄り添ってくれました。

 

23日は葬儀。昨年の父のときよりもさらに静かでした。会館の人にお願いし、父の詩吟CDを流してもらいました。朗々と吟じる父の声は、こんな声を出していたのかと驚くほどに若くしっかりしていて懐かしく、晩年の、肺を悪くして話すこともしんどくなった父の無念さをあらためて想像したのでした。

 

 

通夜も葬儀も三連休の中だったので、遠方から戻った妹と弟には良かったようです。

が、私はといえば、三連休中に受けていた仕事は他の人に代わってもらうこともできず、できるものは時間を変えたり日にちを変えたりしながらもやるしかなく、日常と非日常が混在するひたすら忙しい日となってしまったのでした。それが私らしいといえば私らしいのですが。

 

昨夜、久しぶりに缶ビールを飲みました。いつ施設から電話があるかわからなかったので、夜は飲まないようにしていたもので久しぶりです。これからはいつでも飲めることが、切なく感じられます。

 

 

 

お久しぶりです。前回ブログを書いたのは10月27日でした。その間には、吉崎克彦先生の、2年に1度の東京リサイタルにも行ったのですが、今思えばよく行った、行けて良かったです。あの頃は、グループホームに入居した母は安定していて、週に1度ほど面会に行き、好物の菓子や果物を差し入れて喜んで貰っていたのでした。年末には弟も帰省し、3人で母の好物の鰻弁当を食べました。それから2か月、まさか母が死を待つばかりの状態になるとは思ってもみませんでした。

 

1月9日、母は誤嚥性肺炎を起こし、それからは回復したものの、飲みこみが全く出来なくなりました。かかりつけの医師、言語聴覚士、脳外科医が母の状態が改善できるかを検討しましたが、無理でした。食事も水も薬も口からは摂取できず、点滴で命をつないでいました。それが500CCから250CCになり、尿量が減った昨日からはそれも無しとなり、あとは最後のときを待つばかりです。

 

人の感覚のなかで、聴覚は最後まで残るので、できるだけ話しかけてくださいと言われました。昨夜、思いついて、父の吟じる詩吟が入ったCDを探し、母の耳元で聴かせました。そんなに仲のいい夫婦ではありませんでしたが、母は父の詩吟だけは上手いと褒めていたので、その声が母の記憶に届いたと思いたいです。

 

 

母が誤嚥性肺炎を起こした1月9日は、亡き父の誕生日でした。

一人で誕生日を迎えたのが寂しくて、母を迎えに来たかのようです。