太閤秀吉の関白秀次への
(謀反による)切腹命令
はあったのか?
近江八幡では毎年7月に「秀次公法要が」八幡山山頂の村雲御所瑞龍寺(門跡)で行われています。
そこで今一度高野山7月15日の秀次切腹までの過程を見直してみますと、大きな発見が出てくるわけなのです。
それは秀次の切腹命令ばかりが目に付くわけですが、秀吉から切腹命令の出る1日前の7月12日に秀吉から秀次高野住山令(朱印状)が出ている事です。
秀次高野住山令というのは秀吉から「生活に必用な台所人を付ける」などが記され、高野山での「謹慎蟄居」を言い渡したもので、
記録としても写本(写し)が確認されています。(矢部健太郎著「関白秀次の切腹」参照)
ですから事件の経過を整理しますと、この秀吉からの秀次高野住山令が出された翌日に秀吉の切腹命令(甫庵太閤記)が出されている
となるわけです。
つまり秀吉は切腹命令だけを出していたわけではないのです。
やはり、秀次の「謀反とやらで?」と言うことですから高野山で謹慎蟄居させ、事の真相を見極めようという秀吉の冷静な判断があったのではと思われるわけです。
それが手のひらを返したような翌日の切腹命令です。
秀吉の何がそうさせたのでしょうか?
そこで甫庵太閤記にあります切腹命令を見てみましょう。
始めのところを抽出しますと
(口語訳)
「(秀吉の)御意としてお伝えいたします。秀次公御謀反の数々については、少しも疑いのないところであり、切腹を命ぜられることとなりました。」
これに続けて
「高野山に住山の罪業人は弘法大師空海の御慈悲によって助け許される、との法があるとは言え、
尊父秀吉公に対する逆心は極めて重い罪過であり、天地にそれを認める余地はありません」(以下略)
(矢部健太郎著「関白秀次の切腹」P87~P88参照)
となっています。
そこで、秀吉からという二つの文書を並べてみますとその違いが出てきます。
まず7月12日の秀次高野住山令は秀吉の朱印状であり7月13日付の秀吉の切腹命令は「奉行衆」の連著状であるという事がひとつ
次に真意性としては、秀次高野住山令にはその写しが2件存在していますが、秀吉の切腹命令(甫庵太閤記)は重要な書類(文書)なのに存在を証明する原本や写しは未だに発見されていないという現状があります。
更に太閤秀吉は関白を辞めた人であり秀次は現職の関白なのですから、秀次は天皇の第一の補佐役としての重責を持っているわけで
秀吉が天皇のお考えを頂くことを無視して、刑を宣告するというのも不可解なわけです。(秀吉のせいにすればなんでも通るという感じです)
この様な事からも「秀次が秀吉への謀叛の為に切腹させられた」となっている歴史の扱いには不自然を感じざるを得なくなるわけなのです。
更に一次資料として重要な「お湯殿上の日記」で7月13日(秀吉の切腹命令が出された日)を調べますと短いですが驚く事が書かれています。
(口語訳)お湯殿の上の日記: 現代文訳西村興治 (著)より
「十三日。(略)太閤(豊臣秀吉)がお患(わずら)いと北政所殿(ねね)より おかつうのお申し出があった。ご了解があった(略)」
つまり、御意(秀吉)として切腹命令が出された時に秀吉は御所に参内できないような病気であったという事が出てくるわけです。
この内容では、お患いがどの程度のものであったかはわかりませんが、少なくとも北政所(ねね)が代って御所にお伝えに来られるくらいに秀吉は動けない状態(お患い)であった事が一次資料から分かるわけです。
この様な事から(謀反による)関白秀次への切腹命令に秀吉の意思があったのか?が問われる事になって来るのです。
これまで聞いてきた歴史に疑義(ぎぎ:疑問)の発生です。
我々が信じていた事は何だったのか?にもなってきます。
ですから太閤秀吉の関白秀次への切腹命令はあったのか?
なのです。 (面白くなってきました) 了
「関白秀次の切腹」矢部健太郎著 KADOKAWA は近江八幡市図書館にありますから是非ご一読ください
(全国の図書館でも取り寄せてくれます)
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