Q&A3275 乳癌術後の胚移植は? | 松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

生殖医療に関する正しい知識を提供します。主に英語の論文をわかりやすく日本語で紹介します。

Q 41歳


2019年にリプロ東京で妊娠する事が出来て、その翌年出産しました。
今は第二子の治療をしようと今年の3月に移植周期を開始しましたが、その途中に私の乳癌が発覚(針生検結果ではDCIS、ルミナルA)し、エストロゲンやプロゲステロンを餌にする乳癌タイプの為、ホルモン補充の薬を即時止めるよう言われ、その後はリプロに行けず、入院→部分切除手術→退院しました。

術後の病理結果では、
●病名→ステージ0の非浸潤性乳管癌(DCIS)
●腫瘍の大きさ→25×21×21mm
●ER,PR→共に陽性
●ki-67→19.6%(DCISの為参考)
●HER2→スコア1+(DCISの為参考)
●センチネルリンパ生検→陰性

本来であればこの後は標準治療であるホルモン療法(放射線とタモフェキシン投与を最低2年、出来れば10年)を行うのですが、タモフェキシンを例えば2年飲んでから移植再開をしようとすると、2年間+薬が抜けるのに5-6ヶ月間掛かります。そうすると今から2年半経過し、年月経ってるので不妊症の検査も再度受けなくてはいけなくなるだろうし、移植に入れる頃には恐らく私の年齢が44歳過ぎになってしまいます。

癌は取り切ったとは言え、顕微鏡レベルの物があるかもしれないのでホルモン療法をした方が良いと頭では分かっていますが、自分の年齢を考えると少しでも早く妊娠出産をしたいので(妊娠率より将来の家族像的に私達高齢夫婦の子には兄弟を作って助け合って欲しい)、術後の標準治療であるホルモン療法は出産後に延期し、先に移植を行おうと思っています。素人の私が探した限りだとそのような論文や研究は探し出せず、(POSITIVE試験と言う2年間ホルモン療法をやってから不妊治療をするという研究はなされてるようですが)松林先生はホルモン療法せずにホルモン補充で移植する事で癌の再発のリスクはどれくらい上がると思いますか。またホルモン補充と自然周期でその差はありますか。このような患者に対して松林先生のご意見も伺えますでしょうか。


明日にはリプロに行って移植周期開始してしまうので、頂ける解答の方が遅くなるのは重々承知ですが、何かを支えに移植周期→妊娠→出産を迎えたいので、先生の知る限りの情報を教えて貰えたら幸いです。今や女性の9人に1人はなると言われてる乳癌で、その内の65%は女性ホルモンを餌にするホルモン受容体のタイプのようです。先生の所のスタッフさんでもなる確率の高い病気だと思います。こんな事相談に来る患者は中々いないと思いますが、みんな相談にも行かず諦めてるかもしれないので先生の見解を教えて貰えたら幸いです。不妊治療でホルモンをガンガン増やすのと私が今やらなきゃいけない事が正反対過ぎて正直怖い気持ちもありますが、チャレンジしたいです。どうぞよろしくお願いします。

 

A 不妊治療による乳癌リスクに関する論文は多数存在しますが、乳癌再発リスクに関する論文は極めて少ないです。これまでに私が紹介した論文では、2020.1.21「☆乳癌既往のART妊娠による乳癌再発リスクはない」しかありませんでした。そこで、今一度文献検索をかけてみました。

 

①Eur J Cancer 2015; 51: 1490(ベルギー)doi: 10.1016/j.ejca.2015.05.007

要約:ホルモン感受性乳癌(ER+,PR+)治療後の妊娠も安全であるとの報告がありますが、ART治療(体外受精、顕微授精)後の検討はこれまでなされていませんでした。2000〜2009年に乳癌と診断され乳癌治療後に妊娠した198名の女性を対象に、乳癌治療後にART治療を実施した25名と非実施の173名の比較を多施設共同研究で行いました。腫瘍の性質は両群間で同等であり、90%が術後化学療法を実施し、50%以上がホルモン感受性の癌でした。ART治療群は非ART治療群より乳癌診断時の年齢が有意に高く(33.7 vs. 31.4歳)、妊娠時の年齢が有意に高く(38 vs. 35歳)、流産率が有意に高く(23.5 vs. 12.6%)なっていました。妊娠満期での出産はそれぞれ76%と77%と同等で、出産後経過観察期間50ヶ月と63ヶ月乳癌の予後に有意差はありませんでした。

 

②Breast Cancer Res Treat 2019; 175: 17(オランダ) doi: 10.1007/s10549-019-05154-7

要約:乳癌は生殖年齢の女性に最もみられる悪性腫瘍であり、ホルモン感受性乳癌にはタモキシフェンが投与されます。タモキシフェンは妊婦に禁忌とされていますが、胎児への悪影響を示した論文は限定的です。これまでに報告された論文から、妊娠中にタモキシフェンを使用した238名が抽出され、妊娠の転帰が明らかになっている167名の予後について調査しました。出産された赤ちゃんの多くに異常はなく、21名(12.6%)胎児異常がみられました(一般集団での胎児異常率は3.9%)。しかし、胎児異常に特徴はなく、タモキシフェンとの因果関係は否定的です。妊娠中にタモキシフェンを中止することによる乳癌へのマイナス効果とタモキシフェンを継続することによる胎児へのマイナス効果を考慮した治療の選択が望まれます。

 

解説:ART治療ではホルモン剤を使用しますが、論文①ではART治療群と非ART治療群で乳癌予後に有意差がないことを示しています。また、ホルモン感受性乳癌の治療に用いられるタモキシフェンは妊婦に禁忌とされていますが、論文②は妊娠中にタモキシフェンを使用して出産した赤ちゃんの多くに異常はなく、異常がみられた場合もタモキシフェンとの因果関係は否定的であることを示しています。

 

少なくとも現段階では、乳癌既往の方にART治療を否定する積極的な根拠はありません。女性ホルモン剤の使用を躊躇される方もおられるかもしれませんが、そもそもART治療で用いる薬剤よりも妊娠中の女性ホルモン濃度の方が10〜20倍も高濃度ですので、論文①の結果になったものと思われます。また、妊娠中のタモキシフェン使用も(十分なカウンセリング及びインフォームドコンセントのもとに)考慮しても良いと思われます。この場合には胎児異常(奇形)がご心配になると思いますので、例えば絶対過敏期(妊娠4〜7週)、相対過敏期(妊娠8〜11週)、比較過敏期(妊娠12〜15週)を外した時期(妊娠判定までと妊娠16週以降)に服用するのも一法です。

 

なお、私は乳癌の専門家ではありませんので「癌の再発のリスクはどれくらい上がると思いますか?」という質問にはお答えできません。あくまでも、論文の内容をご紹介するのに留めさせて頂きます。

 

妊娠治療による癌のリスクについては、下記の記事を参照してください。

2022.4.9「☆卵巣刺激で乳癌リスクは増加しない その2

2021.12.21「ART治療と乳癌リスク

2021.10.5「☆ピルによる癌のリスクは?

2021.8.3「☆卵巣刺激で乳癌リスクは増加しない

2021.4.18「☆妊娠治療と癌のリスク

2020.1.21「☆乳癌既往のART妊娠による乳癌再発リスクはない

2019.12.30「卵巣刺激によるART治療と卵巣癌のリスク

2016.12.3「☆☆妊娠治療に用いる薬剤と癌について:ASRMガイドライン

2015.8.7「体外受精による出産後の母体の癌のリスク
2015.1.28「妊娠治療薬と境界悪性卵巣腫瘍の関係」
2014.2.25「☆卵巣刺激(排卵誘発)と卵巣癌のリスク」
2013.11.29「☆不妊治療薬で子宮体癌は増加しません」
2013.7.12「☆不妊治療薬と卵巣癌の関係」
2013.4.28「不妊症の方は癌になりやすいか その2」
2013.4.23「不妊症の方は癌になりやすいか その1」

 

なお、このQ&Aは、約2週間前の質問にお答えしております。